第7話 光一とある噂②
光一の欠席は続いた。
担任教諭は何も言わなかったが、クラス内の誰もが光一の欠席理由を気にしているのは明らかだった。
彼の欠席が一週間を超えたあたりでクラスメイトたちも異変を確信したのか、ざわざわとした落ち着かない雰囲気はより明瞭になっていった。
普通の発情期であれば、一週間もあれば症状は落ち着くものだ。登校できない何らかの事情があることはほぼ間違いない。
光一の噂はとりわけオメガクラスの外では面白おかしく吹聴されて、今や学園中の生徒が噂を事実として受け止めているようだった。
光一のヒート状態を目撃したというサッカー部のマネージャーには、一度会いに行った。
光一の映っている画像を見せて確認してもらったが、やはり彼女が目撃したのは光一で間違いないということだった。話の内容も当初佑月たちが聞いた内容とほとんど同じものだった。
登校だけでなく、光一からの連絡もあれ以来途絶えていた。
りくや佑月がそれとなくメッセージを送ってみても、既読にはなっても返事がこない。そんな状態のまま、ただ時間だけが過ぎていった。
光一の欠席が三週間目に突入した頃、佑月たちはクラスの担任教諭に光一の事情を尋ねてみたが、白髪交じりの彼は何も教えてはくれなかった。
しかし佑月も諦めなかった。
毎日毎日執拗にアタックを繰り返した結果、ついに担任教諭のほうが折れたのだ。光一の保護者の了承を得られれば、光一の家の住所だけは教えると約束してもらうことに成功した。
そしてとうとう、担任教諭は「事情は話せないけれど」と口にした上で、佑月たちが光一に会いに行くことを渋々認めてくれたのだった。
「だけれどね。……本人に会えないと言われたら、もうそれっきりにしなさいよ」
職員室を出る直前、呆れ交じりの忠告を佑月はもらった。
担任に教えてもらった光一の家の住所を握りしめ、その日の放課後、早速会いに向かった。
りくと一緒にいつもとは違う電車に乗り、揺られていく。
予想していたよりも光一の家は遠かった。電車とバスを乗り継いで45分ほどかかって到着したのは、閑静な住宅街にある一軒家だった。
インターホンを押すと、玄関から顔を出したのは光一によく似た中年女性――光一の母親だった。
一度家の中に戻り、光一の意思を確かめてきてくれた彼女は、申し訳なさそうに佑月たちに微笑んだ。
「ごめんなさいね。あの子、誰にも会いたくないって言って、ずっと部屋にこもっているの」
光一に会えない可能性があることは理解していたつもりだった。
だけど正直なところ、ここまで来て彼に会えず、しかも本人に拒否されるというのは予想していたよりもショックが大きかった。
しゅんと肩を落とした二人に、「心配してわざわざ来てくれて、ありがとう。でもごめんなさいね」と光一の母親はやんわりと帰宅を促したのだった。
夕暮れ色の見慣れぬ住宅街を、りくと二人でとぼとぼと引き返した。
無言で歩きながら、光一のあの噂はやはり本当だったのかもしれない、と苦い思いを噛みしめていた。
今までは半信半疑だった。欠席が続いているのには何か別の理由があるのかもしれないと考えてもいた。
親友のつもりだし、どんな理由でも信じるから……光一の口から、真相を聞きたかった。
けれども、ヒート事故が彼の欠席の理由ならば、内容が内容だけにそれが難しいこともわかっていた。
佑月は足を止めた。気付いたりくが背後を振り返る。
西日は傾き、オレンジの光が斜め頭上から降り注いでいた。日没時刻が近付くにつれ、辺りに忍び寄る夜の気配は濃くなっていく。
「りくちゃん。……明日、もう一度こーちゃんちに行ってみない?」
佑月の提案に、りくは静かに首を横に振った。悲痛そうな顔に微かな笑みをにじませる。
きっとりくも同じことを考えている。――あの噂はきっと真実だったのだろう、と。
「もう、そっとしておいてあげたほうが良いんじゃないかな?」
「……そう、かな」
会話はすぐに途絶えた。また歩き出す。二人とも、足元を眺めてばかりいた。
秋風が吹いて、スニーカーの真横を枯れ葉が転がっていく。
無言のままバスに乗り、駅に戻って、電車に乗った。最初の駅まで戻って、りくとは別れた。
帰宅してからも佑月は悶々とした気持ちを抱えていた。
りくの言うことも、担任教諭の言うことも理解はできる。頭では理解している。
わかっているのだ。光一のことはもう、そっとしておいてあげたほうがいいのだと。
例え自分に同じような経験があったとしても、それは佑月の過去でしかなくて、できることなんて何もない。
佑月は制服のシャツの襟元にそっと手をあてた。この数年間、外出時には必ず身に着けてきた
恥ずかしい過去を周囲に言えずにいる自分に――否、仮に自分が過去を打ち明けたところで、一体彼のために何ができるというのだろう。
(できることなんてない。……でも、光一に元気になって欲しいよ)
会いに行っても、明日も会えないかもしれない。
連絡をしても、やっぱり返事をもらえないかもしれない。
光一の欠席は続くのかもしれない。……だけどあの家の奥にいる彼に、ほんの少しだけでも元気になって欲しいのだ。光一は大切な友人だから。
ふと、脳裏をかすめた光景があった。数週間前の会話の内容を思い出す。
佑月は勢いよくフローリングから立ち上がると、そのまま自室に向かい貯金箱を取り出した。
ひっくり返し、中身を確認する。いつも持ち歩いている財布の中身も一度すべて取り出した。
(これだけあれば……少しは買えるかな)
少しずつ貯めてきたつもりだったが、貯金箱には期待したほどの額は入っていなかった。それでも、あるとないでは全然違う。
この地に引っ越してきてから、佑月は小遣いをもらえるようになった。
そこから服や首輪、昼食代を出していたので、毎月の残金はわずかばかりだったけれど、コツコツと貯金し続けてくれた過去の自分に今猛烈に感謝したい。
――光一が食べてみたいと言っていた、あのチョコ専門店のクレープ。これだけあれば、きっと他にも。
(多分僕なら……何も問題ないはず)
決意を胸に、すべての紙幣と小銭を財布の中に詰め込んだ。きゅう、と両手でそれを握りしめる。
アルファフェロモンをほとんど感知できないこの不幸な体質を「幸運」だと感じる日がくるなんて、思わなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます