幕間「燐、百番勝負」
< 百番勝負ルール >
・勝負は一対一で行う
・対戦相手の得物、種族は問わず、立場・力量が対等である必要はない
・対戦相手の選考は、わずかでも勝てる可能性のある相手である
・試合結果に関係なく、相手を打倒したと判断した時が勝利である
・よって、対戦は一度に限る必要はない
・百番というのは対戦相手の人数ではなく、暫定的な名称である
・詰まるところ、百番勝負とは自己満足である
-1-
刀を正眼に構え、相手を見据える。
相手は人ではなくカンガルー。それも、両手にグローブを着けたボクサーだ。
アニマルボクシング界で七度王座防衛に成功した経験を持つ強者。敗戦経験はなし。王座から退く事になった直接の原因は試合ではなく違法薬物使用の容疑という、もうちょっとどうにかならなかったのかという理由である。
フットワークは軽快で、ピョンピョンとリズムを取りながらこちらの出方を窺っている。下手に斬りかかろうものなら、簡単にカウンターを取られるだろう。アニマルボクシングとやらは良く知らないが、動物であり本職のボクシングチャンピオン相手に速さの優位が保てるとは思えない。おそらく、初撃が勝負の鍵になる。一太刀で仕留めるには腕力が足りないが、腕の一本でも使用不能にすれば圧倒的なアドバンテージを手に入れる事ができるだろう。
深く息を吐く。相手の超高速ジャブを警戒し、リズムの隙を窺う。
最小限、最低限度の踏み込みで肉薄するとカンガルーはジャブを放ってきた。人間の反応速度を超えて放たれる高速のジャブ、にも拘らず一発でも喰らえば意識を持っていかれかねない凶悪な一撃だ。種族差というものがいかに大きいかを痛感させられる。
ヒヤリとするような至近距離でジャブを掻い潜った。こちらが刀を振るうまでの極わずかな時間で相手は突き出した拳を戻し、二撃目を放つ準備を始めている。早い。しかし、二発目のジャブを放つこのタイミングなら回避行動はできない。致命傷を狙うのではなく、とにかく当てる事を目的に胴体に刀を振るう。
よし、ほんのわずかな差だがこれなら当たる……と確信を持った次の瞬間だった。
なんか下から蹴りが飛んで来た。
腹部への痛烈な衝撃。千切れてなくなるんじゃないかという威力の蹴撃は、まるでこれが本命だといわんばかりの精度で私の内臓に的確なダメージを残していく。
反動で体が飛ぶ。思考は大混乱。なんでボクサーが蹴ってくるのか理解できない。なんでもアリというルールなのに、ボクサーという情報に囚われたのが敗因だというのか。だけどまだだ。まだ負けてない。
内部から伝わってくるのは内臓への深刻なダメージ。部位は分からないが破裂している可能性もある。今口を開けば、血が大量に吐き出されるだろう。肋骨は盛大に折れたが、それ以外の骨はまだ無事だ。つまり致命傷かつ活動時間は残り数秒程度、呼吸も不可能だが、まだ動ける。
相手も私へ与えたダメージが甚大である事は感じているはず。実際洒落にならない被害だが、あと一撃奇襲をかけるくらいならなんとかなるはずだ。着地を成功させ、不意をついてカウンターを叩き込めば得物の特性差でまだチャンスはある。
痛覚を意識的に遮断。着地後に逆撃を放つための姿勢を構築。あとは運。渾身の一撃を放つ準備を整える。
しかし、そんなかすかな望みも次の一瞬で霧散していた。
その行動はおそらく蹴りの直後に始まっていた。カンガルーは吹き飛んだ私に向かって追撃を放っていたのだ。
空中にいる私に対して完全なトドメとなる、尾を使って加速させた弾丸の如きドロップキック。避ける方法はない。そもそも完全に想定外の一撃だった。
その後、私はカンガルーのドロップキックで道場の壁へと叩きつけられて沈黙したらしい。記憶はないが、父が笑いながら教えてくれた。
治っているとはいえ、娘がボロボロにされて爆笑するのは親としてどうなんだと思わざるを得ないが、それも今更である。
「おのれカンガルー……」
目覚めたのは、道場に設置してある簡易医務室だった。
「ボクサーって言葉に惑わされ過ぎだな。足運びは見てたみたいだが、そこから攻撃が来るって警戒してねえのがバレバレ。さすがに間髪入れずにドロップキックに移行した時は目が点になったがな。あれで正統派ボクサー気取ってたってんだから、クソ笑える」
やられた本人としてはまったく笑えない。
どこが正統派なのかという感じだ。あいつ、ボクサーなのに結局パンチ一発も当ててない。牽制のジャブだけだ。
「これで対動物戦は二勝五敗。真剣使っても、やっぱり身体能力に差があるとキツイみたいだな」
数年前から始めた定期的な模擬戦。百番勝負と銘打ち、毎週一回行っている勝負だが、はっきりいって戦績は良くない。
相手は父が用意している、私でもなんとか勝てる"かもしれない"というレベルの相手だから強くて当たり前なのだが、その中でも特に動物相手は毎回苦戦を強いられていた。
「身体能力もそうだけど、いろんな意味で意表を突いてくる相手が多過ぎる」
象や大型の虎は単純にどうにもならなかったが、野生と本能だけで襲いかかってくる相手なら大抵はなんとでもなる。ダメージは必至でもこんな一方的な展開になる事はない。しかし、人間に比べて圧倒的に恵まれた体に科学的なトレーニングと食事、そして種族に合わせた戦闘技術の訓練、それらが合わさる事がいかに脅威かという話だ。
「そりゃ言葉が通じて戦術を駆使する相手なら、技や牽制だって使うだろうさ。ベースレベルが同じな以上、どうあがいても生物的には相手が上。そういう前提の上で剣一つで劣勢を引っ繰り返すのが剣士ってもんだろう?」
無茶言うなと言いたいところだが、同条件でも父なら鼻歌混じりでやってのけるんだろうと思った。
「大体、中級冒険者相手にも勝ってるんだから勝てねえ道理はねえよ。お前があの手の対戦相手に慣れてないだけ、未熟なだけだ」
レベルが上がって人間の枠を超えた冒険者とはいえ、その動きは人間の延長線上にあるものだ。力、速度、技量に差があろうとも対策を取れる。しかし、生物として根本から異なる相手はどうしてもやり辛い。多分、モンスター相手でも似たような結果になるだろう。
「とりあえず、カンガルーは微塵切りにしてやりたい」
「まあ、いつかリベンジだな。復帰後初のトーナメント始まるし、あいつのスケジュールが空かないかもしれんが」
解せぬ。あんなキック主体で戦うボクサーがどこに復帰するというのか。キックボクシングやムエタイかもしれないが、それは復帰とはいわないぞ。
「正規戦以外でも忙しいらしいぞ。年末のアニマル・デストロイは文字通り業界に血の雨が降ったらしいから、どいつもこいつもあいつを血祭りに上げようと躍起になってる」
「あいつ、なんなの……」
そんなアニマル・デストロイとか知らないし、プロスポーツ選手が正規戦以外を想定してスケジュール組むのはおかしいんじゃないだろうか。
「長い獄中期間で磨きをかけてきたのか、人との付き合い方も良く心得てる。実は今回、お前にプレゼントも持って来てた」
「あいつからって時点でいらないんだけど」
「まあ、そういうな。……こいつだ」
父が手にして見せたのは『私はダーティ・ボナード二世に負けたミジンコです』とプリントされたTシャツだ。ご丁寧にサインまで書かれている。
「おのれ……」
おのれカンガルー。
-2-
誰もいない道場で一人正座をする。それは座禅だとか瞑想だとかではなく復習だ。
復習のために思い返すのはこれまでの苦い記憶。敗北の味である。つまり、復讐のための復習だ。
剣の天才、神童などと呼ばれていても、実際のところ対戦成績は芳しくない。道場の門下生相手でもレベルの上がった冒険者には勝てないし、外部から対戦相手を招いている百番勝負も散々だ。特にここ最近の戦績は情けない限りで、そろそろ根本的に対策が必要だった。
天才に有りがちな増長、負けを知らない事による過信。ははっ、面白い冗談かな。生まれてからこの方負けてばかりだよ、こんちくしょう。
父は決して慢心するような環境を与えてはくれない。実力を付ける度に、より高度な技術の会得を課し、強い対戦相手を用意してくる。
そりゃ、同じ土台に立つ相手ならば何も問題はない。学生中心で行われる部活の大会ならたとえ大学まで含めても優勝できる自信はあるが、勝ちたいのは、勝たねばならないのはそれとは次元の違う相手なのだ。
冒険者。生物として位階の異なる領域にいる本職の戦士。いつか辿り着くそこに足を踏み入れた者たちは、簡単に言ってしまえば超人だ。もはや技量がどうとか、そういう段階ではない。真っ当な方法で戦っていては勝ちは拾えない。相手も一般人の中学生に負けてなるものかと本気を出してくる。
あるいは、父が一体どんな伝手で用意してきたのか理解し難い動物たち。たとえレベルが1でも、端から人間でない存在を相手するのは大変な上に、彼らはプロのスポーツ選手だ。人間の壁を超えている冒険者ならともかく、未だ一般人の身である私にはキツイ。たとえば、木刀や竹刀を持ってマンモスと戦えと言われても無理があるだろう。
だが、諦めない。中でもあの外道カンガルーには最優先で逆襲しておきたい。いや、試合関係なしの辻斬りとかでもいいから復讐したい。
ムカつく。
「りんりーん!」
まさかインターホンのつもりなのか、静寂を斬り裂くような変なかけ声と共に道場に現れたのは、私よりも小さな親戚である錫城真白だ。
直接的な血縁関係はないものの、一応再従姉妹にあたる。年下にしか見えないが年上。ナリは小さくとも冒険者。それも、デビュー一年以内に中級への昇格を決めたという実力派でもある。
「りんりん、こんちゃー」
似たような容姿で更に小さい幼女まで追加された。
詳しい事情は知らないが、迷宮都市の運営に関わる四神宮へ所属する事になった地霊院……いや四神宮土亜だ。つまりもう働いているわけなのだが、真白と違いこちらは本当に年下で、私の半分ちょっとしか生きていない紛うことなき幼女である。つまり真白はニセ幼女だ。
今日呼んだのは真白だけだったのだが、たまたま一緒だったのかついて来たのだろう。
「はいはい、こんにちわ。白はともかく、あんたは忙しいんじゃないの? 土亜」
「あんなー、実はうち意外と暇やったー。まだまだ研修期間やー」
「研修……」
何をやっているのか知らないからピンとこないが、つまり見習いという事なのだろうか。
巫女は他にいるわけだし、長い間空席でも回っていたのだから、そういうものなのかもしれない。
「それで白、持ってきてくれた?」
「適当にバックナンバー詰めて持って来たよ」
真白は《 アイテム・ボックス 》を開き、中から雑誌を取り出した。これも羨ましい事この上ないスキルである。
このスキルは適性があっても一般には限定的にしか開放されていない。冒険者以外でコレを行使できるのは一部の資格を持つ専門職だけだ。
今日お願いしていたのは冒険者関連の雑誌だ。コンビニで売られているような一般向けの娯楽雑誌ではなく、公開可能な範囲で冒険者の詳細や技術的な解説を含む専門的なものである。中には、本人独自の戦術解説まで含むような特集まで組まれていたりする。
私の場合、この手の雑誌は母から止められている。古本屋にでも行けば簡単に見つかるのだろうが、最近のものは少ないし、何より認識阻害ギリギリのエロ本を探し求める男子のようで気が進まなかった。なんでも、出版が古い物には規制が緩いものがあるらしい。そんなん知らん。
その点、現役冒険者の真白の伝手で見せてもらうなら問題ない。家に置いておくと捨てられてしまうから、持って帰ってもらう必要はあるが。
「最近のはちょっとあたしも出てるんだぞー、ほら、この号とか表紙にもちょびっと出てるぜー」
そう言いながら見せてくる雑誌の表紙には確かに真白の姿があった。本当にちょびっとで、むしろ騎獣であるモグラのほうが大きいが。
そういえばそのモグラの姿がない……と思ったら、道場の外で地面にぐてーっと寝そべっていた。
「まっしろすげー」
「おー、すごいんだぞー。クロちんはパンダに負けたって絶望してるけどね」
ある程度事情は知っているが、実際のところパンダと人間の身体能力の差は大きい。……いや、ほんと。体験したから分かる。
パンダに限らず、野生の動物が人間と同等の技術を習得して戦えば、そこには簡単に埋め難い差が生まれる。それを引っ繰り返すのが冒険者でありレベルなわけだけど、相手も冒険者ならそこに優劣は生まれない。少なくとも、種族という土台分の才能差が必要になるだろう。
つまり、パンダに負けたからといって恥ずかしくはないのだ。私が負けたから言っているわけではない。
「この号なんか意味不明な事になってるんだよ。ミカエルちんが最年少昇格記録を更新か?って話題になって、パンダ特集になったらしくて」
なんと、その表紙には格好いいポーズをとったパンダしかいなかった。増刊号ではあるが、すでに冒険者の雑誌なのか動物の雑誌なのか分からない。
特集記事もパンダか、少し離れて動物関連の情報ばかりだ。冒険者でもないのに、何故かあの外道カンガルーの記事まで載っている。
……おのれ、カンガルー。こんなところでも私を煽りにくるとは……許せん。
「あー、このぱんだ。この前のイベントで宮殿に来てたー」
「というか、それって負けたパンダそのものかも。今、マイケルちんは綱ちんのとこ所属してるし」
「……綱」
なんだか聞き覚えのある名前だ。日本語名の多い迷宮都市だが、そんな名前の人は一人しか知らない。
「あー、りんりん知ってるかな? これこれ。表紙の隅のほうにいる人」
「……渡辺綱」
渡された雑誌の表紙には確かに見た事のある男性が映っている。以前、ウチに刀を物色に来た新人冒険者だ。
顔は可もなく不可もなく。どんな人かも良く知らない。最初に受けた印象はパッとしない、平凡な人。
中心に映っている白い女の子も、ウチで打ち上げした時に見たような気がする。覗いただけだから自信はないけど。あるいは、あの時に渡辺綱もいたのかもしれない。
ウチで冒険者の宴会やら打ち上げをやる事はあっても、私は完全シャットアウトだ。建前上は、お酒が入って気が荒くなった冒険者は危険だからという理由らしい。父はいつも飲んでいるのだが、それはいいんだろうか。
「あれ、知り合い? 珍しい」
クランハウス内に家を構えている関係から、< アーク・セイバー >所属の冒険者はある程度知っているが、それ以外の知り合いは少ない。
ウチの事情を知っている真白には意外だったのだろう。
「会った事あるくらいだから、知り合いってほどじゃないけど……気にはなるかな」
「綱ちん地味メンだけど、りんりんはこういうのが好みかー」
「いや、そーゆのではなく」
「だよねー。誰か告白して来ても、どうやって斬ろうか考えてそうだし」
「そんな事も……ないと思う」
そんな場面に遭遇した事ないから分からないが、さすがにないだろう。……ないと思う。
渡辺綱について気になるのはもっと別の事。
『やめとけ、相手が悪過ぎる』
私が試合を打診した際、割り込んできた父が言ったその言葉にすべてが集約されている。
本人は多分そこまで深い意味は考えていなかっただろう。だけど、無意識での発言だからこそ意味を持つのだ。
特に剣術の才は感じられなかった。立ち振舞いは強者のそれだけど、それくらいならたくさん見てきた。なのに、止められた。
止められた事自体は珍しくもない。誰であろうと、とりあえず試合を申し込むのはあまりいい子ではないだろうから。しかし、父は普段どれだけ強かろうが"相手が悪い"などとは言わない。相手を見誤った自己責任だと、ボコボコにされるまでニヤニヤしてる。だから、あの時の発言はおそらく勝てないという以上の意味を持つのだ。私の剣の成長に悪影響があるとか、そういう事を懸念していたように見えた。
「白はこの人がどんな人か知ってるの?」
「そりゃ同期だからそれなりに。模擬戦もするし海に遊び行ったし、そこそこ接点はあるかな」
冒険者が普段どんな生活をしているのかは良く知らないが、なんだか楽しそうだ。
「色々話題性があるからね。綱ちんだけじゃないけど、その雑誌の前のほうでも特集組まれてるよ」
「ふーん」
冒険者としてもそれなりに活躍してるという事か、渡辺綱。
パラパラとページをめくると、確かに特集があった。パーティのリーダーらしいが、リーダーなのに他のメンバーの扱いのほうが大きい。大体が以前の打ち上げで覗いた時に見た顔だ。
……摩耶もこのパーティだったのか。なんとなくミスマッチな気がしないでもないけど、あの生真面目な摩耶がせっかく入った< アーク・セイバー >を辞めてわざわざ入るくらいだから、その価値はあるんだろう。あれ、出向だっけ?
というか、なんか変な人ばかりだ。全員、プロフィールや発言のどこかしらに修正が入っている。どうなってるんだろう。
床に座ったまま、しばらく時間を忘れて雑誌を読んでいた。
顔を上げると、道場の外で遊んでいる二人とモグラが見える。……なんというか平和だ。
「読み終わった? 置いてってもいいけど」
「ウチに置いておくと捨てられるし」
「いや、もう捨てるからそれでもいいかなって」
なんともったいない。そりゃプレミア付いているわけでもないただの雑誌だけど、私にとってはこうして誰かに頼まないと読む事すらできないものなのに。
「そんで、なんか気になる情報でもあった?」
「第一◯◯層攻略が難航してるのに納得した。最近お父ちゃんがあんまり帰って来ないのって、このせいだったのかって」
「むしろ知らなかったのって感じなんだけど」
だって、ウチでは……というか私の前では基本冒険者関連の話題は禁止だし。
両親の間では話しているのかもしれないが、私がいると露骨なほどに出てこない。テレビだって、その手の話題が出るとチャンネルが変わる。そうして話題に困った父が振ってくるのはいつも私の学校での事だ。成績はどうだとか、友達とはどうだとか、授業についていけてるかとか、成績はどうだとか、成績はどうだとか。なのに進路の話はしない。解せぬ。
「白みたいに中学校行かずに冒険者学校行きたかった」
「え? ……無理じゃない?」
「なんでや!」
即座に否定された。しかも、何言ってるんだこの馬鹿という目である。
「だって、りんりん成績悪いし。……世間で言われてる大学相当ってほどじゃないけど、最低でも高校レベルは必要だぞー」
それは暗に頭が悪いと言っているのか。否定できないけど。
真白がそれくらい頭がいいというのも違和感しかないというのに。しかも、向こうでモグラと戯れてる幼女はその更に上ときた。
ひょっとしたら、親戚中で私が一番馬鹿かもしれない。なら、それはきっと外部から婿入りしてきた父の遺伝に違いない。
「ほ、ほら、一芸入試とか推薦とか……」
冒険者学校は、冒険者にとって必要な技能があれば、入学資格がかなり緩和されると聞いている。直接戦闘の技能ならそこら辺の冒険者志望をまとめてなぎ倒すくらいの事をやってみせよう。なんなら、私対それ以外でもいい。多分、勝てる。
「一芸にも限度はあるし、推薦は……もらえるの?」
「……無理」
もらうあてはいくらでもあるが、確実に母のところで止められる。それこそ、学校側からのスカウトでも無理だろう。
これが一般家庭の話ならゴリ押しはできそうだが、ウチの母の場合は通りそうもない。大体、それが通るなら初めから冒険者になっている。
父や母の実家を完全無視してゴリ押しするにはよほど強引な手をとるか、それこそダンジョンマスターのような上層部から話を付けるしかない。
「学校行きたいんじゃなく、ただ冒険者になりたいだけなんだけどな……なんかいい方法ないものか」
「前から言ってるけど、無理じゃない? 一番確実なのは成人するまで待つ事だけど」
「八年も待つんか」
「冒険者になってから痛感してるけど、八年って結構あっという間だと思うけどね」
時間経過しないダンジョンで活動している冒険者にとってはそう感じるのかもしれない。
真白も、実時間はともかく体感時間はデビューからの半年の倍くらいにはなっていそうだ。
「推薦なら、おにぎりのお爺ちゃんに書いてもらおか?」
今更ながらに落ち込んでいると、モグラと遊んでいたはずの土亜が覗き込んできた。
おにぎりのお爺ちゃん? 地霊院家のお爺ちゃんだろうか。そりゃ、それなりに権力はあるだろうけど……親戚なのだから、私がお願いするのと大差ない気もする。
「あんた、それ反則でしょ」
だけど、白の反応を見る限りは違うっぽい。
「ちなみに誰の事?」
「ヴォルダルの爺ちゃん。あと、ついでに他の四神様も」
何も口に含んでいないのに噴き出しそうになった。なるほど、それは確かに反則だ。
地神ヴォルダル。迷宮都市の運営中枢を司る亜神。トップ冒険者だろうが区画長の娘だろうが、迷宮都市中枢の最高権力者に等しい四神から要望があれば無視はできない。それこそダンジョンマスターからの直談判と変わらない効果があるだろう。しかも、現実味がある。なんせ、その直属の巫女をしているのが土亜なのだから。
「そ、そりゃ四神様の口利きあるなら、なんとかなるかもしれないけど……それってアリなの?」
「あんなー。水凪ちゃん次第やけど、うちも一、二年後にはデビューする予定やねん。そん時におりんりんがパーティー組んでくれるならええよ」
「おお……」
なんという僥倖。……いや待て、本当にいいのだろうか。そんな偉い人動かして説得なんて、母がキレたりしないだろうか。
なんかスケールが大き過ぎてピンとこない。実際にはダンジョンマスターの推薦をもらうほうが話は大きくなりそうなのに、それよりも大事になってしまう気がする。
「あんまり伝手もないし、白ちゃんはこんなんやしなー」
「こんなんって……。冒険者学校からの繰り上がりでパーティ組むのって、珍しくもなんともないんだけど」
「それに、おりんりんがいざデビューするにしても組める相手がおらんのとちゃう?」
「……ああ、うん」
それは確かに切実な問題だった。
デビューどころか登録する事すら困難な状況では後回しになっていたのだが、私がパーティを組める相手は下級ではいないに等しい。
父の伝手で< アーク・セイバー >所属の冒険者に聞いた事があるのだが、真っ当なパーティを構築するつもりなら私は候補に入らないそうだ。実力や成長速度の差で、あっという間にパーティが瓦解するか、寄生目的しか有り得ないだろうと。
土亜の実力は知らないが、四神の巫女というだけでも強烈な加護を受けているのは確実なのだ。そこまで差が開く状況は考え難い。
「モー君も冒険者になるー? 日本語覚えよか?」
「も?」
「こら、あたしの相方をヘッドハントしないように。何気にウチの機動力の要なんだから」
続いて、土亜はモグラに勧誘をかけていた。
……それって、私はそのモグラと同列の扱いという事なのか。
-3-
その後、一体どういう流れなのか四神宮殿まで赴く事になっていた。
一般人が足を踏み入れる事のできない迷宮都市の中枢。それは私はもちろん、両親だって同様だ。内心、土亜の持つ権力に震えながら極端に人の気配が少ない街を行く。
中央神殿を囲む四つの神殿の一つ、地神宮殿で地神ヴォルダルに謁見する。
人によっては初見で失神するほどのプレッシャーをかけてくるらしい四神だが、私たちの前に現れた地神ヴォルダルはなんともパッとしない普通のお爺ちゃんだった。外見的に恐ろしく長い髭が目立つが、それだけだ。
「爺ちゃん、メンバー候補見つけて来たから推薦状書いてー」
「おお、ええぞ」
すさまじく適当なノリで推薦状をもらえる事になった。しかも、冒険者学校への入学推薦などではなく、冒険者デビューの推薦だ。ただし、この効力を発揮するのは土亜がデビューするという時期。つまり、この子に合わせて活動を始めろという事らしい。
「あ、あの……ヴォルダル様? これ、大丈夫なんですかね? うち、両親の許可もらえてないんですけど」
確かに説得するための推薦状ではあるのだが。
「なに、剣刃のヤツにワシの推薦もらったって言えば大丈夫じゃろ」
さすがというか、特に説明したわけでもないのに私が誰かまで把握しているらしい。土亜が《 念話 》か何かで説明したのかもしれないが、予め全部知ってましたと言われても納得してしまいそうな雰囲気だ。なんせ、亜が付くとはいえ神様である。
「ワシだけでどうしても不安なら、あそこで掃除しとるメイドもどきにも書いてもらうとええ」
地神ヴォルダルが目を向ける先には、無言で掃除をしているメイドさんが一人。あまりに違和感があったのでスルーしていたのだが、あの人も四神に近しい権力者だったりするのだろうか。
「ティグレアちゃん、推薦おくれー」
状況が飲み込めない私に変わって、土亜がスタスタと近付いていく。……ティグレア?
「ばっ、クソガキ! 俺の事は無視しろって言っただろうがっ!! あと、ちゃんとか言うな!!」
「えー」
「えー、じゃない! どうして四神の巫女は揃ってろくでもない連中ばっかりなんだ……」
「ウチの土亜をお前のところの変態と比べるでない」
「悪質さでは変わらねえよ!!」
諦めたのか、肩を落として近付いてくるメイドさん。
「あー、なんだ。剣刃のとこの燐だったな? 推薦なら書いてやるから、俺の格好は忘れろ」
「あの……ひょっとして風神様だったり」
「違う! ここにいるのはなんとなく風神ティグレアに似てる気がしないでもないかもしれない罰ゲーム受刑者だ! いいから忘れろ。もし口外するようなら、お前の家の真横に無駄に電車が通過するよう新路線引いてやるからな」
「あ、はい」
似てる気がしないでもない人でも、本人として推薦は書けるらしい。
何故こんな事をしているのかは謎なままだが、本人としても突っ込んでもらいたくなさそうだから目を逸らす事にする。
普通に考えてクランハウス内に設置してあるウチの横に電車は通らないだろうけど、やりかねそうだし。
「どうせなら他の二柱にも話を持っていくとええ」
「あ、はい」
と、怖いほどにトントン拍子で話が進んだ。進んでしまった。
……どうしよう。なんというか、書いてもらった推薦状が爆弾にしか思えない。
といっても、現状取れる手がない以上、この爆弾を有効利用するしかないのも確かだった。
夕飯のあと、最近クランハウス本館に泊まる事が多い父を尋ねる。受付の人によれば現在は部隊調整の合間の休憩時間中で、本館の幹部用休憩室で食事中らしいとの事。食事といっても、父の事だからお酒がメインだろうけど……と訪ねてみると、やはり一人で晩酌していた。このあとも仕事はあるのだろうけど、酔ってても問題ないのだろうか。
「四神全員からの推薦を用意した」
入室した私に気付く父だったが、開口一番そう言うと、飲んでいたお酒を盛大に吹き出した。汚い。
「えほっ、ごほっ、お、おま……お前、なんつー飛び道具用意しやがった。鼻に入った……」
予想外だったらしく、いつも飄々と私の嘆願を躱す父にも動揺が見られる。
「一応聞くが……まさか、冒険者になる推薦状って事なのか?」
「うん。だって、お父ちゃんもお母ちゃんも話聞いてくれないし」
「だからってお前……それは反則極まるだろ。……ああくそ、土亜だな。あのクソガキ、やっぱり頭回りやがる」
さすがというかなんというか、この話に至る大元も分かったようだ。土亜は話を通してくれただけで、悪態つかれるような事はしてないと思うのだけど、行く先々で評判が悪い。何故なのか。
「まあいい……とりあえず座れ」
「向かいの椅子、お父ちゃんが噴き出した酒塗れなんだけど」
「……布巾持ってくる」
いつもなら私にやらせるのに、自分で始末するようだ。先ほどの話がよほど衝撃的だったのか。
「ちょっと長くなるだろうから、母ちゃんに連絡いれとけよ」
「お父ちゃんのところ行くって言ってあるから、大丈夫だと思うけど」
「ならいい。……あー、なんか食うか? 酒のツマミくらいしかねえが」
「うん」
簡易な台所もあるが、それは使わず棚から乾き物が入った袋を取り出してくる。お酒は飲めないが、こういうツマミは好きだ。夕飯食べたあとだから大して入らないけど。
「あーなんだ。まず先に聞きたいが、その話、母ちゃんには言ってねえよな?」
「まだ」
「とりあえずストップしとけ」
「……それはお父ちゃん次第だけど」
すでに相手の了解までもらった上で、ただ棚上げにするというのは困る。もちろん、推薦なしでも全面的に許可してくれるというのなら話は別だ。土亜に合わせるのに問題はないが、先行できるのならしたい。
「前から言ってるが、別に俺ぁお前が冒険者になるのを反対してるわけじゃねえんだよ」
「知ってる」
父が反対しているのはあくまで母に合わせているだけに過ぎない。でなければ、冒険者や謎の動物相手の模擬戦の場など用意はしないだろう。あれは、格上に対抗するための訓練なのだから。剣術の腕を磨くだけなら必要のない訓練である。
「母ちゃんだって、それを止められねえのは分かってる」
「そうなの?」
それは少し意外だった。ここまで頑なに止められてるのだから、冒険者になるなら勘当くらいされるものだと思っていたけど。
「そうだ。お前が成人しちまえば、やりようはいくらでもあるわけだからな。これで、お前に才能がない……いや、多少優秀なくらいなら諦めさせる手もあっただろうが」
「うち、才能あるからね」
「子供の自画自賛と笑ってやりたいところだが、お前の場合マジだからな。タチが悪い」
模擬戦とはいえ、それを本業にしている現役冒険者を相手にこれまでいくつもの勝ちを拾ってきたのだから、謙遜するほうがよっぽど相手に失礼だろう。これで才能ないなんて言ったら、お前は更にド底辺だと言っているのに等しい。だから、私は規格外の天才でなければならない。
もちろん才能があるなんて自信をもって言えるのは、現時点では剣の腕前だけだ。冒険者の才能がそれだけでないのは分かっているつもりである。たとえば、真白と一対一の勝負をして勝つ自信はあっても、冒険者としては確実にあちらのほうが上で、それは揺らぐ事のない事実なのである。
「お前は実感として分かっちゃいねえだろうが、迷宮都市の外ってのは職業選択の余地がほとんどない世界だ」
「学校では習った」
「そうだな。そうやって習う機会がある。外の連中は知る事もないまま、決まった人生を歩んで死ぬ。お前みたいに剣の才能があろうと、自分で選択する余地はほとんどない」
それは多分、実体験を元にした話なのだろう。父がそういった境遇の生まれというのも概要程度には聞いている。
「だから私に選ぶなっていうのは違うと思うけど」
「そんな事は言ってねえからまあ聞け。回りくどいかもしれんが、年寄りの話は長いんだよ」
「お父ちゃん、そんな年じゃないと思うけど……」
三十そこそこじゃ、迷宮都市の外だって老人扱いはされない。加齢が誤魔化せる迷宮都市内ならなおさらだ。だから無精髭は切ったほうがいいと思う。
「迷宮都市の外じゃあ、農家にしろ、商人にしろ、貴族にしろ、大抵は親のやっている職業を継ぐ。継げるだけでもマシなほうで、次男三男なんてただのスペア扱いだ。女の場合は更に選択肢が狭まって、嫁ぎ先の家業と家事以外の道がない。もちろん例外はあるが、大多数はこういった存在だ。そこからあぶれた連中が傭兵やら冒険者になるわけだが、迷宮都市の外のそれは名前が同じだけの別もんだってのは知ってるだろ?」
「うん」
「一方で迷宮都市の、それも裕福な家庭に生まれた子供は選択の自由がある。この場合はお前の事だ。この街で冒険者は花形だが、それ以外で食っていく道は山ほどある。だから、自分から将来の選択肢を狭めずに生きて欲しいってのが、蘭の……母ちゃんの意見だ」
「うちもそれは何度も聞いてるけど」
私が反発する度に出てくる話だ。その上で選んで冒険者になろうとしているのだから、ちゃんと選択権を行使しているのに。
「ただまあ、お前も分かっちゃいるだろうがこれは建前だ。本音は俺みたいになって欲しくねえって事なんだろうな」
「……それは困る。お父ちゃんはうちの目標だし」
「実のところ、お前が下級か中級で足踏みして、そこそこの収入で食っていくだけならあいつも文句はねえんだろう。自分の娘が物理的に痛い目見るのに耐えられないって理由じゃねえしな」
それは薄々感じていた。それが問題なら、真剣を利用した模擬戦だって止めているはずだ。私がズタズタにされてるのを見て悲鳴は上げるけど、そこまで強く止めようとはしない。指を落とした経験だって、最初は物心つかない幼児の頃だ。
この前の外道カンガルーとの一戦なんて、道場の自動治癒がなかったら死んでいてもおかしくない。
「結局のところ、問題は無限回廊の深層でな。ダンジョン・アタックの度に強烈な違和感を覚えるらしい。本人には自覚しづらいが、出かける前後で接して分かるほどに変貌してるそうだ。朝出てって夕方戻って来た家族が、別人のようになっているのに耐えられないってわけだな」
「お父ちゃんが原因って事?」
「根本的にはそうなる。本音を言うなら、あいつはお前だけじゃなく俺も辞めさせたがってる。待つ側にとっての苦しみは俺には分からんが、そういう苦しみがあるって事は理解できるつもりだ。かといって今更辞めるわけにもいかねえから、あいつが反対するのを止める事もできない」
実際のところ、私が冒険者になる事を頑なに止めようとしているのは母だけだ。
父は合わせているだけだし、祖父母もどちらかと言えば応援している。だけどそれは一緒に暮らしている家族であるが故の問題だったのだろうか。確かに父は以前と比べて別人に見える。比較対象がないからそれが当たり前のように感じていたが、それは夫婦ではまた別なのかもしれない。夫でさえそうなのだ。より近しい自分の子供が別人に変貌していくのを見るのは辛いという事なのだ。
……なんとなくでしか理解できないのは、私が子供だからとかではなく待たせる側だからなのだろう。
お父ちゃん引退させれば少しは交渉材料になるだろうか。……いやいや、超一線級の冒険者にそれは無茶が過ぎる。
「だから、少し時間をやってくれ。これまでだってお前が冒険者になるための訓練はしてたわけだし、その推薦状だって土亜のデビューに合わせるならすぐにって話じゃねえんだろ?」
「うん」
他の巫女次第という事で時期ははっきりとしないが、すぐではない。早くても一、二年後の話になるという事だったはずだ。
私だって家庭内不和を起こさずに冒険者になれるのなら、そのほうがいいと思っている。剣刃さんちの燐ちゃんは悪い子ではないのだ。
「蘭のほうは俺が地道に説得するから、お前のほうは……別に改めてやる事はねえな」
「なんでや!」
もっとこう……色々あるだろうに。なんなら、勉強やめて下積みに専念したい。
「あえて言うならそうだな……冒険者になってから躓きそうな問題は先に片付けておけ」
「……何ができるかな?」
「そういった事を考えるのも自分でって話になるんだが、差し当たっては……勉強だな」
「……え、なんで?」
いきなり関係ないところへ話が飛んだ気がする。そっち方面は、あまり好ましくない話題だ。
「あ、冒険者の講習とか」
「それもあるが、主に学校の勉強だ。何も上位まで成績上げろとは言わねえが、真面目にやれ。お前、成績底辺這いすぎ」
冒険者として活動するのに学校の勉強が関係してくるとは思えないんだけど。
「えーと、ちなみにどういった方面で必要に……」
父は大きくため息をついた。いつもの馬鹿な娘を見る父親の目に戻ってしまった気がする。
「パーティリーダーやクランマスターは言うに及ばず、ただのメンバーでも高度化、複雑化し続ける戦場では迅速な判断や対応を求められる。作戦の立案や他組織との交渉もそうだ。戦場外でも資金や物資、訓練や休息のスケジュール調整、果ては食事や生活習慣の管理まで考える事は山ほどある。ウチみたいに巨大組織になると各部門で専門家を配置したりもするが、それはそれで巨大化した組織の管理って仕事が増えるわけだな。ついでに言うと、中級以上の講習なんてお前が今習っている内容よりもよっほど難しい。基本的な学習能力があれば、これらの手間を大幅に短縮する事ができる。逆にそれがない場合はあとでマジで泣きを見る事になるわけだが……」
「ちょ、なが……」
一気にまくし立てられて、脳が飽和しつつあった。
「そ、その……冒険者には……特に外から来た冒険者は学校行ってない人も多いと思うけど」
「だから泣きを見てる。グレンみたいにそれなりの階級の出身で勉強してきたならともかく、腕っ節だけで上級に上がって来た連中は悲惨だぞ。……まあ俺もその類なんだが、なんのために大学入ったと思ってる? 道楽じゃねーぞ」
「た、確かに……」
異様な説得力があった。
数年前、何故かいきなり大学に通い始めたのにはそんな理由があったのか……。引退して区画長にでも立候補するつもりかと思ってた。
その後も長々と説明を受けて分かったのは、冒険者が一流になるためにはどうしたって勉強が必要で、その勉強の土台として義務教育も必要だという事。もちろん直接関係ない部分もあるが、それはそれで別の場面で生きてくるらしい。少なくとも損はしないと太鼓判を押された。
「まあ、時間はあるんだから下準備と思って頑張れ。オマケ程度だろうが、母ちゃん説得する材料になるかもしれねえしな」
「う、うん。頑張る」
現時点では絶望な成績を少しでも上げ……いや、その前に宿題しないと……。
「あとはアレだ。今お前がやってる定期的な模擬戦、アレをもう少し本格化しよう。Lv1のお前がなんとか勝てなくもないって条件はそのままに、範囲を広げて相手を見繕ってやるから、そこで格上との実戦経験を積むといい。こないだのカンガルーみたいなのじゃなく、ちゃんと戦術を語れる相手でな」
確かにそれは今しかできない訓練かもしれない。訓練場でスキルやステータスを封印する事はできるが、それにだって限度はある。デビューしてからだって、格上と戦う場面は多くあるだろう。新人戦とか。百番勝負は元々やっていた事で、分かり易く将来に結びつく訓練だ。その本格化は望むところである。
「ステータスやスキルっていう目に見えるカタチで評価された冒険者は確かに強いが、土壇場で本当に強いのはそういった部分に現れない強さだからな。お前の場合は下地はできてるが、デビュー後に度肝を抜けるような精度まで引き上げてやろう。目標としてはLv50くらいの相手を打倒するくらいだ。その上になるとさすがに無理だから、ここらが限界も限界だな」
また無茶を言っている感じだが、目標としては悪くない。やる事は今までと変わらず、基準が上がっただけと見ればいい。
「でも、訓練とは関係なしに、あのカンガルーは半殺しにしたい」
「……まあ、アレも候補に入れといてやる」
他にもリベンジしたい相手はいるが、とりあえずあいつは外せない。なんといってもムカつく。なんやねん、あの大胸筋。
「それと最後に、所属するクラン探して内定もらっておけ」
「……えーと、ここじゃ駄目なの? 試験なら受けるけど」
私が冒険者としてデビューする場合、所属クランの第一候補として考えていたのは< アーク・セイバー >だ。入団試験は高難度でも、下級ランクから環境が整っているし、何より父がいる。実力の問題で足並みが揃わないだろうという懸念だって、人材豊富な第一線クランならパーティメンバーも見つかるだろう。
「あー、聞いてねえのか。……多様性の確保とかそういう問題で、今後デビューする四神の巫女は同一のパーティ、クランには極力所属しない方針らしい。お前の場合、土亜と組むんだから当然他の巫女とは別の組織に所属する必要がある。そして、< アーク・セイバー >は焔理の所属が内定してるから受け入れられない。絶対とは言わんが、まあ無理だと思っておけ」
「……そうだったんだ」
初耳だった。今はとりあえずデビューが目的って事で伝え忘れたのだろうけど、これは些か深刻な問題かもしれない。
「風花さんは?」
「あいつは決まってねえから、今のところ除外される候補はウチとツナのクランだけだな」
「渡辺綱……ってクラン入ってたの?」
「入ってるというか……あいつはクラン設立の秒読みに入ってる。四神の巫女の中じゃ、先行してる水凪が加入している状態だな。どういう組み合わせかはさっぱり分からんが、あいつの行動の意味不明さを考えてもしょうがねえ」
また渡辺綱か。……何か、これから先ずっと耳にする事になるような気がするのは気のせいだろうか。
元々入るつもりはなかったけど、そこは除外と。< 流星騎士団 >は入団制限に引っかかるし、他の……私たちが入って問題なさそうなところは……。
「< 月華 >に打診してみるから、夜光さんに口利きしてもらってもいいかな?」
「残念。夜光からは前々からお断りのメールを頂いてる。ますますのご活躍をお祈り申し上げますってな」
「なんでやっ!?」
前々から、早くデビューしろと一番急かしているのは夜光さんなのに。
「あいつはお前と全力で斬り合いたいんだとよ。身内に入れたら張り合えねえだろ」
「そんなアホな……」
いや、剣士としては分からないでもないけど。
これは最悪土亜と二人組コースだろうか。……そのまま上級まで昇格して< 流星騎士団 >に入団するのが一番無難な気もしてきた。でも厳しいだろうな……。
「……まあ、これは厳しい問題だよな。さすがに不憫だから俺も探しておいてやる」
「お、お願い」
親の関係で多少知り合いはいても、私はあくまで学生の身で伝手は多くない。
デビュー後に、クランやパーティのバックアップを受けられるかどうかは大きな問題だ。その恩恵なしに昇格していける自信はあっても、やはり差が出るのは間違いないだろう。
-4-
というわけで可能な限り伝手を頼ってみたのだが、どこも反応は芳しくなかった。
受け入れてくれそうなパーティやクランはあったが、どこもパッとしない印象だ。私は一緒に戦うメンバーを探しているのであって、役に立ちそうもない連中の介護をしたいわけではないのである。何年も下級でウロウロしているパーティに私たちを入れて、何をさせようというのか。
一方、真面目に上を目指しているクランやパーティには難色を示された。長い時間をかけて作り出したペースを崩されるのは嫌なのだろう。臨時メンバーとして参加するならともかく、恒常的にはやはり足並みが乱れるのを嫌うところが多い。それは理解できるので引き下がるしかなかった。
しかし、そんな中一つ有望なところが見つかった。百番勝負の対戦相手として父が連れて来た現役冒険者のフィロスさんは、理想に近い条件を備えていたのだ。
中枢メンバーも決まっておらず、おそらく一、二年以内にはクランを設立する予定。本人も記録すら残しているような実力派で、他にも現在< アーク・セイバー >に所属している人員が多くを占める。
実際、立ち会っても手も足も出ない。中級冒険者でもある程度はつけ入る隙はあるものなのに、そういった穴のない完成度だ。剣も使わず、盾だけで私の攻撃を一時間もの間無傷で捌き続けたのである。これには観戦していた父も驚いたらしく、私が勝てるかもしれないという条件に合致しなかったと認めるほどだ。
「お前、この短期間で一体何があった?」
「実に不本意ながら色々と。ちょっと本格的に殺したい相手ができまして……」
「物騒だな、おい」
爽やかな見た目とは裏腹に、言う事はちょっと過激だった。
多分、この人は強くなる。この人に率いられるメンバーも合わせて強くなるだろう。うん、理想的だ。
というわけで、話を切り出してみようと思った。
父がいると、伝手で< アーク・セイバー >に入団したフィロスさんはやり辛いだろうと、わざわざ席を外してもらった上でだ。
……さて、どう言えばいいんだろうか。とりあえず世間話から始めて……。
「えーと、殺したいのって渡辺綱の事ですか?」
ずっこけた。見た目とは裏腹に、リアクション芸人のような見事なコケっぷりだ。
「……違うけど、なんで?」
「いや、打倒渡辺綱を公言してるんですよね?」
「ライバルのつもりではあるけど、打倒するつもりはないかな。むしろ、いなくなると困る」
この百番勝負の前にもらった資料ではそんな事を書いてあった気がしたのだけど、どうやらニュアンスが違うようだ。
「むしろ味方だし、仲もいいほうだと思うよ。というか、さっきまで一緒に食事してたし」
なんだ。普通に仲がいいのか。
「なら、なんで< アーク・セイバー >に入ったんですか?」
「ああ、経緯を知ってるのか。まあ、少し条件が違えば一緒にやってただろうね。……でも、僕はわがままらしいんだ。彼を認めるが故に対等でありたい。並び立ちたい。だけど、運命の女神様は僕の事が邪魔らしくて、弾き出されてしまったんだ」
言っている事が抽象的過ぎて、理解するのは難しそうだった。詩人か。
「だったら、完全に外から張り合ってみるのもいいかなって思ってさ。それに、同じ組織にいたんじゃ本当の意味では対等になれないだろうしね」
どこかの夜光さんの意見のようだが、その考えは同感できなくもない。
「じゃあ、殺したい相手っていうのは?」
「僕の事が嫌いな運命の女神様さ。あいつは……あの剥製職人は邪魔でしょうがない」
そう言うフィロスさんの声に抑揚はなく淡々としたものだ。なのに、見ていて分かるほどに憎悪が感じられた。
これは……殺意だ。夜光さんがいつも言っている「あの虎を殺してやりたい」のような冗談ではなく、本当の意味で排除したがっている。
「剥製って……あの剥製ですか?」
「この道場の玄関にも飾ってあるアレの事だね。そいつは、気に入った対象を生かしたまま剥製にしてコレクションしているんだ」
「それはまた悪趣味な……」
そんな悪趣味な人は聞いた事がないけど、迷宮都市の外にいる犯罪者か何かかもしれない。
「ツナに追いつくには、まずあいつを排除しないといけない。だけど、今の僕じゃ手が届かない。化物退治には力が必要なんだ」
「じゃあ、うちが手伝ってあげます。どうでしょう? 結構お買い得だと思うんですが」
フィロスさんの目が点になった。こうして訓練に付き合ってもらっているのだから、ある程度は想定してそうなものだけど。クラン設立を目指している事は父から聞いたのだが、そういう事も折込み済みではなかったのだろうか。
「……ははっ、なるほど。少しツナの気持ちが分かったよ。これは確かに気分が悪い」
「あ、あれ? なんか失礼な事言いました?」
「いや、別に君は悪くない。……さしずめ、それは君だけじゃなくて四神宮土亜も一緒にって話じゃないのかな?」
「あ、やっぱりお父ちゃんから聞いてました? うちと土亜、今デビュー後に所属するクランを探してて……」
「君の場合、ツナのところのほうが合ってそうだけど?」
……あれ? なんか噛み合ってないぞ。
「あそこは候補に入れてないです。土亜が入れないっていう制限もあるけど、多分フィロスさんに近い理由で……うん、多分そう」
「僕?」
「同じクランに所属している相手じゃ、全力で斬れないから」
「…………」
「相手が悪い……って思いました?」
「ああうん……思った。ツナの事だよね?」
「はい」
どこに行っても渡辺綱。あのパッとしない人のどこにそんな影響力があるのかは知らないけど、一体どの程度"相手が悪い"というのか。
分からないけど、分からない事があればとりあえず斬る。色々考えるよりも、それが私に合っているのだろう。ならば全力だ。
「……まあ、いいか。冒険者デビュー自体、すぐって話じゃないんだろ? しばらくは内定って事で、気が変わったら言ってくれ」
「はい。……あと、ウチの両親説得するのを手伝ってもらったりは」
「さすがにそれは自分でやりなよ」
「ですよねー」
……はあ。
時間はあるとはいえ、母を説得するのは気が重い。しかし、所属クランについてはなんとかなりそうだった。
「そういえば、ちょっと考えた事があるんだけどさ。抜刀術を使う時に……」
「ほうほう」
そうしてクラン加入の話は終わり、百番勝負の反省会を始める。なかなか面白い着眼点を持った人だという事も分かった。
しかし、どうにも引っかかる事があった。
その違和感が何か分からないが歯の奥に何かが詰まったような、詰まったものがどうやっても取れないようなそんな感じだ。
何かを忘れているような気がする。話した事、あるいは体験した事の中に抜け落ちた部分がある。抜け落ちた痕跡だけが残っている。
道場……。玄関? ……気持ち悪い。
次の週の日曜日。新たなる百番勝負のため、道場へと向かう。少し遅れてしまったので早足だ。
しかし、奇妙な感覚に足が止まった。急がないといけないのに、どうしても無視できなかった。
視線の先にあるのは玄関に飾られた鹿の剥製。私が生まれる前からあるもので、特別な付加価値などはないが立派なものだ。確か、父がどこかに遠征に行った際に狩ってきたものだったと聞いた覚えがある。
それをじっと見つめると、鹿もこちらを見ている気がした。心の奥、魂の底まで覗き込まれているような不気味な感覚だ。
その違和感は、フィロスさんと話した直後のそれに似ているような気もした。つまり、良く分からないが気持ち悪いものだ。
「ふっ!」
なので、取り敢えず斬ってみた。
鹿の剥製は綺麗に割れ、床へと落ちる。それ自体はなんの変哲もない剥製だ。
しかし、何か手応えを感じた。そこにないもの、有り得ないものを斬った感覚。それが何かは分からないが、とにかく斬った。
奇妙極まりない感覚だった。ないものをどうやって斬ったというのか。自分でやっていて理解し難い。
というか無駄に家具を斬ってしまったが、これはどうしようか。ちょっと誤魔化せそうになかった。
「……よし、これも百番勝負の相手と言い張ろう」
今日の相手が記念すべき百人目だから、この剥製は百一番目の相手だ。順序は違うが問題はない。
実際何か斬った感覚はあるのだから、鹿の剥製の奥に剣の理を見た、とか言えばきっと誤魔化せるだろう。
……多分。
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