第12話

13時。夢幻学園、莉乃姉の個人アトリエ。

 僕は莉乃姉が来るのを椅子に座って待っていた。13時集合だって言っていたのにまだ来ていない。どうしたんだろう。遅刻するなんて殆どしないのに。

 ドアをノックする音が聞こえる。

「はーい」

「賢ちゃん。開けて」

 莉乃姉の声だ。でも、なんでドアを開けられないんだ。何か持っているのか。

「わかった」

 僕は立ち上がり、ドアの方を行く。そして、ドアノブを回して、ドアを開けた。

 ドアの前には大きい水筒とピクニックバスケットを両手に持っている莉乃姉が立っていた。両手が塞がっていたから「開けて」と言ったんだな。

「あんがと」

 莉乃姉はアトリエの中に入る。

「持つよ」

「いいよ。もう置くだけだから」

「そう?」

「うん」

 莉乃姉はアトリエ中央へ行き、大きい水筒とピクニックバスケットを置いた。

「あー重かった」

 莉乃姉は両手を上げて、伸ばしている。

「言ってくれたら運んだのに」

「いいの。ちょっと驚かしたかったし」

「お、おう」

「驚いてくれた?」

 莉乃姉は微笑ながら訊ねて来た。

「そ、そりゃ、驚くよ」

 不覚にもきゅんとしてしまった。それと同時に無茶苦茶可愛いとも思った。まぁ、昔からずっと可愛いくて美人ではあるが。今日は特にそう感じる。

「……よかった。嬉しい」

 莉乃姉の笑顔が普段よりも魅力的に見える。

「う、うん」

 顔が熱い。心臓の鼓動が早い。ドキドキしているのか。それとも、動悸か。動悸なら薬を飲まないと。でも、しんどくはない。だから、前者なのか。そうなのか。

「賢ちゃん。顔赤いよ」

 莉乃姉は顔をのぞき込んでくる。

「いや、そんな事ないよ。ただ莉乃姉が普段より可愛いなと思って」

 僕は莉乃姉から顔を逸らした。そして、思っている事を口にしてしまった。そのせいで、顔がもっと熱くなってしまった。このままじゃ、顔が沸騰しそうだ。いや、顔が沸騰ってどんな感じだ。そんな事どうでもいいじゃないか。あー頭がちゃんと回らない。でも、一つだけ容易に理解出来る事がある。それは自分自身がおかしくなっている事。

「え、あ、うん」

 莉乃姉はなんだかテンパっている感じがする。

 僕はチラッと莉乃姉の顔を見る。莉乃姉の顔は赤くなっていた。

「な、何かする事ある?」

 この微妙な雰囲気をどうしたらいいかわからない。だから、話題と言うか何かしないと。

「す、する事?えーっとね。ここで待機してて。シート取ってくるから」

 莉乃姉の声は上擦っている。

「わ、わかった」

 莉乃姉は道具保管室のドアを開けて、中へ入る。その後、ドアを閉めた。

「やばい。お、落ち着かないと」

 僕は深呼吸をして、息を整える。このままだったら、莉乃姉の顔を普通に見れない。それに普段の自分じゃないから変なへまを起こしてしまうかもしれない。

「あーやばかった」

 何度も何度も深呼吸をしたおかげで、だいぶ落ち着いてきた。自分を取り戻せてきたみたいだ。もうこれで大丈夫なはずだ。

 道具保管室のドアが開き、莉乃姉がシートを持って出て来た。

「賢ちゃん。シート広げたいから水筒とバスケットを持って、そこからちょっと離れて」

 莉乃姉は僕に指示を出す。顔色は普段と同じだ。さっき、顔が赤くなっていたのは僕の勘違いなのだろうか。

「了解」

 僕は水筒とピクニックバスケットを持って、アトリエ中央からちょっと離れる。

 莉乃姉は持っているシートをアトリエ中央の床に広げる。

「OK」

 莉乃姉は靴を脱ぐ。そして、シートの上に座る。そして、シートをトントンと叩く。これは隣に来いって意味だろう。

「はいはい」

 僕はシートの前に行き、靴を脱ぐ。その後、莉乃姉の隣に座り、水筒とピクニックバスケットをシートの上に置いた。

「朝から頑張ったんだよ。食べよう」

 莉乃姉はピクニックバスケットから大きい弁当箱を取り出して、シートの上に置く。それから、弁当箱の蓋を開ける。弁当箱には唐揚げやハンバーグやソーセージやおにぎりなど僕の好きなものばかり入っている。

「あ、ありがとう」

「もしかして、不服?」

 莉乃姉はピクニックバスケットから割り箸を取り出しながら聞いてきた。

「そんな事ないよ。好きなものばかり入ってて嬉しいんだ」

「それならよかった。さぁ、お食べ」

 莉乃姉は割り箸を渡してくる。

「うん。いただきます」

 僕は莉乃姉から割り箸を受け取った後に両掌を合わして言った。

「どうぞ」

 僕は割り箸を使って、ハンバーグを掴んで、口を運ぶ。

「美味しい」

 莉乃姉の作ったハンバーグは昔から美味しい。けど、今日のハンバーグは今まで食べたハンバーグより美味しい。

「よかった。作ったかいがあるよ」

「うん。何個でも食べれる」

 箸が止まらない。僕は幸せものだ。でも、ちょっと待てよ。この光景を誰かに見られたら殺されるんじゃないか。莉乃姉の事を好きなやつなんていっぱいいるんだぞ。

 僕は怖くなり、周りを見渡す。

「どうかしたの?」

「な、なんでもないよ」

 誰も居る訳がないじゃないか。ここは莉乃姉の個人アトリエだぞ。個人アトリエに僕ら以外が居れば、それはホラーだし、事によったら犯罪ものだもんな。ちょっとびびりすぎだぞ。僕ってやつは。

「そう。じゃあ、これ食べて。はい。アーン」

 莉乃姉は割り箸で卵焼きを掴んで、僕の口へ持って来る。

 こ、これはどんな男子でも憧れるやつだ。あれか。今日が僕の人生最後の日なのか。それくらい幸福度が高いイベントが続いている。明日、不幸な事が起こらないことをひたすらに祈るしかない。

 僕は莉乃姉が僕の口に運ぼうとしている卵焼きを食べた。

「美味しい?」

 莉乃姉は首を傾げて訊ねてくる。

「う、美味いよ」

 ちょっとかっこつけて言ってしまった。何というミス。本音は超上手いし、何より、莉乃姉が天使のように可愛い。

「本当に?」

 莉乃姉は身を乗り出してきた。

「本当。毎日作ってほしいレベル」

 莉乃姉の夫になる人は幸せだろうな。毎日が天国だ。でも、莉乃姉が誰かに奪われるのは嫌だ。僕が夫に……いや、恥ずかしくなってきた。

「やった。試行錯誤を何度も繰り返したんだよ。あー本当によかった」

 莉乃姉は僕を抱き締めてきた。

「く、苦しい」

 莉乃姉の胸に顔がうずくまり、息が出来ない。こ、この状況だけは本当に他人に見られたら殺される。瞬殺される。

「あーごめん。ごめん」

 莉乃姉は抱き締めるのを止めた。そのおかげで空気が体に入って来る。

「……うん。いいよ」

「いっぱい食べてね。賢ちゃんの為に作ったんだから」

「えっ?僕の為に?」

 幻聴なのか。それとも、僕の耳が都合よく解釈したのか。いや、もしかして本当なのか。幸せすぎて事実か夢かの判断が鈍っている気がする。

「え、しょれは。ちょっちょ、賢ちゃんのパカ」

 莉乃姉は僕の左頬を思いっきりぶった。

「い、痛い」

 これで分かった。現実だ。だって、無茶苦茶痛いもの。でも、そのおかげで莉乃姉が言った事は事実だと理解できた。もしかして、莉乃姉は僕の事を弄んではいないのか。それじゃ、もしかして。……そんな事ってありえるのか。莉乃姉が僕の事を好きだと言う事が。

「ご、ごめん。で、でも、賢ちゃんのせいだからね」

「僕は怒られるようなことをしたのでしょうか」

「うん。した。は、早く、ご飯を食べなさい。先輩命令よ」

「は、はい。頂かせてもらいます」

 り、理不尽だ。でも、その理不尽に反抗してもいい事はない。それにこんな量を作ってくれているのだ。残すのは莉乃姉に失礼でしかない。食べよう。この幸せを噛み締めながら。

 ――20分程が経った。

「ご馳走様でした」

 僕は弁当を食べきった。もう何も入らない。お腹いっぱいだ。

「どう致しまして」

「本当に美味しかったよ。また食べたいな」

「いいけど、次はお金取るよ。私の弁当を食べたいって言う人多いんだから」

「え?お金取るの。いや、食材費は出すけど」

「冗談。そんな事するわけないじゃん。食材費も要らないよ」

 莉乃姉は笑いながら言った。

「でも、お礼はさせてよ」

 さすがにこの量は時間もお金も掛かっているだろうし。作ってもらって食べるだけじゃ、申し訳ない。

「お礼?そんなの別にいいよ」

「駄目だよ」

「うーん。それじゃ、今度どっかに連れてって」

「そんなのでいいの?」

「うん。そんなのでいい」

「わ、わかった。じゃあ、莉乃姉が喜びそうな場所に連れて行くよ」

「楽しみにしてる」

 莉乃姉は空になった弁当箱をピクニックバスケットに入れていく。

 僕はアトリエに置かれている完成した絵や制作途中の絵を見る。

 昔から絵は上手かったけど、本当に上手いな。

「莉乃姉って、何で絵描きになろうと思ったの?」

「えーっとね。誰かさんに絵を褒めてもらえたからかな。それが嬉しくてさ。もっと上手になればもっと褒めてもらえると思ったのがきっかけかな」

 莉乃姉は恥ずかしそうに言った。

「誰かさんって誰?」

 気になる。僕の知っているやつか。それとも、知らない奴か。

「教えてあげない」

「教えてよ」

「だーめ」

「なんでだよ」

「駄目なものは駄目なの。女子の気持ち分からないとモテナイよ」

「ご、ごめん。勉強します」

 たしかに女性の気持ちは勉強しないといけないな。小説を書く上でも女性キャラクターを書く時必要だし。

「勉強しなさい」

「でもさ。僕は別にモテなくてもいいけどな」

 モテることに意義を感じない。魅力的な男性なのかもしれないけど。それなら、大事な人達と一緒に居る方がいい。

「なんで?」

「好きな人一人と楽しい時間を過ごせればいいから」

 今みたいな時間がずっと続けばいいと思う。

「か、かっこつけちゃって」

 莉乃姉はからかうように言ってきた。声は上擦っているが。

「かっこつけてないよ。本当に思っているから」

 僕は真剣に言った。

「う、うん。あーもう。馬鹿」

 莉乃姉は僕の右頬をぶった。

「え、なんで?」

 痛い。おかしな事言ったかな。これは理不尽でしかなくない?

「なんでもよ。賢ちゃんのパカ。パカパカ」

 莉乃姉は顔を真っ赤にして言った。

「あ、えっーと。ごめん」

 謝るしかないよな。ここで何か言えば、次は頭を叩かれるか、顎にアッパーを決められるかもしれない。そうなると、身体に支障が出る恐れがある。それだけは避けたい。


 21時30分。

 僕は記憶保存課の本日のノルマを達成してから、寮の自分の部屋に帰り、勉強机の前の椅子に座り、小説を書く為に西条さんにもらったプロットや設定資料を読んでいた。

 西条さんのプロットや設定資料はどれも丁寧に書かれている。勉強になるものばかりだ。やっぱり、プロットとか書かずに長編を書く事は無謀なんだと感じる。

 僕は西条さんにもらったものを紙袋を戻す。

「うーん。まずはプロットとかを書くか。どんな作品がいいかな」

 僕自身は御伽話や童話などとかが好きだ。だから、そんなふうな作品を書こう。まず設定はどうしようかな。

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