第5話 光
俺は、宿を出てから呆然と街を歩いていた。もう身体も精神も限界だった。しばらく当てもなく街を彷徨い歩き、人気のない路地を見かけると、奥に入っていき、目立たない場所に座り込んだ。
降り積もった雪の冷たさがが足や尻の下から伝わってくる。もう寒さをあまり感じられないほど、体が冷え切っていた。
俺は俯いて瞳を閉じた。
「疲れた……」
目を閉じるといつも、今までのトラウマが昨日のことのように鮮明に脳内で再生される。
中学二年生の頃に、いじめられていた友達を助けようとして自分が標的になってしまった。結局誰も味方になってくれず不登校になってしまった。俺は人と関わるのが怖くなった。
高校三年生の時に死ぬほど勉強したのに志望校に落ちた。俺は自分の努力を信じられなくなった。
二年前、毎日十八時間働いても、土日を返上しても成果を挙げられず、周りの社員の前で上司に罵倒され続けた。半年間頑張ったが最後は身体を壊し、逃げるように会社を辞めた。
俺は人間が怖くなった。
他にも、親友だと思っていたネットで知り合った友人に金を貸したら連絡が取れなくなってしまったことなど、様々な苦しみが蘇ってきて心を蝕んでくる。
仕事をやめてからの二年間、どんなに「働こう。働こう」と思ってもどうしても身体が動かなかった。むしろ、人と関わるのがたまらず怖くなり、外出することさえ避けるようになってしまっていた。
(なんで人生はこうも上手くいかないんだろう。他の人たちはみんな幸せにになっていっているのに。いつも俺だけ……。普通の人はこんな社会でも当たり前に生きていけてるのに。なんで俺は……。)
昔のトラウマを思い出すたびに自分はクソだなと感じてしまう。頑張ったところで俺なんか所詮価値のない人間なんだって……
「くそっ!」
自分の意思とは関係なく負の感情が胸の中を埋め尽くし暴れ回る。こうなるといつも発作が出てしまう。
俺は、異常な速さで鼓動を早めていく心臓を左手で必死で押さえつける。呼吸が早まりだんだん息苦しくなってきてしまう。苦しみを吐き出すように俺は雪が積もった地面を右拳で思い切り殴りつける。何度も、何度も。
しばらくしてようやく呼吸が落ち着いてくる。
俺は壁に背中をつけ、力なく空を見上げた。
俺の苦しみなんてどうでもいいとでも言うかのように雪は深々と降り続いていた。
「はぁ……。どうせ無駄なんだから。こんなに頑張らなければ良かった。バカだな……」
俺の頭の中で、今日宿で言われた言葉がリフレインしてしまう。その中で俺は今までの人生ですでに得ていた大切な教訓を思い出した。
人間なんて、所詮自分のことしか考えてない。自分の利益になるかならないか。そんなことしか考えてないんだ。そんなこと、ずっと前から分かってたはずなのに……
中学の時に俺をいじめてきたクラスメイトの馬鹿にするような笑みや、パワハラ上司の顔が思い浮かぶ。それが先ほどの宿で会った男達の表情に重なり、さらに悔しさが込み上げてきてしまう。
俺は下を向いてうずくまった。
次第に身体に雪が積もっていくが、振り落とす気力もなかった。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「あの! 大丈夫ですか?」
俺は突然の声に目を覚ました。あまりの寒さに意識を失いかけていたのかもしれない。
「えっ?」
俺が顔を上げると、そこにはこの世の者とは思えないほど美しい女性が立っていた。
大きく、くりんとした瞳は透明がかったエメラルド色で思わず吸い込まれそうになってしまう。銀髪の髪は背中まで伸びており、雪に反射した町の灯りを受けて美しく揺れている。
今までに見たことがないほどの美少女に声をかけられ、俺の頭は一瞬でフリーズしてしまう。
「そんな格好じゃ風邪ひいちゃいますよ!? 」
少女は近づいてきて俺の頭の上に積もった雪をはらってくれた。少女の心から心配してくれる様子に俺は戸惑いうまく言葉が出てこない。
「その格好、他の国から来た人ですよね? もう夜遅いですし、宿に行ったほうがいいですよ? ひょっとして泊まる所がまだ決まってないんですか?」
少女の声からは温かみや気遣いが伝わってくる。
「その……、お金がなくて……」
明らかに年下の女の子にこんなことを言うのは惨めでしかたがなかったが、俺は正直に答えた。あまりにも情けなくて俺は下を向いてしまう。女の子がとびきりの美少女だということがさらにその感情を増幅させていた。
「えー! そうだったんですか!! それでこんな所にいたんですか!! 大変でしたね!」
俺の話を聞くと、少女はすぐに労いの言葉をかけてくれた。そして、
「うーん、どうしましょう」
などと小さな声で呟いた後、
「お兄さん、顔をあげてください」
という声が聞こえた。
少女の声に顔を上げると、穏やかな笑みを浮かべていた。
そして、
「ごめんなさい。今はこれだけしか持ってないのですが……」
そう言いながら一万ギルと書かれているお札を五枚、俺に手渡そうとしてきた。
「えっ?」
突然の出来事に俺は呆然としてしまう。そして、数秒後、反射的に
「でも、それは……」
と口にしてしまった。本当は喉から手が出るほどお金が欲しいはずなのに、見栄を張ろうとする自分がたまらなく嫌になる。
「遠慮しないでください。困っているときはお互い様ですから」
しかし、少女は俺のそんな虚栄心も含めて全てを包みこむかのような優しい笑みを浮かべてそう口にした。
少女の言葉を聞き、俺の瞳からはたまらず涙が溢れ始めてしまう。
「あの……、その……」
俺は感動のあまりどう言葉にしていいかわからなかった。言葉に詰まってしまう。
「あげるわけじゃないですよ。いつかまた出会えたときに、もし手持ちがあったら返してくださいね」
少女はとてもやさしい表情を浮かべている。
その表情と言葉から深い気遣いが伝わってきて、さらに胸が熱くなる。
「あの、歩けますか?」
少女は心から心配しているような瞳を向けてくる。俺は涙が止まらず頷くことしかできなかった。
「良かった! この路地を出て左に曲がってずっと行くと、ロベルタと言う名前の宿があります。私もたまにお世話になってますがとてもいい宿ですよ。もし良かったら泊まってみてくださいね」
「はい」
「それじゃあ私もう行きますね! お気をつけて!」
そう言うと少女は走り去っていった。俺はその姿を呆然と見送ることしかできなかった。しばらく呆然と立ち尽くした後にやっと頭が回り始まる。
(一体、誰なんだ? 今の人は……? 天使か?)
彼女の暖かさ、優しさ、気遣い、そして信じられないほどの美しさに、俺は圧倒された。今起こったことが現実のものとは思えなかった。
不思議と頭がぼんやりしてしまう。この街に来てから出会ってきた人とは違いがありすぎて逆に困惑していた。
(助けてくれたのか……? こんな俺を……。 どうして……? 見るからに怪しいだろう……。なんで、こんなに優しくしてくれるんだよ……)
俺は言葉にできないほどの感動を感じていた。また涙がこぼれ落ちそうになる。
(いや、まてまて、今は感傷的になっている場合じゃない。せっかく助けてもらったんだ。早く宿に向かおう)
気温はさらに下がっていき、雪はさらに勢いをましている。溢れる気持ちをなんとか押さえ込んだ。
俺は立ち上がると少女が教えてくれた宿に向かった。
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