第18話 夢に入る勇者の息子


「さてと」


 無事にヤタムさんの夢の中に侵入が叶った僕はまず一言そう呟いた。普通の夢魔であればここで術を使い、淫猥な夢の一つでも見せるだろうが僕にそのような意図はまるでない。


「すみませんが、ちらっと記憶を見せてもらいます」


 僕はその場に跪いて意識を集中させた。掌から放たれたかすかな魔力が波紋状に広がっていく。すると彼の脳裏に断片的な記憶の数々がフラッシュ点滅しながら流れ込んでくる。


 そうして記憶を覗き終えた僕は思わず言葉を失ってしまう。


「ッ…」


 それはとても陰鬱な記憶だった。


 押し寄せてくる記憶を見るに現当主のシャニスは彼女の母親に当たる人物と不倫の関係にあったらしい。いや、シャニスの立場を思うに愛人や妾といったような存在か。いずれにしても公になってはいけない相手には違いない。


 そんな二人の間に生まれたヤタムさんは子供の頃から日陰の中を歩むような人生を送ってきた。そしてそんな人生の中で彼女は鬱屈した感情を抱くようになってしまっていた。


 ヤタムさんはこのローナ家に復讐するためにやってきたのだ。彼女はこの家の没落を望み、画策している…。


 一体、何をするつもりなのか。更に深く潜ってそれを探ろうとした時、夢の中の世界の輪郭が大きくゆがんだ。


「マズい、眠りが浅かったか? それとも力を入れ過ぎたかな」


 どの道さっさと退却しないと面倒なことになってしまう。


 必要最低限の情報を得た後、僕はいの一番で彼女の夢の中から飛び出した。そして安らかな寝顔とは裏腹に心の深奥にどす黒い感情を抱いている彼女の事を不憫に思いながら、一端はその場を去ったのだった。


 部屋を出た僕は扉の外から眠りの魔法をかけた。万が一にも悟られたくはないというのもあったが、それよりも睡眠くらいは何の気兼ねもなく取ってもらいたいという思いからだった。


 元々完全に覚醒していた訳ではないヤタムさんは再び夢の中に戻っていく。


 そうして彼女が寝入ったのを見届けると僕は足早に厨房に戻る。すると中には既にドロマーさんがシャニスの部屋から戻ってきていた。


「ドロマーさん? 早すぎませんか?」

「夢に入れずおめおめと戻ってきてたぞ」

「言い方~」

「入れなかった? 起きてたんですか?」

「いえ、そうではなくって…あの方、認知症が始まっていらっしゃいます」

「認知症?」


 僕は母の教えの一つを思い出していた。


 認知症の人間の夢は一切のルールやセオリーが通用しないばかりか、唐突に精神が隆起と陥没を繰り返すので下手をすると一生出てこれなくなる。認知症の人間と同じ理由で7歳になっていない子供の夢に入るのは夢魔にとってはかなりの危険が伴う行為…夢への侵入を躊躇ったのは正解だ。


 それよりも何よりもシャニスが認知症であるという事実が判明したことで、点々としていたおぼろげな事柄が線になって繋がっていった。


「なるほど…」

「メロディア君の方は無事に夢には入れたようですけど、収穫はあったんですか?」

「ええ。ドロマーさんもありがとうございます。これで何となく想像が付きました。ひとまず僕なりに考えた事がありますんで聞いてもらえますか?」

「ええ。聞かせてください」


 そういうとドロマーさんとレイディアントさんは適当な場所に腰を掛けた。


 僕は湯を沸かし、お茶を入れながら現段階で判明している事を元に今のローナ家とそこに巻き起こらんとしている謀略とを予想して話し始めた。


「まず大前提としてメイドのヤタムさんは当主であるシャニス様の不倫相手の子供です」

「あら」

「…不倫、だと?」


 公明正大を地で良くレイディアントさんは不逞な単語を出しただけで眉を吊り上げた。しかし僕はそれに構わず続ける。


「ええ。お相手の女性はどうやら庶民で公にはできない立場だったようですね。中々に窮屈な暮らしをされていたみたいです」

「恨みを募らせるには十分な理由だな」

「記憶を見るに最初は糾弾するつもりで家に訪れたようです。しかしいざやって来てみるとシャニス様がボケ始めている事に気が付いたので、それを利用しようと考えた。言葉巧みにシャニス様を操って散財させたり、それを子供たちに気が付かれないように離れから遠ざけたりと色々やっていたという具合でしょうか」

「…しかし如何せん復讐としては回りくどいのではないか? あそこまで親衛を任せられるのであれば寝首を掻く機会など何度でもあっただろう」

「どうも命が目的ではないようです。狙っているのは飽くまでもローナ家の没落…実際、二階の調度品の数々を見るにかなりの額を使いこんでいますね」

「けどそう考えると確かに辻褄が合いますね。昼間にお子達が駆け付けたのも、その散財っぷりがバレて真意を確かめたかったからではないですか?」

「案外そうかもしれません」


 すると僕はレイディアントさんが一層険しい顔になって、何かを考えている事に気が付いた。


「何か気になりますか? とは言ってもここまでの話は僕の憶測でしかありませんが」

「いや…我はやはり復讐するつもりのない彼女の動機が分からぬのが気持ち悪い。一時の間だけ恨むのは簡単だが恨み続けるには相当な覚悟と労力がいる。ここまで執着しているのに命を奪うつもりがないという事は、ここの主に死んでもらっては困る別の事情でもあるのではないか?」

「…ふむ」


 その言葉は僕の胃の腑にストンと入ってきた。確かに僕自身も未だにもやの晴れぬ箇所だとは思っていたからだ。レイディアントさんの言う通り別の目的があると考えるのは大分筋が通っているし、実際まだ裏はありそうだ。


「そこまで見られれば良かったんですけどね」

「他には何か見つけられなかったんですか?」

「ああ…そう言えば」


 僕はヤタムから掠め取った記憶の中で、やけに頭に残っているものを思い出した。時間がなかったのでうっすらとしか掴むことはできなかったが、そこにはヤタムさんとシャニスさん…そして彼女の母親であろう人の姿がある。そしてもう一つ。その団欒で楽し気な記憶にくっ付いて離れないとある料理と味の記憶…。


 わずかにしか得られなかった夢の内容に意識を集中させて輪郭をはっきりとさせていく。


 …。


「…焼きうどん」

「はい?」

「ヤタムさんが大事にしている記憶の中に焼きうどんがでてきました」

「ヤキウドンとは一体何だ?」


 初めて聞いた言葉なのかレイディアントさんは怪訝そうな表情を浮かべる。とは言え彼女が知らなくても無理はない。それこそエンカ皇国の庶民が食べる料理なのだから。


「エンカ皇国の家庭料理だったはずです。しかもかなり庶民的な」


 誕生会でもエンカ料理を所望したわけだから、何かエンカ皇国とつながりがある人なのかもしれない。しかしこの記憶の妙な温かさは一体何だろうか。


 その時、僕の中にもう一つの仮説と作戦が生まれた。裏は取れていないし、作戦と呼ぶには穴だらけだが彼の父親譲りのお節介がどんどんとアクセルと踏み込んでしまう。


「ドロマーさん。一つお願いがあります」

「え? 何でしょうか?」

「明日の誕生日会でシャニス様がボケ始めているという事と体が大分弱っているという事とを料理を使ってバラします」

「そんな事ができるんですか?」

「隠し包丁をしないだけでもかなり食べにくくなると思います。まあ、それだけだと不安なのでヒカサイマさんに仕掛け人をやってもらいましょう。明日の朝一番でボケの事を伝えてもらえますか? 小耳にはさんだというレベルの伝言で十分だと思いますから」

「わかりました。任せてくださいな」


 僕はニコリと笑った。


「そうと決まれば二人はもう休んでください。明日の誕生会は万が一にも寝坊できません」

「メロディアは寝ないのか?」

「厨房の掃除と食材のチェックを終えたら寝ますよ。十分も掛からないんでお先にどうぞ。ドロマーさんもそろろそ戻らないと騒ぎになるかもしれませんしね」

「そういう事なら…」

「ではお二人とも、また明日」

「はい。お休みなさい」


 そうしてドロマーさんは本邸へ、レイディアントさんは宛がわれた客室へと戻っていく。


 ところで僕は一つウソをついていた。これから皆が寝静まった離れを徘徊し、明日の誕生会が自分の目論見通りに事が運ぶように細工を施して回るつもりだった。


 その為には準備が足りないし、更に言えば情報も足りない。夜通しになるかもしれないが、お節介の為なら労力を惜しむつもりはなかった。それに二人を先に寝かせたのにも訳がある。


 なぜなら情報収集と細工の為にあまり他人には知られたくない方法を取るつもりだったからだ。


 それでも関わってしまった以上、丸く収まることを信じて画策奔放するしかない。さもなければ全てを放り出して夜逃げでもする他ない。

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