八洲④

 どれほどの時間を要したのか、八洲の為政者『将軍』との面会についてアルゴの印象に残っているのは、堅苦しいと面倒臭いが主だった。

 尤もそれは八洲に限った話ではない。古今東西、権力者という生物の多くが、彼我の力関係を強調したがる。

「……」

 彼は隣のパーカーに目を向ける。彼女は車窓から見える八洲の景色をじっと眺めていた。

 中で待たせて居て正解だったとアルゴは思う。彼らからしてみれば連れ込むのを拒んでやった、なのだろうが。

「カイシュウさん、次はどちらへ?」

 向かいに腰掛け何かを書き綴っているカイシュウにアルゴは尋ねる。彼は顔を上げた。

「わっしの家だ。すずかやパーカーは特にだが、この辺りで調査をする間は、その方が面倒がないだろう」

 名を挙げられ、スズカが小さく眉根を上げた。彼女もまた将軍への謁見を断っていた。

「そうですが、大丈夫でしょうか?人数も多いですが……」

 申し出を有難く思えばこそ、アルゴは言葉を濁す。調査隊はアルゴを含め四人いる。加えてパーカーとスズカ。さらにカイシュウに代わって八洲を案内してくれる協力者が加わると聞かされている。それだけの人間の生活の世話をするのは容易ではない。

「まぁ何とかなるだろう。うちはよく人が出入りするからねぇ」

 からからとカイシュウは笑い、しかしそれは苦笑いに変わる。

「あー、寧ろみんなに迷惑を掛けるかもしれんねぇ」

「?」


『氷解塾』

 生垣にぐるりと囲まれた、外からは屋根しか見えない建物の唯一の出入り口には、そう書かれた札が掛かっていたが、ようやくある程度の会話を熟せるようになったアルゴには、その文字が何を意味するのかまでは分からなかった。

「さぁ、入ってくんねぃ」

 その前に馬車が停められ、カイシュウに促されるまま一行は門を潜る。

「オヤジー!」

 佇むのは木造平屋の荘厳な邸宅。将軍の城とはまた異なる容貌が、アルゴの好奇心を刺激する。

 家主の帰宅を予知していたかのように、扉が開かれ明るい声が響いた。そこには満面の笑みを浮かべてを振っている、若い男の姿がある。

 人懐こい犬のようだが、彼がただの労働者ではないことは服装、そして腰に差された刀から察せられた。しかしオヤジとは。アルゴはその単語の意味について首を傾げる。

「ナオカゲ。早いな、帰ってたのか」

「はい。ちゅーてもさっき戻ってきたばっかりなんですが」

 男はそこまで言って、後ろのアルゴ達に気付く。

「おまんらが妖怪と陰陽師を探しに来たちゅう異人さんか!わしはナオカゲ。この氷解塾のもんじゃ」

 アルゴの前に立った男は訛りの強い八洲言葉で快活にそう名乗った。アルゴも八洲言葉で返す。

「アルゴといいます。アヴァロンという組織で魔獣の研究をしています。この子が相棒のパーカーです」

「!おお、成程確かに!」

 アルゴの紹介を受けたナオカゲはパーカーを目にするなり表情を輝かせた。その輝きをアルゴはよく知っている。好奇心と知識欲に憑かれた、知りたがり特有のものだ。

 無遠慮な視線に晒されパーカーがほんの僅かに身を強張らせる。ヒト馴れしているとはいえ、装咬ミミックは元来身を潜めて外敵の目を掻い潜り、また狩りをする生物だ。視線を向けられること自体をあまり好まない。

「すみません。この子は臆病な性格なんです。馴れるまで待っていただけると助かります」

 アルゴはそう言ってパーカーを腕で庇うと、ナオカゲは伸ばし掛けていた手を引っ込めた。

「申し訳ない。わしも妖怪を見るのは初めてでの。つい興奮してしもうた!」

 堪忍!ナオカゲはそう言って顔の前で手を合わせ、アルゴ、パーカーそれぞれに頭を下げた。

「そんで、ナオカゲ。見付かったのかい、あの方は」

 カイシュウが声を掛けると彼はすぐさまそちらへ、跳ねるように体を向ける。せわしない動きはやはり犬のようだった。

「折よくこの近くにおられて。お招きしてます!」

「ほお、中々幸先がいいねぇ」

 パッと表情を明るくさせるカイシュウ。アルゴの頭に浮かんだ心当たりは数えるほどしかなかった。

「どなたかお捜しだったんですか?――スズカさんのご両親とか……」

 名前を出されたスズカの表情に光が灯る。

「いや。そっちはもう大方見当がついててねぇ。コイツが捜してくれてたのは、そこに行く道を知ってる案内人だよ」

「――っ、じゃあ……」

「ああ。準備が整い次第すぐにでもスズカを郷まで送っていけるよ」

『――!』

 その報せに調査隊は色めき立つ。目的の一つは、もう完了したも同然なのだ。

「ねえ、その人って……」

 しかし当のスズカは一変表情を強張らせた。

 誘拐された際の詳細をアルゴは彼女から聞いている。それを思えば得心のいく反応ではあった。

 郷が、そこに暮らす仲間が再び危険にさらされるのではないか。スズカはきっとそれを恐れているのだろう。

「信用出来る人間だよ。すずかも知ってるかもしれない」

 不安を和らげようとカイシュウはスズカに笑い掛ける。しかし彼女の表情には依然として陰りが残ったままだった。

「オヤジ、このまま顔合わせまでやってしまうか?」

「そうだねぇ。――じゃあみんな、上がってくれ」

 城によく似た邸内をナオカゲを先頭に歩く。土の壁と木の床、紙の扉で出来た空間は薄暗く、しかしアルゴはそこに不思議と心地の良さを抱く。それはパーカーにとっても同じようで、彼は背中にそわそわと落ち着かない彼女の気配を感じていた。

「――!」

 迷路のような廊下を進んでいく中で、奥から幽かな音が木霊してきた。

 段々と克明になっていく音。そしてナオカゲは一枚の襖の前で膝を着いた。将軍との謁見のときもそうだったが、八洲の国民は礼儀作法に強いこだわりを持っているようだった。彼に倣いアルゴ達もまた膝を着く。

「――先生、妖怪調査にいらした皆さまをお連れしました」

 先程までとはうって変わった丁寧な口調でナオカゲはそう部屋の主に告げる。しかし紙をせわしなく擦る音は絶えず、彼は暫く様子を見た後、再び声を上げる。

「ああああはいすいません今準備を……ああ、はい。入ってください」

 素っ頓狂な声はやがて、諦めたように入室を受け入れた。

 静かに開かれた襖を促されるままに潜れば、先ず八洲独自のインクの匂いと床を埋め尽くすほどの紙がアルゴ達を迎えた。

 部屋の中央には椅子と見紛う背の低い机が。そこに突っ伏すように簡素な作務衣を纏った痩せ気味の背中が、音の通りにせわしなく手を動かしている。濡れた藁束のような色の薄いぼさぼさの頭髪は、カイシュウやナオカゲのように結われていない。

「――初めまして。私は魔獣調査機関アヴァロンで魔獣の研究をしています、調査官のアルゴです。この度は調査に協力していただき感謝しています」

 呆気に取られていたアルゴは気を取り直して丁寧に自己紹介をする。残る調査隊の面々がそれに続いた。

 全員の自己紹介が終わる頃になって、男はようやく筆を置いた。上身を起こし、彼はアルゴ達に体ごと向き直る。

「どうも、ご丁寧に。……お見苦しいところを失礼しました」

 無精髭を生やした頬はややこけている。誤魔化すような笑みで口元を緩めた男は、思いの外大きな体を小さく折り畳んで床に頭を着けた。

「ぼくは、石燕といいます。絵描きをやっているんですが、なんだか大層な肩書を付けられちゃってまして……ええと、どれだけ役に立てるかは分かりませんが、頑張ります」

 伸びた前髪で殆ど見えない眉を八の字に曲げて、自信なさげな苦笑を貼り付けて、男はセキエンと名乗った。

「先生は八洲中の民話は伝承を調べて周っとる方で、鬼の郷も概ね全部把握されとる。案内役にはこれ以上ないほどの適役じゃ!」

 ナオカゲの補足にもセキエンは困ったように頭を搔くばかり。他の調査隊が不安を抱き始める中、アルゴは床に落ちた紙の一枚に目を留めた。

「――これが」

 描かれているのは明らかに既存の生物とは異なる容貌の何か。それがヨウカイの一種であるとアルゴは直感する。

「ああ、すみません。邪魔になりますね。今片付けを……」

「すみません。読み書きはまだ苦手で。これは何と読むのでしょうか」

 散乱する絵を拾い集めるセキエンにアルゴは手にした一枚を指し尋ねる。そこには平たい皿のような頭に串のように真っ直ぐな角を生やした怪人が描かれている。

「ああ『角半蔵つのはんぞう』です。『ツノワンスキ』とも呼ばれています」

「……これらは実際に見られたのですか?」

 セキエンは苦笑する。

「はい。時間だけはありましたので」

 そんな彼の顔をアルゴは真っ直ぐに見詰める。

「とても心強いです。頼りにしています」

 暫し面食らったように目を丸くし、固まっていたセキエン。はっとした彼は風になびくようにアルゴから顔を逸らした。

「頑張ります」

「――顔合わせは済んだみたいだねぇ」

 襖が迷いなく開かれ、楽な出で立ちになったカイシュウが表れた。

「早速で悪いが、今後の予定について話し合おう」

 少し声を固くなった声音に、一同が頷き返した。


 アルゴ達はカイシュウの手も借り、八洲を訪れた目的を改めてセキエンに伝える。驚き、慄きながらも、彼は得心がいったと最後にぽつりと発した。カイシュウ殿から文が届く少し前から、ぼくの所にも文が届くようになったのです。行方を知らないかと」

 それにと彼は続ける。

「妖怪についても同様の問い合わせを受けたことがあります。住処から姿を消してしまったと」

 回収した絵を、墨で汚れた指が慈しむように撫でる。アルゴ達に向き直った顔は、頼りない朴念仁のものではもう、なくなっていた。

「こちらからもお願いです。是非捜査に加えてください」

 深く頭を下げるその姿に、アルゴは抱いていた既視感の正体に気付く。

 それはきっと、自分自身に他ならなかった。

「頼りにしています。セキエンさん」

 そして一行は捜査に向けて各々準備を始める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る