ヒトデナシ➁
『――う⁉』
鈍い、動物の鳴き声とは思えない音がして、続いてばきばきと不自然な葉擦れが。走り続けるアルゴの元に一塊の影が落ちてくる。
「――⁉」
重い落下音と共に傍らに落ちてきたもの、それはヒトだった。纏っているのは町人の作業着でも、侍の装束でもない。しかし間違いなく八洲の文化の中にある衣装。
死んではいないようだったが、気絶してしまったそいつを捨て置いて、アルゴはまた走り出す。あくまで彼の勘に過ぎないが、スズカの仕業であるように思われた。
「……っ」
先程までは感じられなかった匂いがふと鼻を突き、アルゴは眉を顰める。
自然界にはあまりない、モノを燃やした煙の臭い。加えて先程の男。パーカーの予感が現実味を増していく。
濃くなっていく臭いを頼りにアルゴは走り続ける。獣道は次第に拓かれた道になっていく。そして遂に木々の向こうに拓けた景色が見えた。
「く、そ……っ!」
苦々しく吐き捨てるアルゴ。そこには壊滅した集落があった。目に映る至る所に刻まれた破壊の痕跡は、これがヒトによって為されたものであることを物語っている。
ここがスズカの故郷『牛廻』だとすれば、倒れ伏しているヒトの数がいやに少ないこともまた、嫌な想像を加速させた。
「――スズカさん!」
危険を承知で彼は叫ぶ。想像通りのことがここで行われていたのであれば、彼女を連れて一刻も早くこの場を去る必要があった。
「ぃ――やぁ!」
耳を劈くは裂帛の気合い。同時に視界の端が暗く陰る。アルゴは咄嗟に四肢に魔力を巡らせ、そして影の方へと体を傾げた。
振り下ろされる腕、その肘を正確に狙いアルゴは拳を置く。瞬間、肉と骨が軋み潰れる嫌な音と感触が、拳を通じてアルゴの脳に小さく爪を立てた。
「――」
「ぁぎ⁉」
得物を握る手を引っ掴むと、勢いをそのままに敵を地面に叩き付ける。
森の中に降ってきた男と同じ装い。確認出来る限りに於いて額に角は見られない。
「何者だ」
ぞっとする程に冷たく低い声がアルゴの喉を震わせる。しかし今の彼はそれを気に留めない。
「――人間だ!人間の、異人の侵入者だ!」
彼の問いには答えず男は叫ぶ。
「――『眠れ』」
掴んでいた手を離すと、アルゴは男の顔を掴み短くそう囁く。男の体は次の瞬間には、糸が切れたように動かなくなった。
体を僅かに傾ける。耳の横を何かが静かに通り過ぎ、背後に動揺したヒトの気配。狙いも付けずに、アルゴは振り向き様に男から奪った得物を投げ放った。
「ぅ――――」
小さな断末魔を残し黒装束の男が崩れ落ちる。倒れた拍子に鼻から上が、果実のように転がり体から離れた。
「っ、アルゴ……っ!」
「動くな」
黒装束の男はスズカを拘束し、その喉元には刃を翳している。そいうことだろう。
「彼女を離せ」
アルゴは低く唸る。解るように八洲の言葉で。
男が微かにたじろぐ。覆面越しにもそれが感じ取れた。しかし男は主導権を誇示するように、刃をスズカの喉元へ押し当てた。
スズカの顔が怒りと屈辱、恐怖と悲愴に歪む。
「聞こえなかったのか。彼女を離せと俺は言ったんだ」
低い声に宿る感情は、明確な殺気。荒事に馴れている筈の男の手を震わせる。
「――」
アルゴは不意に背後に腕を振り払った。鞭のようにしなったそれは硬く熱い感触を捉える。
「ぅ――」
また小さな断末魔。彼の背後で男が倒れ伏す。
「あと何人使う」
「く……っ!」
覆面の奥の双眸が忌々し気にアルゴを睨みつける。しかし膠着状態はあまり長くは続かなかった。
『捨て置け。撤収だ蜻蛉』
「――⁉」
虚空から男へ向けたと思われる声が降り、カゲロウと呼ばれた男が明らかに狼狽を見せる。
『十分な収穫は得られた。一匹取り零したところで大差はない。とのことだ』
残りを連れて撤収しろ。声は会話ではなく一方的に届けられている。カゲロウの目が怒りで細められる。
「イカレ西洋人が……っ!」
そう呟いたのを、アルゴは確かに聞き取った。
「飼い主は八洲の人間じゃないのか?」
「我等、誇り高き忍なれど、断じて走狗などではない!」
カゲロウはスズカを盾にしながら、アルゴからじりじりと距離を取り、そして
「総員撤収だ!速やかに帰投せよ!」
そう声を張り合上げ、同時にスズカを突き放す。
駆け寄ったアルゴがその身を受け留める。しかしそこにはもうカゲロウの姿は跡形もなく消えていた。
「大丈夫ですか⁉――ああっ、怪我が――」
「――っ!」
身を案じるアルゴの手を振り払い、スズカは弾かれるように距離を取る。その目は何か、悍ましいものを前にしたようだった。
「すみません。怖がらせてしまいましたね」
アルゴは苦笑してみせる。スズカの反応はしかし変わることはなく
少し言い訳を聞いていただけますか。アルゴはそう切り出した。
「私は、ヒトが嫌いなんです」
「……え?」
「ああ、えとカイシュウさんやセキエンさん、それにアヴァロンの仲間や、もちろんスズカさんも、個人ではそうじゃないんです。――『ヒト』という動物が昔からなんとなく嫌で」
それからアルゴは訥々と、まだ覚束ない八洲の言葉で語る。何故、ヒトを嫌うのか。
世界の支配者であるかのような傲慢な思想。振る舞い。とりわけ他者を過剰に軽視していること。
「任務で訪れた先で何度も見てきました。差別、迫害、戦災――ヒト同士の諍い。魔獣のみならず様々な生物への虐待も」
アルゴは視線をスズカから荒れ果てた牛廻の集落へ移す。
「一番気持ちが悪いのは『傷付けていい言い訳』を必死になって作るところです」
赦される行いなど何一つなく、全てを背負っていくしかない。それをはじめから放棄している。その姿勢がなにより気持ち悪い。
――そんなになにもかもが嫌で気に食わないのなら、さっさと死んでしまえばいい
「なので少し、キレてしまいました」
「……」
「本当に申し訳ありません。故郷にお連れすると約束したのに、それを守れなかった」
アルゴは容赦を求めない。ただ謝罪する。
「わたしは、別にアンタ達を信用してたわけじゃ、ないから。別に、約束を破られたなんて、思ってない」
ぽつりぽつりとスズカは呟く。
「さっきのも少し、驚いただけ、だから。わたしも何人か、したし……」
辛辣な言葉は、しかしアルゴを責めようとして紡がれたものではなかった。寧ろその逆。
「助けてくれて、ありがとう」
「私は当然のことをしただけです」
「……他のみんなは?ここから早く離れた方がいいんじゃないの?」
「そうですね。……ええ、そうですね」
本音を言えばアルゴは、もう少しこの場に残りたいとも思った。ここを襲った連中の素性、、その手口の調査。そしてオニの死者の埋葬。
「――いえ、少しだけ、協力していただけませんか?」
或いは生存者がいるかもしれない。スズカは彼の提案を快諾してくれた。
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