第三十四話 A nightmare at dawn.

 ティーニャが起きているのには気づいていた。あの子は一度寝ると中々目を覚ましてくれないし一切身動きをしないから、起きているときと寝ているときの区別がつきやすい。


 


「……っと」

 


 

 迷いなくあの悪趣味な短剣を簡単に見つけ出したティーニャに、やっぱり彼女は俺の本当の目的を知っていたんだと確信する。


 夜空に短剣を翳して見上げるティーニャの動向を密かにじっと見つめる。


 どうする?このままどこかへ捨ててしまうか、それとも壊してしまうか。

 けれどもティーニャはそのどちらでもなく、短剣を元の位置に戻して俺の元にやってきた。


 


「グエン……グエン」

 



 小さく肩を揺すられて、あたかも今起きたかのように目を開ける。


 


「ん……どうしたの、寝れない?」

「はい。一緒に寝ても?」

「勿論。おいで」


 


 迷子の子供みたいな顔をするティーニャを横に寝かせて、小さな背中を抱き寄せる。


 華奢な肩は少しだけ震えていて、俺はこの子の背負ったものを下ろしていくようにトントンと背中を優しく叩いた。


 大丈夫だ、ティーニャ。何も怖がることはないんだ。

 縋るように弱々しく俺の背に回した手に力が籠る。

 寂しさや不安の隙間を埋めるように何度も何度も頬を寄せる彼女に、俺は満たされた気持ちで目を閉じた。


 


「グエンの匂いがする」

「え、俺匂う?」

「ふふ、そっちじゃないです」



 

 どうやら冗談を言う余裕が少しだけ出てきたらしい。

 細いうなじに絡みつく黒い髪は星空の下では白銀の螺鈿の輝きを隠しきれていなくて、俺はその髪を一房くるくると指に巻きつけた。



 

「グエン」


 


 なぁに、と答えるとティーニャが顔を上げる。微かな涙で滲んだその目がじんわりと桃色に染まっていくのが見えた。



 

「大好き」



 

 俺とティーニャが敵対していることを示すその瞳。けれども俺への愛を表したかのようなタイミングで表れたその色は本当にティーニャの心を示しているようで、憎いはずの桃色が今の俺にはこの上なく可愛らしく思えた。


 ティーニャ、君は悪い女だ。俺を誑かして、虜にして、なのに俺のものになってくれようとはしない。こんなに俺は君を愛してるのに、どんな言葉で誓っても君は他人のために勝手にその終わりを決めて、俺のためじゃなく国のために生きようとする。

 

 でもそんな君だから、乙女に相応しい心の輝きを持つティーニャだから、俺はこの子に人生を捧げたいと思ったんだ。




 

「私と一緒に、死んで」



 

 予想外の愛の言葉に思わず笑みが溢れる。俺はよっぽど彼女に愛されているらしい。



 

「喜んでお供するよ」


 


 ティーニャのためならどんな苦しみも耐えられる。何度も愛しい可愛いと抱きしめたこの肌に刃を突き立てることも、鈴のような断末魔を聞くことも、冷たくなった唇にキスをすることも。

 

 大丈夫、大丈夫。ティーニャに怖い思いはさせない。あの世でしか一緒になれない俺たちを引き裂くなんて誰にもさせない。

 一緒に死のう。このどうしようもない美しい国と一緒に。


 


「ティーニャ、俺たちはずっと一緒だ」


 

 

 可愛いティーニャ、憎らしいエグランティーノ、俺の人生は全部君でいっぱいだ。



 



 ***





 

 夢を見た。

  

 縁起でもないドレスと足枷のような靴を身につけた天馬の花嫁を拐う夢だ。


 あぁ、またこの夢か。何度もそう思ってこの夢を見ているはずなのに、目が覚めればこの夢のことなんて一度も思い出せない。


 俺はいつものように礼拝堂に忍び込んで、懐から得物を取り出す。何度も抱き締めた身体だから、急所は嫌でも知っていた。


 背後から抱き締めるように狙いを定めて、俺の身体ごと貫く。


 


「会いたかったよ」


 


 本心からの言葉を囁いて、白銀の髪に顔を埋めた。

 薄い腹が真っ赤に染まって白い衣装を真紅に変えていく。俺とティーニャの血が混ざって床一面に広がると、俺は漸く刃を引き抜いた。


 


「あ、ぁ……」


 


 声にならない声が溢れる。薔薇色の頬は人形のように色を失い、榛の蜜色の瞳から光が失われた。


 俺の命と混じって彼女の命が少しずつ消えていく。血の気の引いた顔に苦悶の表情が浮かんで、胸の奥が熱を持って痛んだ。


 ふらりと倒れそうになる細い身体を抱き寄せて髪を耳にかけてやる。

 何度もこうしてきたが、これが最期だ。目に焼き付けるようにその顔を覗き込めば、虚な薔薇色の瞳は確かに俺への愛を滲ませていた。

 

 幸せだ。こんな結末になってしまっても、俺とティーニャは間違いなく愛し合っているのだから。


 


「落ち着いて、大丈夫だからゆっくり息をして……吐いて……そう、上手だ」


 


 死への恐怖に強張る身体を宥めるように息を合わせる。

 大丈夫だティーニャ、これで俺たちは一緒になれる。誰にも邪魔されない。恐れることは何もないんだ。


 目尻から零れ落ちた玉のような涙を指で拭って、体温の下がった彼女を強く抱き締めなおす。彼女もそれに応えるように、殆ど力の入っていない細い腕が重みを持って俺の背に伸ばされた。



 

「捕えろ!生死は問わない!」


 


 険しい声が響き渡って、途端に外野が騒がしくなる。二人だけの世界が壊されるようで恐ろしくなった俺は、力任せに腕の力を強めた。

 

 ごめん、痛いよね。苦しいよね。


 ヒューヒューと聞こえる途切れ途切れの息を感じながらも決して力を緩めることはできない。死んでも彼女を離したくはなかった。


 


「エグランティーノ」

 

 


 やっと呼ぶことができた彼女の本当の名前。野薔薇の美しい瞳にぴったりの名前はまさに彼女のためにある名前だった。

 

 掠れていて聞こえなかったかなともう一度呼びかけようとすると、ティーニャが小さく口を開いた。


 


「ぁ……グエ、ン」


 

 

 声にならない声をヒューヒューと響かせながらも、彼女は確かに俺の名前を呼んでくれた。

 ティーニャ、やっと本当の俺たちで結ばれたね。

 

 真っ白な頬に手を伸ばし、愛しむように優しく撫でる。



 

「俺はここにいる。どこにも行かない。俺たちはずっと一緒だ」


 


 色を失った唇にキスをする。何も映さない瞳を見つめたまま、何度も何度も唇を重ねた。


 愛してるよ、エグランティーノ。君の瞳に最後に映ったのが俺でよかった。君が最後に呼んだのが俺の名前でよかった。



 死が充満した静寂の中で、微かに金属の音が聞こえた。


 


「ぁ、ぐッ……」



 鈍い音の後、身を焼くような痛みが全身を襲った。血がティーニャの口元を赤く染める。どうやら俺もここまでらしい。

 ヒューヒューと掠れた息で痛みに耐える俺にティーニャは指と指を絡める。


 感じたことのない激しい痛みはやがて無に近づいていく。


 まるで二人で抱き締め合って眠ったあの夜のように、微睡むように、意識が遠のいていく。


 


「愛してるよ。おやすみ、俺の乙女」

 



 最後の力を振り絞って瞳を閉じる。

 怖いものはない、ただこんな結末しか迎えられなかったことが悲しかった。



 懐かしい風が俺たちを包み込む。

 

 

 これは夢だ。けれど、現実でもある。

 同じ夢を何度も繰り返して、それは真になるのだ。

 


 俺とティーニャがこうして出会えたように。

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