第47.2話 六日目。午後。1-A(二)

「――コノハナ、散レ――」


 ひまりがことばを発すると、教室が枯れ始めた。

 床、机、椅子。そして壁に黒板――彼女を中心に放射状に広がった「枯れ」の波が、あらゆる物を枯らし、崩壊させてゆく。


「あ、あ、あ……」


 目の前の光景に、りくおののいた。


 あれは絶対にマズい。奇稲田くしなだの鏡が塵に変わった時もあんな感じだったのだ。ひび割れ、黒ずみ、塵と化す。

 彼の本能もまた、あれに触れてはいけないと告げている。


 けれど、どれだけ踏ん張ってみても、ドアはガタガタと音を鳴らすばかり。


「う……ああああっ!」


 ドアはダメだ。諦めた陸は窓際に逃げた。

 けれど、ここにも枯れは迫って来ている。逃げ場はない。


 ここもダメ! 今度は窓を開ける。


「あラ。窓なんテ開けてどウするノ? まさカ、そコカラ飛ビ降リるつモリ?」


 ひまりが、往生際の悪い陸をわらった。

 しかしここは4階。ひまりの言う通り、外に出てどうにかできるような高さじゃない。


「く……ううっ!」


 死にたくない! ――陸は必死だった。


 彼は窓から身を乗り出すと、そのまま目一杯手を伸ばす。

 外の壁に配管があったのだ。

 それを伝えば、隣の教室に――


「――やった!?」


 配管を掴んだ陸は、思い切って外に出た。これで助かる。

 しかし、


「アら? 上手ニ逃ゲタわネ。でモ……」


 しかしひまりが見逃すはずがなかった。

 彼女はその指をぴっと動かす。すると――


「あ!?――あああっ!?」


 陸が悲鳴を上げた。配管が壁から外れたのだ。


「クダらナイ……私、貴方のコト買い被ッテいたワ。今の貴方はキレイとハ程遠い。見苦しイだけノ道化……もうイイわ。そノまマ消エテ」


 宙ぶらりんになって、それでもまだ必死に配管にしがみつく陸に、ひまりが冷たく言い放つ。


 そして――


「あ――」


 配管が折れた。陸は空中へと投げ出された。


 ◇ ◇ ◇


 ――オレ、終わったわ。


 地面へと真っ逆さまの陸は、そんなことを思っていた。


 けど不思議と怖くはない。さっきまではあんなにビビってたのに、自分でもビックリするほど冷静だ。


 シュオン。雨綺うき。小宮山君。ひまセンパイ。そして――サク。


 色々な人たちの顔が次々に想い浮かんでは消えて行く。


 ああ。これが走馬灯そうまとうってやつか。


「ごめん。ありがとう。オレ、みんなと出会えて幸せだった」


 陸は笑った。それぞれに言いたいことはいくらでもある。けど、残された時間じゃ、どうしたって言えるはずがない。


 大体、咲久への想いを語るだけでも、余裕で1時間は超えるのだ。

 それが急にこんなことになっちゃって。

 もしこんなことになるって分かってたら、いくら陸が慎重だって、さすがに告白の一つや二つしてたはずで、今からその想いを伝えようと思ったら、やっぱり最低でも1時間は欲しいわけで……


「……ん?」


 オレ、いつになった死ぬの?


 どれだけ待ってもその時がやってこない。いぶかししんだ陸は、恐る恐る目を開けた。すると――


「やれやれ……間一髪じゃな。それにしても、ここまでよくも踏ん張ったもの。三日会わざれば刮目かつもくせよとは言うが……」


 そこにいたのは、そんな渋めのセリフを吐く人だった。


  ◇ ◇ ◇


「え? え? ええ?」


 陸は目を白黒させた。


 地面に叩き付けられて――、とかそんなレベルの話じゃない。今の陸は、どういうわけだか見ず知らずの女子に、お姫様抱っこされていたのだ。


 ▽ ▼ ▽


 謎の彼女は、スレンダーな体型の、黒色ロングヘアーの女子だった。

 川女かわじょの制服を着ているけど、ここの生徒としては珍しく化粧もしているようで、唇と目尻に控えめに引かれた紅が目を引く。

 控えめに言って、美少女――いや。美人だった。ちょっと大人っぽすぎて、制服が似合ってないぐらいだ。

 そしてそんな彼女に陸は――


 △ ▲ △


「はぁ~……あ! や。だ、誰……すか?」


 知らないうちにため息が出ていた陸は、ハッとして尋ねた。


 けれど彼女、そんな陸の態度が気に入らなかったようで、


「むっ? 誰とはなんじゃ、誰とは? 状況が掴めぬのはまあ仕方ないにせよ、『誰?』は、聞き捨てならぬ! ……まったく! せっかくそなたの頑張りに花丸の一つもくれてやろうと思ったに……そう言うこと言うんならもうやらんもん! そなたなんかさんかくじゃ! 永遠の△じゃ!」


 急に残念な女子に変わってしまった彼女に、陸はポカンとした。


 ――あれ? なにこの残念美人。まるとか△とかわけ分かんないこと言ってるし。つかね、他人様をそんなふうに評価していいのは小学校の成績表か、さもなきゃ神様ぐらいのもんで……


「まる? さん? て、え? もしかして……クシナダ様!?」


「ふふん。やっと気付きおった」


「えええっ!?」


 陸はものすごく驚いた。


 鏡割れたよね?

 いや。その前にその身体は?

 つか、本当に本物?

 なんで制服?


 色んな疑問がいっぺんにやって来て、大混乱の陸。


「んもう! 気付くのが遅いんじゃ! あともうちょっと気付くのが遅れたら、わらわ、ショックでそなたのことうっかり落としちゃう・・・・・・ところじゃったし」


「は?」


 なんか変なことを言う彼女に、陸は下を見た。


「あ」


 浮いていた。あるべき地面がずっと下にある。と言うか、すぐ横が1-Aの教室だ。


 やっぱりクシナダ様なんだ。もう認めるしかない。


 あ。でもそうなると、さっき走馬灯だとか思って口走っちゃったあれ。もしかして――


「ああうん。最後にちゃんと感謝を言えたの、わらわとってもいいと思う。まる、いる?」


「ああ~」


 聞かれてた。陸は赤面を覆い隠した。


 ◇ ◇ ◇


くぅ……あぁっ!?クゥ……アァッ!?


 九死に一生を得たりくが教室に戻ると、ひまりが妙な唸りをあげていた。


そんな……ソンナ……馬鹿な?馬鹿ナ?力が――!?力ガ――!? ああっ!アアッ!


 苦しむひまりの裏側に、もう一つ別の声が聞こえるのだ。


「ひまセンパイ!? ――クシナダ様!?」


「ふむ。力の使い過ぎ、じゃな……」


 奇稲田が言った。


「こうなってはもう何もできぬであろう。――これこその。もう動くこともままならぬのじゃろ? どうじゃ? 依り代一つくれてやる代わりに、わらわとサシで話し合おうではないか」


 奇稲田はポケットからなにかを取り出すと、ぴっと放った。するとそれは、ひらり――と、ひまりの前に舞い落ち……


 ▽ ▽ ▽


 人形ひとかた


 和紙を人型に切った物で、自分の身代わりとして使用する祭具さいぐの一種。

 氷室神社ひむろじんじゃでは、息を吹きかけた人形を境内けいだいの「浄化の小川」に浮かべ流すことで、けがれや無自覚の罪をはらう、「人形流し」という儀式を行うことができる。


 △ △ △


依り代?依リ代? 貴女が?貴女ガ? この私に?コノ私ニ?


「じゃ。しかし問答はあとじゃ。それよりも早うその依り代にうつるがよい。娘もそなたも、これ以上苦しむことはなかろうよ」


 警戒するひまりに、奇稲田は笑った。

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