その③

               ◇ ◇ ◇


 夜。ルークを寝かし付け、いつもなら夫婦の時間を過ごすリビングで私は一枚の書類をエドに手渡しました。

「――これ、お爺さんの診断書。あとでサインお願い」

「わかった。原因はなんだったんだ」

「そこに書いてる」

「悪い。見てなかった」

 ただの八つ当たりをなにも言わず、静かに受け止めてくれるエドは昼間亡くなったお爺さんの死亡診断書に目を通します。小さな村でこのやり取りは社交儀礼でしかありません。それでも村長エドは診断書の隅々まで読み、共同墓地の使用許可のサインを書いてくれます。

「……吐血による窒息、か。風邪じゃなかったんだな」

「風邪は引いてたかもしれない。でも直接の原因はそれよ」

「そっか」

 相変わらずこういう時のエドは素っ気ない態度を取ります。けれどそれはぶつけようのない怒りで潰れそうになる私に対する彼なりの気遣い。だけど今日はその優しさが辛いです。

「――悔しい」

「ソフィー?」

「悔しいよ。すごく悔しい」

 ボソッと心境を吐露する私は久しぶりに患者の死を悼み、己の未熟さを祟りました。

 血を吐く病の大半は命に危険が及び、尚且つはっきりとした診断を出すのが難しいとされています。師匠の時も喀血の症状がありましたが亡くなった際の診断は『不詳』と記しました。あの時でさえすごく悔しかったのに今回も確定診断を出せず、薬だって風邪薬しか出せなかったのです。

「難しい症例だって分かってるよ。それでも薬師としてもっとやれることがあったはず。私、間違ってるかな」

「だとして、今更どうにかなる訳じゃないだろ」

「そう言うことじゃない! 私は――」

「俺だって村の人間が死ぬのは嫌だ。おまえは薬師だからきっと俺たち以上に思うことがあるんだと思う。でもそんな顔はするな」

 暖炉の火に照らされるエドの顔は強く凛々しく、自棄になりそうな私を思い留まらせてくれました。

「ソフィー。おまえはサラの指導役だろ。先輩薬師がそんな顔してどうするんだよ」

「急になによ」

「サラのやつ、遺体見るの初めてだったんだろ? それも口から血を吐いた状態だったんだ。フォローするべきじゃないのか」

「それは……」

 エドの言う通りです。サラちゃんがお爺さんの家に着いた時には既に彼は口から血を流して亡くなっていました。吐血量も酷く、ベッドは血色に染まっていました。いくら薬師でも初めて見る遺体があれならトラウマになるかもしれません。

「おまえがこんな感じだからアリサさんが付いてくれたけどさ、サラのことも考えてやれよ」

「……うるさい」

 別に怒ってる訳じゃない。でもエドに冷たく当たってしまうのは彼がそれを受け止めてくれるから。どんな時でも私を全身で受け止めてくれるから薬師を続けられるんです。

 私たち薬師は神様ではありません。これまでの経験や知見から診断を下して薬を処方し最善を尽くす。そしてそれを後輩へ引き継がなきゃいけない。悲しい結果で終わってしまったけど、そんな当たり前を思い出させてくれた一日になりました。

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