笑われても、貶されても

 ある時、学校で持ち物隠しが流行って、みんなが休み時間に持ち物をかくして見つけるゲームをしていたが、今考えれば私に対して悪意があった。


 持ち物をゴミ箱に捨てられたり、見つからないことも度々あった。


 泣きながら放課後、無くなったものを探していたが、それをあの人に言うことはなかった。


 先生にも言うことができなかった。

 先生の口からあの人に漏れるかも知れないから。


 せっかく、良い子だと褒めてもらっているのに、自分で壊すことはできない。


 だから調子に乗ったのか、いじめのターゲットにされたのだと思う。

 あと、「いじめられっ子の妹ならばいじめても大丈夫」というのもあったのかもしれない。

 エスカレートしていく嫌がらせをただひたすら耐えるしかなかった。


 一度、耐えきれず先生に言ったことがあるが、私が責められ怒られた。


「態度が悪いからじゃないのか」

「はっきりしないからじゃないのか」

「なぜすぐ言わなかったのか」

「心当たりはないのか」


 そう、先生は味方じゃなかった。

 逃げ道を塞がれた私に残ったもの。



 良い子でいなければいけない。

 心配をかけてはいけない。



 だから何事もなかったかのように隠し通さなければならない。

 それを守っていれば、あの人は喜んでくれると思っていた。


 でも、それは幻だった。


 中学一年のある日、自宅の階段から落ちた。

 結構派手な音をたてて落ちたのに、誰も様子を見に来なかった。

 やっとの思いで台所へ移動して、あの人に足を見せた。

 捻挫して赤く腫れ上がっているのに、ちらりと見たあの人は、


「湿布を貼っておけば直るわ」


 そう言ったのだ。

 大丈夫?とか病院に行く?とかそんな言葉は、一つもなかった。


 痛くて痛くて、真っ赤に腫れた足で片道20分の通学路を毎日歩いた。


 体育の先生が、「すごく腫れてるから、一度病院へ行った方がいいのでは?」と言ってくれたけど、病院へは行かなかった。


 連れていってと言えなかった。

「心配」をさせてしまうから。


 元々、関心がなかったのか、私のこれまでの努力の結果が無関心を招いたのかはわからないが、あの人の中に私はいなかった。


 隠し事が癖になり、「心配」をされていないとわかったあとでも、私は必死に隠し続けた。

 学校での出来事も、毎日朝と帰宅後にトイレにこもって吐いていることも、なにもかもすべて。


 日に日に笑えなくなり、泣けなくなり、表情がなくなっても誰も心配しない。


 どこにも居場所がなくても、私は「あの言葉」を守り続けるしかなかった。


 向こうがどう思っているのかは知らないけど、私は、あの人のことも、姉のことも嫌いではない。


 たぶん、向こうも嫌いではないはずだ。

 関心がないのだから。


 それでも私は、期待を捨てれないでいる。

 少しでも「好き」でいてくれるんじゃないか、と。




 私は、彼女等に対して期待を捨てられないでいる。

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