第三章 「高校二年生」

第1話 オメガの友人たち




「だから、ここはこの公式を使って解くんだって。問題文読めばわかるじゃん?」


 放課後、高等部二年C組の教室で。

 数学の教科書を指先でトントントンと叩きながら指摘されて、佑月は唇を尖らせた。


「わかんないってば~。僕って筋金入りのバカだもの」

「開き直るんじゃねーわ」

「いてっ」


 頭に軽いチョップが落ちてくる。頭をさすりつつ、佑月はふくれっ面で目の前の生徒をじっと見た。

 クラス長でもある宇佐美うさみ光一こういちは机の向こう側で呆れたように嘆息している。根気よく佑月の勉強に付き合ってくれている光一だが、さっきから言葉がちょっととげとげしい。


「あのさ佑月、別に満点目指せとは言わないけど、このままじゃ次こそ留年もあるぞ? 自動的に学年が上がる中等部とは違うって、ちゃんとわかってるん?」


 光一は鞄からミルク飴の小袋を取り出すと、包装を破いて一粒口に含んだ。小言とともに、佑月にも一粒わけてくれる。

 光一は高等部になってからこのオメガクラスに入ってきた生徒の一人だ。黒髪に黒縁メガネの優等生。堅物そうな見た目をしているが彼は意外にも親しみやすい性格で、面倒見もとてもいい。


 テストがあるたびに補習課題に苦戦している佑月を見かねて、光一が勉強を教えてくれるようになったのは高校一年の初夏のころだ。

 あっという間に仲良くなって、今ではりくも含めて三人で行動することも多かった。


「わかってるって。でも仕方なくない? 神様は僕に美貌をくれたけど、それ以外は恵んでくれなかったんだから」

「自分で言うなよー自信家か」

「こーちゃんは神様に頭の良さをもらえたじゃない? 僕はそこはもらえなかったの。だから頭脳に恵まれなかった僕を怒らないでよ、これは仕方のないことなんだから」

「はいはい、じゃあ次いくぞー」


 半眼になった光一に課題の続きを促されたちょうどそのとき、誰かのスマホの通知音が鳴った。

 二人の隣で眠そうに上体を机に伏せていたりくが、のそりと起き上がる。


「りく、大丈夫か? 飴食うか?」

「りくちゃん、やっぱりヒート近いんじゃない?」


 スマホの画面を確認したりくは顔を上げると、「うん、そうかも」ととろんと困ったように微笑んだ。

 光一からミルク飴を受け取ったりくは、それを口に入れると、ゆっくりとした動きでロッカーに向かう。帰り支度を整えた彼は、二人のもとに戻ってきて申し訳なさそうに両手をあわせた。


「ごめんね、今日はぼく先に帰るよ。車で迎えに来てもらえることになったんだ」


 机に置いてあった教科書とノートを鞄にしまうと、りくは「じゃあね、ゆづちゃん勉強がんばってね」と言い残して、ふらふらと教室を横切っていった。

 その後姿を眺めていたら何だか心配になってしまって、佑月は光一と顔を見合わせた。勉強会は一時中断し、りくを校舎の昇降口まで送っていくことにする。


「もう、大丈夫なのに~」


 教室から走って追いかけてきた佑月たちに、眉を下げたりくは苦笑している。


「だって僕たち心配なんだもん」

「そうそう、心配だからオレらのために見送らせてくれ」


 りくは発情期が近いとぼんやりする体質らしい。そういう時のりくはいつもの数倍ふわふわとしていて、目を離したら消えてしまいそうで、見ているこちらが不安に駆られてしまうのだ。


 高等部になると身体の成熟が進み、発情期が始まるオメガ生徒も多い。担任教師からも「体調には十分に注意するように」と耳にタコができるほど言われていた。

 しかしどれだけ注意喚起されていても、年に一回くらいは生徒の発情事故の噂を耳にする。若いオメガが自分の体調をコントロールすることは簡単じゃない。

 ……そのことは、佑月も経験から痛感していることだった。



 りくは昇降口を出て、夏の日差しの中をふらふらと歩いていく。

 佑月と光一はその背中をしばらく見送っていた。


 すると門のあたりで、りくは背の高い男に話しかけられたようだった。

 あれ、と佑月たちが首をかしげるよりも早く、りくの顔には満面の笑みが広がって。こちらの心配をよそに、りくと男は親しげに肩を寄せ合い姿を消していった。


「てっきり親が迎えにくるもんだと思ってたけど……違ったなー」


 光一の言葉に、佑月もうなずいた。


「あれさ、絶対付き合ってるよねっ。もう、りくちゃんったら秘密主義者なんだから! ヒートで迎えに来るなんて彼氏しかいないじゃーん!」

「それなー」


 回れ右して、同じくらいの背丈の光一と並んで廊下を戻る。教室は冷房が効いているけれど、空調のききにくい廊下の空気はむわっとしていて蒸し暑い。

 手をパタパタさせていると、横から光一が訊ねてきた。


「佑月は最近どうなん? 今の彼氏と何カ月だっけ」

「もうすぐ三か月かな。何もないよ、普通」

「エッチはもうしたん?」

「もう、やめて? 僕はこう見えて真面目なんですぅー」

「どうだか。でもキスはしたんだろ?」

「……まぁね? それくらいはね?」

「あーうらやまし! どいつもこいつも青春中かよ、こんちくしょー!」


 頭を抱えた光一が嘆いている。その隣で、佑月は薄い笑みを貼り付けていた。

 ――本当のことを、友人たちにはまだ言えていない。

 白シャツの襟の間から見え隠れする佑月の首元には、今日もスカイブルーの首輪ネックガードが装着されている。


  

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