第3話 アブダクション
私たちは二人並んで無言で夜空に浮かぶ三つの月を眺めた。
気づいてしまうと三つも月が浮かんでるなんてものすごい違和感がある。
「もしかして、私たち二人して変な夢でも見ているのかな?」
どうしても今の状況を受け入れられずそんな言葉を口にしてしまう。
乾いた笑い声をあげると同時に、こんなことを言ったのを後悔した。
怖い、夢なら早くさめてほしい。でも多分、夢じゃない。
さっき、転んだ時にぶつけたところが少しだけ痛い。夢なら痛みなんて感じないと思う。
「天国……」
消え入るような小さな声で光紗ちゃんがつぶやく。そのままその場にしゃがみこんでしまった。もしかしたら泣いているのかもしれない。このまま消えてしまいそうで怖くなった。
「ほ、ほら。さっき転んだところ痛いし、まだきっと生きてるよ」
暗い表情の友人を励まそうと必死に話しかける。私も一瞬、私たちはもう死んじゃって天国にいるんじゃないかと思ってしまっていた。でも、今もこうして考えて話ができる。
きっとまだ生きてると信じたい。
私が、怯える目で光紗ちゃんを見つめていると、はっとしたような表情でこちらを向いた。
「信じられる? 私たち今他の星にいるみたい。もしかしたら宇宙人の存在を証明できるかも?」
少しだけ戸惑った様子だけど、いつもの調子をすこしだけ取り戻してそう答えた。
でも、無理してるのはわかる。親友なんだから当然だ。
「あれ、その場合は空気とか大丈夫なのかな? 普通に呼吸できてるみたいだけど」
私が至極当然の疑問を口にすると、我が親友は周囲の地面を指さし私の疑問に答えた。
「見て、地面があそこから変わってる」
よく見ると私たちが立っている場所を中心に半径十メートル程先から地面の色が違う。今立っている場所は枯れた草の地面だけど、その先は砂地に大小さまざまな石が転がった荒れ地だ。
「もしかして私たちの周りだけこの星に移動させられたのかも。だとしたら少しの時間は空気がもつはず」
光紗ちゃんによると女の子一人が一分間に使う空気の量は二十リットルくらいらしい。
だとすると半径十メートルの半球状の体積は……
「三分の四パイアールの三乗、その半球だから……」
光紗ちゃんが残りの空気量を計算し始める。すると、同時に強い風が吹き抜けた。
いたずらな風だ、咄嗟にスカートの裾を押さえる。
「二百万リットルぐらいのはずだけど、今の風で完全にどこかに散らばったよね……」
がくんと脱力してうなだれた。もうどうにでもなってという感じだ。
「もしかして、私たち窒息しちゃうの?」
私があたふたして口を手で覆って息を止めていると光紗ちゃんは首を振り振り答えた。
「風が吹く、ってことは少なからず大気はあるんでしょうね。ただ私たちの体に合う大気組成とは限らないけれど」
しばらく二人で体の変化がないか様子を見た。けど、特に息苦しさやだるさはなかった。
「平気、だね?」
「なんでなのかはしらないけど、空気は地球と変わらないみたいね」
すごく不思議だ。酸素の濃度が数パーセント違うだけで人は生きてはいけない。
地球上の高山地帯でも数メートルの標高差で高山病にかかってしまったりする。
地球と全く同じ空気なんてことがそうそうあるものなのだろうか?
「でも、これからどうしよう?」
「取り合えず、朝になるまでテントで休もう。動くにしてもこんなに暗くちゃ危ないし」
幸い私たちが張ったテントが近くにある。
あれ、おかしくない?
火球から逃げるときに結構走って自分たちのテントからは離れちゃってたはずなのに。
私たちがこの状況に気づいた場所から数歩のところに、私たちのテントと荷物がそのままある。
「なんだか寒くない? いくら冬だからって、この寒さは……」
光紗ちゃんは自分の肩を抱いてぶるぶる震えている。地球とは違ってこの星はかなり寒いのかもしれない。外で立っていたら凍えてしまいそうだ。
それにさっきから結構強い風が吹いている。テントが飛んで行っちゃいそうで慌てて二人で中に入る。
「テントの中で火を焚いたら窒息の危険もあるし、寝袋の中に入って朝を待ちましょ?」
持ってきたそれぞれの寝袋に潜り込む。それでも寒い。真っ暗なのも怖いからLEDランタンをつけて二人で励ましあいながら朝を待つ。
「頑張ろう。眠れるなら少し寝た方がいいよ?」
「寝るな~、寝たら死ぬぞ~。とかドラマで見たけど、眠ったら危ないんじゃない?」
なんか山岳救助のドラマとかで見た気がする。私がそう訊ねると、光紗ちゃんは首を振る。
「体温が下がりすぎない限り少しぐらい寝たって大丈夫。寒さで普通は目が覚めるしね。それより体力を温存して朝になったらすぐ移動するよ」
それから少しでも寝ようと思ったけど、寒すぎてすぐに目が覚めてしまう。
どのくらい時間がたったのかわからないけど、光紗ちゃんも眠れないみたいだ。
しばらくすると、あまりの寒さに歯ががちがちとなるほど震えが収まらなくなってきた。
「朔良、大丈夫?」
「寒い、早く朝になってよ」
「そっちの寝袋に一緒に入っていい? そうすれば少しは暖かくなると思うから」
余りの寒さのせいで、ちょっと狭いけど無理をして同じ寝袋に二人で入り、抱き合って横になることにした。
「(なにこれ、光紗ちゃんがすっごく近いよ~)」
今までこんなに近くで顔を見たことなんてなかったから、なんだか落ち着かない。
つやのある唇が目の前に飛び込んでくる。もう少しで私の唇と触れ合いそうなぐらい近い。
光紗ちゃんの肌のぬくもりがじんわりと体を温めてくれる。それにふんわりと甘い香りが漂ってくる。シャンプーのにおいなのかな?
「なんか、朔良っていいにおいするね」
突然、光紗ちゃんがつぶやいた。
私、そんなに匂うのかな?
「光紗ちゃんもいい匂いだよ~?」
そう言いながら首元のにおいをクンカクンカと嗅いで見せる。すると急に顔を赤くさせてじたばたしだした。
「ちょっと、人のにおい嗅がないでよ。恥ずかしいなあ、もう。ほんと、こんな状況なのにあなたはいつも通りね」
呆れた顔で光紗ちゃんが答えた。ちょっと、馬鹿にされてる気がするのは気のせいかな?
軽くおでこをつつかれた。少し恥ずかしくなって顔が熱くなってくる。
まだ朝にはかなり時間があるみたいでちっとも明るくはならない。
吐く息がテントの中なのに白いし、唇が渇いて口を動かすのもつらい。
しばらく目を閉じてじっとしていると、今度は急に体が熱くなってきた。さっきの恥ずかしさがぶり返してきたのかもしれない。
「熱い。なんだか急に熱くなってきた」
服を脱ぎたくなってきて狭い寝袋の中でもぞもぞと身をよじる。
「服を脱いじゃ駄目。凍死しちゃうってば」
体が冷え切っちゃうと脳の異常で急に暑く感じるらしい。
光紗ちゃんが必死に止めるけど暑くていられない。私は服を脱ごうと狭い寝袋の中でさらにもぞもぞと体を動かす。
「ダメだったら‼」
光紗ちゃんが必死に止めるけどもう意識がもうろうとしている。ぎゅっと両手で抱きしめられて動けなくなってからは急に眠気が襲ってきた。さっきから欠伸が止まらない。
「早く朝になってよ……」
泣きそうな声で光紗ちゃんがつぶやく。
ところで、あまりに寒いとトイレに行きたくなるのは仕方ないよね?
もう何時間もじっとしていたのもいけなかったとは思う。それに余りの寒さで体に力が入らない。だからいくら我慢しようと思っても体から力が抜けて寝袋の中を濡らしてしまったのは仕方ないことだったと思う。
「朔良、着替えて。このままじゃ凍えちゃう」
私が濡らしちゃったせいで短く悲鳴を上げると、あわてて寝袋から這い出して光紗ちゃんは私を裸にさせる。
自分も濡れた服を脱いで私を引きずりながらもう一つの寝袋に押し込んでくれる。
「頑張って、朔良。眠っちゃダメ」
光紗ちゃんの声は聞こえても、もう返事をする力はない。瞼が重い。眠い。
ああ、これもうだめかもしれない。そんな考えが頭をよぎるけどもう恐怖心も感じない。
「(ごめん、光紗ちゃん。もう、私ダメ見たい)」
声に出せないけどそう答えた。光紗ちゃんが必死に何かを叫んでいるけど、もうなんて言ってるのかも理解できない。いまにも泣き出しそうな親友の顔。
それが暗くなる視界の中で私が見た、最後の光景だった。
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