第16話 涼を勧める勇者の息子


 やがて離れをぐるりと一周しての一通り説明が終わると僕たち三人は再び厨房へと戻ってきた。ところで僕はこの離れについてから妙な気配を感じていたのだが、屋敷の中を見ている内にその正体不明の疑念をより募らせていた。


「大まかな内容は以上でございます。何か説明の足りぬ箇所はございましたか?」

「いえ。今の段階では大丈夫ですが…もし何かをお聞きしたくなったらどうすれば?」

「使用人の部屋に内線でのお電話を頂ければ。繋がらない場合、私は旦那様のお傍に仕えるか、屋敷内の雑務のどちらかを行っております。もしくはお二人をご案内したクナツシにお尋ねくださればと思います」

「分かりました」

「それと、もう一つご留意頂きたい事がございます」

「何でしょうか?」

「旦那様のお料理は見た目は他の方と変えずに、とにかく柔らかく噛み切れるように細工をお願いいたします」


 僕とレイディアントさんはピクリと反応した。シャニスさんの年齢を考えればそのような要望があったとしてもまるで不思議ではない。僕たちが違和感を覚えたのはそう告げてきたヤタムが一瞬だけ悪意を匂わせたからだった。


 しかし相手に悟られないように僕は笑顔で返事を返す。


「承知しました。塩分やカロリー計算などはよろしいのですか?」

「はい。そちらは結構でございます。実を申しますと旦那様はお子様方に老いを見せるのを大変に嫌っておいでです。なのでレイディアント様におかれましても、お子様たちに旦那様はいまだ明朗であると証明できるような心配りをお願いしたく存じます」


 懇ろな一礼の後、ヤタムさんは厨房を後にした。


 残された僕とレイディアントの二人は適当に腰を掛け、自由に使っていいと言われたポットでお茶を入れて小休止を入れた。妙な気配の真相は未だに見えないが、少なくとも料理を作らなければならないという事実だけは変わらないのだ。


「メロディア、これからどうする?」

「そうですね。まずは食材の確認と献立ですかね。エンカ料理は下ごしらえが肝心なので出来ることなら今日中に色々と決めておきたいところですが…」


 などと言って冷蔵庫の中身を確認しているとガヤガヤと外が騒がしくなっていることに僕たちは気が付いた。そうっと窓から様子を伺ってみると身なりが整っており、如何にも貴族の生まれと言わんばかりの五人の男女が声を荒げており、メイドのヤタムさんがそれを必死に宥めている様が垣間見えた。


「…あれは」


 その五人の中にはヒカサイマの姿があった。という事はあの五人がシャニスさんの子供たちだろう。つまりは明日に料理を振る舞うことになる来賓だ。その少し後ろにはドロマーさんの姿も見える。ヒカサイマのお気に入りか何かになって転がり込んだのだろう。彼女だけは目敏く僕たちに気が付き、一瞬だけアイコンタクトと手の合図を送ってきた。


 どうやらヤタムはさん子供たちを離れに入れぬように指示を受けているようなのだが、五人がそれを頑として受け入れずシャニスさんに会わせるようにと揉めているらしかった。


「親子仲が良くないのでしょうか?」

「いや。それならば誕生会などわざわざ開催しないだろう」

「確かにそうですね…」


 やっぱり何だがチグハグだ。薄い布を掛けられていて中身が見えそうで見えないもどかしさの中にいる。


 しかし、今はそれよりも玄関の騒ぎをどうにかする方が先決だ。この家の事情は分からないが、何かが起こって料理の件がなくなり報酬が出ないとなると面倒が増える。聞き耳を立てて話を聞くに、子供たちは「何故、父親と会う事ができないのか」という点で言い争っているらしい。


 ヤタムさんがどんな指示を受けているのかは知らないが、会いたくないとシャニスさんが言っているならばこの場は引き下がってもらうしかない。僕は咄嗟の思い付きだが素早く実行することにした。


「レイディアントさん。急いで作りたいものがあるので、ちょっと手伝ってください」


 ◆


 その頃、ヤタムさんは必死に頭を下げて五人を宥めつつ一時本館に戻ってもらうように説得していた。しかし一度ヒートアップした口論は中々に収まってはくれなかった。


「だから、一度父に会えれば良いと言っているのに、何故会わせないんだ?」

「シャニス様が明日までお会いになりたくないと…」

「明日会うつもりがあるのに、何故今日会えない? 留守や病気ならいざ知らず」

「それは…私には分かりかねます」

「だからヤタムさんではなく、お父様に直接お伺いしますわ」

「そう申されましても…」


 困り果てたヤタムさんは圧に負けて後ずさる。それに付け入るかのように五人は離れに乗り込もうとした。


 僕はその中に風のように優雅に割って入る。父母譲りの才覚と戦いの中で培った華麗な足運びは戦闘のセの字も知らないような貴族風情にはまるで悟られない。唯一、気が付くことができたのは同じレベルの戦闘を熟してきたドロマーさんだけであった。


「おや」


 僕は涼しげなシャーベットの乗った器をずいっと差し出し、その腕で無理に進行を止めた。目の前に急にそんなものが飛び出してきたものだから、先頭にいたヒカサイマは短い悲鳴を上げて尻もちをついたのだった。


「氷菓子をお持ちしました。丁度あちらのベンチが日陰になっているので、お召し上がりになりませんか?」

「な、何だ君は…? 一体どこから?」

「明日の誕生会で料理を作らせて頂くシェフの弟子でメロディアと申します。先生からこちらを皆様に振る舞うように申し付けられて参りました。是非ともお召し上がりくださいませ」


 突然の事にすっかり毒気を抜かれてしまった一同は、困惑を見せつつも僕のペースに乗せられて離れの脇にあったベンチに座った。するとタイミングよく木陰を涼しげな風が通る。汗ばんでいた体にはさぞ心地よい事だろう。


 しかしドロマーさんは見逃さなかった。この風は僕が魔法で吹かせたのだという事を。


 促されるままに座ったシャニスさんの子供たちは僕に言われるがままにシャーベットを口にした。すると、その途端に不満や憤りに曇っていた顔が晴れ晴れとしたものになっていく。


「う、旨い」

「ええ。本当にいいお味のシャーベット」

「果物の甘酸っぱさがそのまま活かされていて、それがシャーベットの冷たさと相まって実に爽やかな味わいですな」

「かなりの仕事のできる料理人ですよ、これを作ったのは」

「ありがとうございます」


 先ほどの激高ぶりが嘘のように五人の子供たちは落ち着きを取り戻した。その様子にヤタムさんは驚きを隠せない様子だ。


 こうして落ち着きを取り戻した彼らを見ると、子供たちはなるほど貴族の名に相応しい品格があるように思える。しかし並んだからこそヒカサイマの若さがやけに際立っている。彼を除いた息子らは子供と言っても三、四十代の風格だ。当主のシャニスが70歳であることを考えれば彼らの年齢はむしろ常識的な範疇だが。やはりヒカサイマだけが兄弟姉妹の中で極端に若い。


(まあ、考察は後でいいか。まずはこの場を収めてしまわないと…)


 そして僕は乞うように言った。


「実は明日の料理の感動を味わって頂きたくシャニス様に皆様方を離れにお通しになりませぬようお願いいたしました。食に通じているローナ家の皆さまは例え料理を見ずとも食材や香りでどんなものが出てくるのか簡単にお分かりになるでしょう?」

「ま、まあ。ローナ家の名に恥じぬくらいのものは一通りな」


 などと全員が目線を逸らしながらも見栄を張るように言う。僕はほくそ笑みそうなのを堪えて言葉を続ける。


「ですので食通の皆様には、なるだけどんな料理を出すかを悟られたくないのです。一介の料理人風情の我がままですが、どうかお許しください」

「まあ。そういう事であるなら…」

「そうですわ。初めからそう説明があればここまで恥をさらすような事はしませんでしたのに」


 五人はとりあえずは納得してくれたようだった。それは偏に僕の用意した氷菓子がうまく働いてくれた。これのおかげで五人の中に明日の会食に対して少なくない期待感が生まれていたのだ。


 すると長兄らしい男がすくっと立ち上がった。


「実に美味しかった。君の先生とやらに明日は期待していると伝えてください」

「承知いたしました」

「明日になれば父に会えるというのに少々躍起になってしまった。ヤタムさん、シェフに免じて今日は引き下がりますが、明日は父に詳しく聞きたい事が山ほどある。会の後にでも話し合いの場を設けてもらいます」

「…かしこまりました。お伝えいたします」


 ヤタムさんは何やら思う事がありそうな顔を深々とした一礼で誤魔化した。子供たちを離れに入れたくなさそうな態度といい何やらきな臭さが残る。


 ともあれ雇い主側の侍女を庇っておいて損はないだろう。料理に集中したいという僕の思いもあながち嘘ではない。


 すると去り際にヒカサイマが僕の顔を見てボソリと呟いた。


「ん? お前…」

「はい?」


 ヒカサイマはドロマーさんを連れて歩いていた時に因縁を付けられたので、ローナ家で唯一面識がある。レイディアントさんはドロマーさんの紹介で来た体になっているからちょっかいを掛けられたところで言い訳は立つが、波風を立てたくないというのが本心だが…。


「華奢で髪の色が可愛らしいから女かと思ったら男か。行っていいぞ」


 覚えてねーのかよ!


 と僕は出かかった声を飲み込み、軽く会釈をする。けれども流石に無理やり作った笑顔は引きつっていた

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