幕間「終わりなき探求の始まり」




 我と彼は同じものであり、対なるものである。

 我と彼は互いに天敵であり、争う事を魂に刻まれたものである。

 我と彼は抗えぬ死そのものであり、存在を許容できないものである。


 それは用意された試練であり、冗長系。我と彼は一つの席を奪い合うものである。




-1-




 かつて人間は夜空に浮かぶ星々にまで手を伸ばし、繁栄を極めていたという。

 それは地上に住む人間にとっては歴史というよりも神話の類であり、現在の人類史が始まる以前の話だ。

 これまで訪れたどの国でも明確な記録は残っておらず、せいぜいが宗教・民話にそれらしき記述が残るのみ。私の生まれ育った故郷でも同様であり、龍と呼ばれる存在を神聖視して崇める原始的な宗教が根幹にあった。


 蒼穹の果て、天に輝く星の向こう側、決して手の届かない場所に巨大な龍は在り。

 其は絶対者であり、悪しきものが蔓延れば地上のすべてを焼き尽し滅ぼすだろう。

 触れてはならない。抗ってはならない。必要以上に識る事も許されない。龍はその巨大な眼で人類を監視している。


 簡単に言ってしまえば、龍が怒るので悪い事はしないようにという教訓である。似たような話は世界各地にも散見された。

 口伝による教訓故に長い歴史の中で削除、あるいは脚色された文節もあるが、その中身は真実を元にしている。つまり龍は実在し、空の向こう側でこちらを見ているという事だ。少なくとも私の師はそれを真実だと確信していた。

 私はといえば、師がそうである以上、おそらく間違いはないのだろうなとは考えていた。ロクに教育も受けていない子供などそんなものである。


「龍というものは力の象徴であり、兵器そのものだ」


 淡々と告げられる師の言葉には、それが特別なものではないという意味が含められていた。とにかく仰々しく言葉を飾り立てて、それが神聖なものであると強調する神学者とは対照的だ。


「兵器というと、城壁に設置された巨大な弓のようなものという事でしょうか」

「用途は違うが、敵対する者を攻撃する機能を有するという意味ではどちらも同じものだな。現在の私たちでは再現こそできないが、龍も旧時代の文明が暴走した結果作られた兵器であり、それが世界を幾度も滅ぼした事に違いはない」

「……弓と世界を滅ぼすものが同じですか」


 古代の遺産として大砲のようなものを祀っていた村もあったが、それと同じ構図なのだろうか。


 身寄りのない私を気まぐれで拾い様々な事を教え込んだ男は、父というよりも教師であった。特に躾をされた覚えもない。悪い事、良い事、何かする度にその行動の意味を教えられはするが、咎めはしない。聞けばなんでも答えてくれるし、答えのない問いに対しても真摯に取り組んでくれた。のちに思い返せば人として破綻していたのだろうと思う。だが、子供の私にとってその背は大きく立派なものに見えたのだ。

 だからというわけではないのだろうが、私も学者の道を志した。知識に取り憑かれた悪魔と呼ばれるようになるわずか数十年前の事だ。


「私のいた村では、龍は神と同じもの、祀り許しを乞う存在だと教えられたのですが」


 この大地にとって、人類にとっての頂上の存在。すべての生命を超越した神秘。地を這う人間が今日を生きるために崇める超存在。

 どの宗教でもその位置づけは絶対に近く、信仰の頂点に位置づけられる事がほとんどだ。逆に神に対する敵対者と扱われる事もあるが、善悪の立ち位置が変わっただけで絶対者である事に違いはない。


「決して触れる事なかれ。人の手に余る破滅の存在。悪魔の力。究極の力であり兵器。そこから神へと転じているんだろう。近隣の国が信仰する宗教や民話ではそう扱っている。色々と調査をしたが、この大陸ではその傾向が強い」

「では、村で教えていたのは間違いという事ですか?」

「それも正解だ。見方や解釈が違うだけでそれが人にとっての超越者、神の如き存在であるのは疑いようもない事実なんだ。だが、そこに善悪の概念は存在しないし、在ってはならない」


 もちろん、龍ではない神を信仰する国や地域もある。小さい部族単位ならばもっと多いだろう。しかし、それらの教義の根底にはどこかしら龍の存在が見え隠れするのも確かなのだ。生まれ育った村から出なければ知り得ぬ知識は、まだ幼かった私に一つの物事に対する解釈や見解の多様性を感じさせた。


「ただ、大前提として覚えておいてもらいたいのは、龍は神そのものではないという事だ。彼らは全能でも全知でもない」

「その如きと称されても同一ではないという事ですか? 結局は同じような気もしますが」


 定義上の神であろうとなかろうと、人間にとっての超存在には違いない。実際に邂逅するとなれば話は違うだろうが、人間が直接的な影響を受ける可能性は絶無に等しく思える。


「大多数の人間にとってはそうだろう。だが、君がこの先世界の真実を追うならば……特に龍と邂逅する事になるなら、それは覚えておくべき事柄だ。あるいは、君でなくとも君の弟子、孫弟子には必要かもしれない。人の一生を幾度重ねても龍は生き続けているのだから」


 一人前になれるかどうかも怪しい状態で次の世代の事を考えるは気が早いように感じるが、扱っている題材のせいか時間感覚がズレている。

 人の生はあまりに短い。師が何を思ってこの研究を始めたのかは知らないが、それはきっと私や次の代でも編纂し切れない情報だ。だと考えるなら先の事を考えるのに早過ぎるという事はない。


「……会う事が可能なのですか?」

「可能かどうかで答えるなら可能だ。ただし、現時点で地を這う我々がそこへ至るには、文字通り気が遠くなるような歳月が必要になるだろう」


 叶うのなら自身が会ってみたいと思うのだが、師の言葉から判断するに、おそらくはそこへ向かう道を舗装するだけで終わるに違いない。

 そして、何故だか師自身はそれを望んでいないように見えた。


「師はそこがどこにあるのかを知っていると?」

「ああ。君も見た事のある場所だ。というよりも見るだけなら空を見上げればいい」

「空……? 天空にその姿在りという言い伝えはありますが、それは神の住まうという天界の事なのでしょうか」


 龍を絶対視しない宗教の中にはそういう概念もあるが、それらは人の住まう場所とは別の、決して辿り着けぬ場所だという話だったはずだ。


「言い得て妙だが違う。見たままこの空の先、宇宙空間に点在する星々のどこかに龍はいる」

「あの……星ですか?」


 天に輝く星々は遠く離れているから光の点に見えるだけで、一つ一つが今立っている大地のようなものだと師は言った。

 天文学がほとんど発展していない文明の中で平然とそれを言う師は、あるいは宇宙に住まう旧世代人か何かだったのかもしれない。


 だが、結局それを知る事はなくこの世を去って行った。後に調べても師の正体について回答は得られなかったが、おそらくはそれに近いものであったのだろうと確信している。

 師が残したものは少ない。研究者ではあったが、それを私以外の誰かに伝えるという事はなかったし、世界を巡って得た知識もまとめられただけで死蔵されている状態だ。それら大量の文献と私という未熟な弟子、そして私が建てた粗末な墓だけが彼の生きた証だった。

 私はその「ゲルギアル」という名の刻まれた墓の前に家を立て、継承した研究を続ける。


 成人するまで名前を付けない風習の村で生まれた私には名がない。何分幼少時の事なのでうろ覚えだが、確かあの村では誰々の子という呼び名が普通だった。身寄りのない私は常に"親なし"という意味の名で呼ばれていたと思う。師もその風習を尊重してか、それとも単に面倒なだけだったのか、私を呼ぶ時は君とか弟子と呼んでいた。

 名がない事自体はどうでも良かったのだが、研究やフィールドワークを続ける上で対外的に名乗る名前がないというのも不便だった。

 そこで私は師の名をもらい、ゲルギアル・ハシャと名乗り始める。ハシャは私の生まれた地域の言葉で"次の"を意味する単語だ。単純だが、ゲルギアルの後継者なのだからこれで良いのだと思った。今はいないが、次の代に引き継ぐ時にこの名ごと継承させるのもいいかもしれない。

 敬愛する師の存在を後世に残す事ができるだろう。


 師が研究していたのは各地に残る龍の伝承だ。私は師の後継者であるのだから、当然その研究を継承する。

 だが、師が単に世界に残る伝承を調査・編纂していただけなのに対し、私はここにもう一つ課題を加えようと思った。


 龍との邂逅。

 究極の力を持つ超存在である龍は、あるいは師にとって既知のものであった可能性はある。研究テーマに研究対象そのものが含まれていないのはその影響なのだろうと思っている。しかし、私にとって龍は完全に未知の存在だ。そこへ至るのは、研究の到達点としてふさわしいだろう。

 龍のいる場所は、ようは宇宙空間だ。現在の文明で辿り着ける場所ではない。師の残した知識を最大限活用しても私の代で辿り着く事はできないだろう。しかし、この星には旧文明の遺産が多く眠っている。それらの中にはひょっとしたら、そこへ至る方法……そこまで行かなくても道のりを短縮する手がかりがあるかもしれない。どうせ研究を続けるならばそれらは対象の一つなのだ。行くべき道は変わらない。


 そうして、長い、長い年月をかけた挑戦が始まる。

 今にして思えば、瞬きするような刹那の出来事であるのだが。




-2-




 研究の日々は基本的には静寂に満ちた生活だが、家に籠もり続ける事はなかった。元々の研究テーマが世界各地に散らばる伝承の収集と編纂である以上、各地でのフィールドワークが主となる。

 家は基本的に文献の倉庫と化し、普段は管理者を雇い、編纂する時に使う一時的な仕事場となった。それでも師や自分が作り上げた文献の数々に囲まれていると安心するのか、意味もなく滞在する事も多かった。後に火を付けられ全焼する事になったが、あの家は私の帰る場所であったのだろうと思っている。


「学者って奴は、どうしてそう飯のタネになりそうにない事に没頭できるのかね」


 訪れた街の商人が言った言葉だ。彼だけではなく、旅の中で世間話として語るとどこでも同じような反応が返ってくる。


「師が残した使命……と言えば高尚に聞こえるが、ようは好奇心だ。気になる事がある、真実を知りたいという知識欲は人間が持つ欲求の一つだ。その欲求が激しいのだろう」

「そういうもんか。明日食うに困るかどうかって庶民には理解できんなあ」

「まあ、直接金になる学問ではないな」


 私や師のそれが、世間の常識から逸脱しているのは自覚している。

 真実というものは、知ってしまえば取るに足らない事のほうが多い。だからといってそれを求めず好奇心を失ってしまうのは死と同義である。師が亡くなる際に受け継いだのはその信念だ。

 師はその生涯のすべてを知識の探求に費やした。私への教示は自分では到達できない深淵へ至るための後継者作りと、教える事によって記憶の整理を行う要員に過ぎない。人として見るなら決して良い養父ではなく、学問の師としても褒められたものではない。しかし、その生涯は間違ってはいなかったはずだ。歪でも、意思はこうして受け継がれているのだから。

 有り体に言ってしまえば学者というやつは枠から外れるために生きている、と私は考えている。今在る、あるいは過去に存在した人の形、文明の形、世界の形を知り、既存の枠を超えてその先を目指す探求者だ。学問によって方向性は違えど、その在り方は科学であろうが、哲学だろうが、神学だろうが変わらない。


「だが、分からない事や答えが見つからない事もあるだろ? そういう時はどうするんだ? 諦めるのか?」

「考える。別の視点を見つける。足りない材料を探す。そうしている内に、どこかで真実は見つかると信じている」

「あんた、えらい歩き回ってるらしいからな。故郷は海の向こうって話だが、その真実とやらを探してどこまで行くつもりだい?」

「無論、どこまでも」


 答えがこの星になければ、空の星々まで行くだろう。そこになければ、その先までも。

 求めるのは知識のすべて。龍が全知全能の神でないというのならば、その先にいる神を探そう。そこに至る道さえあやふやな現状ではあるが、これもまた探求である。




 時間が流れるのは早く、人の生は短い。編纂した文書が一つ増えるごとに、私は数年の齢を重ねている。

 地域の伝承を調べるにはその地方へと足を向ける必要がある上に、移動手段のほとんどが徒歩である事もあって、年単位の時間を移動に費やす事もザラだ。当然、移動だけでなくその地域に長期滞在する事もある。文化、風習の本質を知るのには文献や口伝だけでは足りない事がほとんどなのだ。

 また、道中で遭遇する獣や野盗の問題もあった。一人旅が可能な地域であればいいが、私が目的地とする場所は大抵が未開の地だ。

 当然危険であるから、護衛を雇い、あるいは商人のキャラバンに同行するなどの手段が必要になる。そうした作業で余計に時間を喰う。最悪の場合は同行者が見つからず、辿り着けなかった集落もある。

 あまり向いてはいないと思っていたのだが、仕方なしに暇を見つけて護身術を習得する。移動や荷物を圧迫しない徒手空拳や剣などが主だ。

 幼い頃から師に連れられて歩き回った事で体力だけはあったが、武術のための体ができていない。そもそもあまり才能はないらしく、本当に護身術レベルの技術を身につけるだけでも数年の歳月が必要になった。それでもせいぜい野盗相手に一対一で耐えられる程度だ。間違っても本職相手に戦えるレベルではない。政情不安定な国では、何故か本職と見間違うような腕の野盗もいてひどい目に遭った事もあるので過信はできない。

 行く街々でその手の専門家を見つけて稽古をつけてもらったが、それでも凡人の域を出る事はなかった。とても安全に一人旅ができるとはいえない腕前だが、それでも役に立った場面はあったから良しとする。


 だが、そんな無理が利いたのも若い内だけだった。年を重ね、老人と呼ばれてもおかしくない年になると、長距離の移動を伴う外出は少なくなる。いつの間にか増えていた弟子が代わりをしてくれるが、自分の目と足で確認できない分どうしても調査結果に齟齬が出る。歯痒い思いをしたが、これが人としての限界なのだろう。

 すでにこの身は師が永遠の眠りについた年を軽く超えている。あの時新たに加えた目的どころか知識だけでも師に追いついている気がしないが、それが私の限界だったという事なのかもしれない。そろそろ師の隣に自分の墓を造る時期なのだろうか。

 だが、老境に入り減衰すると思われていた知識欲は更に強くなる一方だった。知らない事があるから調べる。そうすると新たに知らない事が見つかる。その繰り返しで永遠に真理へと到達できない。その繰り返しは甘美なものであったが、それ以上に未知を看過できない。知らない事を知らないままでいる事ができない。この身に潜む無限にも等しい好奇心は、狂人と呼ばれるそれだと理解していた。

 人より多くものを知っているからどうだというのか。世で学者面している連中と比べて聡明だからどうだというのか。そんなものは無限にも等しい知識の前では些細な差でしかない。私はこの星の一部でさえロクに知り得ていないのだ。

 一体、どれほどの歳月があればこの好奇心を満たせるのか。多少長生きしたところで大差はない。倍でも三倍でも不可能だろう。人類史のすべてを捧げたとしても無理に違いない。

 ああ、ようやく理解できた。龍を神と同一視してはいけないという言葉の意味が。

 全知全能など存在し得ないのだ。数万年生きようが、超常の力を得ようが、この世界の理に沿って存在している以上、そんなものは有り得ない。

 ならば、すべてを知るにはどうすればいいのか。

 答えはない。それは人類どころか龍でさえも出し得ない答えなのだろう。だが、その一歩は掴めた気がする。世界の理に囚われていては、そこへ辿り着けない。理を超えなければならない。

 まずは理を解するのだ。世界の法則を知り、カタチを知り、その外側へと向かう事で始めて一歩が踏み出せる。


 炎が灯った気がした。人としての視点が切り替わった気がした。

 それは本来情熱と呼ばれるものなのだろう。だが、暗く、激しく、周りのすべてを巻き込んで燃え上がるようなものをそう呼んでもいいものか。

 きっと私は後世で悪魔と呼ばれるに違いない。


 その日から研究内容が変わった。特定の分野からすべての学問へ。目に入るすべてを知ろうと思った。

 弟子たちから見れば、それは逃避に見えたかもしれない。全盛期の活動ができない故の手慰みに手を出したのだろうと。実態に大した違いはないが、それは真理の追求だ。表面的な知識を得るための行動ではなく、その奥へと向かうための行動である。

 視点が変わったからか、それとも単にこれまでが能力不足だったのか、既存の知識の見方が変わった。有用なものなど欠片程度であるが、わずかでもそこに真理の手がかりが存在するのが分かった。

 そして、それは知識だけではない。かつて学んで凡夫のそれを脱し得なかった剣術も同様だ。

 私には戦闘の才はない。すべてが理詰めで行動する私は向いていないのだそうだ。

 確かにそうかもしれないとは思う。筋肉の質、骨格の質、神経の質、どれもが凡人の域を出ない。加えて言うなら、誰もが人という種の域を出ない。究極の力とは、人知の遥か先に存在するものだ。極端な話、龍と呼ばれる究極兵器は土台から違うのだから。そう在れと創られたものが究極であるのは当然だ。ならば、と理だけで突き詰められる人間の限界を目指す。

 剣の理を解したとは言い難いが、ロクに動かぬ体でさえ最大限に効率化されれば達人ですら凌駕し得る。そんな域には達した。

 結果として、私に才がないと言い放った男を細切れにした。あの男の才は私の理を超えるものではなかったようだ。

 人は私の事を剣聖と呼ぶようになった。特に否定するつもりはなかったが、私は学者であり剣士ではない。才は欠片も持ち合わせていないのは今でも同じで、その道の天才には決して及ばないだろう。彼らは最初から理が見えているに違いない。


 禁忌と呼ばれる知識がある。大小はともかく、どの分野でも存在した。それらに共通していえるのは、どれも過去に到達して人の身には余るものと封印された知識だ。神の逆鱗に触れるから。過ちの歴史だから。世界を滅ぼすものだから。そんな理由で探求を妨げる。隠された真実から目を逸し、否定する。

 それは私の障害となった。だから斬る。切断する。それらは探求には不要なものだから。

 糞の役にも立たない倫理感は遥か昔に捨てていた。あるいは最初から存在せず、師の後継者の資格がそれである可能性もあった。なるほど、理に叶っている。

 周りから見れば、それは暴走だろう。知識に狂い、突然暴れるようになった老学者。障害と判断すれば平然と斬り、壊し、我が道を行く。

 理を知り、理に触れ、その代償として人の道を踏み外したのだ。本人もよく理解していた。しかし、後悔は微塵も感じていない。

 血の海に浸かり、躯の山を築き上げ、人道から外れるにつれて真理へと近づくのを感じていた。齢百を数えて尚全盛期を維持するこの身は、すでに人のものではなかったのかもしれない。人にとっては理外の怪物だろう。


 世界は私を敵と見做し憎悪した。その根源は理解できぬという恐怖だ。

 彼らには一切理が見えてない。見るつもりもない。立っている位置が違うのだから当然ともいえる。


 そうして向かう先は破滅の地。かつて旧人類が栄華の果てに滅ぼした、足を踏み入れる事の叶わぬ禁断の地。

 まともな生物では耐え難き毒を踏み越え、その中心地に至る。そこにあったのは今尚生き続ける古代の装置だ。

 天空の星々に点在した都市と繋がる星の回廊。転移装置である。


 辿り着いたのは死の大地であった。

 辛うじて人が生存可能な環境が整えられていたが、それも最低限。ほとんどの場所は緑も水も空気もなく光すらも届かない死の空間。それが幼少の頃、師が語っていた宇宙空間である事に気付くまでに時間はかからなかった。確か、ほとんどの星は何かしらの対策なしに人は生きられないと。となれば遥か彼方に見える青い球体が故郷の星なのだろうか。だとすれば、ここは衛星の一つなのだろうが……想像は理解はできても、納得し辛いものだ。世界はなんとも未知に満ちている。


「ようこそ、人の子よ」


 あまりの未知の出来事に呆けていたのか、その巨大生物が近づくのに気付く事ができなかった。もし、これが敵対生物であったなら死は確実だっただろうに、よほど衝撃の体験だったらしい。


「……あなたが龍か?」

「肯定する。この地を預かる末端装置である」

「預かる……という事は、この地の支配者という事だろうか」

「我の使命はこの星の回廊の保全である。従えるものはなく、その意思もないただの管理者だ。この地を破壊する意思があるのでない限り、友好的に接する事が義務付けられている」


 私は邪魔なものは斬る人でなしではあるが、無差別に破壊するものではない。つまり、この龍は私の敵ではない。

 そして、どうやらこんな見上げるような巨体であっても末端。命令系統の最下部に位置する存在らしい。


「ならば、私たちは友人になれるだろう」

「否定する。人は絶対的な我々の主であり、上位者である。敵対する国家、組織、団体の一員として登録された者がすでに存在しない以上、私の根源に存在する使命に反しない限りにおいて、この身は従者である」

「……こんな突然現れた得体の知れない人間に従うと?」

「肯定する」


 なんともはや、龍とは思っていた以上に面倒な存在らしい。もし私が、あの星の人間を滅ぼせと言えば実行しそうな雰囲気だ。

 さすがに足を運んだ地で完全肯定され、その場で従属された経験などない。恐怖された経験ならいくらでもあるのだが。


「……主従云々は保留しよう。とりあえず色々聞きたい事があるんだが構わないかね?」

「肯定する」

「そうか。ではまずは自己紹介といこう。私はゲルギアル・ハシャという。あなたの名は?」

「個体識別名はフェリシエフだ。ようこそ、歓迎する。ゲルギアル・ハシャ」




-3-




 思いがけない原住民の協力を得た私が最初に行ったのは問答だ。

 私が無知である事は重々理解しているが、この地や龍については殊更理解も情報も足りない。足元すらおぼつかないままでは何をするにも困難であったからだ。

 フェリシエフが協力的であった事もあり、かつてフィールドワークをしていた時には考えられないような強引さで質問を繰り返す。相手が人間であれば相手側からも質問がありそうなものだが、こちらが百質問するところ、フェリシエフはせいぜい二、三程度のものだった。相互理解という面では好ましくない状況ではあるが、情報収集を優先する。

 ある程度龍の在り方を把握できた事で納得したが、彼らは自らを道具と認識し、自発的に何かをする事が極端に少ない故に人間に深く踏み込む事を良しとしない。現時点で私に都合がいいものではあるが、生命としては歪極まるだろう。……人としての道を踏み外している私が言う事ではないのかもしれないが。


 曰く、現在活動している龍の個体は百体ほどであり、それ以外の大多数は休眠状態にある。

 曰く、彼らは相互に情報をやり取りしており、私の事も全個体が把握している。

 曰く、不干渉なれど地上の様子は逐次確認して、世界にどんな国や文明があるのかも知っている。

 曰く、彼らは人の調停を行う権利は持たず、そのつもりもない。しかし主従契約の締結、および命令さえあれば大地を焼く事も躊躇わない。

 曰く、私は彼らに命令する事が可能な存在である。


「……冗談ではないな」


 何を好き好んでこんな超兵器を地上に投入するというのか。

 私が外道である事は間違いないが、過去の所業はあくまで阻む障害を取り除く行為に過ぎない。可能だからといって世界を支配するつもりも破壊するつもりもなかった。知識の収集の面から見れば、あきらかな退行だ。

 過去の時代にはそういった用途で龍が動いた事もあるらしい。その結果、神のような扱いで伝承が残っているというわけだ。残っている情報と私の記憶を照らし合わせれば、それらしき一致はいくらでも確認できた。つまり、破壊者であるという伝承は真実であったという事だ。

 いや、それどころか各地の伝承で一致するような部分はほとんどが真実だ。人類にとってあまりに強烈な教訓であったために後世へ正しく残そうとした可能性もあるが、どこかで操作されている気がしなくもない。あるいは龍が誰かの命令を受けてそれを行っている可能性もあった。


 そうして地上に戻る事なく数年の歳月が流れる。

 食料をはじめ、人一人が生きていくための物資に問題はなかった。龍にとってそんな物は不要らしいが、元々彼らを創り出したのは旧人類だ。休眠状態にあった装置を再稼働させるだけで、生活に事欠かない環境を造り上げる事ができた。私一人程度なら問題ないという規模ではなく、地上に住むすべてを賄える量を短時間で用意する事ができるらしい。これらの技術……その片鱗でも使えば、瞬く間に地上すべてを支配する事もできるだろう。……やらないが。

 問題は残されていた情報の解析だ。まず、我々と旧人類では言語体系が大きく異なる。フェリシエフが流暢に言語を使っていたので勘違いしていたのだが、彼は地上から収集した情報から言語を習得していたに過ぎなかった。

 職業柄、言語の習得が必要になる事は多く、一から新しい言葉を習得するのは慣れたものではあるが、それでも一朝一夕とはいかない。

 また、情報が残されていた媒体も問題だった。本であれば読み解けばいいのだが、それらの大半はデータである。当時、コンピューターなど概念すら存在していなかった文明の出身としては難儀に過ぎた。

 頭に直接情報を焼き付ける技術もあるらしいが、それらはあくまで旧人類に最適化されていたものであって、どんな不具合が発生するか分からないので使えない。いくら遺伝子的に同じ人類であっても、数万年も世代交代を繰り返していれば些細な違いが生まれてもおかしくないのだ。

 そして、なによりも量である。データ化されている情報はあまりにも膨大で、理解するどころか読むだけでも気が遠くなる歳月が必要だった。

 原文は個別に保管され、要点だけをまとめた状態で整理はされているが、それでも本にすれば星が埋まるのではないかという量なのだ。


「それらはすべて人類が作り上げたものだ」


 これらの知識や技術、その副産物はすべて過去の人間が積み上げたものであり、龍は所有者ではなくただの管理者と言って憚らない。

 彼らに言わせれば、現時点で唯一の所有権を持つのが私という事らしい。


「だが、これほど優れた文明を持ちつつも滅びた。ならば、それは身の丈に合っていないものだったのだろう」


 この身も同じ人である以上、同様の結果を招きかねない。私は識れればそれでいいのだが、もし利用するならば細心の注意が必要だろう。

 また、それ以前の問題として寿命が限界に近かった。未だ活動できているのはこの身が人から外れかけている事、そして遺産として残されている数々の医療技術によるところが大きい。まだ数十年は大丈夫だろうが、その先については対策が必要になるだろう。

 慕ってくれていた弟子たちはすべて墓の下である以上、新たに弟子を育てるのが正しいのだとは思うが、ここに至って私は自分以外の誰かにこれを託すつもりはなくなっていた。この肥大化するばかりの知識欲を継承できる者を見つける事も困難だ。

 ならば、人をやめる事を視野に入れておくべきだろう。元々拘りもないのだ。それが枷となるならば斬って捨てるまで。


 度を過ぎた延命を繰り返して二百年近い歳月を生きても終わりは見えない。それどころか、保管されている情報の一部しか知り得ていなかった。最終的にはそれ以上を得ようとしているのに、なんと先の長い事か。

 時折目を向ける地上はさほど変化していない。百年如きではせいぜい国境が変わるくらいで文明の進歩も見られない程度だった。新たにここを訪れる者も現れない。

 文明が始まって終わるまでの、この緩やかな変化を何度も繰り返し観測しているのが龍なのだ。そんな龍でも全知にはほど遠いというのだから、人の想像する神がどれだけ無茶な想像なのか思い知らされる。


「フェリシエフ、数万年という時間を生きた龍にとって世界はどう見えているんだ?」

「我はその問いに対しての答えを持ち合わせていない。言語化する事も困難だろう」

「あなただけでなく、他の龍も?」

「同様だろうとは思うが、我が干渉する権限を持たない者に関しては回答できない。もし知りたいのであれば、直接聞くといいだろう」


 上位者である人間であればどんな龍でも対応してくれるだろうと、フェリシエフは言う。

 漠然とした疑問であり、口に出したのも雑談程度の意味合いしかなかったのだが、フェリシエフ以外の龍と会話する事は必要かもしれないと今更ながらに思った。

 ここまで、この基地から移動せずにいた理由は簡単だ。移動時間である。

 転移装置はあるものの基地間の移動にかかる時間は膨大で、とても瞬時に移動とはいかない。母星からここまではほぼ瞬時に移動可能だが、主要な基地を回ればそれだけで数年は必要になるだろう。更に言えば、私が求める情報のほとんどはデータ化されている。加えて龍が相互に情報を補完し合っている事で、龍が知り得た情報もリアルタイムで更新される。それらはこの衛星に設置された端末から閲覧する事も可能で、移動の必要がない。ならばその分情報を得るべきだろうと思っていたのだが、他の龍と対話する時期が来たという事なのだ。


 かといって、すべての基地を回るつもりはなかった。すべての龍が協力的であるのだから、最上位の権限を持つ個体に会えばそれで足りるだろう。役割、権限はあれど、龍に序列は存在しない。しかし、過去の実績から見るなら、飛び抜けて強力な三体が存在する。私が会うのはその三体だ。

 星を喰らうものザルドゼルフ、星を砕くものアーマンデ、星を還すものルルシエス。そう呼ばれた三体と言葉を交わしてみた。


『我々は兵器であり、力である』

『我々は人の理想を体現するものである』

『我々は固有の目的を持たない』


 だが、フェリシエフが危惧していた通り、彼らの思考もほぼ均一化されたものだった。当然、求める回答は得られない。

 彼らは本質的に兵器であり、自身もそう在る事を望み逸脱する事を好まない。

 生物としての進化は行う。環境や敵に合わせて生存・撃滅に最適化されるのは進化であろう。ただ、思考はどこまで行っても道具のそれだ。

 故に何かを考える事をしない。固有の意見を持たない。世界がどう見えているかなど考えた事もないだろう。そもそも我々という一人称が、個である事の意識が希薄である事の証拠だ。彼らはかつて滅ぼし合った個体ですら同じものと見做している。


「では、神はどこにいるんだろうな」

『それは存在し得ない可能性だ』


 神などいないと断言された。少なくとも、人の身を遥かに超越した存在はそれを認識していない。

 世界の未知はすべて解明可能なものであり、神という不確かな存在は有り得ないというのが彼らの結論らしい。

 創造主は神ではない。龍は全知全能ではなく、また彼らを創り出した古代人も神ではない。長い研究の果てに、この世界に住む人間……いや、かつてこの星系を埋め尽くしていた人間たちは、どこか別の世界からやって来た存在を祖とする者と知っていた。


 だが、それは単に認識できていないだけではないのだろうか。

 私は宗教家ではないし神学者でもない。崇める事も頼る事もない。しかし、神という未知には興味があった。神がどんな形をしているのかを知りたいと思っていた。未知の中には解明不可能なものが存在し、その中に神がいるのではないか。彫刻のように未知を削り出していけばその形が分かるのではないか。そう考えた。

 膨大な時間が必要になる。これまで生きてきた人生が塵に見えるような長大な時間が。

 時間があろうと龍はそこに届き得ない。そもそも近付くつもりもない。彼らには進歩するという選択肢が端から存在しない。

 ならば、私がそこへ行く。龍を解し、自らがその領域に立てば時間というハードルはクリア可能だ。人体に未練などないのだから、同じものになってしまえばいい。


 それは苦悩の歴史といえるだろう。カタチや本質こそ人のままとはいえ、体の大部分は入れ替えた。そうしないと、全知全能どころか龍を解する事すらできないのだ。

 結果として、龍になる事は不可能だった。彼らは根本からして道具であり、そこから逸脱する事はできない。

 生命体ではあるが、その在り方は概念に近い。つまり、強烈な自我を有した龍は存在し得ないと。そのものになる事は可能だが、結果私がいなくなるのでは意味がなかった。好奇心や情念だけでも引き継げるなら、考慮するべき選択肢ではあるのだが。

 次案として、生体機能の一部を移植する事には成功した。地上から確保した無数の実験体を使い、人の意思を残したまま融合させる。

 失敗例は多く、実験結果には年齢、性差、種族差でも大きな差が見られた。数万、数十万の人間を怪物へ変えて求める結果には尚足りない。

 遺伝子による違いも考えられたため、成功した人間のクローンを作成し、より耐性の強い人間を創り出した。

 当然、自分の体も対象だ。最終的には体の70%超が龍のそれと入れ替わっていた。個人差はあるが、それが自我を残し得る限界点だ。

 私に細胞を提供したのは四体の龍。フェリシエフと三体の最上位種。彼らの一部を自分のものとした。もはや人とかけ離れた超人と呼ぶべき存在。龍とも人とも違う我々を、誰かが龍人と呼んだ。

 やがて、個体を増やした龍人は独自の文明を創り上げ、人間と対立した。

 その過程で人に近い自我を持つ劣化龍も生み出される。それは龍人とは逆のアプローチで、人ではなく龍の側に手を加えるというものだ。

 人とは異なるが多彩な感情を抱き、人や龍人を絶対視しない、自らのみでも進歩可能な隣人である。個としての能力は本来の龍に比べて遥かに劣るが、それは龍自身も望んだカタチであった。

 龍人も劣化龍もどうにかカタチになったという段階であり、完成と呼ぶには値しない。更に数千年、数万年の時を経ても探求は続く。未だ終わりの見えない研究、果ての見えない道は、私にとって希望の道に見えた。この道を歩き続ける事で探究心は満たされると、そう考えていた。


 しかし、運命の転機は突然現れる。

 ある日、ある時、世界は唐突に終わりを告げた。まったくの未知、破滅のみをもたらす存在が出現した。

 わずかに残った人が、龍人が、劣化龍が、そして龍がお互いを憎しみ合い、殺し合う。敵がいなくなれば自身すら敵と見做し、自殺する。

 悪意と狂気に彩れた世界の中で私だけが精神の均衡を保っていた。憎悪はある。悪意には蝕まれている。なるほど、これを引き起こした元凶は正しく憎むべき敵だ。しかし、探究心はそれに勝る。我が好奇心は、あらゆる負の感情よりも強く燃え盛っていた。


 襲い来る人を斬る。龍人を斬る。劣化龍を斬る。龍でさえも斬る。狂気に汚染された彼らはすでに同胞ではなかった。

 縁深いフェリシエフ、ザルドゼルフ、アーマンデ、ルルシエスの四体ですら斬って捨てる。無数に切り刻んだ相手の中で、名前を覚えていたのは尊敬すべき隣人でもあった彼らだけだ。だから、私だけでもその名を引き継いでいこうと思っていた。


 やがて、憎むべき敵の正体は判明した。それは、この世界では在りえぬ超常の存在だった。

 実体を持たず、精神を持たず、ただ情報の塊として増殖、分裂を繰り返し、自身ですら理解できない異形の存在と化した異世界の怪物だ。

 彼は、あるいは彼女は自らの滅びを望んでいる。望みと言っていいのかも分からないが、とにかく目的はそれだ。

 ただそれだけのために効率の良い方法で敵を増やしている。負の感情を植え付け、蠱毒を創り出し、抽出された悪意を更に厳選する。そうして、自分を滅ぼしてくれる存在を増やしている。

 私のような存在はイレギュラーなのだろう。あまりに増幅した好奇心はその意図に沿っていないのだ。だから、私の前に姿を表したそいつの話もある程度冷静に聞く事ができた。


「我々は死を望んでいる。無限の果てにそれがあると信じ、あらゆるものを飲み込み超越して尚、答えに至らない」

「悪いが視界に入らないでくれないか? 甚だ不快である」


 よりにもよって、そいつは師の姿を模していた。

 なんでも実体を持たぬが故に、他者へ語りかける時はその者にとって最も悪意を誘発し易い、嫌悪すべき、あるいは憎むべき存在となるらしい。私にとって師は全知全能の神や自身の好奇心に次ぐ神聖な存在だ。それを汚す存在は許されざる者だろう。


「君は極めてイレギュラーではあるが興味深い存在だ。我が望みを叶えてくれるかもしれない」

「私は貴様に興味などない」


 未知ではあるが、ようするにコレはただの情報体だ。その歪な在り方は研究の対象にはなり得るものの、優先するほどではない。

 ましてや、己のすべてを賭けて滅ぼす類のものでもないだろう。都合よく操られてまで従ってやる道理はない。


「我々が待つ無限回廊は君の望む全知全能、神を創り出すシステムである」

「……ほう」


 だが、コレ自体に大した価値はなくとも、居る場所には意味がありそうだった。

 無限回廊。

 世界と世界を繋ぎ、概念を相互に侵食させる道。自動的に増殖、進化、膨張するシステムは全知全能を創り上げるためのもの。

 コレですら至れないその最奥部に至れば、そこに全知があるかもしれないと。ならば、その途中に陣取るコレを排除する事は全知への道になる。それが必要というのなら、通るついでに殺してやってもいいだろう。


 その奥へと進むための厳選、試練もわざわざ用意されている。

 コレに囚われた者たち同士で殺し合い、より強き者を厳選し続ける仕組み。悪意で包み込まれた世界で生き残り、因果に囚われてようやくスタートライン。次のステージに辿り着くためには、用意された試練を超える必要がある。


 生きるモノのいなくなった世界で一匹の劣化龍が吠える。

 アレも私と同様の存在。哀れなる因果の虜囚。感情をデータとしか判断できない悪意に厳選されたモノという事だ。

 そして、やがては私と一つの席を賭けて殺し合う互いの試練でもある。しかし、今はその時ではない。

 今しばらくは確実に奴を屠るための、ステージを上がるための訓練に身を費やすとしよう。




-4-




 幸い、無限回廊は強くなるため、魂を練磨するために最適な場所だった。

 スキル、ギフト、ステータス、無闇矢鱈にシステマナイズされた世界は、魂の可視化への挑戦にも見えた。

 モンスターはその世界に存在し得る生物を元に最適化されたもの。一〇〇層を超え、異世界との繋がりが増えていくにつれてそれらは強力に、歪に、洗練された姿へと変貌していく。やがて、彼らは物理法則さえ違う世界の理を再現するだろう。

 世界を管理する権限は早々に破棄した。自身を鍛え上げるために不要なものだと斬って捨てた。最終的に頼れるのが己のみというのであれば、最初から一人でいいだろう。仲間も協力者も不要である。

 目指すは無限回廊の深奥部。あの悪意の塊を超えて先へ向かい、そこに何があるのか確かめたい。それを長い人生の終着地点にしようと思った。


 無論、道中で立ちはだかる存在もいる。亜神化した無限回廊の挑戦者たち。中には同類の因果に囚われた虜囚もいた。

 困った事に、それらはいくら殺しても死なない。私も同様であるが、完全な排除ができないというのは問題だった。生物ですらないとはいえ、無限回廊に陣取る以上はアレも結局は同じ性質を持つはずだ。何かしらの対策が必要だろう。


 試行錯誤を繰り返しつつ、他の虜囚たちがどう対処しているのかを観察する。

 必要なのは復元するという仕組みそのものを破壊する事。無限回廊に投影された魂を砕き、脱落させる事。

 奇妙な事に虜囚を剥製化して収集する者もいたが、あれでは解決にならない。アレはすでに終わった存在なのだろう。悪意への憎悪を滾らせつつ、抗う事を諦め、ただ自らの欲求に呑まれた哀れな存在だ。

 無限回廊自体に惹かれ、完全に同化しようとするもの。無数の顔と名前を集め、因果を収集するもの。悪意への憎悪が反転し、狂気ともいえる愛を求めたもの。彼らに共通しているのは、どいつもこいつも度を超えて狂っているという事だ。私も大概だと思っていたが、比較にならない歪みを抱え、体現している。

 それら複数の亜神、虜囚と出会って知ったのは、亜神を屠るという目的は同じでもそれぞれの方法はまるで別のカタチという事だった。

 自分のカタチ、魂のカタチに合ったものを抗う術としている。それは、私にとっても同じ事なのだろう。つまり、私自身の在り方そのものが死を体現するという事だ。


 長い探求の中で世界のカタチを知り、世界の理を識る。

 無限回廊システムは世界を管理するためのものではなく、個の可能性を追求するためのものだ。決して相容れない複数の世界と概念を繋げ、更なる可能性を創り出す。スキルはそれを処理するもので、ギフトや転生、ステータスと同様、歪な世界構造を強引に処理するための後付け機能に過ぎない。どこかの世界で最適化され、概念として形を持ち、無限回廊が繋げた世界へと流入している。つまり、根源へと至るため新たに構築された補助ツールである。

 ならば、と考える。それらが元々存在しないものならば、新たに何かを組み込む事も可能ではないのかと。

 いや、無限回廊システムを創り出した存在はそれを望んでいる。新たな概念を創り出し、深淵の遥か先へと至り、真の意味で究極の存在を創り出す事を。それに直接触れる事ができないのは自らが未熟であるからに過ぎない。世界の構造や概念を変え、新たに創り出す程度の事ができずしてそこに至れるはずはないのだ。

 原初の龍人、ゲルギアル・ハシャ・フェリシエフ・ザルドゼルフ・アーマンデ・ルルシエスは考える。

 この身は未熟極まる。しかし人のカタチ、その在り方に限界があるというのは甘えだろう。確かに超兵器である龍や、個としての概念が希薄な存在ならば有利ではある。あの悪意の塊のような、そもそも生命ですらない存在はこの根源への競争に適していると言わざるを得ない。

 しかし、それらの要素を飛び越える可能性を示すのが無限回廊なのだ。立脚点がどこにあろうと、明確な優劣はない。私と龍の間に存在する差ですら、その距離の前では些細なものだ。如何にこの身が矮小であろうとも、それが諦める理由にはならない。


 だからこそ、宣言する。世界の理へ新たな概念を宣誓する。私はこう在ると。

 それは新たな後付のシステムと呼ぶにはささやかなものであったが、確かに受け入れられた。

 《 宣誓真言 》と名付けられたスキルは世界の理を斬り裂き、根源への道を切り開く力になるであろう事を予感させた。


――Action Skill《 我が剣はすべてを切り裂く刃である 》――


 それは正しく一つの到達点であった。

 剣の理を追求し、そこに斬り裂くという概念を上乗せする。斬れぬものはない、と世界に定義付ける。それができると宣誓する事で概念はカタチを持つのだ。干渉できる範囲は限られる。概念は定着せず、瞬く間に霧散する。今はその段階だが、概念の改変、上書きに限界は存在しない。やがて我が宣誓は概念を塗り潰すだろう。


 根源へ最も近しい存在、あの劣化龍が< 唯一の悪意 >と呼称する情報群体は強大なる壁だ。

 憎悪、憤怒、あの超存在が自らを滅ぼすために、強く分かり易い負の感情をバラ撒くに至った経緯は想像できる。だが、それはあくまで対象を群として見た場合の正解に過ぎない。だが、そんな負の感情など根源への探求心に比べれば些細なものだ。より純粋な情熱だけがそれを可能とする。

 今はまだ虜囚として囚われる事は許容しよう。あの劣化龍を殺す事も受け入れよう。数多に存在する虜囚たちの中で生存競争を繰り広げ続ける事が、全知へと辿り着くに最も近道だと認めよう。

 実際のところ、この身の奥で煮え滾るような憎悪は力になる。完全に最も近い不完全を排除するのには有効であろう。自身が望んでいるのだから当然だ。

 だが、この身に宿る探究心を塗り潰させはしない。塗り潰せはしない。

 貴様を滅ぼす事は、真理の最奥へと到達する事のついでに過ぎない。邪魔だから望みどおり排除してやろう。それだけの価値しかないのだと突き付けてやろう。


 無限回廊の奥で、原初の龍人は胎動する。

 その身を極限まで練磨し、カタチのない概念すら自在に両断する。それはいつか向かう全知への途上である。

 目の前には無数の障害があるが、それはすべて排除すべきものだ。あの劣化龍も、剥製職人も、無量の貌も、唯一の悪意も道の途中にある障害物にしか過ぎない。かつて理に目覚めた時と同様、斬って捨てればいい。私一人が知の深奥へと辿り着く。


 愛しき宿敵、劣化龍の咆哮が聞こえる。

 それはステージを上がるための準備が整った合図であると分かった。


 我と彼は同じものにして、表と裏。唯一の悪意が我らに用意した席は一つ。その席を奪い合う闘争の時は近い。



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