第22話「対策と保険」




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 結果から見れば、魂の門の攻略は失敗に終わった。しかし、その内容は濃厚かつ強烈なものだったといえる。重要な部分には触れたし、得たもの、知った事、思い出した事、気付いた事も多い。

 あのおぞましい体験は、本来であれば心の奥底に閉まっておくべき記憶だ。第二門の先には更なる真実があって、あいつに言われた通りそれが身に耐えられないものだという事も予感している。あの因果の獣は俺自身で、自己防衛装置であり危機管理装置なのだから、その線引きができないはずもない。つまり、今の俺ではどう足掻いてもあの先に踏み込む事はできないという事だ。

 そして、あいつもそれが今後絶対に必要になるであろう事……踏み込まねばならない領域である事を理解しているのだから、もう一度あるという機会に賭けてみてもいいのかもしれない。

 ただ、あいつはその情報を提示する際に俺が望めばと言った。おそらくとも言った。つまり、その機会を掴むのが俺自身に委ねられているという事なのだろう。きっとそれは俺の心の持ち方一つで左右される機会で、これ以上成長できないようならその機会さえ得られないという事。このままの渡辺綱、弱いままの渡辺綱ではあの先に踏み込む事はできないし、試すまでもないと言われているに等しいのだ。

 ひょっとしたら、あいつと対話するのに本来 魂の門 は必要ないのかもしれない。これはあくまで分不相応なショートカット。俺が俺自身のすべてを認め、向かい合う事ができれば自ずと現れるモノだった気がしてならない。

 ……しかし、残り少ない時間でもう一度あいつまで辿り着けるのだろうか。俺は心底恐怖している。あの絶望の世界と体験に。まだ第一の門、魂の表層をなぞっただけの状態でこれだ。こんな状態で第二の門を開けるのか? あの時、開かれた門へ飛び込もうとしたのは半ば勢いだ。冷静になって、納得した上で俺はあの門をくぐる意思を貫けるのか?

 《 魂の門 》は反則技だ。多大な負荷を犠牲に有り得ない成長を促すものだ。しかし、今の俺が反則技なしに第二の門に至れる気がしない。因果の獣が言った、俺に資格が足りないという言葉にはそういった意味も含まれているのだろう。

 真正面から向き合えるか。受け入れられるか。立ち向かえるか。その意思を持つ事ができるか。……今の俺にはそれが足りず、制限時間も迫っている。無理やりの反則技でも、再び《 魂の門 》を使う必要があるかもしれない。


「……あれ? なんで、そっちから戻って来るの? 諦めたらここに戻って来るはずなんだけど」


 第一門の入り口を抜けて最初の空間まで戻ってくると、頭にハテナを浮かべたリリカの姿があった。

 最初にも言っていたが、門の中で諦めた場合直接ここに戻って来るのが通常の流れだ。しかし俺の場合は特殊で、第二の門の手前で蹴り飛ばされたあと、一旦エリカのいた領域に戻り、そこから逆走してここに戻って来ている。


「色々あってな。諦めたつもりはないんだが、第二の門の直前で追い返された」

「……は? 一回目でそんなところまで行ったの?」


 どうやら、リリカにとっては想定外の事態らしい。ある程度俺の事を知っていても、第一の門を突破できるとは夢にも思っていなかったようだ。自分で体験している分、そんな事は不可能だと思ってしまったのだろう。実際、魔術士としての才が欠けている俺では、言われていた通常の試練を超えられる気はしない。これは俺が強烈なトラウマという名の前世持ちであるが故のイレギュラーケースだ。


「まだ資格がないとさ。もう一回潜る必要がありそうだから、その時は頼む」

「それは構わないけど……第二の門以降を潜る前提なら、もう少し準備が必要。危なかったかも」

「……そうな、ほんとな。お前、使う前に説明しろよ。触れる部分が深くなれば、術者にもダメージあるんだって?」


 帰りに、親切な超すごい魔法使いが呆れ顔で教えてくれたよ。

 《 魂の門 》で見る世界は夢のような世界で、ダメージを受けるにしても精神体のみで肉体に影響はないものって認識だったが、どうもそれは違うらしい。第一の門は特に問題はない。発狂するような精神ダメージを受けても肉体には干渉しない。そういう表層的な世界だ。

 だが、更に先……第二の門からは違う。強大な魂への負担は精神を飛び越え、肉体にもフィードバックされる。中で受けたダメージを直接受けるほどではないにせよ、肉体ダメージを受けるのだ。そして、それは《 魂の門 》を発動している術者も同様である。魂が繋がった状態で負荷を受ければ術者も無事ではいられない。最悪、死ぬ事だってあるだろう。

 リリカは俺が第一の門から先に進めないだろうと深く考えずに発動したようだが、少し軽率だったな。

 ……だが、問題はそういうリスクがあっても、もう一度使わないといけないだろうって事だ。下手を打てば、リリカすら危険に巻き込む事になる。さすがに説明なしで、というのはまずいだろう。


「そう。第二の門まで行けるはずはないと思ってたから説明してなかったけど。……なんで分かったの?」

「……まあ、そこら辺はおいおいな」


 脳裏に浮かぶのは微妙な表情を浮かべたエリカの顔。

 あいつは今回の問題に関して他者へ情報を開示する事は俺の判断に任せると言っていたが、エリカがリリカの娘である事は口止めされた。絶対ではなく、もしもそれを言わないとまずい状態になったら公開しても構わないとも言われているが、そもそも二人の関係性に関してはあまり状況に関連しない。……まあ、エリカが再び俺たちの前に現れる事はないそうだし、産んでもいない娘の話をされても混乱するだけだろうから、その必要もなさそうだが。


「という事は、ある程度魔術の基礎は習得したって事? ……うわ、本当にできてるみたい」


 本職には見て分かるのだろうか。確かに、今の魔力は意識的に操っている部分があるから、それを見れば違いが分かるかもしれない。


「……まあ、基本だけな。感知と操作の基礎くらいはできるようになった。ただ、才能ないのもはっきり分かっちまった」

「そこに至れるだけで、十分普通より才能あると思うんだけど」

「比べてるのがお前やディルクだからな。俺はせいぜい戦闘の補助程度に考えておくさ」


 修練が必要なのは確かだが、使えるには使える。十分有用だ。ただ、本物の魔術士連中との差は分厚過ぎるって話だ。無理無茶無謀を体現している感のある俺でも、ちょっと超えられる気がしない。

 例外はベレンヴァールが使っている《 刻印術 》くらいだろうか。あれ自体は人間に扱えない代物らしいが、予め仕込んでおくような魔術は他にも存在するはずだ。今後の課題として、余裕があれば調べてみてもいいかもしれない。


「つーかお前ら、本当に脳みそ一つしかないのか? どっかに隠して並列処理してない?」


 俺の脳みそを液体窒素で冷却しつつ熱暴走限界までクロックアップさせても、処理できる領域を遥かに飛び越えている。こいつらのマザーボードはチップセットからして一般規格から違う上にソケットが大量に付いているような気がしてならない。企業用のサーバーか。


「そ、そりゃ一つだけど。……適性の差は確かに残酷かな。私も師匠と比べて現実知ってるし」


 お前から見てそれって、師匠さんはどんだけなんだよ。本当に人間なのか? 平然と目ン玉くり抜くみたいだし、色々おかしいだろ。……いや、お前も含めて。


「でも、そこまで習得したって事は、肉体に戻った時の反動も大きいから覚悟したほうがいい」


 ステータス以外のペナルティがある事は以前から聞いていて、日常生活を送る程度なら問題はないって話だったが、それはあくまでリリカが想定していた範囲内での事だ。それを多大に踏み越えている以上、ペナルティも大きなものになるのは間違いない。


「……痛い?」

「感じ方は人によるらしいけど……多分」


 ……あんまり戻りたくなくなってきたぞ。




-2-




「……マジで動けねえ」


 全身がバラバラになりそうだ。

 精神世界から戻って来た俺を待ち構えていたのは肉体的な苦痛。それも、体感した事のないレベルの密度のものだった。予想通りというかなんというか、下手に第二の門寸前まで一気に到達してしまった事で肉体へのフィードバックは強烈なものになってしまったらしい。

 筋肉、骨、内臓、神経、すべての細胞が悲鳴を上げ、宿主である俺に痛みを訴えている。『てめえ、ふざけんじゃねえ、こんな酷使しやがって! 毎度毎度ベクトルの違う苦痛拾って来るんじゃねーよ!』という罵詈雑言すら聞こえてきそうなほどである。因果の獣からも苦言を受けるし、俺は精神的にも肉体的にも自分を敵に回し過ぎである。いつかマジで逆襲されそう。


「この感じだと、普通の人なら痛みだけで発狂コースだと思うけど」

「……そうな」


 ウチのメンバーでも、このレベルの痛みで泣き叫ばずにいられるのは俺かゴブサーティワンくらいだろう。あとはガルドやボーグ、キメラなどの物理的に痛覚カットできそうな奴らくらいだ。というか、正直俺でもキツイ。サージェスなら問題なく悶えそうだが、あいつだけは例外である。

 外傷はなく、実際には機能的にも問題はない。これは精神と肉体の差異によって引き起こされる幻覚のようなものらしいとの事だが、あまりにリアル過ぎてそんな風には思えない。状態異常の< 幻痛 >より遥かに生々しく俺を責め立ててくる。

 ついでに、実体のない苦痛であるが故に魔術や薬の類も効かないというのも問題だ。治す部分がないのだから当たり前ではあるのだが、その分長い事苦痛に耐える必要がある。実体がないとはいえ体感的には肉体の痛みではあるので、慣れている俺には耐えられない事もない類の苦痛ではあるのだが、直接の対処方法がないのはキツイ。


「お前のほうはなんともなさそうだな」

「多少は痛みもあるけど、慣れてる」


 俺の手を握っていたリリカは平然としている。実際に門を潜ったのは俺だが、術者にもフィードバックがあるという話なのだから、少しは痛みもありそうなものなのだ。慣れれば普通に動ける類のものとは思えないんだが……。


「これ、一ヶ月間そのままって事はないよな」


 そんな事になったら、さすがに発狂する自信があるぞ。というか、歩くどころか指も動かせないのだから講習どころではない。せっかく五十層まで突破したのに、予約したクランマスター講習も受けられない。


「まさか。ステータスのペナルティはどうしようもないけど、ツナ君なら今日の夜くらいには動けるようになる」

「本当かよ……」

「……んじゃないかな。ここまでひどいケースは見た事ないし」

「そこは嘘でも断定してくれ」


 ……だが、最低でも夜まではこのままか。飯も食えそうにないし、水も厳しい。食欲以前に内臓が受け付けてくれそうにない。何か物体を口に入れただけでも激痛。中に押し込もうものなら、内臓たちの反乱が待っているだろう。


「痛みの原因は肉体と精神の差異によるものだから、魔力操作である程度は制御可能。肉体を精神に近付けていく感覚で」

「……できるようになったとは言ったが、痛みでそれどころじゃないぞ」

「それは慣れるしかない」


 門の中でさえ、集中しないとピクリともしない状況だったのだ。この拷問染みた痛みの中でそれをするのは無理があり過ぎる。戦いながら魔術を使う魔術士連中ならできるのかもしれないが、如何せん絶対的な経験が足りない。


「……トイレとかは?」

「……こんなひどい状態になると思ってなかったから考えてなかった。紙おむつっていうのがあるんだっけ?」

「え……?」


 まさか、そんな高度なプレイを要求されるなんて……。しかも、自分では着けられないから誰かに頼むしかない。

 リリカ……? いくらなんでもオムツ履かせて下さいなんてお願いできないし、やってもらいたくもない。俺の色々な部分が死んで、変な性癖に目覚めてしまうだろう。それは避けたい。

 しかし、我慢するにしてもそのための筋肉がいう事を利かない状態だから、垂れ流しになりかねない。動けるようになって汚物まみれになった自分の部屋を掃除するとか、絶対に泣いてしまう自信があるぞ。

 ……トイレに移動させてもらうか。移動するだけで死ぬほど痛そうだけど。


「……こんな事なら、最初からトイレでやれば良かった」

「リラックスしてないと上手く精神世界に入れないから、トイレはちょっと無理じゃ……」

「シャワートイレの勇士である俺なら問題ない」

「……ツナ君はときどき何言ってるのか分からなくなる事がある」


 まあ、これに関しては同志にしか理解できまい。

 どんなコンディションでもパフォーマンスを発揮するのが良いシャワートイレであるが、極限のリラックス状態でこそ輝く真の実力があるものなのだ。これはカタログスペックだけでは分からない、量産品ですらわずかに発生する差異や設置された環境、そして使う者によっても評価が異なる匠の道だ。

 俺が愛用しているレビューサイトのアスタさんはあくまで量産品の中からベストを求める派だが、中には特注で体の形に合わせた便座を作るという猛者さえいる世界である。確認したわけではないが、きっと便座の上でのみ真の実力を発揮するようなスキルも存在するはずだ。《 シャワートイレの戦士 》とか。


「……今、クランハウス内に誰がいるか分かるか?」

「えっと、五十層攻略に行った人はツナ君以外いないはずだけど、確か……」


 ティリア、ディルク、セラフィーナ、あとは冒険者パンダ以外のモブパンダ多数。ラディーネもいるが、接客中らしい。


「なら、とりあえずディルク呼んでくれ。……話もあるし」

「分かった、呼んで来る。定期的に確認には来るつもりだけど」

「……そこはマジでお願いします」


 と、リリカが俺の部屋を出て行くのを視線だけで見送った。

 ……やべえ、話すのを止めたら苦痛の純度が増した気がする。駄目元で魔力操作……いや、その手前の魔力感知から試してみるが、やはり上手くいかない。集中力を乱されているのもあるが、やはりあの世界よりは行使の難易度が高いのだろう。この分だと、戦闘に魔術やHP操作を使えるようになるのはいつになる事やら……。いや、この状況で操作できるなら戦闘中だって問題なく行使できるはずだ。ならば、今こそ気合を入れて修行をする時ではなかろうか。……いやいや、無理無理。


「うぐぇっ!!」


 誤って変なところに力を入れてしまい、連鎖的に痛みが広がった。意識したわけでもないのに変な体勢になり、そのまま固定される。……う、動かせない。というか、さっきより痛い。だ、誰か助けて……。


 何もしないでこの苦痛に抗うのは厳しいが、何かするにもハードルが高過ぎる。今の俺は少し触られただけで悶絶するレベルの敏感肌だ。体が動かないから試しようもないが、脇にある布団をかけられただけで泣き叫ぶかもしれない。リリカの手前平然なフリをしていたが、握られていた手を放された時だってめっちゃ痛かったのだ。

 こんな状況でトイレに連れて行ってもらえるのか? ディルクとは身長差があり過ぎるから肩を貸してもらうわけにもいかないし、そもそも肩を借りただけでは歩けそうもない。……ここはパンダを呼んでお姫様だっこしてもらうのが一番無難だろうか。サージェスとかに抱きかかえられるのは心理的にもビジュアル的にも嫌だが、パンダならそこまででもないはずだ。動物園でパンダに抱っこされるイベントがあれば、小さな子どもたちには大盛況間違い無し。大きなお友だちだってやってみたいという人はいるだろう。日本ではパンダの希少性と、そもそも危険である事からハードルは高いが、意思疎通できるウチのパンダ連中なら問題はない。

 問題は俺の体だけだ。今の俺はお姫様だっこだって耐えられるか分からない。いや、すべてを委ねてしまえばただ苦痛に耐えるだけなのだから、最悪泣き叫びながら運んでもらうのも致し方ない。くそ、トイレが遠い。今はあの小さな個室がパライソに感じられてならない。


「何してるんですか、リーダーさん」


 と思考の迷宮にはまり込みそうになったところで、誰かが部屋に入ってきた。


「その声はティリアか……た、助けて」

「はあ……え? といっても、何をどうすれば」

「傍目には分からんかもしれないが、まったく動けない。普通に寝かせてくれないか」

「は、はい……ていやっ」

「アンギャーっっっ!!!!」


 死ぬ。死んでしまう。なんで一気に移動させるんだよっ!! もう少し労るようにだな……って指定もしていないから文句も言えない。文句を言うどころか、口を開いても出てくるのは絶叫ばかりだが。


「廊下で会ったリリカさんに、ちょっとの間見ておいてくれと言われたんですが、これは一体どういう状況で……」

「話せば長くなるんだが、話すだけで痛いから簡潔に言うと、全身バラバラになりそうなくらい痛くて体が動かない」

「何故……って聞かないほうがいいですね。……えーと、トイレとかはどうするつもりですか?」

「そうだ……どうせなら運んでくれ。ティリアなら運べるだろ」


 見た目華奢な女の子だが、その実巨大な金属盾を持って前線を支えるタンクだ。俺くらい持ち上げられるだろう。


「……オムツじゃ」

「誰かに履かせてもらわないといけないだろ。変な性癖に目覚めてしまうかもしれないじゃないか。お前は俺にサージェス二世の汚名を被れというのか」

「いえ、《 瞬装 》すればいいんじゃ……」

「…………」


 その手があったか。あれは装備を切り替える戦闘用のスキルって認識が強いから、オムツを装備するなんて考えもしなかった。


「……悪い。万が一のために紙オムツ買って来て、俺の《 アイテム・ボックス 》に放り込んでくれないか」

「じゃあ、サージェスさんが買い貯めしてある紙オムツが共用倉庫にあるんで、そこから拝借してきますね」


 ……なんで紙オムツが常備されているのか気になるところではあるが、そこは突っ込むまい。何故か助かっているし。

 そうして、苦痛に耐えながら待つ事数分。ティリアが戻って来た。


「……一応確認するが、普通の紙オムツだよな?」

「えっ、……多分。市販品かと」

「いや、サージェスの事だから特注品かもしれないって疑っただけだ」


 実に奇妙な絵面ではあるが、ティリアに包装を解いてもらい、オムツを《 アイテム・ボックス 》へ放り込む。まだ尿意も便意もないので《 瞬装 》はしない。これは万が一のための保険だ。危険を感じた時が勝負の時である。


「あと、動けないんじゃ暇かと思ってこんな物を」

「紐……ああ、イヤホンか」


 何か音楽でも用意してくれたのだろうか。音の振動すら痛いかもしれないが、気が紛れて助かるかもしれない。


「『姫騎士ティリア』のラジオで放送してたドラマがまとめて販売される事になったので持って来ました」


 ……そこは普通の音楽にしてほしかった。


「……あの、ティリアさん。前も言ったけど、リアルで知ってる人の嬌声ってキツイんだよね」

「大丈夫です。これは過去編なので、姫騎士ティリアは出てきません。キャストとしては私も出てますけど、チョイ役です」

「あ、ああ、そうなの」


 それなら問題はない……か。いや、普通の音楽のほうがいいんだが、何かストーリーがあったほうが気が紛れるかもしれない。音声ドラマだからあるかどうかは分からないが、ティリアが用意してくれたなら認識阻害の対策もしてるだろうしエロシーンも聞けるはずだ。問題はエロなシーンがあってもピクリともしなそうな今の状況だが、それは仕方あるまい。というかピクリとしたら悶絶モノだ。


 耳にイヤホンをセットしてもらい、再生までするとティリアは部屋から出ていった。


 姫騎士ティリアは基本的に陵辱モノのエロゲーである。ゲームのほうの内容は単純に姫騎士ティリアがオークに陵辱されるという内容だが、以前説明書を読んだ限りでは、一応ちゃんとしたバックストーリーも用意されていたりもする。

 凶悪なオークキング率いるオーク軍団が人間の生存圏へと侵略を始め、敗北した帝国がオークに蹂躙されるのが姫騎士ティリアの第一作。そこから逃れたティリアが隣国に保護されて復讐に燃え、やっぱり陵辱されるのが二作目だ。姫騎士なんて意味の分からない呼び名ではあるが、ちゃんと姫であり騎士でもあるらしい。


 そして、このボイスドラマはそれよりも以前の話、姫騎士ティリアゼロといった立ち位置にあるようだ。

 オークキングが侵攻を始める遥か昔。オーク一族は逆に迫害されていた。人間だけではなく、エルフ、ドワーフ、ゴブリンですらオーク一族を奴隷として扱い、数百年という長い屈辱の歴史が積み重なって行く。

 ドラマの主人公はオークキング。正確にはキングになる前の奴隷オークだ。奴隷だった一匹のオークが如何にして成り上がったのか。人間に復讐心を燃やし、侵攻を始めたのか。その序章である。なんか良く分からないが、この世界のオークは随分と長命な種族らしい。

 はじまりは小さな反乱だ。鉱山で労働奴隷として働いていたオークが、ある日看守の一人を殺してしまった。

 事故ではあるが奴隷オークに弁明の機会などあるはずもなく、発覚すればそのオークは処断となるだろう。そこは奴隷であり迫害を受ける種族である以上どうしようもない話だと諦められる。しかし、死んだ看守は下級ではあるものの貴族の出だった。発覚すれば、連座制で鉱山の奴隷オークはすべて皆殺しになる事は容易に想像ができた。鉱山奴隷は国の労働力であり財産だ。犯人は処断されるしかないが、皆殺しはルール違反である。だが、そんな事は些細な事と事実は闇に葬られるだろう。と、名目上のリーダーであったオークは考える。

 あとがない。このままではこの鉱山にいるすべてのオークが殺される。

 溜まりに溜まった不満が爆発した。何故こんな仕打ちを受けねばならないのか。オークに生まれたというだけで悪なのか。それは、ここにいる奴隷だけではなく、すべてのオークが抱えていた感情だ。

 そうして、リーダーであるオークを柱として反乱が始まった。一度走り出したら止まる事はできない。鉱山の陥落、都市の陥落、解放され増大していくオークの群れはやがて大きな波となり、王国の一領地を飲み込んだ。

 リーダーだったオークは強かった。群れの誰よりも強く、そして何より頭が良かった。

 ここで引くわけにはいかない。引けば待っているのは以前よりも過酷な迫害だ。すべてのオークが根切りにされる事すら有り得る。

 異様な戦意で昂揚したオーク軍団が取った行動は速攻だった。勢いに任せただけではない。長期戦になれば負けるとオークのリーダーは判断したのだ。

 オークは長年奴隷だった。人間たちの認識では劣等種族だ。……そう、まだ侮っている。この侮りを利用しなければ勝てない。


 王都は火に包まれた。もはや陥落といってもいい状況だった。

 奇襲は成立した。城下も制圧した。しかし、そこまでが限界だった。彼ら奴隷オークには人間の国家勢力の情報があまりに欠けていたのだ。あるいは、ここに至って侮っていたのはオークの方だったのかもしれない。

 たとえば、これが一地方にある中小国家だったら上手くいっただろう。軍隊規模の小さい平和な国でも上手くいったかもしれない。

 しかし、オークたちが反乱したのは大陸随一の軍事国家だ。常に周囲のどこかと戦線を抱えているような国なのだ。

 体勢を整えた王国軍は精強で、王都の主力を抜く事ができない。他地方からの援軍は王都を取り囲んでいる。

 待っていた結果は無残な敗北。およそすべてのオークが殺され、磔にされた。無残極まりない仕打ちだ。種としての終わりすら見える状況で、リーダーだったオークは一人生き残った。いや、最後を見せつけられていた。人間の王は首謀者に徹底的な敗北を味合わせるつもりで、最後まで生き長らえさせたのだ。

 屈辱。あまりに屈辱的な結末だった。きっかけは違ったかもしれないが、自分で引き起こした戦乱が他のオークへの更なる迫害へと繋がった。心が折れるのも時間の問題と思われた。そこへ追い打ちをかけるような悲劇が待っていた。


『ふはは、長年王族などをやっていれば悪食になってな。女だけでは足りず、男にも手を出したがまだ足りぬ。さて、次はお前の味でも確かめてみようか』

『や、やめろ。オレは雄オークだっ!!』


 いや、ちょっと待って。


「なんだこりゃーーーっ!!」


 ここまでハード路線の戦記モノだったのに、いきなりの超展開である。

 なんで唐突にホモ展開になるんだよっ!? そんな予兆なかったじゃねーかっ!


『なに、お前の部下たちでオークの弱点は知り尽くしているぞ』


 勘弁して。というか再生止めて。ティリアさん、なんですかこの拷問!

 体が動かないのがここまでもどかしいものだったとは。せめて首を捻ればイヤホンが外れるかも……。超怖いけど、こんなの延々と聞かされるよりマシだ。い、いくぞ、せーのっ!!


「ふがはっ!!!!」


 イヤホンは抜けた。抜けたが、全身に走る痛みは連鎖反応を起こし、俺は再度変な体勢へと追い込まれた。微かに聞こえる音声が虚しく響く。

 くそ、なんでこんな目に。そら、オークさんも人類へ侵攻するわ。姫騎士ティリアめ、覚えてろよ。……出演してねえけど。

 ……どうしよう、まったく動けない。このままでも痛いけど、動いたら更なる痛みが待っていると思うとどうしても恐怖が先立ってしまう。


「……何してるの?」


 そんな大ピンチの状況で声がかかった。今の体勢では確認できないが、声からしてセラフィーナだ。ティリアの時と似たような状況で既視感を覚えてるが、おそらくディルクと一緒に来たのだろう。

 呼ばれて来た部屋でクランマスターが変なポーズのまま固まってれば、そりゃ疑問も湧く。


「多分、何かの儀式だから突っ込まないほうがいいよ。……それで、何かありましたか? 第五十層攻略したって連絡はもらってますけど、打ち上げ中だったはずじゃ」


 続いて入って来たディルクは華麗にこの状況をスルーしやがった。


「何事もなかったかのように進めないでくれ。……す、すまん、動けないんだ。とりあえず、普通に寝かせてくれないか」

「は、はあ……」


 事情を知らずに見たら何言っているのか分からないはずだ。変な体勢とはいえ、ヨガのような奇っ怪なポーズではないのだ。普通なら身動き取れないようには見えないだろう。冒険者は普段体調を崩す事すら稀なのだから、更に意味が分からない。ディルクの中での俺は、骨折しようが平然と動き回る認識だろうし。


「し、慎重にな。今の俺敏感肌だから」

「分かりました。えっと……セラ、足のほう持って」

「はーい」

「お、おい、もうちょっと丁寧に……アンギャーッッッっっっ!!」


 セラフィーナが鷲掴みにした足首に走る激痛。そして、俺の絶叫に驚いて床に落とされた衝撃からの激痛。たったこれだけの刺激で悶絶である。……マジで死にそう。

 かといって、このままの体勢でいるわけにもいかない。再度、壊れ物を扱うかのような慎重さで位置調整をしてもらって、ようやく息がつけた。痛みは尚も継続中で、むしろリリカがいた時よりもひどい状況になっている気もするが、痛み自体に慣れてきた感がある。

 ……大体ティリアのせいである。


「……ああ、そういう事ですか。そりゃ痛いでしょうね。というか、良く意識保ってられるなって感じですけど」


 特に説明したわけでもないのだが、ディルクには俺の状況が分かったらしい。情報確認に長けたこいつなら有り得そうだ。


「分かるのか?」

「ええ。慣れない人が魔力操作を覚えた時にありがちな現象です。……こんなひどい状況は初めてですが」


 迷宮都市なら有り触れた現象なのか。……というか、やっぱりその中でもひどい状況なのね。


「良くある話なら、解決方法とか知らないか? リリカは放っておけば治るって言ってたけど」

「早く治す方法ならありますけど……死ぬほど痛いですよ」


 え、この状況から更に痛くなるの?


「ようするに差異があり過ぎる精神体とのズレが原因となる拒絶反応なので、それを矯正してやれば治りは早くなります。僕ならできますけど、どうしますか?」

「……ちょっと考えさせて」


 それは人間に耐えられる痛みなのだろうか。ぶっちゃけ、今でも怪しいんだけど。


「つまり、クラマスは今動けないの?」


 セラフィーナの姿は視界の端にしか見えないが、不思議なものでも見るような目をしている。


「そうだね。いくら渡辺さんが超人でも厳しいんじゃないかな」

「団扇で扇がれただけで悶絶する自信があるぞ」

「ふーん」


 と、意味深な返事を残して、視界からセラフィーナの姿が消えた。今の俺から死角になっている部分。足元あたりに移動したようだが……え、ちょっと待って。何するつもりなの? いや、やめてっ!?


「こちょこちょこちょこちょ……」

「ちょっ、おま……フンギャーっっっっ!!!!」


 唐突にセラフィーナが始めたのは、ただでさえ敏感になっている俺の足の裏をくすぐる事だった。

 足首を持たれた時など比較にならない強烈な刺激が全身へと伝わり、それに反応した体が跳ね上がる。更にはその動きで激痛が発生するという地獄の連鎖が始まった。俺の意思とは関係なく背骨が軋むほどに仰け反り、エビのようにのたうち回る事になってしまった。

 ……なんだこの拷問。


「こ、こ……この、やろう、覚えてろよ」

「えー、仕返しされるの怖いから、もっと手が震えそう」

「あ、ごめん。勘弁して。許して下さい」


 なんの躊躇もなく拷問を始めたこいつなら本当にやりかねない。やってるのはただくすぐってるだけなのに、最悪気絶するまで追い込まれるだろう。

 くそ、なんて奴だ。最近は大人しくしてたから完全に味方になったと思ったのに、心の底では逆襲を狙っていたというのか。


「セラ、やめなよ。最近は渡辺さんと仲悪くなかったでしょ」

「だって、この前のイベントの時に殺されたし……」


 それはツナシャドウの仕業であって俺ではない。


「そういう肉体的な恨みは意地でも逆襲するのが渡辺さんだから、あとが面倒でしょ」


 さすがはディルクさんや。俺の事を良く分かってらっしゃる。俺はやるぞ、地の果てまで追いかけてでも逆襲する。


「だから、こういう時は復讐をためらう程度に被害を抑えるのがコツなんだって。ユキさんが言ってた」

「……は?」


 いきなり何言ってんの、こいつ。というか、ユキも何教えてるの?


「つまりは、こういうイタズラレベルなら許されるって事さ、ははは」

「さすがだね、ディー君。慣れてる」

「……あの、ディルクさん。そのペンはなんでしょうか」

「ラディーネ先生が作った試作品です。大丈夫、三日経てば消えますから」


 不敵な笑みでペンキャップを外すディルクの顔に浮かんでいたのは邪悪な笑みだ。絶対に、俺へ恨みを晴らすチャンスと考えている。


「何をするつもりだっ!? やめろーーっ!!」


 本当に些細で地味な事ではあるが、ディルクの俺への復讐が始まった。そんな恨みを買った覚えは……ない事もないが、こんな状況で逆襲されるなんて……。




-3-




「な、何やってるのかね?」


 逆襲はラディーネが訪問してくるまで続いた。俺の顔面はいたずら描きで満載だ。額の『肉』の字と髭は鉄板で、それ以外にも色々描かれてしまっている。鏡を見たら泣くかもしれない。

 トドメとばかりに黒乳首にもされそうになったが、その刺激で変な性癖に目覚められても困るとセラフィーナが止めてくれた。いたずらを始めた張本人に感謝せねばならないのは解せないが、正直助かったと言わざるを得ない。


「はは、笑えよラディーネ。俺のプライドはズタズタだ」

「子供か、君たちは……。そういえば子供だったな」


 忘れそうになるが、ここにいるのは俺含めて未成年ばかりである。無駄に室内の平均年齢を引き上げている奴もいるが、それを言うとラディーネからも追撃を食らいかねないので黙っておく。年齢の事を気にした風ではないが、今危険な橋を渡る気はない。ティリア、セラフィーナ、ディルクと来て、更なる追撃は勘弁だ。


「くそ、本題に入る前なのにえらい目に遭った」

「え、これが本題じゃなかったんですか? 逆襲のチャンスだぞって誘ってたんじゃ……」

「違うわ!」


 何故、わざわざ自分のピンチを曝け出して仕返しを誘わねばならぬのか。くそ、ちょっと前までのシリアス展開はどこへ行ってしまったんだ。


「……ラディーネは何か用があったのか? こっちの本題はかなり真面目な話だから、何かあるなら先に言ってくれ」

「いや、今ワタシの友人が来ているのだが、君に挨拶したいというのでな。……やめておいたほうがいいか? その顔だし」


 なんというか、普通の用事だった。

 ラディーネの友人……。正直、こいつの交友関係は謎過ぎて想像がつかない。パンダのイメージが強過ぎて、なんの脈絡もなくアルパカが挨拶に来ても普通に対応してしまいそうだ。だが、挨拶したいという事はそれなりに俺の事を知っているのだろう。ラディーネから聞いていてもおかしくない。これが男だったら笑いを取りにいってもいいが、女性……たとえばラディーネの生徒だったりしたら、初見のイメージは最悪だ。

 せっかくのチャンスを潰してしまいかねない。……慎重に行かねば。場合によって涙を飲んで断る事も。


「お前の同僚か生徒か、そんな関係か? それとも冒険者?」

「いや、学校は関係ない。冒険者……でもないな。昔、前世絡みで色々あった女性でね。以前から君に興味を持っていたそうだ」


 女性……。それも、初期好感度が高いっぽい。こんなタイミングで貴重なイベントが舞い込んでくるなんて。腕もロクに動かせないんじゃ、必死に練習したサインも書けないぞ。くそ、なんて世の中だ。ガッデム。


「ディルクのせいで、好感度を稼ぎ易い初対面のイベントが潰されたというのか。あとで埋め合わせはしてもらうからな」

「す、すいません。……埋め合わせはしませんけど」


 しろよ。お前なら可愛い子の知り合いいるだろ。学校の後輩とか。


「今来ているのは人妻だから、好感度云々は気にしなくていいぞ」

「……人妻」


 人妻かあ……。人妻モノはジャンルとしてはアリだが、俺のメインジャンルからは外れてるな。

 でも、貴重な女性ファンは大事にしていきたい。たとえ手が出せなくても、そこから連鎖的にというのは有り得る線だ。いや、旦那だけでは満足できない淫らな若奥さんというシチュエーションも捨て難いな。……妄想だけどさ。


「ああ、エルシィさんですか。そういえば、今日来るって話でしたね」


 事前に聞いていたのか、ディルクはその女性を知っているらしい。……エルシィ?


「ちょっと待て……。それってダンマスの嫁さんのLCなんちゃらって型番みたいな名前の人か?」

「知っているなら話は早いが……名前まで知ってて会った事がないのか」


 タイミングが悪いのか、ダンマスの嫁さんはここまで誰にも会っていない。だが、ちょうどいい。ダンマスとの連絡役というだけでなく、本人が下手すりゃダンマス以上に重要かもしれない相手である。


「……その人にも用事がある。すまないが、動けないんでここまで連れて来てくれ」

「は? その状況でか……いや、何やら真面目な話のようだな。分かった」


 俺の雰囲気を感じ取ったらしいラディーネは素直に応じてくれた。部屋にいるらしいので、そのまま呼びに行く。


「……ひょっとして、本題とやらに関係してるんですか?」

「ああ……」

「……その顔で会うの?」

「これは、お前のディー君にやられたんだよっ!」


 状況は理解しているはずなのに、何故そんな『こいつ大丈夫か?』って顔で覗き込んでくるんだ。飼い主の手綱を逆に制御しろとは言わんが、もう少し止めてくれてもいいのに。

 しかし、内容が内容だけに背に腹は代えられない状況ではあるが、このままというのもマズイだろう。立場は良く分からないが、間違いなく相手はお偉いさんで、しかも初対面である。こんなアホみたいな顔を曝け出すわけには……。


「ディルク、洋服タンスの一番下の右端にあるやつを取って被せてくれ」

「はあ、マスクかなんかで……なんですか、これ」

「以前、プロレスで戦ったパイソン岡田さんのマスクだ。邪悪な模様だが、今の顔よりはマシだろう」

「は、はあ。確かにそれよりはマシ……かなあ?」


 お前がやったんだろうが。どこの世界に顔面総面白ペイント状態で、寝ながら目上の人を迎える奴がいるというのだ。本来なら、ただ動けないだけで済んだというのに。


 俺は動けないので、ディルクとセラフィーナに任せて邪悪なパイソンマスクを被せてもらう。《 アイテム・ボックス 》の中に放り込んでもらって《 瞬装 》すれば良かったと気付いたのは被せてもらったあとだった。オムツと同様だ。

 一応手鏡で見せてもらったが、元の面白ペイントよりはマシである。マスクを被って出迎える事自体がすでにおかしな事ではあるが、パイソンマスクは邪悪ではあっても変な模様ではないし、ヒール役を気取っているが実はいい人というパイソン岡田さんのイメージも手伝って、そこまでマイナス印象は受けない。……いや、パイソン岡田を知っている俺だからかもしれないが、ダンマスの嫁さんでラディーネの友人なら事情を話せば分かってもらえるだろう。うん。


 そうしている間に再度ラディーネがやって来た。当たり前かもしれないが、マスクマンになった俺を見て困惑している。


「……一体、この短時間で何があったのか分からないのだが」

「すまん。面白ペイントよりはマシかと思って……」

「気にするような人じゃないから問題はないだろうが。……ワタシからしても超展開過ぎる状況だな。とりあえず入室設定変えてもいいか?」

「どうぞどうぞ」


 この状況は、俺にしても超展開だけどな。

 俺の部屋は基本的にクランメンバーしか入室許可を出していない。そういうグループ設定のほうが楽だからというのもあるが、そもそも自室を訪れる者が少ないので変更する必要性がなかったためだ。

 設定変更に時間はかからない。ラディーネが慣れてる事もあって、一分もかからず作業は完了した。


「どうも、人妻のエルシィさんです」

「は、はあ……どうも」


 初対面から反応に困る挨拶だった。

 入室設定を終えて入って来たのは、見かけ上は若いとしか言い様のない少女だ。ダンマスと並んでいたら、兄妹どころか下手したら親子に見られかねない。ついでに胸も平坦だ。背はさほど小さいというわけでもないが、ロリっ子である。見かけが実年齢と乖離しているのは間違いないだろうが、それにしたって若作り過ぎじゃないだろうか。


「ウチは三人で大中小揃えてるから、私はこれでいいんです。……『小』なので」


 何も言ってないのに返答があった。俺の怪訝な視線を読み取ったのかもしれない。あるいは言われ慣れてるとか。


「ところで、私の把握しているデータ上で渡辺綱は冒険者だったはずなのですが、いつからレスラーに転向されたのでしょう」

「転向してません」


 これはリングで健闘を称え合った際にもらった物であって、俺のアイデンティティというわけでもない。


「…………」


 無言で見つめられた。……なんだろう。

 どうしようもない状況だから笑いに走った感は否めないが、もう少し反応してもらえないとただの失礼な奴になってしまう。


「まあ、渡辺綱がおかしな生物なのは知っているので、突っ込むつもりはありませんが」

「初対面なのに失礼だな、あんた」


 相手も失礼だった。初対面でおかしな生物呼ばわりである。


「それで、何か私に話があるとか。渡辺綱から名指しで呼ばれる話題はなかったと記憶していますが」

「そっちの……エルシィさんの用件は?」

「私のほうはただの挨拶です。しばらく前から……去年の六月から要注意人物として監視対象に指定していたので、一度くらいは会っておこうと思いまして」

「え、俺監視されてたの?」


 しかも六月って迷宮都市に来た直後じゃねーか。何してくれちゃってんの?


「マスターから変なのがいるから見張っておいてくれと言われました」

「……ダンマスとは一度良く話し合わないといけないようだな」

「拳で対話する予定なら、マスターが全力を出せるフィールドを用意しておきましょう。任せて下さい」

「死ぬわ」


 全力どころか、数%でも死ぬわ。最近、俺も強くなってきたから余計に分かるんだよ。というか、今動けないし。


「……まー冗談はそこら辺に置いておいて、本題はなんでしょう」

「あー、そうね。どうもシリアス時空が続かないから困る」

「……ワタシたちは席を外したほうがいいか?」


 エルシィさんの妙なノリに置いてけぼり感のあったラディーネが言う。

 ……特に聞かれても問題ないというか、むしろ色々助言を貰いたいところだな。ディルクだって、そのために呼んだんだし。


「いや、構わない。ユキとリリカには諸事情で話せないが、ディルクとラディーネも聞いてくれ」

「……私は?」

「セラフィーナは……聞いてていいけど邪魔しないでね」

「むーーー」


 戦闘ならともかくこの手の話題には役に立ちそうにないが、ここにいても問題はない。真面目な話を始めれば大人しくするのがセラフィーナという少女の特性だ。話を聞いているかはまた別として。


「さて、単刀直入に言うが。……この世界は滅亡する」

「………………」


 誰も反応しなかった。……あれ、俺何か間違ったかな?

 そして、何を思ったかエルシィさんは部屋から出て行ってしまった。あ、あれ? こっちは真面目なつもりなんだけど怒っちゃったかな。もうちょっと説明が必要だったか。……実際に言ってみるとアホみたいなセリフだし。そりゃエリカもシチュエーションにこだわるわ。


「話は聞かせてもらった。世界は滅亡するっ!」


 部屋に入り直してきたエルシィさんが、そんなセリフと共に扉を開く。どこの編集者だ。


「……おや、このネタではない?」

「いや、大マジなんだけど」


 まあ、ダンマスからそういうネタを聞いていてもおかしくないが……表情が乏しいのにノリのいい人だな。冗談でも、な、なんだってー! って言っておけば良かっただろうか。


「何を言ってるのかね。……正直、そんな事を言われても冗談としか思えないんだが」

「というかですね。そんなマスク被って寝転がったままの状態で言われても冗談にしか聞こえませんよ」

「半分くらいお前のせいだけどな!」


 動けないのは仕方ないにしても、落書きはお前のせいだ。叫ぶだけでも痛いというに。というか、お前わざと叫ぶような発言してるだろ。


「四神宮殿にすら前触れもなく乱入してくる、平行世界人兼未来人兼超すごい魔法使いに警告されたんだよ。この星は崩壊するとさ」

「なんだね、その奇天烈な存在は。いくらなんでも設定盛り過ぎだろう」


 知らなきゃ無茶苦茶な存在だから、そりゃラディーネのような反応になるよな。だが、ここには少なくとも一人は理解できる奴がいるはずだ。


「……それって、あの時のエリカさんですか」


 ディルクだけは、あいつが宇宙人である事が嘘でないと知っている。少なくとも、真っ当な存在でないとは分かっているだろう。理解できる奴が一人いれば、シリアス成分だって感染するだろう。


「そうだ。月出身の宇宙人冒険者が、わざわざ平行世界の危機を警告しに来てくれたってわけだ」

「月だったのか……それなら確かに宇宙人……って、まさか信じたんですか? あんな怪しい人の話を?」

「俺も冗談だと思いたいんだが、信じざるを得ない状況になってしまった。……まあ、順を追って説明したいんだが、俺は今こんな状況で話すのもキツイ状況だ。できればダンマス交えて説明したいからアポ取って欲しい。ディルクに連絡とってもらおうと思って呼んだんだけど……エルシィさんのほうがいいかな」


 以前、月に行った時に緊急連絡先をもらっているが、嫁さんなら連絡も付き易いだろう。


「緊急性は?」

「できる限り早急に。こんな状況だが、最悪こっちに来てもらって欲しいくらい時間が足りない」

「了解しました。……スケジュールを確認したところ、今日の夜なら時間がとれるそうです。……今、OKをもらいました」

「え、もう?」


 何したのか知らんが、数秒しか経ってないよ。今更ながら、フットワーク軽過ぎねえ?


「権限取得済みのエリアなら、私たちは常にマスターと繋がってますから。……時々、プライベートルームに逃げるけど」

「良く分からんが、OKもらえたならそれで……ってあれ、夜?」

「今日の夜」


 俺、動けないんだけど。リリカは夜までに動けるようになるとは言っていたが、手足が動いても歩けない状態じゃ移動できない。


「ちなみに、それを逃すとスケジュールの空きは三日後になります。スケジュールが不安定になる類の用事だから空いてるだけで、長引く可能性もあるけど」


 それはまずい。できれば避けたいタイムロスだ。……誰かに無理やり運んでもらうか……もしくは。


「場所はこれから手配するけど……ここのほうがいいですか?」

「……いや、移動する。できればギルド会館の面談室とか、そういう密室がいい」

「了解しました。移動手段含めて手配します」


 ここに来てもらえば楽だが、どうしてもユキとリリカの顔がチラつく。バレてもなんでもないような気もするが、あれだけ警戒してるのに無駄な危険は避けたい。ダンマスは気にしないだろうが、街の最高責任者を呼びつけるのも駄目だろう。問題は……俺の体だ。


「……この際、仕方ねえ。荒療治になるんだろうが……って、ディルクさん、いい笑顔してますね……」

「そうですか? ラディーネ先生、ベッドに設置可能な拘束具持ってましたよね?」

「ん? ああ、あるが……何に使うんだ?」

「急がないと世界の危機らしいので、少々特殊な整体を」


 おい、待て。待ってください。俺が拘束具着けないとまずいような整体とか洒落になってないぞ。


「最低限、夜までに動けるようにしないといけないですからね。頑張りましょう」


 くそ、逃げる事すらできない。この部屋に助けてくれそうな人もいない。

 いや、正論なのは分かってる。急がないといけないし、ダンマスと早めに話できるならそのほうがいいだろう。だが、俺の限界振り切って強行突破するのが即確定しちゃうのはどうなのよ。


「……せ、セラフィーナさん? なんで枕元に移動したの?」

「え? 抑え込まないといけないし」


 なんで、わざわざ聞くのか分からない風なんだよ。


「大丈夫です。慣れているので、時間内に動けるようにはしますから」

「い、痛くしないでね」

「……善処します」


 その後、数時間に渡って俺の部屋に絶叫が響いた。《 魂の門 》で地獄を追体験したあとに待っていたのは、現実での地獄だった。

 整体師本人の談によればちゃんと痛みが少なくなるような手順を踏んだらしいが、それでもいっそ殺してくれと言いたくなる絶望的な苦痛だ。涙や鼻水を撒き散らし、人相まで変わるんじゃないかというほどに顔を歪ませながら絶叫したが、パイソンマスクのおかげか、パイソンマスクのせいか悲惨な表情は伝わらなかったらしい。ある意味、必要以上の醜態は抑えられたといえる。

 是非、ウチのサージェスさんにも体験して欲しい未知の拷問だ。




-4-




 その日の夜。体感的には数日経ったような気もしたがわずか数時間後の事だ。

 廃人のようになった俺が、エルシィさんが手配してくれたというストレッチャー付きの車に載せられて、半ば放心状態のままドナドナされて行く。それを見て、リビングで擦れ違ったユキは何事かという表情を見せたものの、特に止めもしなかった。

 同行者は運転手兼運び屋のアレクサンダーだ。区別がつかないから名前は分からないが、他にも二匹手伝いのパンダが同乗している。

 今回話をするために用意してもらったのは中央区にあるビルの一室だ。地下まで車で入る事ができ、そこから専用エレベーターで目的の階まで行けるようになっているらしい。予め登録していないとその階にはいけないという、いわゆる密談用の秘密フロアである。

 あまり状況の理解できていないアレクサンダーの押すストレッチャーに揺られてエレベータの前までやって来る。


「じゃあ、ここで待機してますんで」

「ああ、よろしく」


 ここからは徒歩だ。なんとか動けるようにはなったが、健常とも言い難い俺は先へと進む。わずか数メートル移動してボタン押すだけでも必死である。

 エレベーターに乗っていたのは数十秒程度だが、あきらかにビルの大きさと不釣り合いな長さなのは、ここがそういう場所である事を意味しているのだろう。極端な地下か空間的に繋がっていないか分からないが、関係者以外が立ち入る事のできない場所という事だ。

 ありがたい事に、エレベーターを抜けるとすぐに目当てのフロアが待っていた。一応外の景色も見える広めのリビング。その中央に設置されたソファにダンマスの姿がある。


「年末ぶり……って、なんか意味分からない事になってんな。なんでそんなズレてんの? マスク……は、まあいいや」


 ズレというのは見える人特有の言い回しなのだろう。いわゆる、精神体と肉体のズレの事だ。ダンマス相手なら誤魔化す必要もないだろう。でも、マスクはむしろ突っ込んで欲しい。


「リリカの魔術で精神世界に潜った。その後遺症みたいなもんだ」

「ああ、例の《 魂の門 》な」


 どうやら知っているらしい。術の内容も知っているのか、どうしてこうなったかも分かるようだ。


「まあ、とりあえず座って。……別に寝ててもいいが」

「いや、座る。……ごめん、ちょっと時間かかるけど」

「……そりゃいいけどさ」


 ゆっくりと松葉杖を突いて慎重に移動する。これでもかなりマシになったほうなのだ。何も改善してなかったら、ディルクを言葉では言い表せない目に遭わせていた自信がある。


「……どっこいしょ」

「爺さんか」


 自分でもそう思うが、きついねん。

 ダンマスは手持ち無沙汰だったのか、俺がソファに辿り着くまでにテーブルに飲み物まで用意してくれたらしい。


「それで、なんの話だ? いや、エルシィからは一応聞いてるけど。世界が滅亡するとかなんとか」

「こんなマスク被ってるが、冗談じゃないぞ」

「分かってる。だから順を追って説明してくれ。最初から、抜けや誤魔化しはなしだ」


 さすが話が早い。

 こんな場所を用意するくらいだから、これが冗談でない事は分かっていたらしい。少なくとも俺が本気で言ってるのは伝わっているだろう。普段のダンマスなら、パイソンマスクに何も反応しないのも変だしな。むしろ、自分もマスクを被るくらいはやりそうだ。


 それから説明を始める。

 突然現れたエリカの事。その一度目と二度目に空龍やディルクが立ち会った事。つまり架空の人物ではない事。

 だが、調べてもそれらしい存在はいない事。《 魂の門 》を使う事を指示され、それに割り込んできた事。

 平行世界人で未来人、崩壊した世界の生き残りで無限回廊一〇〇層を踏破したSランク冒険者である事。リリカの娘らしい事。

 崩壊した未来ではダンマスはおそらく死んでいて行方不明、エルシィさんがダンジョンマスターになっている事。

 惑星はほぼ崩壊し重力制御で無理やり形を保った状態、生き残りは月で暮らしている事。

 俺が因果を分岐させ易い特異体である事。

 近しい世界は迷宮暦〇〇二五年四月までに崩壊する事。その原因は分からない事。

 この世界が他の平行世界と比べて歪で、どうも《 因果の虜囚 》が関連しているんじゃないかという事。

 この世界から分岐するはずの近しい平行世界がない事。

 迷宮都市に俺がいる場合、本来ユキは影も形も存在しない事。

 そして、前世で俺が見た事を覚えている限りすべてを……。


「…………」


 ダンマスは説明の最中ずっと黙って聞いていた。信じていない風ではない。むしろ何かしら答え合わせをしているような雰囲気だ。


「いきなり言っても理解し難いのは分かるが、正直時間がない。完全な証拠ってわけじゃないが、崩壊の映像データくらいなら送信できるらしいから……」

「いや、理解できないわけじゃない。ある程度は信用してもいいと思っている」


 信じてもらうために可能な限り手を尽くすつもりだったが、返ってきたのはあっさりとした理解の言葉だった。


「いきなり信用するのか? 言っちゃなんだが、無茶苦茶な話だぞ」

「こっちでも以前から平行世界の調査はしてたんだ。そこで確認できた情報と一致する部分が多いからな。部外者……平行世界を覗けない奴には分からない情報が混ざっている以上、嘘だと一蹴するわけにもいかない」


 ダンマスも近しい調査をしていた。……それは偶然なのだろうか。


「ネームレスから情報をもらって、俺の保有する以上のダンジョンマスター権限で何ができるかを確認してたんだ。その中に平行世界や、この世界の分岐世界を覗く方法があった」

「まさか、崩壊する事も知ってたのか?」

「いや、制限があって極端に未来までは見れないんだ。そして、確かにある時期から先は不自然なほどに確認ができなかった。今にして思えば、そこに視点となり得る生物がいなかったって事なんだろうな」


 俯瞰するわけではなく、誰か固有の視点で世界を見る機能って事だろうか。


「隣接世界の情報も一致する。確かにお前は今のような立ち位置にいなかったし、ユキちゃんもいなかった」

「隣接世界?」

「おそらく、そのエリカって子は知らないんだろう。ダンジョンマスターが生まれた世界の可能性は収束し、分岐しなくなる。在り得た可能性として観測する事はできるが、この世界以外に俺がダンジョンマスターとして存在し得る世界は存在しないって理屈だ」

「へー…………」


 ……あれ?


「……それ、変じゃね? エリカはダンマスがダンジョンマスターだったって言ってたぞ」

「そうだ。有り得ない。ルールと矛盾する」


 ダンマスがいないならこの街が今の姿になるとも思えない。制度なんかもそうで、Sランク冒険者なんて存在は有り得ないだろう。この街は杵築新吾がダンジョンマスターになった事で形作られている。かといって、エリカが嘘をついているようには……。


「……ネームレスが嘘をついてるって事は?」

「十中八九ない。確かにお前も知ってる通り、ネームレスは信用していい奴じゃない。ただ、俺にそんな嘘をつく理由もない。そんな事をしても面白くないし、結果的に訪れる愉悦のための仕込みっていうのも回りくど過ぎる。あいつはもっと単純で、直接的だ。……ついでに言うと、ここら辺のルールは皇龍にも確認して一致してるんだ」


 皇龍の方とも一致している認識なのか。


「俺はエリカ・エーデンフェルデを知らないし、ルールに矛盾しているから鵜呑みにできない。しかし、ある程度情報が一致しているし、更には星が崩壊するようなヤバイ状況で無視なんてできるはずもない。……一応確認しておきたい。ツナ君の目から見て、エリカ・エーデンフェルデは信用に足る存在か?」


 ……エリカ・エーデンフェルデは信用できるか。

 会ったのはたった三回。少なくとも敵対する意思を感じた事はない。むしろ友好的でさえあるだろう。

 それが仮面で、何かしらの目的のために偽りの情報を流して誘導している可能性がないとはいえない。

 しかし、どうにも疑う事ができない。俺の中の何かが彼女は信用すべきだと言っているような気がするのだ。それは、俺が長年信じ助けられてきた本能ともいえる直感だ。


「何かしら嘘が混じってる可能性はある。信用するにも情報が足りない。……だが、信用すべきだって思う」

「根拠は?」

「ない」


 我ながら無茶苦茶言っている。


「……まあ、それならその直感を信じようか」

「え? 本当にただの直感で、根拠すら出せない状況なんだけど」

「どちらにせよ、四月までに何かがあるとして動かないといけないのは変わらないんだ。他の誰かがどう思っているかは別にして、少なくともお前は信じるべきだと思っている前提で動くべきだろう」


 それは……そうか。何も起きないならそれも良し。対策しておくにこした事はない。


「それに、俺も彼女自身が平行世界人でこの世界が崩壊する未来はあんまり疑ってない」

「……なんで?」


 それこそ根拠がない気がするんだけど。


「実はツナ君が要望した崩壊した星の映像データ、それは俺のところに送られて来てる。ご丁寧に、エルシィのメッセージ付きだ。俺とあいつしか分からない情報まで含まれてたよ」

「ああ……そういう事ね。仕事早いな、あいつ」


 やべ、そういえば俺メール見てねえな。俺のほうにも送られてたらどうしよう。


「多分、ルールの認識に違いがあるか、どこか間違っているか……あるいはまったく別の要因か。ダンジョンマスターの杵築新吾が存在している二つの世界がある。理由は……今後調べていくしかないが、今の状況だとそう考えるしかない。……まあ、三〇〇層までの権限じゃ分からない事態って事なんだろう」


 俺が考えても分かりそうにないが……答えを出すには確かに情報が足りていない。

 イレギュラー……といえば《 因果の虜囚 》絡みの話が浮かび上がってくるが、多分関係あるんだろうな。


「そこはとりあえず置いておく。というわけで、目下俺たちが対策すべきはこっちのほうだ。こうならないよう対応する必要がある」


 ダンマスがそう言うと、リビングの景色が変化した。俺とダンマスの座っているソファと間にあるテーブルを残し、部屋が宇宙空間へと変わる。月と崩壊した星。……エリカに見せられた映像そのままだ。


「避けるべき結末は教えてもらった。ヒントも大量にある。だが、何故こうなるのかの原因はさっぱり分からない。それはあちらの世界の住人でもそうだし、少しばかり状況の違うこちらでもそうだ。まだ情報が足りてない」

「エリカに聞いた話だとこの世界は随分状況が違うらしいが、それでも分からないか?」

「……まあ、そうだな。向こうのエルシィからもらった情報も含めるが、いくつか推測できる事はあるぞ」


 ダンマスは立ち上がり、壊れた星が映っている部分まで移動する。


「たとえばこのぶっ壊れた星。変なんだよな」

「変って……」


 改めて見ても、星が崩壊する寸前で時間が止まっているようにしか見えない。確か、あちらの世界のエルシィさんが重力制御でこの状態を保っていたと聞いているが、ここから分かる情報なんてあるだろうか。


「やろうと思えば惑星を壊せる奴はいる。ネームレスは知らんが、俺はできるし、皇龍だってやろうと思えばできるだろう」

「まあ……そうだろうな」


 皇龍のあの巨体なら、体当たりしただけで惑星は崩壊する。それを倒せるというダンマスなら、簡単に……かどうかは知らないが、できるかできないかならできるんだろう。


「あとは那由他、メイゼル、エルシィ、アレイン……つまり、俺の今のパーティメンバーならできる。途中離脱したアルテリアやガルスには厳しいだろうが」

「……全員壊せんの?」


 おっかないパーティもあったものだ。お願いだから夫婦喧嘩とかやめて欲しい。怪獣大決戦ってレベルじゃない。

 特に、さっき会ったばかりのエルシィさんができるとか、印象が違い過ぎる。


「他にも、星を壊せるだけの威力を持った兵器はあるし、この世界は過去にも無限回廊が起動していた痕跡があるからそういうアーティファクトが眠っているって可能性もあるだろう。だけど、そのどれもこの映像を再現するには不自然だ」

「……壊せるんだろ? 跡形もなくならないとおかしいとか?」

「いいや、どれも一瞬で壊すのは不可能だから、こんな感じで崩壊の経過は発生する。そこはいい。……だけどだ、この映像、どうにも内側から壊れてるように見えるんだよな。俺たちがやるにしても、わざわざ中心まで行って力を行使しないとこうはならない」


 映像は崩壊直後で停止した状態だ。そういう状態でなければ分からないが、確かにそう見える。星の外部から力を加えて破壊したにしては、そういう痕跡も見当たらない。巨大隕石が墜落したり、ガンマ線バーストを喰らってもこうはならないだろう。


「……なるほど。そう見える」

「それを裏付けられる情報かは微妙だが、向こうの世界のエルシィが崩壊前に複数回地震を検知したらしい。迷宮都市では直下の地殻を制御しているから震源地がよっぽど深くないと地震は起きないんだが、そのよっぽどが起きている」


 ああ、やっぱり地震がないのはそういう事をしてたのね。


「……地下深くで何かがあった?」

「多分な。まだそう断定するには情報が足りない。……だが、もしそうだとすると怪しい場所が一箇所あるんだ。先日、アレインが現地の亜神たちから攻略許可を取って来た< 深淵の大洞穴 >と< 地殻穿道 >だ」


『そして、こういった未踏破のダンジョンは現時点で判明しているだけでも五つ存在する。メイゼルが攻略している新大陸の< 煉獄の螺旋大迷宮 >。手付かずのまま半ば放置状態になっている暗黒大陸の< 生命の樹 >。俺が攻略許可の交渉を続けている魔の大森林の< 深淵の大洞穴 >と< 地殻穿道 >。……そして、ここ月に存在する< 月の大空洞 >だ』


 以前、月に行く時に聞いた話に出てきた未踏破ダンジョンか。


「魔の大森林にあるっていう? 候補が二つあるって事か」

「この場合の候補は一つだな。俺たちが直接確認したわけじゃないが、この二つは連続したダンジョンで、< 深淵の大洞穴 >の先に< 地殻穿道 >がある特殊な構成らしい。ついでに言うと、更に先があるかもしれない。……とにかく、地中深くまで続いてる超大型のダンジョンってわけだ。近々、俺たちはここを攻略する予定だった。今回の話がなくてもな」


 そうか。複数の世界で同時期に起きた現象なら原因も共通なわけで、その原因が自動的に引き起こした現象でもない限り、何かしらの干渉を受けた結果と考えるのが普通だ。元々組まれてた予定なら、その可能性も高い。


「とはいえ、何が起きたかも分からないし、そこで起きたのかも分からない。ただ、可能性が高そうだって話だ」

「外部からの干渉を受けてこの結果になったのだとしたら……放置するとか?」

「……うーん。難しいところだよな。それもなしとは言えない。ただ、そこにあるのが時限爆弾みたいなもんだったら最悪だよな。何もしなくても、時期が来れば爆発するみたいな」


 それじゃ、対策しないのは逆にまずいな。……未知ってのは本当に厄介だ。


「正直、対応は決めかねてる状態なんだが、あまり時間的な猶予はない。一番有力なのは用意できる最大戦力で確認しに行く事かな。今なら俺とアレイン、エルシィ、那由他の四人で挑めるし、サポートで他の連中連れていく手だってある」


 たら、れば、可能性を考えればキリがない。< 地殻穿道 >の先に何かあるっていうのも可能性。かもしれないの域を出ないのだ。極端な話、まったく関係ない場所で何かが起きた可能性だって十分にある。


「……キリがねえ。というか、ぶっちゃけ、俺何もできないんじゃね? その< 地殻穿道 >だってダンマスたちが攻略しないといけない難易度なんだろ?」


 命運を投げかけられたのは俺だが、この状況で直接的に何かできる気がしない。


「お前をどう使うか、お前がどう行動すべきかは、はっきり言って判断がつかない。お前が特異点ってのもマジっぽいし、この状況があるのはお前が起こした行動の結果なのも確かだ」


 そんな事を言われてもな。ある程度違いは聞いてるが、他の俺がどうだとか想像もつかないし。

 行動を起こすにしても、やらないといけない事っていえば《 魂の門 》を再度潜って第二門へ到達する事くらいで……。


「俺ができるのは選択肢を提示する事くらいだ。このまま冒険者生活を続けていたら何か起きるかもしれないし、< 地殻穿道 >に行きたいなら一緒に来てもらってもいい。……それと一応、別に腹案もあるから、これに乗ってもいい」


 俺がダンマスたちと一緒に行っても、足手纏いってレベルじゃねーぞ。それは選択肢に入れていいのか?


「腹案ってのは?」

「対策っていうよりも、状況の違いを利用した保険なんだけどな。……エリカのいた世界は、星が崩壊して逃げるにしても月しかなかったわけだろ?」

「まあ……うん。時間なかったみたいだしな。他には火星に相当する星も住める可能性はあるとか言ってた……まさか、火星に行けって言わないよな。確かに、あいつのいた世界よりは移動時間は確保できるだろうけど」


 隣の惑星が崩壊して影響なしとはいかないだろうから、何かしらの対処も必要になる。避難してそれでおしまいってわけじゃないはずだ。


「いや、移動時間に加え、ダンジョン攻略まで含めるとそれはさすがに厳しい。それよりももっと避難しやすい場所があるだろ」


 ……避難? と言われても、この星は真っ先に除外するとして、こう言うからには月でもないだろう。だが、その次に近い火星でもないとなると……金星? ……いや、星じゃないんだろうな。


「ああ、無限回廊とか」

「それも考えたが、最終手段だ。……つーか、分かんねーのかよ」


 違うのかよ。……え、もう候補なくね? でも、こんな言い方をするなら俺が思いつく場所だろうし……地球とか? ……世界違うし、行き来できるならダンマスも苦労してない。……ああ、そういう事か。


「……皇龍の世界」

「ビンゴだ」



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