第45話-朱音 六日目。午後。1-A。

 一方。1-A教室では――




「りってぃ! しっかりしてよ!」


 単身突入した朱音あかねが、りくにお守りを使っているところだった。


 このお守りには人を正気に戻す力がある。それは、朱音自身もよく分かっていることだ。

 けれど朱音は、まとわりつく不安を払拭ふっしょくできずにいた。


 ――アタシがこれ使っていいの?


 つい先日まで、あちこちで好き放題やっていた朱音だ。その悪事は挙げようと思えばキリがない。


 一つ。むすひで、店員に言いがかりをつけ、土下座させようした。

 一つ。ベーカリーカフェで、代金未払いのパンをかじって店とトラブルを起こした。


 つくづく残念なことしかしていない。


 そしてなによりもひどいのが、警察が出動する騒ぎにまで発展したあの事故。


 『川薙氷室神社かわなぎひむろじんじゃで崩落事故!』――ニュースサイトにも大きく載ったあの事故。


 あれは本当に危険だった。人が死んでいてもおかしくなかった。

 勿論、そんなことになると知っていたら朱音だってやらなかっただろう。

 けど、どんなつもりだろうと、あの事故を起こしたのが朱音であることはくつがえしようのない事実。


「もうあんなのはゴメンだから! 神様! お願いだから、アイツをやっつけて!」


 朱音はありったけの気持ちを込めて、陸にお守りを押し当てた。


 ◇ ◇ ◇


「あれ? なにしてんのシュオン?」


 いつも通りの陸の声が聞こえてきたのは、ほんの一瞬の間が空いてからのことだった。


「りってぃ!? やった?」


 その声に、表情を明るくした朱音。

 けれど、


「やッた? ナに言っテんの? ツか、ダメじャん勝手に出テ来チャ。オレが合図すルまデ、隠レてるって話だっタのに」


 陸は戻っていなかった。


「あら。貴女やっと出てきたのね。まあいつまでも待てないだろうとは思っていたけど」


 ショックを受ける朱音に、ひまりが言った。


「で、ここからどうするの? まだやることがあるならさっさとやって。ないなら大人しく帰りなさい。今なら見逃してあげる」


「く……」


 余裕のひまりと、絶望の朱音。


 お守りは効かなかった。しかも、ひまりの様子からして、隠れていたのも最初からバレてたらしい。

 てことは、この作戦、実は最初から詰んでいた?


「ア、アタシは……」


 朱音は口籠った。

 どうすればいいのか分からないのだ。

 陸を助けたい。役に立ちたい。その気持ちは変わってない。

 でも武器がない。知恵もない。ないないづくしじゃ、やれることもあるわけない。


「……ア、アタシ……」


 気持ちが折れてきた朱音は、視線を下げた。

 どうしても決められない。

 逃げちゃいけないのに、逃げることしか思いつかないのだ。 


「早く決めなさい。そんなだから体売るぐらいしか・・・・・・・・能がない・・・・って言われるのよ。バカね」


「――っ! 悪霊のくせにっ!」


 ビュッ! ――頭に血が昇った朱音の平手が、ひまりを襲った。


 けれど、


「悪霊? それって誰のことかしら? 随分ひどいこと言うのね? 受験の時はあんなに協力してあげたのに」


 朱音の手を悠々と受け止めたひまり。逆に相手の手首を取るとグイッと引き寄せる。


「べ、別にこっちはアンタの力なんか借りた覚えねーし!」


 ひまりのキレイな顔がすぐ眼前に迫ってきた朱音は、負けずにえた。


「あら、そう言うこと言うの。でもね。貴女の頭で川薙南あの高校に受かるなんて、普通じゃありえない話じゃない?」


「う、うっさい! アタシだってあのぐらい!」


 朱音はひまりに抱き着いた。そしてお守りを彼女の首筋に押し付ける。


 陸はダメだったけれど、ひまりなら。

 よくよく考えてみれば、あれ・・は今、ひまりにいているはずなのだ。

 なら、陸にお守りが効かなかったのは、そもそもあれ・・がそこにいなかったから。


「ふふ、自分から抱き着いてくるなんて、貴女意外と可愛いところあったのね」


 けれどひまりの余裕は変わらなかった。朱音の攻撃を、仔犬のじゃれつきみたいに扱っている。


「な、なんで……」


 これもダメ。離れた朱音はいよいよ絶望した。


 二人ともあれ・・に操られているはずなのに。お守りが効くはずなのに。

 実際、自分の時はそうだった。


 なのに……なのにどうしてちっとも効いてくれないの!?


「もしかしてとは思ったけれど、やっぱり貴女、それの使い方が分かってないのね。いいわ。折角だし、私が教えてあげる」


 悔し涙がにじむ朱音の前髪をで分けて、ひまりが言った。


「――まず、お守りって言うのはね。相手を想う気持ちがあって初めて効果がある物なの。気持ちって言うのは、真心とか赤心せきしんなんて言い換えてもいいわ。要は相手の幸せを願う気持ちのことね。だから、そんなふうに相手への憎しみだけで使っても効果を発揮しないのよ。もし、そんなマイナスの感情でお守りを使いたいのなら……」


「あっ――!?」


 バチン――朱音は弾かれたように数メートルほども吹っ飛ばされた。


「ね? こっちの・・・・を使わなきゃ」


 愉快そうに見下ろしてきたひまりの手には黒のお守り。朱音がこの決戦の前に、陸に預けておいた物だ。


「……こ……こんなことするとか、や、やっぱアンタ、悪霊……じゃん……」


「あら? まだそんなこと言えるの? 貴女思ったよりも頑丈なのね」


 フラフラになりながら、それでも減らず口を叩く朱音を、ひまりが驚きわらう。


「でもやっぱり賢いとは言えないわね。貴女程度のゴミが何回挑んだって、私に勝てるわけがないのよ。なのに逆らうなんて、これだから頭の弱い売春女は――」


「うるっせーーーっ!」


 朱音は激昂げっこうした。


 ――そりゃあ、アタシは頭悪いわよ。

 体だって弱いし運動もさっぱり。

 学校で変な噂が立った時、否定する勇気もなくてそのまま引き籠っちゃったし、迷惑もいっぱいかけた。


 でもそれがなんだってのよ?

 アタシはもうそんなアタシでいるのはイヤなの!


――オレも川南かわなんす。一緒に行きません?――


 りってぃ。――受験の朝、ふらふらになってたアタシに声をかけてくれたアイツ。


――え? ……と、それは……――

――や。だから、その……――


 あんなにへたれで、頼りなくて……なのに、


――静かにしてもらえます?――

――友だちを守るために動いてたと、そう言うわけでした。――


 人のためなら頑張れちゃう。そんなアイツを見て、このままじゃいけないって思ったんだ。


 謝らなきゃいけない人はいっぱいいる。

 直さなきゃいけないところもいっぱいある。

 欠点だらけの自分がホンットにイヤになる。


 でも!


 今のアタシがどんなにダメダメだって、人を利用して傷付けるしかできないあれ・・にだけは、絶対に負けちゃいけないんだ!




「負けない……負けたくない……アンタに……だけは!」


 朱音は立ち上がった。そしてもう一度勝負を挑むため、ひまりに向かって行く。


「まったく……貴女も懲りないわね。言ってなかったかしら? 私が一番嫌いな物はバカで学習しない人間だって。ま、いいわ。そこまで言うんなら次は手加減なしでやってあげる。けど、もし死んでも、文句言わないことね」


 さげすんだ目で、ひまりが迎え撃つ。


「あああああっ!!」

「さようなら。元、宿主さん」


 そして……


 お互いのお守りが交錯した。

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