エピローグ
真相からの始まり 1
「はぁー、なんか、すっごい疲れたぁ」
部屋に戻ると、胡桃は自分の意識が浮上するのを感じた。表に出た途端、虚脱感に襲われてベッドに飛び込む。
うつ伏せで呟くと、くすりと笑う声が聞こえた。
「でも、ま、これで一件落着だな」
「うん、そうだね」
返事を声にして、不意に違和感を覚える。
烈牙と交信しているときは、頭の奥から聞こえてくるが、今はもっと表面的だった。少なくとも、中からではない。
ベッドに腰かけ直し、辺りを見渡してみる。見えるのは普通に部屋の景色と、ふよふよ浮いている霊達――いたって、いつも通りだった。
気のせいかしら。
首を傾げる胡桃の真後ろで、聞き覚えのある声がした。
「どこ見てんだ。こっちだよ」
びくっ!
身を竦ませて、恐る恐る振り返る目に、姿がはっきり見える。
「その声――もしかして、烈くん……?」
「おう」
愕然と問いかけると、こともなげに頷いた。けれど、とてもではないが粗雑な言動からは、想像もできない容貌だった。
身長はきっと、低い。
座った状態だからはっきりとはしないが、悠哉や克海と比べると、見上げる角度が全く違っていた。百七十センチの弟、千秋よりもやや小さく見える。
いかにも戦士然としていたカエサリウスよりも、ずっと華奢だった。
だが太さはないけれど、鍛えられた見事な筋肉が、腕や脚を覆っている。
顔全体には、あどけない印象があった。
なのに口角はきりりと引き締まり、端が少し吊り上がった大きな目元は凛々しさを醸し出している。
無造作に刈り込んで、後ろだけを束ねた粗雑な髪型さえ、整った顔立ちを更に際立たせていた。
なにより特筆すべきは、その鮮やかな色彩。
透き通る白い肌、金糸を編み込んだような髪の毛。
大きな瞳は、太陽の輝きを思わせる琥珀色で、唇にはほんのりと淡い桜色が滲んで――
「な、なんだよ。なにまじまじと見てんだ」
「やだ――烈くん、すっごい可愛い」
アイドルでもこれほどの美少年はいない。
ぼうっと見惚れる先で、烈牙は瞬時に茹で上がった。
「バカッ、可愛いってなんだよ、せめてカッコいいって言いやがれっ」
「うん、カッコいいでも可愛いでも、どっちでもいい」
嘆息する頬に、気恥ずかしさと照れが見える。あぁもう、と辟易した半眼で、後ろ髪をバサバサと掻き回した。
そんな乱暴な仕草さえやけに似合っていて、やっぱり「可愛い」の方が強いかしら、と考え――ふと、気づく。
「でも烈くん、昔は鬼みたいって……」
容姿のせいでそう言われた、と言っていた気がする。だからこそ月龍をしのぐ大男、顔ももっといかつい人を想像していた。
けれど目前の烈牙は、鬼どころか天使だ。
「考えてもみろ。こんなナリで、どんな大男よりも怪力なんだぜ? 逆に怖ぇだろ」
ま、死ぬほど鍛えた努力の賜物だけどな。続けられて、納得する。
「それに、下手すりゃ流れ着いた異国人すら鬼呼ばわりされる時代だぜ? 純日本人のはずなのにこんな色してちゃ、そりゃあ奇異の目で見られるさ」
片眉を上げて、くすりと笑う。
「先天性白皮症――アルビノの方が通りがいいのか? よくわかんねぇけど、悠哉に聞いた。おれらの時代じゃ白子って言ってたけどな」
「でもアルビノって、もっと真っ白じゃない?」
以前、なにかでアルビノのモデルを見たことがある。肌も髪も真っ白で、人間離れした美しさはまるで、ファンタジーに出てくるエルフだった。
烈牙の場合、白人種の中であればきっと目立たない。
「保有してる色素の量で変わるんだと。おれは重度じゃなかったってことだな。たぶんおれ程度じゃ、本来は珍しくもないんだろうが、やっぱり時代のせいだろうな」
外国の人すら珍しい時代だから、かしら? 首を傾げて、続きを待つ。
「育つ前に殺すんだ」
「――っ!?」
「立派に迫害対象だからな。家の者皆に類が及ぶ。それを避けるためにな。まぁ体も丈夫じゃねぇし、放っといても死んじまうことも多いらしいが――育っちまったら、一生地下牢に閉じ込めるってのもよくあった話だ」
今とは違う時代の話だ。とはいえそのようなことが行われていたのかと思うと、悲しい。
「幸いおれは、兄者が村の長だったし、迷信なんざクソくらえって人だったから、普通の連中と同じで自由に動き回れたけどな」
けど、あれは本当に「幸い」だったのだろうか。
「それってどういう――」
「そういや蓮も、おれほどじゃねぇけどその傾向があったよな。淡い栗色……お前と同じくらいか」
ぽつんと呟かれた言葉の意味を問うよりも早く、烈牙が口にする。
遮るような不自然さが、気になった。
「だからだろうな。余計に勘違いしちまった。――お前が、おれだって」
「勘違いって……え、でも烈くんがあたしの前世じゃ」
「ンなわけねぇよ。だとしたらなんで、こうやって別々になってんだ」
確かに。指摘されるまで思い到らなかったのだから、呆れの表情に反論できなかった。
「その鈍いとこ、本当、蓮そっくりなんだけどな」
別人なんだもんな、とぼやくように言って、肩を竦める。
「たぶんおれ、死んだあと五百年間、自覚のないまま浮遊霊だったんだな。で、いつ頃か知らねぇけどここにたどり着いた。ここは居心地がいいからな。つい居座ってて、そこにお前が来た」
チラリと流された横目が、やけに艶っぽかった。
「お前は霊感が強い上に、波長が似てる。無意識に垂れ流してたおれの記憶なり感情なりを、受け止めちまいやがった。夢を見るって形でな。――そんなお前を、おれも見つけちまった」
思い当たる節は、あった。
初めて彼らの夢を見た夜、あまりに悲しげな少年に声をかけた。
そのとき彼は、確かに反応していたのだ。
烈牙は自分の感情に同調した胡桃を見つけ、自覚なく取り憑いた。波長や姿形が似ていたせいもあって、胡桃を転生後の自分と思いこんでしまったのだろう。
「実際、初めからおかしかったんだ。悠哉が、多重人格の場合、主人格と別人格は交信できないって言ってたのに、おれたちはあっさりできるようになった。それに、おれが身体を操ってるときの尋常じゃない腕力もな」
「別人格の場合は、あり得るんじゃないの?」
「どう考えても、お前の潜在能力以上だろ」
それにしたって異常だ。確かに悠哉もそう言っていた。
「昔から鬼に憑かれた人間は怪力になると相場が決まってる。――ったく、参るよな。生前、散々鬼呼ばわりされてたおれが、本当に鬼になっちまうなんてな」
「――本当の鬼?」
「ああ。今の世じゃ、鬼って言ったら角が生えた巨人や異形を指すみたいだけどな。おれたちの時代じゃ、霊や魑魅魍魎、物の怪の類もすべて鬼って呼ばれてた。幽鬼って言葉もあるだろ」
だから今のおれってこった。
両手を広げるおどけた仕草が、なぜか物悲しい。
「で、おれはお前に取り憑いた。おれの気配に引き寄せられて、月龍まで来た。波長の近い克海を転生後の自分と思いこんで――ってわけさ」
「でも、烈くんは最後だからわかるけど、月龍はなんでだろ? 槐さんになるんじゃないのかな?」
「さてな。霊ってのは要するに精神体だからな。たぶんもっとも未練が強くて、この世に執着を残したヤツの姿になるんじゃねぇか?」
自分で言うのもなんだけどよ。つけ加える声と顔には、自嘲が見えた。
「とにかく、要するに今回の一連の事件、原因はおれだったってことさ。とんだお笑い草だぜ。元凶たるおれが、お前を守ってやってるつもりだったんだからな」
豪快な笑いはわざとらしくて、かける言葉も見つからなかった。
飄々とした様子を崩さないけれど、ずっと傍にいたからもう烈牙の性格はわかっている。きっと自責の念に駆られて、胸を痛めているに違いなかった。
烈牙の心情が気遣わしくて、ただ見上げているだけの視線を察したのか。
胡桃を振り返る目が、ちらりと笑う。
「それじゃあ、そろそろ行くわ」
「行くって……どこに?」
「自分の正体知っちまったからな。ここにゃいられねぇだろ」
「えっ、なんで?」
なにか問題があるのだろうか。
本気でわからなくて尋ねると、肺が空になるような深いため息を吐かれてしまった。
「お前は元々、霊感が強い。それが開花されたのは、越してくる前みたいに短時間じゃなくて、ここの磁場に長いこと触れたからだろう。もしかしたら波長が近いおれが、影響を与えちまった可能性もある。問題の種は、少ないにこしたことはねぇ」
「でも――」
「お前がおれの転生だったら、仕方ねぇから面倒事も諦めてくれって言うさ。けどお前は無関係なんだ。なのに巻き込んで、そうとわかってて、居座るわけにもいかんさ」
「だからって……」
「お前の、喉の傷」
否定を口にすることもできなかった。
烈牙の口の端に、痛々しい笑みが滲む。
「あれ、おれがやったのかもしれない」
「――!?」
続けられたのは、信じがたい台詞だった。
烈牙はいつも、味方をしてくれた。彼が胡桃を傷つけるなど、あり得ない。
愕然と瞠る胡桃の視線を遮るように、烈牙はすっと左腕を前に伸ばす。
肩の位置よりも少し高い所にある手を見上げる横顔につられて、胡桃も目を向けた。
「この腕、覚えがないか?」
烈牙の体格と比して、大きな手だった。白皙の肌、筋と血管が浮いた、逞しい手の甲。
なにもない空間で、ゆっくりと拳が握られる。
――まるで、目に見えない短刀を掴むように。
近づいてくるその手は、夢の中で喉を斬り裂いたのと同じ動作だった。
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