第32話 諦めない少女と狙う影

 ヒメロスはそれからも集落を出ては、平原で弓矢の練習を繰り返し行っていた。そんなヒメロスの毎日の習慣の成果は……実っていなかった。


 集落の人々にも、ヒメロスが一人集落を抜け出しているのが広まっているようで。


「無駄なことは止めておけ」

「戦うのは、力のある人に任せておけばいいじゃない」

「影狼に襲われちまうぞ」


 などと言われる始末。とはいえヒメロスは集落内の仕事を誰よりも早く終わらせてから外に出ているので、誰もキツく止めることはできなかった。



 パシュンッ


 音を立てて放たれる矢は、やはり的には当たらず地面に落下した。ヒメロスが何度練習を繰り返しても、矢が、力を失い地面に落ちるという結果が変わることはなかった。


「どうして当たらないんだろう……わたしには才能がないのかな……」


 弓の種類を変えてみたこともあったが、当たらなかった。兄が持つ、集落で一番の弓の使い手が持つことを許された弓であれば、もしかしたらと思ったが「この弓を使ってはダメだ」と兄にキツく言われた。


 じゃあ矢の種類を変えてみるのはどうか、と試してみたが、どれも的には当たらないという結果が変わることはなかった。

 

 矢は的に近づくにつれて右に左にとブレ始め、しまいには力を失い落下してしまう。


「キニギドゥラの人間は『風の民』って呼ばれることがあるのに、矢が全然当たらないわたしは、風に嫌われちゃってるのかな」


 呟くヒメロスの表情は暗く。下を向く空色の瞳にも影が落ちる。



 そんな少女の感情に呼応こおうするかのように、地上を照らしていた日の光は分厚い雲に遮られ、辺りが暗くなっていく。雨が降る前のようなそんな黒い雲が突然現れ、空を覆っていく。まだ日中だというのに闇に飲まれるようなその光景はどこか異様だ。


 闇に紛れるような存在が、若草色の髪を持つ少女を狙っていた。光の元では行動できないソレは、体から黒い煙のようなモヤを放っていく。



 下を向いていたヒメロス。そんな彼女にブワリとした強い風がぶつかる。


「わっ……っと」


 強い風にバランスを崩しかけた少女だったが、なんとか体勢を整える。そして、周囲の異様な光景に気がついた。


 日中だというのに、黒い雲に覆われた空。周囲に立ち込める黒いモヤ。


「何……これ……」


 ヒメロスの背中を、ゾワリとした嫌な予感が走る。まるで「すぐに逃げろ」とでもいうような直感だ。


(日中に影狼は行動できない。だから夕暮れには集落に帰るようにしてた。そして、今はまだお昼の時間……でも……)


 そんなヒメロスはすぐに考えを止めることになる。まだヒメロスの位置からは遠いが、黒いモヤの中に赤い瞳が見えた気がしたのだ。


(ッ!!)


 ヒメロスは赤い瞳が見えた方とは反対側にめがけて走り出す。厚い雲に覆われた空と黒いモヤの影響で視界は悪いが、そんなものを気にしていられる時間は無い。夢中で走り出したヒメロスの背中を風が押す。運が良いことに、追い風のようだ。


 ヒメロスは走りながら思い出す。見えた赤い瞳は二つだけではなかったことを。複数の赤い瞳が自分を狙っていたことを。

 

 弓を持つ少女。それは狩る立場ではなく、今は狩られる立場へと陥っていた。


 

 ――――そうして、走り続ける少女。その方向が森の方向に向かっていることに気がつけなかったのは、周囲の視界の悪さもあって仕方ないことなのだろう。

 ――――それすらも、狩る側の術中だと露知らずに。

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