第三十九話 王都に咲く薔薇

 幸せな夢を見た。ティーニャが俺の実家に挨拶に来てくれる夢だ。


 


「ねぇグエン。グエンもそう思いますよね?」

「兄ちゃんずっと彼女ばっか見てんじゃん。本当にうちの兄ちゃんか?」


 


 ティーニャは村娘のワンピースを着ていて、俺があげた髪飾りをつけながら両親や兄妹たちと談笑している。 



 

「私、グエンとこうしていられてとても幸せです」


 


 ああ、幸せだな。怖いくらいだ。




 

「おい、お前。いつまで寝てるんだ」

 



 そんな幸せな気分に浸っていると、突然むさ苦しい男の声が聞こえて眉を顰めた。



 

「お前が強く殴りすぎたんじゃないのかい?」

「殴ってなどおりません。迎えに行ったのは影なので。おい!いい加減起きてくれ!」


 


 起こさないでくれ。良い夢なんだ。現実なんてロクなもんじゃない。せめて夢の中でくらい一緒になったっていいだろ。


 


「なぁ、お前の妹の名前を言ってみたらどうだ?恋仲なんだろう」

「あの子は偽名を使ってるはずです。それが何なのかまでは……」


 


 偽名?ティーニャのあれ偽名だったのか。ただのニックネームじゃないか。エグランティーノの下半分だろ?


 お兄さん、あなたの妹やっぱりちょっと隙が多いんじゃ……いや、お義兄さん?


 


「お義兄さん!?」

「おぉ、起きたぞ」



 

 急激に頭が冴えて飛び起きる。バランスを崩しそうになって慌てて手をつく。どうやらソファの上に寝かされていたらしい。


 ドクドクと怖いくらい早く脈打つ心臓に青ざめていると、体格の良い男が俺に近づいてきた。


 


「誰がお兄さんだ、お前の兄になったつもりはない」

「おお、喧嘩か?」

「しません」

 



 威圧感のある男の色違いの瞳が俺を見つめる。太陽にあたっている方はエメラルドグリーンに、蝋燭の当たっている方はアメジストに似ていて、思わず冷や汗が出た。


 この瞳、それに兄、となると……


 


「ヒルデの騎士、目は覚めたか」

「あ……は、はい」

「あははは!目に見えて緊張したな!分かりやすい男だ!」

「もう察してるかとは思うが一応、私は光輝の侯爵家当主アレクシス。エグランティーノの兄だ」


 


 この人がティーニャの兄。王立軍最高司令部副軍将、アレクシス。

 思えばムスッとしてるせいで顔が厳しく見えるけど、目元の雰囲気はティーニャそっくりだ。


 てっきり俺は辺境伯に始末されたものだと思っていたのに、一体そんな人がなぜ俺を?

 それに奥で椅子に座ってる人は一体。


 


「グエナエル、君が過激派……革新派と呼ばれる一派に属していることはこちらも把握している。妹の暗殺を依頼されていたことも」

「あの子は無事に屋敷に着いたんですか?」

「ああ、今は他の兄弟と一緒に休んでいる。だからお前をここに連れてきたんだ」


 


 その事実に安堵する。よかった、あのままティーニャに何も起こらなくて。


 そんな俺を見てアレクシスと女性は顔を見合わせると、ある本を目の前に持ってきた。


 


「字は読めるか」

「士官学校レベルなら一応」

「なら充分だ。多少古い文法はあるが概ね意味は通じるであろうものばかりだ」


 


 王室の本だ、汚すなよ。とアレクシスが手渡してきたのは、一冊の古びた日記だった。



 

「アンナブルナの日記……?」


 


 その日記の名前に思わず手が止まる。アンナブルナって、あのアンナブルナだよな。

 どういうことか戸惑いながら二人を見ても、見ろと言わんばかりに俺を見つめるだけ。


 仕方なく言われた通り本を開く。




『xx月xx日

 ようやく我々の国を守る兵器が完成した。

 天馬のようにも見えるこの美しい水晶は我々の叡智の結晶。

 我々はこの兵器を国の名峰リーブラの頂に設置した』



『xx月xx日

 とうとう兵器を動かす日が来た。

 この兵器の動力は王族の血とこの国を守るという覚悟。


 その役目に相応しい者など、王家の母と石の一族の父の娘であり、この兵器を作った私以外にいるはずもない。


 予想通り兵器は正常に作動し、この国を守る結界がこのリーブラから各地に向けて張り巡らされた。


 これできっと、我が国も安泰だ』


 


「臣籍降嫁……そういうことか」

「いいから早く読め」

「ハイ」


 


 あの連理の木の石碑が華の一族だったのはそういうことだったのかと点と点が線で繋がったが、大事なのはここじゃないらしい。


 よくこんな威圧的な兄貴とおっかなさそうな姉貴の下にあんなのほほんとしたティーニャが生まれたものだよ……と思いつつもページを捲る。




『xx月xx日

 この兵器は扱いが難しすぎる。恐ろしい、強すぎるのだ。


 私の死から程なくしてこの天馬は動きを止めるだろう。そうなった時、果たして次代の人間はこの兵器を制御できるのだろうか。


 ……いや、むしろ天馬を動かせるかどうかは王室の器を判断する良い機会なのかもしれない。

 暗君の手に天馬が渡ると大変なことになるが、そもそも国を率いる覚悟のないものに国を任せることがあってはならないのだ。

 代々国王がこの儀式を執り行い、君主としての素質を問うことは天馬にとっても国にとっても良い方向に働くだろう』


 


 そこまで読んで、ふとある疑問が口をついて出た。


 


「なんで天馬の話をしてるのに、乙女の話が出て来ないんだ……?」

「ふふ、それはこちらの書物を読むといい」


 


 天馬、リーブラ、石の一族。

 これらの単語からこの話は間違いなく俺の知ってる天馬の話と同じものだと分かるのに、キーパーソンが一向に出てこない。アンナブルナが最初の乙女なのか?



 次に手をつけたのはもう少し新しい日記だ。どうやら書き手も違うらしい。



 

『xx月xx日

 最悪だ。天馬が動かなかった。

 アンナブルナ殿の言伝通りに国王がその生命の花を捧げたというのに、一体なぜ。


 とにかく兵器を動かさねばという一心で王室全員が生命の花を捧げたが、兵器はうんともすんとも言わない。


 月蝕が終わる直前にアンナブルナ殿の大姪である侯爵家の娘が自らの石を捧げて漸く兵器は動いたが……これはなんとかせねばならない』



『xx月xx日

 緊急会合を開いた。国を揺るがす一大事だ。


 真紅の薔薇の特徴を持つ国王は間違いなく王家の人間だ。

 国のために寝食を惜しんで働く、後世に名君と名を残すようなお人だ。


 なのに兵器は動かない。どの王室の面々が花を捧げても結果は同じ。アンナブルナ殿はその息一つで兵器を動かしたというのに……』



 

 どうしてそこで国王の資質を疑わないんだ、と嘆息する。

 アンナブルナの言葉から考えれば王室に国を守る覚悟がなかったんだろう。



 

「王が力不足だったんだろ、単純に」

「そうだな、身内からの評判と君主としての素質はまた別物だ」


 


 そうして次のページに目を走らせて、俺は息が止まりそうになった。




『xx月xx日

 会合の結論が出た。アンナブルナ殿の……というより、先の戦乱を経験した人間の覚悟は、平和な時代に育った我々とは次元が違うのだ。


 そもそも覚悟というのは非常に曖昧で実体のないものであり⸺(中略)⸺

 安定供給が困難なものだ。


 そこで我々は、アンナブルナ殿と同じ王室の血を引く侯爵家の体質に目をつけた。

 あの侯爵家は代々自身の心を宝石にして取り出すことができる特異体質を持つ。



 侯爵家は代々生まれる宝石の王であるアレキサンドライトの男児とダイヤモンドの女児が交互に当主を務めていたが、噂ではアンナブルナ殿の母上が嫁いで来られてからダイヤモンドの色が薔薇色に変わったそうだ。


 王室の血を示す薔薇色、そして心……即ち覚悟を示す宝石、各代に必ず生まれるその子供、これ以上兵器の動力として相応しいものはないだろう』



『xx月xx日

 侯爵家に薔薇色の瞳を持つ娘が生まれた。可愛らしい娘だ。

 彼女の心を犠牲にするのに心が痛まないわけがない。


 その美しい瞳と心、王室の庭に咲く【ザ・フェアリー】の薔薇と同じ可憐で人の心を和ませる美しさ。本人は勿論だが、侯爵家夫妻や兄弟たちの心痛は計り知れないだろう。


 だが私たちに他の手段は思いつかなかった。


 だからせめて彼女がその人生を豊かに生きられるよう、我々は手を尽くした。


 儀式後に心を失った彼女が嫁がなくとも不自由なく暮らせるよう、都には美しい白百合の館を用意した。


 侯爵家の責務である軍務も免除した。


 警備も王室並み、彼女の生涯を養えるだけの予算もつけた。


 それでも、この罪悪感が薄れることはなかった』




「……だから、フェアリーダイヤなのか」

「そうだ。これを読む限り、妹の瞳の色が隠れているのも恐らく王室の血が薄まってることが原因だろう」

「まぁこの二冊を探すのに途方もない時間がかかったものだ。アンナブルナのは父上に頼まねば見られない書庫に隠されていたし、各貴族の日記をしらみ潰しに読んでいくのは気が遠くなる作業だった」


 


 やれやれと肩を回す女性の横で、アレクシスが目頭を押さえる。彼らは二人でずっと調査を進めていたのだろうか。


 もしそうだとするならば、その理由は。


 


「気に食わなかったんだ。なぜ国を守る仕事なのに私がしてはいけないのかとな」


 


 アレキサンドライトの石を手慰みに転がす彼女をアレクシスが不安げに見つめる。今までの話から考えると、彼女が持っているのは恐らく彼の心……そりゃあんな雑に扱われたらハラハラもするだろう。


 そんな二人をじっと見つめていると、その目線に気づいたアレクシスがわざとらしく咳払いをした。


 


「それを踏まえて、君に我々から依頼がある」



 

 その言葉を待っていたかのように、ずっと椅子に腰掛けていた女性が立ち上がってこちらに向かってくる。

 徐々に濃くなっていく花の匂い。人工的じゃない、自然の爽やかな薔薇の匂い⸺つまりこの人は。


 


「第一皇女マヌウ=メイアンより騎士、グエナエルに命ず」


 


 初めて目にする王室の赤い髪が揺らめく。


 もしかすると、さっきの夢は夢じゃないのかもしれない。




「この私と共に、エグランティーノの儀式を阻止せよ」

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