第18話 フェリクス様は雷がお好き?


 バスケットは想像以上に重かった。

 朝摘みのサラダ菜と玉ねぎ、トマト、オムレツ、ベーコンを挟んだ具沢山のサンドイッチに、お水の入ったボトルと器に入ったプラム。プラムは皮付きのままだけど、皮を剥いてカットしなくていいのかしら。そんなことを考えながら、先導して下さるブライアンさんの後をついて行った。


 渡り廊下の向こうにある大きな建物が、ダンジョンの管理棟と呼ばれる場所らしい。その奥にはさらに高い塔まであって、より砦の雰囲気を抱かせる造りをしている。


「ここで働く者の宿舎もありますし、食堂や訓練場もあります」

「訓練場?」

「ダンジョン内に向かうこともあるので、戦闘訓練は欠かせないのです」

「まるで、騎士団のようですね」

「私たちはダンジョンの修繕や調査も行っているので、彼らのようにお綺麗ではありませんが」


 むしろ冒険者協会ギルドの方が近いですよといって笑うブライアンさんは、参りましょうといって長い渡り廊下を進み始めた。

 その途中、ふと横に視線を向けた私は、ここからそう遠くないところに大きな森を見つけた。


 山のすそ野に広がる、何てことはない森。もしかしたら、童話に書かれていた場所かもしれない。

 冷たい風がその方角から吹き込み、ドレスの裾がばさりとはためかせ、髪をかき乱して通り過ぎていった。

 見上げた空は少し前まで晴れていたのに、一雨来そうな分厚い雲が広がり始めていた。


「アリスリーナ様、風が強くなってまいりました。お急ぎ、こちらへ」


 少し先に進んでいたブライアンさんを追って廊下を渡り終えると、遠くからごろごろと雷鳴が聞こえてきた。

 ぶるりと背筋が震えた。

 雷は苦手なのよね。近づいてこないと良いのだけど。


 フェリクス様がいる執務室の前に到着すると、案内をしてくれたブライアンさんは、お茶の用意に行くと言って去ってしまった。

 ぽつんと暗い廊下に取り残され、とたんに不安が押し寄せてきた。


 ああ、カレンを連れてくればよかったわ。

 でも、彼女にも朝のお仕事があるし、ニネット夫人が仰っていたように、バスケットを届けるなんて子どもでも出来る仕事よね。

 何かお役に立ちたいって気持ちは嘘じゃないし、これくらい出来ないでどうするのよ。──扉の前で悶々と考えていると、その向こうから声が聞こえてきた。


 フェリクス様は誰かとお話をしているみたい。これって中断して入って良いものかしら。


 少し躊躇して耳をそばだててみるけど、会話までは聞き取れない。邪魔をしたくないし、ブライアンさんを待っていた方が良いのかも。そう悩んでいると、すぐ斜め後ろの窓がびかりと光った。

 直後、ドドンッと激しい落雷の音が響き渡る。


「きゃあああっ──」


 私は堪らず悲鳴を上げてしゃがみ込んでしまった。

 心臓がバクバクと鳴って、冷や汗が背中を伝っていく。

 きっと、また雷は落ちるわ。すぐ側に落ちるかしら。このお屋敷に落ちたりしないかしら。どうしよう、怖い。


 耳を塞ぎ、ぎゅっと目を閉ざしたときだった。私の名を呼ぶ声がした。


「──リーナ、アリスリーナ。大丈夫か?」

「フェ……フェリクス様……」

「凄い声だったな。こんなところで、どうした?」


 仰ぎ見ると、いつの間に開いたのだろう扉の向こうから、フェリクス様が近づいてきた。

 ああ、見られてしまった。こんなみっともない格好、子どもみたいって思われたのかしら。

 恐怖と緊張、それに羞恥心で声が震えた。


「あ、あの……フェリクス様に、お食事をお持ち──」


 すっかり腰が抜けていた私は、しゃがんだまま真っ赤になってさらに鼓動を早くする。そうして何とか立ち上がろうと試みたけど、再び激しい雷鳴が轟き、反射的に悲鳴を上げるのを繰り返した。


 さらに大きな雷鳴にうずくまたら、もう、どうするのが正解かを考える余裕もなくなった。


「雷が苦手とは、可愛いな」

「か、かわっ……雷が好きな人など、見たことがございません」

「俺は好きだぞ」


 目の前にしゃがんだフェリクス様は私の顔を覗き込んで楽しそうに笑う。


「ここいらは、この時期に雷雨が多いんだ。朝から降るのは珍しいが」


 そう言いながら、バスケットに気付いたフェリクス様は、部屋にいらした方を呼ぶとそれを渡して部屋に運ばせた。

 とりあえず、お食事をお届けは出来たようだけど、どうしよう。腰が抜けた私は、未だに立ち上がれていない。


「しばらくすれば雷雨もやむだろうから、部屋で休んでいくと良い」

「は、はい……あ、あの……」


 立ち上がれないなんて、恥ずかしくて言えない。でも、ここでしゃがみ込んでる訳にもいかないわ。

 おろおろしていると、フェリクス様はしたり顔になって私の肩に手を回した。そうして、いとも簡単に私を抱き上げてしまったではないか。


 驚きの声を上げるタイミングで、再び雷が落ちた。


 反射的に、目の前にあったフェリクス様の胸に顔を埋めてしまうと、彼は「悪くないな」と呟いて部屋に入っていった。

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