その②


            ◇ ◇ ◇


「ソフィーさん。元気出してください」

「そうだぞ。 おまえがそんな顔してたら、爺さんだって暗くなるに決まってるだろ」

 お昼休み。お爺さんの言葉が頭から離れず、食事が進まない私を励ましてくれる二人。自分でも落ち込んではダメだと理解しています。朝だってまだ試してないレシピがあるって自分を鼓舞したはずなのに、それなのにどうしても頭を切り替えられません。

「ソフィー殿、その御老人は風邪なのだろう。多少拗らせただけで治る見込みがあるのならそう言えば良いじゃないか」

「そ、そうですよ。体調が悪くなると人は気分も落ち込んでしまいます。だからきっと――」

「分からないんだよね」

「え?」

「こんなの薬師が言うことじゃないけど、風邪って断言できないんだ」

 サラちゃんの前でこんなことを言うなんて先輩として恥ずかしいです。でもお爺さんの病気がただの風邪とはどうしても断定できない自分がいます。

「あの人は昔、大きな病気をしたの。エドは覚えてるでしょ」

「え? ああ。確か血を吐いたんだっけ?」

「――っ⁉」

「ソフィー殿、その御老人は……血を吐いたのか」

 サラちゃんだけでなく、アリサさんもその深刻さに気付くなんてさすがと言いたいところだけど、とても言える状況じゃありません。私は小さく頷き、その時のことを二人に話しました。

「あの時はいまより容態は良かったと思います。今回と違って血痰は出てたけど症状は似ていたかな」

「血痰……ですか」

「うん。吐血とは違うけど疑うべき病気はいくつもあるよね」

「その時はどう診断を下したんですか」

「最終的には風邪で結論付けたよ。強く咳き込むと稀に血が混じるからね。もちろん他にも疑うべき病気はあったよ」

「だが確たる症状が無かったのだな」

「はい。血痰以外はただの風邪と変わりありませんでした」

「もしかしてソフィー殿。その時の診断が間違っていたと言うのか」

「あれから3年以上経ってますし、処方した風邪薬で病状は改善しました。でも、病によってはゆっくりと進行するものもあります。症状が似ている以上は……」

 あの時、完治せずにゆっくりと進行してついに身体が耐えられなくなった。その可能性を完全に否定できません。なにより血を吐く病気の大半には明確な治療法がなく、命に直結するものがほとんどです。それは薬師として当然の知識だし、亡くなった師匠がそうだったので嫌でも理解できます。

「大丈夫か?」

「え?」

「おまえ、ルークさんと重ねてただろ」

「エドには隠しごとできないね」

「おまえは薬師としてやれることをすれば良いだけだろ」

「そ、そうですよ!」

「サラちゃん?」

「薬師は薬師としてやれることをするだけ。そうですよね⁉」

 きっと効果のある薬があるはずだと希望を持つサラちゃんはお爺さんのところへは自分が行くと言い、私には類似症例を探すよう指示を出します。先輩が後輩、それもまだまだ新米の子に指示を出されるとは。でも、悪い気はしません。それだけサラちゃんも成長しているんだと実感出来た瞬間でした。

「サラのやつ、おまえに似てきたな」

 早速行ってきますと往診かばんを手にサラちゃんがお店を出た後、エドが私に呟きました。

「弟子は師匠に似るものだよ――さてと、私も昔のカルテを見返すかな」

「心当たりはあるのか?」

「うーん。私が診た患者さんにはいないと思うから、まずはあっちを当たってみるよ」

 まず見るべきは師匠が残してくれたカルテ集。形見代わりに残してくれたそれはどの医術書よりも信頼出来ます。少なくとも私はそう確信しています。患者一人一人と向き合い、個々に応じた診断と処方がこと細かく記されたカルテは一人前となったいまでも参考にしています。

「ちょっと書斎にいるから店番お願いね」

「あいよ」

「サラちゃんが戻って来たら教えてね」

 一通りの処置は出来るようになったけどまだまだ半人前。お爺さんの体調が急変したら処置は難しいはずです。そうなった時は私が行くしかありません。それを頭に入れつつ書斎へ向かいます。

(まずはいまの症状に合致する症例を探さないと)

 村と違い、頭数の多い王都で薬局を営んでいた師匠は指折りの薬師として名を馳せていました。それだけ患者さんも多かったし、この村のように風邪やちょっとした怪我のような軽症者以外の患者も多く診ていました。一人くらい似た症状がいてもおかしくありません。

「主症状は風邪と同様、だけど風邪薬が効かずに微熱が継続……あとは咳か」

 書斎に入ると何竿もある書棚の中でも比較的小さい棚へ向かい、師匠から譲り受けたカルテ集の一つを手に取りました。

(たぶんこの中にあると思うんだけどなぁ~)

 私が手に取ったのは珍しい症例や確定診断に困った症例だけをまとめたファイル。いまでも比較的お世話になっている資料なので他のカルテ集と比べて痛みが激しく、一部は綴じ紐から外れてしまっています。

「えっと、微熱と咳……違う。血痰が出てる症例を探した方が良いね。だとすれば――」

 数百ページ――とまでいかないけどそれなりの厚みがある症例集を一枚一枚めくり、目的の症状が記載されたカルテを探す私。お爺さんが過去に発症した血痰が症状として記録されたカルテを探していると数件の記録が見つかりました。

「よかった。やっぱりあったよ」

 さすが師匠。王都で薬局を営んでいただけあっていろんな患者を診てる。やっぱり100人ちょっとの村とは違うね。

「お爺さんと似た症状は……うーん。あるけど、全部“かぜ症候群”で診断を出してる」

 もっと判りやすい、例えば思い切り血を吐くなど明らかな喀血や吐血症状なら診断は比較的容易です。でも風邪のような症状がメインで少し血が混じったくらいの痰、それもごく少量で一過性なら問題視することはほぼありません。

「……やっぱりあの時はただの風邪で今回とは関係がないのかな」

 なんだか久しぶりに厄介な症例に当たった気がする。お爺さんには失礼だけどそんな気がしてきた私はカルテの束を書棚に戻し、調薬室へ戻ることにします。とりあえず、薬は少し強い奴を出すことにして、いまは弱気になってしまっているお爺さんを元気づけることに重点を置こう。そう考えた私は調薬室を抜け、待合室で店番をしてくれていたエドにちょっと出掛けると声を掛けました。

「お爺さんのところ行ってくるね」

「なんかわかったのか」

「なにも。でも私の元気を分けることは出来るでしょ」

「おまえ、自分で言ってて恥ずかしくないか」

「う、うるさい!」

 ひと言余計と言うか、素直に気を付けて行って来いと言わない旦那様からプイと顔を背け、留守番よろしくとだけ言って店を出ようとしたその時です。


――ソ、ソフィーさん!


ドアを勢い良く開けて店の中に入ってきたサラちゃんは血相を変えていました。タイミングが悪い――いえ、良すぎるくらいのタイミングに胸騒ぎがしました。

「ソ、ソフィーさん!」

「ど、どうしたの。そんなに息を切らして。なにかあった?」

「お、お爺さんが……ソフィーさん⁉」

 気付いた時には私は店を飛び出し、お爺さんの家がある村の西側めがけて走り出していました。まさか――

(やっぱりただの風邪じゃなかったんだ!)

 病名は分からない。でも私の見立てが間違ってかも知れない。そう思うと一秒でも早くお爺さんの下へ行かなきゃと歩調がさらに速くなります。真冬の寒空の下、全速力で走る私の額からは汗が流れ落ちてきます。このままだと私が風邪をひいてしまうかもしれない。けどいまはそんなこと関係ありません。少しでも早く患者さんのところへ行きたい。その一心で風に舞う雪の中を走り続けました。

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