第44話 オペレーション・アイスブレイク その一
オペレーション・
この戦闘につけられた作戦名であり、その開戦まで一時間を切っていた。
そしてこの作戦の要がエインツである。
イグルでのフォルテアとの一戦で、敵に最も有効な攻撃を与えていたのは、宇宙軍艦隊ではなくエインツだった。
それは映像から見ても明らかである。
フォルテアが、死後の魂だけを召喚されたアンデッドだからではないか。
初級であるにも関わらず、何故俺の魔法剣があれほどまでに通用したのか? エインツに問われたラルシェはこう説明した。
アンデッドに有効な光の魔法剣に加え、気の力は生命力を攻撃力に転換するもの。
生命力に満ち溢れた攻撃もまた、アンデッドの弱点。
現時点において宇宙空間で戦え、フォルテアを倒せる可能性が最も高いのはエインツしかいない。
宇宙軍がエインツと同じ攻撃能力を用意するには、最短でも一週間は掛かるらしいとの事。
いつフォルテアが動き出すか分からない以上、準備が整うのを待つ猶予は無い。
作戦の成否の大半は、エインツ一人に掛かっていた。
加えて、フォルテアを復活させたのは魔帝の杖である可能性が高い。連中にとって最大の仇の子孫である、恋人ハルナの命運も背負っている。
戦争から個人の依頼まで。
大小数多の戦いを乗り切って来たエインツだが、これほど負けられない戦いは初めてだった。
愛して止まない人を死なせたくない。
その重圧は過去最大だ。
それでいて、これまでエインツは数え切れない敵と相対してきた。
四本の腕を持つ剣士。全方位に毛針を飛ばせる魔獣など。記憶に残るほど苦戦させられた敵も数多い。
その中でもフォルテアは、間違いなく強大な相手とエインツは認識していた。それも三本の指に入るほどに。
かつてない強敵と、この上なく守りたい者がいる事の板挟み。
何の準備も無しに、いきなりこのような状況に放り込まれれば、極度の緊張に押し潰されてもおかしくない。
だが、常住戦陣。長年の鍛錬を積み重ねた事で、体が覚えてしまっているエインツの剣に一切の乱れはない。
後悔しないよう、ただ全力で最善を尽くすだけ。
培われた鋼鉄の信念についても、些かの揺らぎもなかった。
絶対に負けられない戦いを前にしても重圧に飲み込まれない、理想の剣士像をエインツは体現していた。
「「……」」
艦隊司令官を交えた最後の作戦会議を終え、エインツの待機場所となっている、右舷第一船外作業準備室。
大胆不敵なエインツがいる一方で、壁に寄りかかったハルナは、不貞腐れた顔を崩さない。
「……そんな顔をしていたら、せっかくの
視線の先にある空気を恨んでいるかのようなハルナに、エインツは動きを止めないまま話しかけた。
幸いと言うべきか。ハルナの不機嫌の原因ははっきりしている。
「だって、せっかく暗所恐怖症を克服出来たのに。私もエインツと一緒に戦えるようになったのに、後方支援だなんて……」
「……俺だって出来る事なら、傍にハルナがいてほしいさ」
頭ごなしに否定せず、率直な思いをエインツは口にする。
「だが、ハルナが暗所恐怖症を克服出来るのは、俺と密着している事が条件だ。俺は剣士。ハルナと抱き合った状態で戦える訳がない」
流れ弾ならぬ流れ剣。
剣を振るうにあたって、味方と距離を取るのは仲間を傷つけないためだ。
エインツと肌で接していればハルナは、銀の腕輪がもたらす暗所恐怖症の呪縛から解放される。
二人で手繰り寄せたこの事実は、ラルシェにも報せた。
パーティーリーダーとしてラルシェは、この方法はプライベート限定。あるいは戦闘行為以外の時にするよう、思考の末に告げた。
理由は前述の通りである。
エインツとしても、この判断以外にあり得ないのだが、ハルナはどうしても納得がいかないようだ。
「……」
ハルナは反論こそ口にしなかったが、表情はそのまま不服を表明している。
頭では分かっているけれど、エインツと一緒にいたいという心残りが、まだ消化しきれていないのだろう。
だとすれば、心残りを解消させてやれば良いだけだ。
なんとなくエインツは、ハルナが求めているものが理解出来ていた。
エインツは動きを止め、ハルナに視線を向けた。
「安心しろ。これで終わりにするつもりは毛頭無い。俺とハルナはこの先もずっと一緒だ。だから今回だけは我慢してくれ」
「……うん」
しおらしく頷くハルナを眺めながらエインツは、次なる一手を繰り出す。
「……何でも良いぜ。この戦いが終わったら、一つだけハルナの願いを叶えてやる」
「何でもって言った?」
くすんでいたハルナの濃橙の瞳に、瞬く間に活気の光が宿る。
それはさながら、琥珀が突然命を授かったかのようだった。
「ああ。何でもだ」
無制限に希望を叶えると言っても、無茶苦茶な要求を突きつけてくるような女ではない。
ハルナを信じているからこそ、男に二言は無いとエインツは、言外に口にした。
もちろん後になってとぼける気も無い。
エインツとしても、ハルナとの一時が約束されるので、互いに得する契約である。
「分かった。……今は勝って生き残る事を考えるべき時だから。後で考えて言うね」
「もちろんそれで良い。ふた……全員で生き残って、魔帝の杖の奴らに地団駄踏ませてやろうぜ。連中に俺たちの愛を見せつけてやる」
自分の言葉に僅かの疑問を抱かずにエインツは、笑顔で言い放った。
「それ良いね」
ハルナもまた、満開の笑みで応える。
エインツはしばらくハルナと向き合ってから、壁のデジタル時計に目を向けた。
「……いつまでもこうしていたいが、作戦開始の三十分前だ。そろそろ準備しよう」
「うん……絶対に生き残ろう」
「当たり前だ……俺には最高の女神様がついていて、フォルテアには誰もついていない。だから負ける道理がないな」
「もう。すぐそんな事を言うんだから」
女神様と言われた事に赤面しながらも、満更ではない様子をハルナは見せた。
「二人とも。作戦開始三十分前だ。準備は整っているな?」
部屋の自動ドアが開き、ラルシェが中に入って来つつ声を掛けた。二人を見据える翡翠色の目は、揺るがない戦意を宿していた。
「もちろんだ。いつでも行ける」
エインツは言いながら、自らの胸を右手で叩いた。
「私も。エインツのおかげで、気持ちの整理はつけられたから」
「……なら良い」
二秒ほどラルシェは、ハルナの顔を見やった。真剣な眼差しの後でラルシェは、態度を軟化させた。
ラルシェもまた、先ほどまでの、戦う意志が不明瞭なハルナの姿を見ている。
「作戦と配置に変更は無い。エインツが単独で戦い。私とハルナ、宇宙軍が全力でエインツをサポートする。……エインツ一人に責任を押しつけるような形ですまない」
「……」
「作戦会議の場でも言ったが、気にしなくていい。勝つ為の最善を尽くす。戦いとはそういうものだろ。それが今回は、俺一人で立ち回るのが最もベストになった。ただそれだけだ」
力不足を悔やむラルシェとハルナにエインツは、嘘偽りなく答えた。
「エインツ……」
陶酔しきった目でハルナはエインツの顔を見上げた。
心中で渦巻く感情を懸命に堪えているかのようなさまは、戦地に赴く夫を見送る妻そのものだ。
「そんな顔をするな。俺は必ずハルナの元へ帰る。だから今は何もしない。続きは帰って来てからだ」
「……うん。分かった。下手にキスとかしたら、かえって決意とかが鈍りそうだからね。……ラルシェと一緒に、エインツが帰って来るのを待っている」
言い残した事は無い。
それを示す沈黙が二人の間に流れる。
空いた無言の間隙を埋めるかのように、ラルシェが口を開いた。
「……言い残した事は無いな? では行こうハルナ。我々も配置につかなければならないからな」
「分かった……」
大方は納得しているが、一部で後ろ髪を引かれている。そんな風情でハルナは、ラルシェより先に部屋を後にする。
その両手は固く握られていた。
複雑な心模様を示す恋人の、美しい銀髪で覆われた背中。
エインツは愛おしい視線でハルナを見送り、表情を緩ませる。
「自分の気持ちに素直で可愛い子だな。大事にしてやれ」
「言われなくても」
死と隣合わせの戦場を仲間と共に駆け抜け、蘇りという稀有の中の稀有の体験を乗り越えた。
年齢こそ一歳しか違わないが、魔法以外の面でエインツは、今のハルナがどう足掻いても到達出来ない領域に辿り着いた。
人生の経験値においてハルナは、エインツには遠く及ばない。
恋人としてエインツの役に立ちたいが、決定的な障壁を一方的に感じてしまっている。その事がハルナをもどかしくさせているのだろう。
その差を少しでも埋めようと、懸命に努力しているハルナの姿は健気そのものだ。
打算抜きに守ってやりたくなる。
その為にも、泥水をすすってでも生還しなければと思うエインツは、間違いなくハルナによって支えられていた。
ハルナ抜きに今のエインツは語れない。
構造や仕組みが複雑であればあるほど、物や組織、制度は脆くなる。
ハルナに尽くし、尽くされるだけという点でエインツは、単純明快かつ完全無欠だった。
「行って帰って来いエインツ。ハルナの為にも。私がお前に言うのはそれだけだ」
「ああ」
言ってエインツは、ラルシェと右拳同士を軽く突き合わせる。
その後でラルシェも持ち場へと向かう。
(今の心境は過去最高だな)
一人残されたエインツは、迷う事なくオリハルコンに身を包んだ。
離れていてもハルナを隣に感じられる。
底無しに気力は漲るが、万能感に飲み込まれる事は無い。
ハイスピードイージスを装備したエインツは、分析通り、歴代最高の状態でチャンバーへと向かった。
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