11.お嬢様の虫捕り罠
「もうっ!お嬢様ってば!お嬢様ってばっっ!!フクは肝が縮み上がりましたよ!!」
鏡台を前に、いつもは適当に結われている嬢様の髪を丁寧に梳かしながら、フクはプリプリと怒る。
「あらあら。そんなに酷い事はしてないはずなんだけど?」
鏡に映ったお嬢様は、相変わらずのんびりと笑いながら、握り飯を口に運ぶ。
その握り飯は『ご飯中は給仕に忙しくなるだろうから』と、お嬢様がフクのために作ってくれていた握り飯の余りだ。
朝餉の準備中から、隙あれば味見と称して具沢山の味噌汁やお浸しを食べさせられたものだから、焼き鮭ぎっしりの握り飯を、フクは全て食べることができなかったのだ。
健啖家であるお嬢様にとっては、巨大な握り飯でもオヤツのようなものらしく、しっかりと朝食を取ったのに、スイスイと食べ進めている。
「重臣の方々がいる中で、あんなにズバズバ駄目出しをしていたじゃないですか!」
のんびりと間食をしている、鏡の中のお嬢様をフクは睨む。
朝餉の後、片付けは厨当番に任せ、人員確保のために提示できる雇用条件と、兵舎建築に掛けられる資金を確認するために、フクたちは皆で二階の執務室に赴いた。
しかしそこは『執務室』とは名ばかりで、そこにある家具は一卓の文机と巨大な座卓と、粗末な棚が一つだけの、広いだけの部屋だった。
既に棚は書類で溢れ、入りきらなかったものが、床や座卓に山積み。
そんな状態だから、掃除も上手くできていないようで、ひどく埃っぽかった。
はっきり言って酷い部屋だと思ったが、顔に出すのは失礼と思ってフクは無表情を貫いた。
『このような部屋で西征将軍閣下が執務なさってるのですか?』
しかしお嬢様は驚きを隠さずに、あっさりと、そう言い放ってしまった。
朝餉の間から、鬼のような顔で睨んできていた【角なし公】や、筋肉の鎧を着た屈強な家臣たちに向かって、だ。
彼らを怒らせたりしたら、どんな恐ろしい目に遭わされるかと、フクは悲鳴を上げそうになった。
しかしフクの想像と違って、屈強な彼らは紳士的な反応を返してくれた。
【角なし公】は小さい文机でも使えない事はないという説明をしてくれたし、家臣達は苦笑しながら、我らの本分は戦なので文書仕事はそれほど重要ではないのだと、穏やかに語ってくれた。
怒鳴られたりしなくて良かったとフクは胸を撫で下ろしたのだが、お嬢様は違った。
『これは随分とまずい状態だと思うのです』
珍しく真剣な顔になって、『大したことではない』と説明する方々に、反論したのだ。
フクが再び縮み上がったのは言うまでもない。
『私、電報の行き違いがあったというのは、偶然、たまたま、運悪く起こったことかと思っていたのですが、これは起こるべくして起こった事故ですわ』
そう言い始めたお嬢様に、最初、家臣達は『そんな大袈裟な』という顔をしていた。
『鍵のかからない執務室に、財務状態を書きつけた帳面や兵士達の目録、その他、護国軍の情報が整頓もされずに置いてある。これでは誰が入ってきて写しを取ろうと、原本を盗もうと、わかりませんわ』
商人であったお嬢様にとって、契約書や収支をまとめた帳面などの書類は、自分の命運すら変えてしまう重要な物だ。
自宅にはほぼ持ち帰らず、持ち帰っても金庫に入れて保管して、フクにすらその内容を見せた事がなかった。
その書類を雇いたての防人ですら入れる環境に、無防備に置いている。
これがどうしても許せなかったらしい。
フクでも少し不用心すぎるのではないのかと思うのに、家臣達はその状態に何の疑問も感じていない様子だった。
『一応山ごとに書類はまとめているのだが……』
【角なし公】は遠慮がちに反論したが、
『では私が今から一枚書類を盗みますので、何の書類が盗まれたのか当ててください。……と、言ったら当てられるご自信はおありですか?何の書類が欠けているか、すぐに把握できるように整頓されている状態を『まとめている』と申します』
お嬢様はおっとりと微笑みながら、その反論をピシャリと叩き潰してしまった。
フクは恐れを知らなすぎるお嬢様に震え上がってしまった。
【角なし公】を否定するようなことを言うものだから、周りの厳つい家臣達も『たかが紙一枚無くなったところで何が問題か』という、少し険しい顔つきになってしまっていた。
しかし商人魂に火がついたのか、お嬢様は全く引かない。
『西征将軍のお話は帝都まで届いておりましたわ。鬼の大勢を中国以西に封じ込めた時は戦神の如き素晴らしいご活躍だったと。天下の台所が守られたのは今の西征将軍のお陰と褒め称えられておりましたわ』
そして迫力のある笑顔のまま、唐突に、そんな事を語り始めた。
主の功績を讃えられた家臣達は、途端に嬉しそうにニヤニヤとし始めた。
東雲家の家臣たちは、結構わかりやすい。
主人が大好きで、彼を褒められるとすぐに上機嫌になる。
『帝都に住む、ただの商人の耳にも入るほどの功績を、杜人様はたてていらっしゃるのです』
そんな家臣達を微笑ましそうに見ながら、お嬢様は更に【角なし公】の活躍を褒め称えた。
『この光り輝く武勲を、全ての人が褒め称え、諸手を上げて歓迎するかと言いますと……悲しい事にそうではありません』
かと思うと、平気で冷や水を浴びせかける。
『強き光の裏に濃い影が生まれるように、いつの世も功績を妬んだり、名声を我が物にせんとする不届な輩は必ず現れますわ。特に同じ武門の家であれば、杜人様の活躍は面白くはないでしょうし、西征将軍という立場を奪い、成り代わりたいと願う者もおりましょう』
少々人が良すぎるように見える家臣達は、その言葉に驚いたように顔を見合わせていた。
そんな事は全く考えなかったという顔だった。
『鬼の脅威が大きすぎる現状で、杜人様を直接害しようという輩は出ない……と思いたいですが、視野の狭い
『『『『するのならば!?』』』』
家臣達はお嬢様の次の発言に食らいついた。
『下された軍令を歪めたり、握り潰したりして、それに背かせる。公的な金を私的な遊興に作ったと工作し、処罰を与えさせる。……もしくは手っ取り早く一服盛って亡き者に……なんて事も考えられますね』
優しい微笑みで、お嬢様は恐ろしい事を言う。
少々平和すぎる家臣殿たちが青くなったのは言うまでもない。
『今回行方不明になった電報も一体どこで情報が切れてしまったのか、お分かりにならないのでは?今回は私如きの事だったので大した問題にはなりませんでしたが、これが勅命だったとしたら?こちらに届いていなかったと証明できないですし、調査の直前になって電報や書状を杜人様の文机に置かれてしまって、勅命に背いたと烙印を押されてしまうかもしれない……これは『随分とまずい状態』でございましょう?』
どうしてそんな穏やかな顔で、そんな悪辣な手段をツラツラと語れてしまうのか。
現れてもいない仮想敵に家臣殿達は大騒ぎだ。
どうやらこの東雲家の家臣達は、武芸だけが自慢の、気の良い善良な人間ばかりが揃っているようで、そんな悪巧みをする人間が存在するなど、考えた事もなかったらしい。
主君をお守りせねば!しかしどうやって!?と大騒ぎの家臣らや、難しい顔をしたまま黙り込んだ【角なし公】に、混乱を与えた張本人であるお嬢様は飄々と切り込んでいき、全く臆せず様々な提案を盛り込んでいった。
それはもう、商談をまとめる時よりも、鮮やかな手口だった。
『誰でも入れると言う環境は、皆様が考えていらっしゃる通り、兵舎を建てて、居住区を分ければ解決するので、そこは安心しておりますわ』
『そ、そうですな!兵舎は何よりも急いで着手せねば!』
『素晴らしいお考えですわ。しかし兵舎が建つまで少し心配ですね……』
『確かに!建物はすぐに建つわけではないですからなぁ。
『そうでございますね……護国軍は鬼より民を救うための組織……同じく
『そうだ!寺だ!あそこは広いし、結界師を擁してる寺なら政府からの口利きも頼める!』
『まぁ、それは素晴らしい思いつきですわ!』
必ず下手に立ち、強い言葉を使わず、自分たちで解答が出せるように導いて、思い通りの解答が出たら、素晴らしいと褒め称える。
もう三年にもなる付き合いによって、フクは朝餉の時から、お嬢様には作り上げたい形があるのだろうなと察していたが、話し合いを聞いているうちに、どうしたいのかが何となく見えてきた。
「まさか到着してすぐに組織の体制に食い込んでいくなんて……どれだけ早くミツを呼び寄せたいんですか」
フクは鏡の中のお嬢様を睨みながら、美しく髪を結い上げ、荷物の中に辛うじて一本だけ入っていた
「えへへ。だって防人って常に人不足で門戸を広げ過ぎているから、犯罪歴があってもなれちゃうのよ?
能天気で、おっとりしていて、常にフワフワしているが、目的のある交渉事は手抜きのない人だ。
主の邸と敷地を分けた所に兵舎を作り、不特定多数が屋敷内にいる状態をなくす。
信頼できる使用人で屋敷を固める。
兵舎を含めた全ての敷地を囲い、関係者以外が入れないようにする。
そんな自分たちの安全を確保する案以外にも、お嬢様は色々と提案した。
郵便や荷物は管理者を作り、送る物も受取った物も全て帳簿に付け、郵便運輸を司る
場内の入り口には警備をつけ、内部に入った者は帳面に名前を控える事。
定期的に敷地内を警邏する事。
伸び放題の草や、不要物を撤去し、不審者が潜む影を作らない事。
あくまでもやんわりと『このようなことが出来れば杜人様をお守りする体制は万全になるのですが』と付け加えての提案だった。
それに対し、ただでさえ死傷者が多く、人手が足りないので、ここまでの警備の実現は難しいと、【角なし公】が渋れば、お嬢様は微笑んで、見せてもらっていた帳簿を見せた。
『この傷病手当金の項目、年々月々膨らんでおりますね。もしかして戦場で傷を負い、戦えなくなった方々を養っていらっしゃるのでは?』
そしてそう言って切り込んだ。
この後の展開に一番フクの肝が冷えた。
国から傷病慰労金が出るのは、一回限り。
傷の程度に応じて、決まった金が支払われるだけで、多くの者が、病院費でその大半を失ってしまう。
体に欠損がなければ再び防人として雇い入れできるが、そうでない場合は、働く場所を見つけられず、そのまま路頭に迷ってしまう者が多いらしい。
その為、そのような者達が、再び別の職に就けるまで、最低限の生活ができる金を給付していると、【角なし公】は言うのだ。
『杜人様のお考えは人道的で素晴らしいですわ。訓練もせぬ防人を囮として使い捨てにするような他の護国軍の者に爪の垢を煎じて飲ませたいですわ』
お嬢様は、そう言って褒め称えたかと思ったら、
『しかしこのままでは負担は増える一方。広いお心の対価として、軍が立ち行かなくなるなどという事態は皆様も望まないと思います』
真っ向否定するような事を言った。
その言葉で【角なし公】の顔は、より恐ろしさを増し、家臣達にも動揺が走った。
家臣の中にも『働かざる者食うべからず』派や、『共に戦った勇士を見捨てられない』派、その他給付に思う所がある者がいたのだろう。
お互いの顔色を確認するような家臣達や、ものすごい形相の【角なし公】を前にした沈黙に、フクは縮み上がった。
『ですので、給付を受けている者達と面談を行い、働く意思がある者を雇い入れられてはいかがでしょう?』
しかしお嬢様と言ったら、まるでそんな張り詰めた空気を感じていないように提案を続けるのだ。
『足が無くとも監視はできますし、帳簿もつけられます。腕がなくとも笛など持たせれば
良い考え!とでも言うように笑うお嬢様を、全員が呆然として見ていた。
かの【角なし公】まで大きく口が空いていた。
お嬢様の『使える者は使う』精神である。
過去、目が見えない者に算盤を教え込んで、計算担当として雇ったりもしていたので、フクは驚かないのだが、珍しい考え方なので、全員が唖然としていた。
『今の給付金にすこーし色をつけた額をお給金にしたら再雇用に応じてもらえると思うのですが……あ、兵舎に住めるようにして三食つけるという条件も付けたらどうでしょう!?んんん……この際、給付のみの継続を希望する方も、三食提供などの現物支給に切り替えると言ったら、更に再雇用希望者が増えるかも……』
全員が呆然としていても、お嬢様は商人状態になってしまい、頭の中の算盤を弾くのに夢中になっていた。
『精査せねばなりませんが、こちらの資料の兵の数が正しいなら、食糧費がかかり過ぎですね。内部で調理をするようになれば、仕出しを止められますから、その分の価格を抑えられます。それから米などが相場を外れて、かなり割増で請求されておりますね……今の問屋は切って、新しい所に切り替えましょう。腐っても商人ですから節約はお任せくださいな!何とか人を雇う給金を捻り出してご覧に入れますわ!』
唖然としている【角なし公】に畳み掛けるように言うものだから、恐ろしい顔の彼も頷かざるを得ない。
『逆に武具防具に割り当てる資金は少しばかり控え目な気が致しますわ。私はこちらの方面とんと疎いので、後で詳しい方に教えていただいても?』
もうそこからは、お嬢様の独壇場だ。
楽しそうにどんな話でも聞くお嬢様に、家臣達の口も軽くなる。
そうやってあっという間に資金の流れを把握していってしまう。
最終的にお嬢様が、名倉という老臣と【角なし公】の助けを得ながら帳簿の確認を行なって、人の手配をすると決まったが、話がまとまるまでフクはハラハラされっぱなしだった。
「しかも女性から殿方を堂々と逢引きに誘うなど……」
美味しくおにぎりを平らげたお嬢様に
「あらあら、逢引きだなんて!言ったでしょう?杜人様の噂の払拭のためよ?」
お嬢様はフフフと笑って、唇に紅を引き直す。
早速人員調達のために電報を打ちに行きたいと言うお嬢様に、皆は使いを出そうと言ってくれたのだが、彼女はそれを断ってしまった。
そしてあろう事か、『杜人様と一緒に町を見ながら、こちらの郵便局に参りたいです』と大胆に誘ったのだ。
『俺が町に顔を出すと民に恐怖を与えるので……』
そう言って、【角なし公】は断ろうとしたが、
『その恐怖を払拭するのも、この地を守られる杜人様のお役目ですわ。民は鬼をも倒す征西将軍が、いつ自分たちに牙を剥くかと心配しているのでございます。とりあえずは、私を連れて何度も町に出てくださるだけで、女性を食うという噂は覆せますわ』
お嬢様は微笑んで、お断りをお断りしてしまった。
民のためと言われては【角なし公】も断れない。
「うん、これもいわゆる馬子にも衣装というやつね!フクに髪をお願いして正解だったわ」
民のためと大義名分を掲げながらも、しっかり逢引きに備えて、おめかしをしているお嬢様である。
「お嬢様……初日からこんなに好き勝手やって大丈夫でございますか?」
上機嫌なお嬢様に、フクは肩を落としながら尋ねる。
「う〜ん……大丈夫じゃないかも?でも、ちょっとくらい無理をしなくっちゃ、安全確保も足場作りもできないんですもの!」
その質問にお嬢様は極上の笑顔で応える。
「フクは獅子身中の虫って知っているかしら?」
突然聞かれたフクは目を丸くする。
「しししんちゅー……
お嬢様は立ち上がり、首を傾げるフクを、代わりに鏡台の前に座らせる。
「ふふふ、恐ろしい虫よ。知らぬうちに大きな獅子ですら中から食い殺してしまうんだけど、体の中のどこにいるかがわからないの」
お嬢様はフクの髪を梳かしながら、楽しそうに語る。
虫がそれほど得意ではないフクの背筋には寒いものが走る。
「寄生虫というやつですか?体のどこにいるかわからないって言うのが気持ち悪いです」
「あら、フクもそう思う?」
「そりゃあ思いますよ」
お嬢様はフクの髪を編みながら、うんうんと頷く。
「そうよね。どこにいるかわからないから、怖いの。だから向こうから出てくるように仕向けたいのよねぇ〜」
「虫下しを飲ませるって事ですか?」
「うん。そんなもの。とびっきり強力な虫下しが現れたら、虫は逃げていくかしら?それとも虫下しを排除しようとするかしら?」
クスクスとお嬢様の楽しそうな笑い声の吐息が耳にかかる。
「お嬢様、虫は虫下しなんて理解できませんよ。虫なんですから」
フクが呆れると、ますますお嬢様は楽しそうに笑う。
「そうね。その疑いもあったわ」
疑いではなく、絶対そうだろう。
時々、突然わからない事を言い出すお嬢様だが、今回は特に意味がわからない。
お嬢様はそのまま楽しそうに笑いながら、フクの髪を留めた。
上から編み込まれた髪は、いつものおさげより、とても華やかに見えてしまう。
「……お嬢様?この髪型はなんです?」
「え?だってフクも一緒に町に繰り出すんですもの。お洒落しないと!リボンは何色が良い?」
簪と一緒に入っていたリボンをお嬢様が見せてくる。
「女中はリボンなどつけませんし、逢引きにも着いて参りませんよ」
「だーめ。一人にして虫に食べられたら大変だから、フクは私と一緒に行動しなくっちゃいけないの」
「こちらで待っていても虫になんて食べられませんよ……」
フクは一応抵抗したが、お嬢様はフワフワしているくせに押しが強い。
そのままリボンで飾りつけられ、【角なし公】との、とんでもない逢引きに連れて行かれてしまうことになってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます