第20話
帰宅し玄関の扉を開けると、エマの靴がなかった。
「……エマ?」
名前を呼ぶも、返事はない。
「エマ」
体が震える。心臓がバクバクと音を立てて、爆発するんじゃないかと心配するぐらいに痛んだ。
「っ」
俺は走った。家の中なので、あまり速度は出ないが、それでも玄関から二階にある俺の部屋まで、わずか一秒も経たない内に到着した。
「エマ、いるのか」
ノックしながら呼びかける。返事はない。
「エマ」
いるよな、いるんだよな――いつの間にか、ノックしていた所が凹んでいた。力み過ぎた。
返事が聞こえないという事は、エマは別の部屋にいるのだろうか。
「開けるぞ」
とりあえず部屋に入ろう、と思いドアノブを捻ってドアを開ける。
「……」
無音ではなかった。
部屋の真ん中にある丸テーブルの上には、新聞紙が敷かれていた。その上にエマの靴が置いてあった。綺麗になっていたので、恐らく靴を洗ったか何かしたんだろう。やはり、小学生にしては家事スキルが高すぎる。
「エマ?」
エマはベッドの上に横になっていた。仰向けで、口を隠すように布団をかぶっていた。
よく聞くと、寝息が聞こえる。俺は安堵した。
血は見えないし、血の匂いもしない。救急車の音も聞こえないし、録音テープなんてどこにもない。
「エマ、ただいま」
俺はそれだけ言って部屋を出た。
今日ぐらいは、俺がご飯を作るか。今まで、とは言っても夏休みの間だけだけれど、これまで料理は完全にエマに頼りっきりだったのだ。あ、でも、昨日は確か有栖が作り置きしてくれたんだったか。まぁいいか。
■■■
エマが嫌いなピーマンを細かく刻んでフライパンにぶち込む。こういうのは感覚でやらないと。考えると絶対にどこかでミスしてしまうからだ。
ベーコンと玉ねぎと、あとは調味料を適当にかけて混ぜる。しばらくしてから、茹で終えていた麺をフライパンの上に投入した。
くるくると回したり、少しだけ遊びながら麺に焦げ目を付けていく。ソースも一緒にかけて、無心に混ぜる。料理というのは暇なものだな。
「……もういいか」
しばらくして、麺に完全にソースの色がついた。
所々焦げているし、もう完成でいいか。
「出来た」
焼きそば。
皿に盛り付け、ラップをかけてから俺はエマが寝ている部屋へと向かう。もう夜ご飯の時間だ。
「エマ、ご飯出来たぞ」
「んぅ……まだぁ……ぅぁ……」
可愛らしく寝言を言いながらくるりと寝返りを打とうとするエマを手で支える。
「んぁ……?」
そして、お腹に手を回して、そのまま持ち上げる。
「ふぇ!?」
あ、起きたか。
エマは寝起き早々、目を見開いてこちらを見ている。
「コウちゃん……? なに、どうしたの、え?」
「夜ご飯の時間だ」
俺はエマを持ち上げたまま部屋を出る。エマはしばらくパニック状態だったが、リビングに着くころには冷静になっていた。
「まさか、寝起きの乙女の身体を弄ぶなんて」
「人聞きの悪い。俺はお前に食べて欲しかっただけだ」
「それわざと?」
そんな掛け合い。朝のような気まずさやぎこちなさはなかった。
「んじゃ、食べるか」
「そうね。いただきます」
「いただきます」
相変わらずいただきますとごちそうさまが速いエマに、俺は負けじと食らいつく。とはいっても俺は男子高校生なので、エマが焼きそばの半分ぐらいを食べきったところで俺は完食した。
「ごちそうさまでした」
エマは無言で、無感情に焼きそばを食べ進める。もしかして、あんまり美味しくなかったのかな。
「ごちそうさまでした。美味しかったわ」
どうやらそんなことはなかったようで、エマはきちんと手を合わせながらそう言った。両親がわりと放任主義(限度はあるが)なのに、何故こんなに育ちが良いのだろうか。有栖も意外と礼儀は正しいんだよな。
「今日はわたしが洗うわ。作ってもらっちゃったし」
「いや、エマは部屋で休んどけ。流石に家事を押し付けすぎてた」
「でも、住まわせてもらってる身だし……」
相変わらず言うことが小学生じゃないな。恐らく、有栖の影響だろう。それが悪影響なのか、良い影響なのかどうかは分からないが。
賢すぎる子供は大人から疎まれる。エマや有栖の両親が長らく家に帰ってきていない理由は、それなのかもしれない。
まぁ、どうでもいいけど。
「良いから、今日は休んでおけ。部屋で待っててくれよ」
「……分かった」
俺がそう言うと、エマははっとした顔をした。相変わらず察しの良い姉妹だ。
「部屋で待っててくれ」というのは「お前に用がある」と同義だ。
■■■
皿洗いを終えて部屋に戻ると、エマはベッドの上にぽつんと体育座りで座っていた。中に入ると、膝を抱えたエマは少し不安そうな顔でこちらを見た。
「話があるんでしょ」
それでも、冷静を装っているのか、淡々とした物言いでエマは言った。
「あぁ。とても大事な話だ」
過去を知られずとも、俺の事をエマに知ってもらうために。
真実を話そう。真実というと、ミステリー小説のような壮大なものを思い浮かべるのかもしれないけれど、今から話す内容は既にこの作品のどこかで明記されていることで、至極単純で、それでも、エマにとっては残酷な内容。
俺が、エマのことをどう見ていたか。
「結論から言うと、俺はエマを異性として見ることは出来ない」
「っ……」
俺の言葉を聞いて、びくりと体を震わせる。何かを言いたげに少しだけ口を動かすが、声は出なかったようだ。もしくは、俺の話を聞くまでは何も喋らないでいようと思ったか。
これから話す内容を、エマが受け入れてくれるかどうかは分からない。どちらかと言えば、受け入れてくれない可能性の方が高い。
「理由はある。それは、俺達が幼馴染だからだ」
幼馴染だから。よく、幼馴染がメインヒロインの作品を見かけるけれど、現実はそんなに単純じゃない。勿論、幼馴染と将来的に結婚する人間も少なくないだろう。しかし、俺とエマは別。それだけだ。
「出会ったのは、俺が九歳で、お前が四歳の時だったよな。一人公園に居るお前を見かけた俺が、その時丁度友達にサッカーする約束をドタキャンされて、余ったボールで一人遊んでいたから、一緒にやろうってことになったんだ」
その友達とはもう親交がない。
「帰りは、俺がエマを送った。意外と家が近所だったから、また遊ぼうってことになったよな。その時、俺はお前が自分と同じ小学三年生だと思ってたんだぜ」
実際は幼稚園の年中だったわけだが。そう、エマはあの時から大人びていた。
「だからお前の年齢を知った時はびっくりした。お前が初めて俺の家に遊びに来た時のことだ」
「……うん、覚えてる」
それから少しの間沈黙が流れたので、返事を待っているのかと思いエマはそう返した。実際は話すことをまとめているだけなのだが、まぁ返事がないのに喋り続けるというのは割と酷だったから助かった。
ちなみに葵は当時仲の良かった友達の家にずっと入り浸っていたので、エマよりも一幡家にいる時間が短かった。どっちも同い年なのに、二人とも他人の家に入り浸り過ぎじゃないか。
「ずっと一緒にいて、俺はお前との時間が何よりも大切だったんだ」
「……」
エマは何も言わなかったけれど、顔が少し赤くなっていた。明らかに照れているが、それをからかうのは陽キャ女子がやることなので、俺の担当じゃない。
「でも、俺が中学生になってからは疎遠になった」
中学一年生の俺は何をしていたのか。きっと、何もしていなかったんだろう。
陰キャで、学校で話す人は決まった数人で、図書委員とかやってたけど、そこで友達を作ることは出来なかったし、なんなら委員の仕事だってクラスの奴らに押し付けられただけのものだ。
自発的に行動することをせず、そのくせ他人の目ばかり気にして、中学生の俺が小学生と遊ぶなんて、恥ずかしいとか思っちゃって。
その結果、エマとは一時期疎遠になった。それでも。
「中学に入ってから、色んなことが起こった。それは俺の中だけで、エマとは何一つ関係のないものばかりだった。そして中学三年生の時、結局お前とは一度も会うことがなかった俺の妹、葵が死んだ」
話をまとめられない。話すことは決まっているのに、決めていたのに、言葉を選んでしまう。
ふいに声が出なくなった。ここから先を言うのが怖くなった。
俺はエマに酷いことをしたから、それを告白しなければならないのに、俺の口は、喉は、腹は、意識は、脳は動いてくれない。
「っあ……っ……!」
声が出ない。
怖い。
エマに嫌われるのが、怖い。
「……大丈夫よ」
その言葉に、いつの間にか俯いていた俺の頭は元に戻る。そして、エマと目があった。
その目は、悲しいだとか、苦しいだとか、そんな暗い感情が全く感じられない、優しい目だった。
「……あ、えっと」
恐怖が、消えた。
「コウちゃん、わたしは大丈夫だから。コウちゃんが話したいと思うなら、話してほしい。教えてほしい。振られたって、わたしはコウちゃんが大好きだから」
エマはそう言い切った。
身勝手な理由で、お前の気持ちを拒絶した俺を。
どうして、そんな目で――
『キミはなんでまだそんな目をするの』
……嗚呼、そういうことか。
咲良が見たものは、これだったのか。
俺がそんな目をしたっていうのか。
でも、咲良が言うなら、俺が見たものを、そして直感を信じるのなら。
きっとそうなのだろう。
「……ありがとう、エマ」
俺は覚悟を決めて、正面からエマに向き直った。
「妹が死んでからの俺は、正直見るに堪えないほど病んでいた。実は俺、シスコンだったから、ずっと葵が大事で、大切で、最愛の人間だったんだ。でもそんな葵がいなくなって、大事な人がいなくなって、俺は空っぽになったんだ」
息継ぎ。
「でもある日、思い至ったんだ。妹と同じ小学四年生の知り合い、友達、幼馴染。如月エマという存在を、妹にすればいいって、そう身勝手に思ったんだ」
俺の中だけの、妹。
二次元的に言えば、妹ポジションとでも言うのか。
「だから俺はお前に、妹を求めてたんだ」
「……」
エマの反応は……分からない。
どんな顔か、理解が出来ない。普通に真剣な顔をしてし、優しくも見えるけど、ショックを受けたような顔はしていない。
しばらくの沈黙の後、エマは口を開いた。
「え、そんなこと?」
「……え?」
今、何と言った?
――そんなこと? って、言わなかったか?
「いや、お前。だって、好きな人にずっと、理想の妹像を押し付けられていたんだぞ。お前に自覚は無かったとしても、俺は身勝手にそう思って、解釈違いだって昨日も――」
「そんなの、最初から分かってたわよ」
「……は?」
エマが分からない。
どういう意味、何を言っている、ちっとも分からない。
思わず心の中で片言になるぐらいに俺は困惑していた。
「い、いつから」
「去年、コウちゃんがわたしの家を訪ねてきた時からずっと」
……えぇ。
「わたしの事を妹だとして見てるって、顔に書いてあった。なんなら、目ん玉に書いてあったわ!」
「それは視力良すぎだろ。って、えぇ? ちょっと待て今俺超困惑超大変思考……えぇ?」
エマが気付いていたことに、気付かなかった。
そうだ、どうして思い至らなかったんだ?
エマが俺の気持ちを知っていながら、俺に告白をした可能性を。
少しでも自分に気持ちを向けてもらうために。意識してもらうために。
妹を、なくすために。
「てっきりコウちゃんの話すことって、最近買ったエッチな漫画のロリ系の女の子の顔がわたしに似ていたにも関わらず、その漫画で致してしまったことについての謝罪かと思ったのに」
「何で知っ……!? て、ていうかお前小学生だろ! そんな、何で、お前……!」
もはや中学生の下ネタじゃねぇか!
「そんなこと俺が言う訳ないだろ!」
「へぇ、既成事実の意味をわたしに言わせようとしたコウちゃんが……」
「まじでごめんなさい!!」
俺がエマに言わせようとしたのは、『すでに起こってしまっていて、事実として認めるべき事柄』の方ではない。いや、まぁ分かるだろ、ほら。
ド変態のレッテルを貼られても文句が言えないのに、エマを糾弾するなんて出来るわけがないな、俺。
「……閑話休題。話を戻しても?」
「許可するわ」
「感謝します……」
俺は頭を下げて、エマに感謝の気持ちをぶつける。
でも、数分前まであった緊張や恐怖は、既になくなっていた。
もしかしたらエマは、俺に気を遣ってくれたのかもしれない。
「……そんな俺でも、エマは一緒に居てくれるか?」
「え?」
いきなりの問いに、エマは困惑したように首をかしげる。
「俺と、ずっと一緒に居たいと思ってくれるか?」
折角エマがほぐしてくれた緊張は、すぐに戻ってきた。体が震えるし、目は少しだけぼやけている。小学生の女の子の目の前で泣くなんて普通にあり得ないし、絶対に避けたいことなのだが。
エマは目を見開いた。そして、少しはにかんでこう言った。
「わたしは、コウちゃんとずっと一緒にいたい」
その言葉に、迷いはなかった。
「……そっか。ありがとう、エマ」
安堵した。
心臓がバクバクといって鳴りやまない。これはドキドキとかそういうものじゃなくて、心配や緊張、恐怖などの後遺症のようなものだ。じきに直る。
まだ、言わなければならないことはある。俺は切り出した。
「俺はエマのことを恋愛対象として見れないし、性的な対象として見ることもない」
エマは「本当に?」とでも言いたげな顔でこちらを見ている。いや、本当です、ハイ……。
「でも、俺はエマを愛している。異性としてでも、家族としてでもなく、友達として。幼馴染として。たった一人のパートナーとして」
パートナーが恋人でなければならないなんてルールはない。
「なぁ」
エマはじっと、俺が話し始めてからずっと、こちらを見ている。
目を逸らさずに。瞬きはしているけれど、俺を見離さずに。そして見放さずに。
「俺はお前の彼氏になれない。家族になれない。愛人にもなれないし、多分セフレにもなれない」
多分というのは保険をかけたわけじゃないからな。
エマはどうやらセフレの意味を知らないようで、頭にハテナを浮かべている。いや、じゃあ俺セクハラやんけ。無知な小学生に性的な言葉を投げかける最低な男やんけ。話を戻さなければ。今はシリアスシーンだぞ。
「……だけど」
俺はそう続けて。
「俺はお前と一緒にいたい。ずっと一緒にいて、手を繋いでいたい。なぁ、お前が俺としたいことって、恋人じゃなきゃダメなのか」
「……わたしは」
エマはしばらく迷っていた。だが、ついに答えを出したようだ。自分の中でしっくりする答えが見つかったのだろう。エマは口を開いた。
「わたしは、コウちゃんと一緒にいれるなら、それでいいのよ」
手を繋ぐだとか、デートするだとか、ハグをするだとか、キスをするだとか、お揃いのものを買うだとか、あと……えっちなこととか、そんなことしなくても、あなたの隣にいられるなら、それでいい――エマはそう言った。
「そうか」
それを聞いても、俺の顔は赤くならないし、照れるようなことはない。意識なんてしない。だって、エマは恋愛対象外だし。
でも、エマは俺の幼馴染で、友達で、親友で、世界一好きな人なのだ。
だから。
「エマ」
お前と――
「両親を捨てて、俺と一緒に暮らさないか」
――一生。
最後にそう付け加えるのも忘れずに。
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