The FOOL

桜雪

序章 失う物がない男

第1話 無職とは無敵ではない。ただ恐れを徐々に感じなくなるだけだ

 その男は50歳を目前に25年務めた会社を自主退職した。

「本当に後悔はないんだな?」

 性格は至って真面目、飛びぬけた成績こそ無かったが営業職を無難に真っ当し、後輩から、そして取引先からも信頼されていた。

 穏やかな人柄、そしてコレ以上の出世はないであろう安定感から女性社員からは『エターナル係長』と陰で呼ばれていた。

 そんな男が、いきなり退職届を提出し彼は私物をまとめて退社したのだ。

 営業二課は朝からざわついていた…。


 彼の名は『木林 森きばやし しん』全てを『木』で構成された親の遊び心満載の名を与えられた男。

 数年後、彼は報道で『令和ドン木ホーテ』と呼ばれることとなる。


 退職した足取りで彼はジムに入会した。

 肥満ではないが、その緩んだ身体は中年のソレである。

 無限の時間を手に入れた彼は毎日6時間をトレーニングに費やすことができた。

 生活は質素、売れるものは全部売った。

 幾ばくかの退職金が尽き、ジム費を払えなくなる頃、彼の身体は少しだけ引き締まっていた。

 後にインタビューで彼は、そのことをこう語っている。

「それは質素な食生活によるものだったかもしれない」と…。

 そう一流のジムは会費が高いのだ。

 何年も通えなかった…だって無職なのだから。


 彼の言葉である。

『無職とは無敵ではない。ただ恐れを徐々に感じなくなるだけだ』

 数か月会費を滞納した彼は強制退会させられた。


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