第48.4話 六日目。午後。1-A(四)

「え……?」


 突然おかしなことを尋ねてきた奇稲田くしなだに、りくは泣き腫らした顔を上げた。


 サクのことが好きかって? そんなの言うまでもない。てか、もしサクのことが嫌いなんだったら、こんなに必死になって破滅から守ろうとしているわけがない。

 けど、それがなんだって……


「ああいや。わざわざ聞くことでもあるまいか」


 奇稲田は、陸が答えるのを待たなかった。一人勝手に納得すると陸の手を取って、なにかを渡す。


「……鏡?」


 物の正体に気付いた陸は、鏡と奇稲田を交互に見た。


「うむ。これはな。わらわが氷室ひむろの子息に依頼して、ジャージ袋に忍ばせておいたまことの神宝なのじゃ。わらわが顕現けんげんする事態を見越して特別に持ち出させたが、本来であれば本殿に安置されておるべき物。すまぬがそなた、これを返しておいてくれぬか?」


「……」


 陸はなにも言えなかった。


 意味が分からない。

 この鏡が、陸が持ち歩いてたような遺物じゃない本物の神宝で、返さなきゃいけないのは別にいい。でも、それ今言わなきゃいけないこと?


 けれど奇稲田は、それ以上話すつもりはないようだった。


木花知流姫このはなちるひめよ。あとのこと、頼めような?」


「……あーしは別にいーけどさあ……アンタそれ、ガチで言ってんの?」


 信じられないと言いたげな目の知流姫に、奇稲田はふふと微笑ほほえみ返す。

 それから奇稲田は、海斗かいとたちの元へと向かった。


「そなたらにも世話になった。特に小僧なぞ、そなたがおらなんだら、わらわがこの場におることは叶わなかったであろうしな。実によい働きであった。礼を言う」


「いやあ、そんなの別に。ぼくなんて野次馬の延長みたいなもんだし、神様に頭下げられるようなことは」


 謙遜けんそんする海斗に、満足そうな奇稲田。


「そなたら二人もじゃ。至らぬ陸を支え助けてくれただけでも感謝に絶えぬと言うに、その上そなたらには要らぬ負担までかけてしもうて。本当にすまぬ」


「ええっ!? あっ、いやあの……アタシは別に全然! て言うかむしろ謝んなきゃいけないのはアタシの方で……」


「奇稲田様……こちらこそ、ありがとうございました」


 深々と頭を下げた奇稲田に、それぞれの反応を見せた二人。


 奇稲田は、咲久さくの前で膝をついた。


 もう目を覚ますことのない咲久。今もそんな状態だなんて信じられないぐらいに、幸せそうな寝息に立てている。


「氷室の子よ……わらわが可愛い神和かむなぎよ。もう大丈夫じゃぞ。今、わらわがたすけてやるからな」


 奇稲田は咲久の頬を愛おしそうに撫でた。その様子は、まるで我が子の寝姿を見守る母のよう。


 それから奇稲田は、介抱していた朱音から咲久を引き取ると、教室の真ん中あたりへと運んだ。


 ◇ ◇ ◇


「――御子みこよ……氷室の御子よ……千年世ちとせにわたり、わらわをまつりし神司かむづかさよ。奇稲田姫命くし・いなだひめのみこと、氷室咲久。吾等われらが間につむがれし、主従の絆に応える時は今ぞ――」


 奇稲田がことばを紡ぎ始めると、教室の空気が変わった。


「クシナダ様……?」


 そのただならぬ空気に、思わず尋ねた陸。


「陸よ。わらわはな。娘を救うため、この身を捧げることとした」


「え」


 陸は胸がキュッと締まるのを感じた。


 咲久を救ける。――言われたことが理解できないわけじゃない。むしろ、奇稲田なら何か奥の手を持ってるんじゃないか。そんな期待すらあった陸だ。


 けど、その代償が奇稲田の……なんて?


「そなたも憶えておろう。神託しんたくの期限は最長で七日。そして今日は六日目。と言うことは、今のわらわにはあと一日分、現世うつしよに留まるだけの力が残されておるのじゃ。そして、その力をもってすれば、娘の和魂にぎみたまを支え救うことも、必ずかなう!」


「クシナダ様! それって――」


 聞き間違いじゃない。陸は動揺どうようした。

 奇稲田は自らと引き換えに、咲久さくを救けるつもりだ。


 そして彼女の体からは、それを証明するようにぽうっとほのかな光が生まれ始めている。


「そんな顔をするな。心配せずともあとのことは、そこな木花知流姫に任せておる。今の彼女であれば、そなたの思い悩むようなことは起こさぬよ。じゃから安心して――」


「――そんなんじゃないよっ!」


 見当違いなことを言い始めた奇稲田に、陸は声を荒げた。


 こんな急にいなくなるなんてダメだ。

 咲久を救うのは絶対に必要なことだけど、だからって奇稲田が身代わりになっていいわけじゃない。


 ちょっと待って。陸は止めようと動いた。

 けれど――


「え――」


 立ちはだかった相手に、言葉を失った陸。


「行ってはならぬ」


 木花知流姫だった。


 彼女、これまでのギャルっぽい感じとは一転、その様子はまさしく神。

 思わず平伏ひれふしてしまいそうな荘厳そうごんさで、奇稲田の想いを尊重するよう命じている。


「ク、クシナダ様……!!」


 ここから先には行けない。陸は呼んだ。


 クシナダ様――。

 急に現れて、「破滅がー」とか、変なことを言い出した神様。


 クシナダ様――。

 学校に連れて行ったら、「あいさつがー」とか、急に年寄り臭い小言を始めた神様。


 クシナダ様――。

 街に出たら、「やっほぉーい!」とか、子どもみたいにはしゃいでちょっと引くぐらいだった神様。


 他にも理不尽な根性論とか要らない説教とか、本当にこのヒト、神様なの? ってぐらいに自由で、正直かなり鬱陶うっとうしいヒトだった。

 けど――!


「待ってよ! まだ――」


 なんでそんな勝手なんだよ。

 出て来んのも勝手なら、消えるのも勝手とか。ちょっとはこっちのことも考えて欲しい。

 六日……六日も一緒にいたんだ!

 そんなに一緒にいたのに、お別れも言わせないなんて、冗談じゃない!

 だからせめて! せめて、あと5分だけでも! ちゃんとお別れする時間を――


「――さらばじゃ陸よ。友を、そして娘を大切にするのじゃぞ」

「クシナ――」


 陸がその名を叫んだのと、彼女の体から一際強い閃光が放たれたのは同時のことだった。


 突然のその光に、陸は思わず目を閉じる。




 ――それにしても、そなたはわらわが見込んだ以上に善き心を持った若者じゃったな……ほんのわずかな時であったが、共に居られて楽しかったぞ……これからも、きっと良縁に多き人生を歩むのじゃぞ、陸よ――




 暗転した視界の中、陸の耳に奇稲田からの言葉が届いていた。


 ◇ ◇ ◇


 それから少し――


 少しずつ視力が戻ってきた陸は、おそるおそる目を開けた。




 そこに、




 奇稲田の姿はなかった。

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