第5話「盥回し」




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 シグナルが切り替わるとともに八体のミノタウロスの咆哮が上がり、猛烈な加速で走り出す。

 巨体の重量から想像できないようなスピードで駆け抜ける姿は圧巻の一言だ。一見広く見えるコースも、八体の巨獣にはむしろ狭いフィールドといえるだろう。

 立ちはだかる障害をものともせずに乗り越え、破壊し、時には飛び越えていく。ついでに跳躍時には変なポーズで無駄にアクロバティックでスタイリッシュな動きを見せるというサービスっぷりだ。奴らはエンターテイナーである。

 開始前の予想に反してレースは混戦、最終コーナーを曲がってもまだ七体の巨獣がゴールを争っている。一体は途中で着地に失敗し、足を捻って半リタイヤ状態だ。かなり後ろのほうで蹲っている。

 最初にゴールに辿り着き、勝利の雄叫びを上げるのは本命のリブロース・グレート。去年の賞金王との事だが、その実力はまだまだ健在らしい。王者の貫禄というやつである。

 わずかに遅れた二位争いは団子状態だ。VTR判定の結果、二番人気だったコウキュウ・サーロインはなんと七位。二位でゴールしたのは大穴のホルスタイン・ジェットという大番狂わせとなった。

 ホルスタイン・ジェットはその白黒模様の見た目通り、唯一の乳牛種である。成績の芳しくない乳牛種の中で突然踊り出た新星との事だ。

 連勝複式とはいえ、オッズを見る限りこの二体を予想した人は少ないだろう。実は俺も外れた。


「迷宮都市には随分変わったギャンブルがあるんだな……」


 ベレンヴァールは遠い目をして、目の前で繰り広げられたレースを見ている。

 それは迫力に対しての反応ではなく、何やってるんだこいつら、という意味だろう。俺もそう思う。


「なかなか面白えじゃねえか。入り口あたりにあったルーレットやスロットみたいなギャンブルよりこっちの方が好みだ」


 一方、サンゴロさんは気に入ったらしい。カードゲームやコインを利用した簡単なギャンブルにしか触れてこなかった人には、このインパクトは強烈だろう。競馬でも十分インパクトはあるのだろうが、見た目の派手さは格段にこちらの方が上だ。迫力が違う。

 ちなみにこのレースは< タウロス・ダッシュ >と呼ばれる公営ギャンブルの一つだ。簡単に言ってしまえばミノタウロスなどのタウロス種を馬の代わりにした競馬のようなものである。

 ただし、トラックを走るだけでなく障害物がランダムで設置される。このカテゴリではないが、タウロス同士の妨害行動が許可されるレースもあるらしい。ちなみに騎手はいない。

 更に上位のカテゴリではブリーフタウロスやトランクスタウロスなど、より上位ランクの牛さんたちが競い合うそうだが、彼らは履いているパンツが違うだけではなく身体能力も大きく異なるので分ける必要があるのだろう。上位種のレースは更に派手な展開になりそうである。

 そもそもの話として、何を思ってミノタウロスを使ってレースをしようとしたのかは良く分からんが、ダンマスにも色々事情があったんじゃないだろうか。


『それでは、先ほどのレースで二位に輝いたホルスタイン・ジェットさんにインタビューしてみたいと思います』

『あ、どーも。いやーまさか二位になれるなんて思いもしませんでしたよ……なーんて、うっそでーす! 狙ってましたー。負け犬のコウキュウ・サーロインが鉄板だと思ってた? 残念でしたー! 大・盤・狂・わ・せ! 牛券ムダになっちまってしぃましぇーん!』

『……た、大変個性的な選手でしたね。それでは次のレースは……』


 大スクリーンで中継されるインタビュー。ホルスタイン・ジェットはダブルピースだ。

 突然の強烈な煽りに会場は大ブーイングである。とりあえず、ダンジョンでホルスタイン柄のミノタウロスを見かけたら真っ先に殺してやろうと誓うくらいにはウザい。

 ……ダンマスの事情というか、あいつら普通に希望して参加してる気もするな。ノリノリじゃねーか。


『えー、審議の結果、ホルスタイン・ジェットさんが来年頭より討伐指定される事になりました』

『……え、マジで? 俺、ミノタウロスなんだけど』

『ブリーフは用意してあるそうです』

『ちょ……え? ただ履く物変えても強くなるわけじゃ……』

『冒険者の皆さん、頑張って下さいねー』


 まさか、討伐指定種ってこうやって決めてるわけじゃないよな。



 さて、今日ここに来ているのは、ベレンヴァールとサンゴロさんの迷宮都市案内の一環だ。

 ベレンヴァールの迷宮都市到着の報告を受けた俺はギルドへ折り返しの連絡をしたのだが、どうやら内部に関係者がいるかどうかのチェックだったらしい。

 それから数日後、審査が終わる日になって迷宮都市の門まで迎えに行ったのだが、そこにはサンゴロさんの姿もあった。審査が終わるのが同じタイミングだったそうだ。

 十二月の初心者講習はもう終わっているが、二人とも冒険者になるとの事なので、登録だけでも済ませようとギルド会館まで案内したのがつい先ほどの事。登録と簡単な説明だけで用事が終わるため、その後は案内を兼ねて飯でも食おうという事になった。

 そして、いざどこに連れて行こうかと悩んでいたところ、サンゴロさんから希望があったのがまさかの賭場である。単純にこの街にどんなギャンブルがあるのか知りたかっただけなのだろうが、俺も足を運んだ事がなかった事もあり、せっかくだからとこの公営カジノに足を運ぶ事になったのだ。


 この公営カジノはダンジョン区画にあり、闘技場と並んで別区画の住人が多く訪れる施設である。

 ギャンブル施設ではあるが、公営という事もあり暗い雰囲気はない。入り口あたりは金銭を賭けないただのゲームセンターなので、子供も多いくらいだ。

 実際に金を賭けるカジノのエリアは明確に区別されて入場にも資格が必要になるのだが、中級冒険者は無条件で入場できる。同伴者がいれば子供でも入場自体は可能らしい。

 ゲームセンターから少し奥まで入ると、そこはムード溢れるカジノらしい内装に変わる。内装に比べて客層は平凡だが、ここは一般向けの施設という扱いなのだろう。明確に区切られているものの、同施設内には高額な金銭が飛び交うエリアがあるらしいし、別の区画には更に高額なギャンブルが行われる会員制のカジノもあるという。

 大ホールではポーカーなどのトランプゲームやルーレット、スロットなどカジノ定番のゲームでギャンブルが行われてる他、日本では見たことのなかったゲームも多く見られた。

 競馬などの大規模レースのための専用のエリアもあり、一通り見学してみようと施設を見学していた俺たちの目に止まったのが、この< タウロス・ダッシュ >だ。まさに迷宮都市ならではのギャンブルである。こういうレース的なギャンブルはショーの意味合いも強いので、観覧席には食事を行えるテーブルもあるというのもポイントだ。

 一応最初の目的は飯だったのだからと専用のテーブルを陣取り、レースを観戦する。料理の質は……まあ普通の外食だな。多少割高だが、再会記念としては安いものだろう。

 特別メニューとして各レースで最下位だったミノタウロスの肉も出しているらしいが、あまり手を出したくない。負けたら食われるって、どんなブラックジョークだよ。食欲なくなるから、遺影を付けるんじゃない。


「大将の奢りなら酒飲んでもいいか? リハビリ中は、飯は美味かったけど酒飲めなかったんだよな」

「お前は真っ昼間から飲む気か……」

「だって、飯が美味いんだからじゃあ酒はって、気になるだろ」


 そら、リハビリで入院している患者に酒は飲ませないよな。審査中に使われる食堂も酒は置いてないらしいし。

 外はエールかせいぜいワインくらいしかない。俺が働いてた酒場で出していたのも正体不明の謎の酒だったし、サンゴロさんが種類豊富な迷宮都市の酒に興味を持つのも当然だ。

 本当は居酒屋にでも行ったほうが種類も豊富で安いのだが、最初ならここでもいいだろう。無難なレベルのものは出てくるだろうし。


「仕事中ってわけでもないし、別に酒くらい飲んでも問題ないですけど。……医者に止められてたりしないですよね?」

「話分かるじゃねーか大将。医者からも別に何も言われてねーし、じゃあ奢られちゃおうかなー。読めねえし、どれがいいのか分からないから上から順に……」

「……すまんな。再会早々」


 別にベレンヴァールが保護者というわけでもないのだが、バツが悪いのだろう。

 友人なのは知っているが、こうしていざ並んでみると激しい凸凹っぷりである。


「しかし、まさかモンスターを飼い慣らしてレースをしているとはな。……俺の世界じゃ想像もつかなかった」


 この世界でも迷宮都市だけだと思います。いや……別の世界にも存在する気はしない。


「別に飼ってるわけじゃなく、あのミノタウロスさんたちは仕事だと思うぞ。ギルド会館にもモンスターの職員いただろ」

「いたな……そういえば、ゴブリンから説明受けた……。モンスターが社会進出しているのか……どうなってるんだ、この街」


 大体、インタビュー受けて喋ってるしね。あのノリをダンジョンに持ち込まないあたり、プロの職人である。


「そういうもんだって割り切っちまったほうがいいんじゃねえか? ベレンだって俺たちから見たら大して変わらねえぞ」

「お前は俺をモンスターの親戚だと思ってたのか」

「異種族ってのは変わらねえだろ。この前大将と戦った時のお前とかモンスターと変わらねえって話じゃねえか。< 魔王 >だっけ? 勇者が魔王になって倒されてりゃ世話ねーな」

「う……痛いところを」


 サンゴロさんはリハビリ中にもある程度の事情は聞かされているようで、ベレンヴァールと俺たちが戦った事も知っている。

 確かに、魔王ベレンヴァールはモンスターよりタチ悪かったな。


「サンゴロさんはなんというか、割り切ってますね。外から来た人は大抵モンスター見て目を疑うらしいんですが」

「話通じて友好的なら、ゴブリンだろうがエルフだろうが関係ねえよ。冒険者連中はそうはいかねえんだろうが、傭兵はモンスターと対峙する事はそうそうねえし。むしろ同じ傭兵や盗賊相手がメインだ。あいつらはろくに話聞かねえから、ここのモンスターよりタチが悪い」


 この場合の冒険者とは迷宮都市の外で活動する冒険者の事だ。サンゴロさんほど割り切ってる人は少数派だろうが、傭兵はモンスターと戦わない分、拘りも少ないのだろう。

 あまり実感は沸かないが、冒険者の中にはモンスターというだけで敵対する人も多いという。中には、それが耐えられずにこの街を去る奴もいると聞く。親や友人を殺されたり、住んでいる村を頻繁に襲われたりしたら悪印象は拭い難いよな。俺の場合だって半分以上敵で、緊急時はまずい食料という程度の認識だ。

 友好的に接してくるギルド職員だって、最初の頃はどうしても警戒してしまう。友好的ではあるが、ヴェルナーはまた違う意味で俺の敵だ。


「そういえば、結局冒険者になる事にしたんだな」

「……ああ、俺は元々そのつもりだったが、サンゴロもそのつもりらしい」

「一応、一般市民として生活する事も提案されたが、性に合いそうにねえんだよな。外に出て傭兵やろうにもウチの団壊滅しちまったし」


 戦争終盤になってゲリラ戦に移行したラーディン王国軍の兵士は行方不明者が多い。これは身元確認できなかった死体も含む。

 先日までに調べておいた情報だと、サンゴロさんの所属していた傭兵団も半数以上が死亡が確認され、はっきりと生存が確認できたのはサンゴロさん含めて数名だけだ。


「そういえば、あの戦争の名簿が公開されてたんで、印刷して持ってきましたよ」

「へー、……って、団長生きてるのか。しぶといね、まったく」

「あの男は国に忠義を尽くすタイプではなかったし、洗脳の影響も小さかったようだからな。上手く立ち回ったのだろう」


 プリントアウトしておいた名簿を見せると、二人共通の知人が生存している事が分かった。

 戦死者や行方不明の知人もいるだろうに、二人はさして気にした様子はない。ここら辺は傭兵の経験によるものなのだろう。ベレンヴァールのほうは本当に気にしてないのかもしれないが。


「こういう情報は普通機密扱いじゃねえのか? ……いや、地図といい、常識で考えちゃいけねえのかもな」


 普通に検索できたしね。

 迷宮都市外の文明レベル基準だと、地図も重要機密扱いだよな。地球だって、詳細な地図が一般向けに売り出されたのは近代以降だろうし。

 そこら辺の切り替えができる人はこの街向きだと思う。


「つーか大将、なんでベレンは呼び捨てで俺は敬語よ。こいつ勇者サマで俺は一傭兵だぞ」

「ベレンヴァールとは全力で殺し合った仲ですしね」


 言ってみれば土手で殴り合って芽生える友情のようなものである。そのグレードアップ版だ。

 というか試合でもない限り、さん付けで呼び合いながら殺し合う事はないだろう。


「俺一人なら気にしねえが、ベレンが呼び捨てで俺が敬称付けられてるとムズ痒くてしょうがねえ。畏まられるような上等な人間じゃねーよ」

「それなら普通にするけど……というか、さっきから言ってる大将ってなんだよ」

「ベレンがこれから世話になる相手なんだから俺にとっても大将だろ」

「世話になる?」


 扶養してくれって意味じゃないよな。まさか、クランに入るって事か? まだ勧誘もしてないんだけど。


「クランという団体があって、お前はその代表なのだろう? いきなりですまんが、俺を入れてもらえないか? ……サンゴロは別扱いでいい」

「え、俺ハシゴ外されてる?」

「そりゃ、お前なら何も問題はないけど……選択肢は他に色々あるぞ。エルフじゃないから美弓のところは駄目かもしれないが、グレンさんのところでも歓迎してくれるだろうし、そもそも入らないって手もある」

「それも考えたが、直接戦って最後に立っていたのはお前だからな。紛い物の勇者で魔王だった俺を勇者にしたのはお前だ。だから新しい一歩を踏み出すなら、お前のところがいいんじゃないかと思った。……チームプレイは苦手だが、ある程度の戦力は保証するぞ」


 お前で駄目なら大抵の奴はアウトだよ。

 なんか責任取れって言われてるように聞こえるんだが、本人がいいって言うならいいか。


「あ、大将、俺もよろしくな。小間使いから小間使いまでなんでもやるよ」


 小間使いしかねえじゃねーか。


「ベレンヴァール的にはサンゴロさん……サンゴロの評価はどうなんだ?」

「戦闘に関しては見たことがないから分からんが、迷宮都市でいうところの< 斥候 >の素養はありそうだな。あと変な名前だ」

「自慢じゃねえが、戦闘はからっきしだ。名前は関係ねえよ」


 < 斥候 >の適性があるなら戦闘できなくても問題ないって事はないが、必須というわけでもない。

 特にウチは摩耶一人に頼ってる状態だからな。候補というだけでも助かる。……ベレンヴァールも戦闘特化っぽいし。


「……まあ、クラン所属するまではまだ時間はあるし、それまでに入団試験でも考えておくよ」

「あれ、いきなりそういう団体のサポート受けられるわけじゃないのか?」

「それどころか、冒険者としてデビューするのにも試験がある。……ベレンヴァールってそこら辺どういう扱いになるんだ?」


 サンゴロはともかく、ベレンヴァールはまともな新人じゃない。無限回廊の深層まで潜ってる奴にトライアルやらせるのだろうか。


「俺は特別枠扱いらしい。詳細は後日の試験次第だが、戦闘の試験になるだろうと聞いている」

「あれ、てことは俺一人でその試験受けるの?」

「一人ってわけでもないだろうが、……まあ頑張れよ。新人同士、サティナも連れていったらどうだ」

「…………」


 朗らかだったサンゴロの雰囲気が変わり、酒を飲む手が止まった。

 ……サティナって、二〇〇層管理者が乗り移ってた女の子だよな。え、冒険者になるの?


「それって例の子だよな。ひょっとして、目と足はもう治してもらったのか?」

「ああ……審査中に再会した。普通に立って、目も見えていたよ」


 喜ぶべき事なんだろうが、それにしては二人の雰囲気がおかしいな。一緒にいないのは……審査の期間もあるからおかしくはないが、何かあるのだろうか。


「良かった……のか? まさか、ダンマスになんか別の条件突きつけられたとか……」

「今日お前を呼んだのはその件が本題だ。……どうしたものかと思ってな」

「放っておきゃあいいじゃねーか。自分から首突っ込むっていうんだから、横から口出すような話じゃねーよ」


 サンゴロは突き放した言い方だが、あまり割り切れてもいない様子だ。よほど変な条件でも突きつけられたか……。


「……まず、お前が干渉を危惧したダンジョンマスターはこの件に絡んでいないらしい」




-2-




 ベレンヴァールから聞かされた話は、俺の一切想定していない内容だった。

 審査が行われる壁の屋上でサティナと再会した事。

 そのサティナがほとんど別人で、単なる街娘とはほど遠い言動をしていた事。

 ただし、何らかの魔術で洗脳されているわけでもなく、あの二〇〇層管理者の知識を共有した影響だという事。

 目と足は完治しており、それをしたのはダンマスではなくこの街の領主である事。

 自らの意思で冒険者になると決めた事。

 そしてその冒険者を目指す理由がベレンヴァールへの贖罪という事。


 直接話したわけではないが、当の本人からしてみたら胃に穴の開きそうな話である。

 助けようと奮闘した少女が、いざ助かったら自分のためと言って過酷な環境に身を落とす。それが必要な事なら美談だし、物語的に考えるなら良くありそうな話だ。

 だが、サティナはわざわざ苦労を背負わずとも迷宮都市で一般市民として暮らしていく権利を放棄し、冒険者になる道を選んだ。ヒロインを危険から遠ざけるために奮闘した主人公の努力が引っ繰り返されている……ように見える。

 ……ここに来て領主が出張ってきたのも気になる。招待状とほとんど同じタイミングだ。警戒すべき相手を間違えたというか、横から殴られたというか。だけど……。


「話だけを聞くと、領主の干渉云々を別にすれば、サティナの行動自体はおかしな事でもないと思う」

「……な、に」


 共感してくれると思ったのか、俺が言った言葉にベレンヴァールは目を見開いていた。


「あの子が何も知らない、何もできない状態で悪事に手を染めた。そこから助け出すのはお前の正義なんだろう」

「そうだ。自分の意思と無関係に、何かを強要されるのはフェアじゃない。力を持たない弱者が強者に逆らえるはずもない」

「だけど、そこから先の人生は本人のものだ。庇護が必要な状態ならともかく、一人で考えて歩けるようになった上での判断だろ。それを縛るのはそれこそ間違ってる」

「……俺が間違っていると?」

「本人だから見えないって部分が大きいんだろうが、外から見たら要は子供をまだ小さいと思ってる親と独り立ちしたい子供が言い争ってる構図に見える」


 職業選択も、その理由も本人に委ねられるべきだ。冒険者は過酷な職業ではあるが、死ぬわけでもない。外で冒険者や傭兵になるのとはわけが違う。

 燐ちゃんみたいに未成年かつ親の庇護下にある状況とは違い、サティナはベレンヴァールの子供というわけでもない。


「庇護が必要な状態っていうなら分かるけど、そんな感じじゃないんだろ?」

「……ああ。自分の意思で立っているようには見えた」

「じゃあ、お前がやるべき事は行動を否定する事じゃなく、次に失敗した時に助けてやる事なんじゃないかって俺は思う」

「……そうか」


 ベレンヴァールの顔は晴れない。納得もしていないだろう。

 実際、間違いってわけでもないから難しいところなんだろうが、反対意見もあったほうが考えもまとまるんじゃないだろうか。


「俺も根っこの部分じゃ大将と同じ意見だ。だがまあ、割り切れねえベレンの気持ちも分かる。前に会った時とのギャップがでか過ぎるんだよ」


 俺は元々のサティナも変貌したサティナも知らないから言えるのだろう。その辺、ほとんど部外者だからな。


「しかし、無限回廊は贖罪目的で挑むような代物ではないだろう」

「それが理由なら長続きはしないだろうな。まあ、痛い目見て諦めるのも一つの道だ。そういう奴は多いらしいぞ」

「……そういえば、この街では無限回廊を探索するのも一つの職業という認識だったな」


 冒険者として推薦受けてきた冒険者ならそれ以外に道はないが、サティナの場合はまた別だ。挑戦して挫折して辞めて一般市民として生きる道もある。

 贖罪というのが本心で、それが冒険者になる理由というのなら早々に挫折する事になるだろう。

 だけど、俺にはそれが本心に思えない。愛しの勇者様と一緒に戦うために捻り出した理由に聞こえる。


「とはいえ、今聞いた情報だけで出した意見だからな。実際に相対してみたら印象は違うかもしれない。……特に領主の存在については気になるところだな」

「一体どんな奴なんだ。ダンジョンマスターの妻だという話だったが」

「分からん。名前すらこの前知ったばかりだ。……年末に例の件のパーティするからって招待状をもらったんだが、そっちは案内きてるか?」

「いや……覚えがないな」

「ベレンヴァールが無関係って事はさすがにないから、近日中に連絡が来るんじゃないか。主催者だから領主も出てくるだろうし、そこで見極めればいい」

「そうだな……直接会うなら真意を問い質してもいいか」


 その場にはダンマスやサティナも来るだろう。この件がなくても領主については何か引っかかりを覚えている。


「穏便にな。聞いた話だと、俺やお前どころかグレンさんでも勝負にならないくらい強いだろうし」

「化け物じゃねーか」


 サンゴロにとっては俺たちも似たようなもんだろうが、俺たちから見ても化け物だ。


「まさか、あのダンジョンマスターと同等とでもいうのか?」

「詳細は知らない。だけど、多分ダンマスのパーティメンバーだ。同じような強さだと思ったほうが自然だな」


 亜神と呼ばれる連中の一人なのだろう。怒らせたら都市が消滅するというのもありえそうな話である。



 少し雰囲気が落ち込んでしまったが、その後も二人とはしばらくいろんな場所を回りつつ、今後の話をした。

 ベレンヴァールは終始何か考えている様子だったが、自分の中で情報を整理しているのだろう。


「まだ割り切れないというのが本心だが、少し整理が付いた。……多分、サンゴロの言っていた事が真理なんだろう。あまりに激変した状況に判断が追いついてない」


 別れ際に言ったその言葉が、ベレンヴァールの出した現時点での回答だ。

 正解かどうかは分からないが、自分で出した答えである。飲み込むにも多少時間が必要だろう。


「領主が本当の悪人でいたいけな少女を唆したって線は消えてないが、その場合は大変だな」

「そいつを倒すといっても、お前は面倒臭がりつつも手を貸してくれそうだな」

「……どうだろうな」


 本当に唾棄すべき悪人で排除すべきと思ったら、あるいはそういう事もあるが……その可能性は低いと思っている。

 本人には会った事がないし情報もほとんどないが、ダンマスの嫁さんなのだ。問答無用の極悪人ならダンマスが対処しているだろう。

 むしろ不安なのは、俺の想像の及ばない価値観で動いている可能性だ。理解し難い……極端な話、あの二〇〇層管理人のような人格だと手に負えない。

 ……少し本格的に調べてみるか。




-3-




 それから自分なりに迷宮都市の領主について調べてみたが、分かった事は少ない。

 本当に領主なのかというくらい表に出てこない人で、顔の映った画像すら見つからない。ダンマスの情報も少ないが、それ以上だ。

 隠蔽されているというわけではない。チラチラと存在の名残のようなものは見当たる。那由他という名前が記述された資料もあったが、そこから先が進まない。ネットでもギルドの資料室でもその程度しか情報がない。これでは人物像が分かるはずもない。

 ダンマスに聞いてみるのが一番早いのに、連絡付かないのは今更ながらに意図的なものではないかと勘ぐってしまうところだ。監禁されてたりしないよな?


「ダンマスもそうだけど、噂すらないよね」


 できれば調べてくれと調査の手伝いをお願いしたユキも、似たような回答に辿り着いたらしい。


「普通、領主ってこんなにも表に出てこないもんなのか?」

「いやいや、そんなわけないでしょ。領地運営はそんな楽じゃないって……貴族が踏ん反り返ってるだけじゃ領地は運営できないよ」


 それもそうか。物語の中で貴族が悪役である事は多いが、そんな貴族ばかりなら国は運営できない。

 いるにはいるだろうが、領地は衰退するだろう。逃げられたり、滅亡したら責任問題になりかねない。

 生かさず殺さず搾り取る術に長けているならなんとかなりそうだが、まっとうに運営するより大変そうである。


「どうもステレオタイプな貴族像が頭にこびりついてるよな。領民から税金を搾り取るだけで、経営はしないみたいな」

「そういう人もいるかもしれないけど、それじゃ運営回らないでしょ。早々に破綻するよ」


 迷宮都市は破綻からほど遠いところにある。ここまで情報が少ないと直接運営を回してる気はしないが、その基盤造りには関わっているはずだ。

 俺の場合、故郷の惨状が根本にあるから、どうしても圧政という言葉がチラつく。九公一民は人の生きられる税率ではないのだ。


 実は、今回の件と関係なく、まったくのついでで俺の故郷の村について調べてみたのだが、そこで驚愕の事実が判明してしまった。

 あの領地、山脈を含めてドルキア子爵家という貴族の領地らしいのだが、このドルキア子爵、善政を行う事で評価されている貴族なのである。

 税率も他の領地に比べて低く、むしろ帝国に国境を接しているネーゼア辺境伯領のほうが高い。モンスターが多く、開拓できないと判断された山脈を有しているのによくやっていると評価されているほどだという。

 どんな異次元の話なんだと他の資料を漁ったりもしたのだが、大まかな情報に差異はない。ついでにギルド職員にも聞いてみたが、少なくとも資料上は合っているとの事だ。

 いくらなんでもおかしいだろとも思ったが、良く調べてみたらおかしいのは俺の故郷のほうだった。


 なんと、あの山に村は存在しないのだ。

 ……何を言っているのか分からねーと思うが、俺も意味が分からなかった。頭がどうにかなりそうだった。催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。存在そのものがなかったのだ。

 ……いやマジで。最近滅びたとかではなく、歴史上の記録に存在しない村なのである。台帳とかないらしいよ。

 どういう経緯で作られたのかなんて資料がないんだから分かるはずもないのだが、存在しないのだから税をいくら取ろうが関係ない。滅亡しようが問題もない。何かとてつもなく恐ろしいものの片鱗に触れた気がした。

 ……つまり、世が世なら俺は戸籍もなにもない悲惨な状況なわけだが、元々王都でも市民権は持っていなかったし、それで捕まるほど法律が厳しいわけでもない。というか、市民権については俺が考えているよりも上等な権利で、ユキも持ってなかったらしい。

 二番目の兄貴以外、あの村の住人がどうなったかなんて知る必要もないのだが、元々存在しないのだから忘れてしまったほうがいいだろう。うん。

 俺は見なかった事にした。今調べるのは領主の事であって、俺の故郷の事ではない。


「調べてみてボクが気になったのは、むしろ迷宮都市の外かな。あー、周囲って意味ね。王都から馬車で三日の距離にこんな巨大都市があったら、噂くらいは伝わってくるはずなのにそれがない」


 それは俺も気になっていた。具体的にはダンジョン区画から初めて出て迷子になった時に。


「認識阻害があるとはいえ、最初から完全に隠蔽できてたとは考え辛いよな」

「ダンマス召喚前は完全無欠に不毛の土地だったっていう資料はあるんだけど、それならそれで食料や水を運び込まないといけない。なのに意図的に流したと思われる情報以外は遮断している。頑張れば徒歩でも行き来できる距離でこれは不自然だよ」

「……ひょっとしたら完璧じゃないのかもな」

「迷宮都市の外に情報はあるって事? たとえば王都とか」


 領主っていうくらいだから貴族だよな。いくらなんでも代替わりの時には顔を出してるんじゃないか。

 でも、それじゃ知っている人が限られる上に、王都まで行かないと話ができない。……王国貴族か。




[逆レイプに失敗した男爵令嬢の場合]


 領主についての資料はない。となると、次は聞き込みだ。知っている人間に聞いてしまうのが早い。

 王都まで足を伸ばす気はないが、王国貴族なら心当たりがある。しかも領地住まいではなく、王都出身である。

 というわけで、俺は観光区画にある禅寺へとホイホイやって来たのだ。


「それで、わたくしのところに来たわけですか」

「王国貴族だから話くらいは聞いた事があるかなーと。あと、放り込んだあとほったらかしだったから様子見?」


 あの騒動後、精神修行という名目でレーネを寺に押し込んだのは俺だ。ユキへの弁明の材料の意味合いもある。

 何故仏教もないのに寺があるのかは、観光区画にある事から大体想像つくのだが、一応ここは精神修行の場としても利用されている。日本にもあった体験修行のようなもので、俗世から離れ自分を見つめ直す修行に身を投じる事ができるらしい。


「それで少しは反省したか?」

「ええ、猛省しましたわ。あのお経というのは意味が分からないままですが、自分を見つめ直すいい機会になりました」


 なんか効果あったらしいぞ。

 サージェスさんとか放り込んだら効果あるかな。……でも、あいつ弱体化しかねないしな。いや、あいつの事だから、むしろパワーアップして帰ってくる事も考えられるか。


「いくらなんでもアレはありませんわね。怒られて当然ですわ」

「そうね」


 逆レイプ未遂だしね。ユキが通報してたら、逮捕されてもおかしくない。下手すりゃそのまま追放コースだ。


「わたくし、気付きましたの。ユキ様を前にすると、どうも精神的に不安定になってしまうようです」

「え、今頃気付いたの?」


 それは寺に放り込まれる以前に自覚してないとまずい話じゃね?


「なので、しばらくはユキ様に接触するのは避けようかと思ってます」

「そりゃ賢明な判断だと思うが……変に溜め込むとろくな事にならないぞ」

「ユキ様を前にしたらこの熱いパトスがあらぬ方向に暴走してしまう事は明白。とはいえ、完全に断ってしまうと自我が崩壊しかねないので、何かエサを頂けないでしょうか」

「お前本当に反省してんの?」

「もちろんですわ」


 立ち直り方というか、開き直り方がおかしいよな。真っ当な精神構造じゃない。……まあ、写真くらいは渡してもいいが。


「あの日、暴走せずにしれっとクラン入りしてれば、いくらでもチャンスはあっただろうにな」

「このレーネ、一生の不覚ですわ……」


 いくら結婚する気がないとはいえ、婚約者というアドバンテージは大きい。ユキも別にレーネ本人が嫌いという事はなかったのだから、いくらでも好感度を稼ぐ手段はあったはずだ。

 時間をかけて関係を再構築していけば正直なんとでもなった気がする。なのに、自分の手でぶち壊してしまった。


「でも、王都に帰らないんだから、諦める気はないって事だろ?」

「もちろんです。不退転の覚悟を以て挑むつもりですわ」


 後ろに引かないその覚悟は先日のローランさんに通じるものがあるが、何故こんなに印象が違うのだろうか。


「お前の冒険者としての資質は認めざるを得ないわけだから。その方向からなんとかしてみるか」

「あら、手伝ってくださいますの?」

「積極的にとはいかんが、クラン入りも含めて手伝ってもいいくらいには考えてる」

「……どういった風の吹き回しでしょうか。正直、絶縁されても文句は言えない立場なのですけれど」


 それに疑問を抱くくらいには、自分のした事を理解しているという事か。だからこそ、俺の反応は意外だったらしい。


「理由はいくつかあるが、まずはお前の才能だな。これがなかったら王都に帰る事を強く勧めてる。二つ目はユキが絡まない場合のお前は結構気に入ってる」

「まさかプロポーズですか。この豊潤な若い体を狙ってとか」

「ねえよ」

「あなたも大概失礼ですわね」


 一晩限りのお相手なら土下座してもお願いしたいが、手を出す相手としては最悪の部類だろう。

 付き合う事はもちろん、結婚も論外だ。迷宮都市でそれなりに稼げて生活できている以上、王国男爵家との繋がりもマイナスにしかならない。

 大体、お前レズビアンじゃん。


「最大の理由は、今回の件に関するユキ側の対応だな」

「ユキ様の?」

「婚約までしておいて何も言わずに家出、追いかけてきたお前から逃げようとしやがったからな」

「それは……ユキ様にも事情が」

「あいつの特殊な事情は分かってるし、家出してお前らの実家にかけた迷惑だって俺が気にするような事じゃない。お前が現れずにそのまま風化していく問題ならそれでも良かった。だけど、目の前に現れた問題にも向き合おうともしないのはアウトだ。とばっちりでもなんでもなく、自分が撒いた種から逃げるのは現実逃避に過ぎる」


 迷宮都市に来る以前の話にまで踏み込むつもりはないが、これは今目の前で起きている問題だ。

 断るなら断る。婚約解消するなら解消する。切羽詰っていた頃なら仕方ないとも言えるが、相手を傷つけたくないからって逃げるのは論外だろ。


「お前の恋路を手伝うつもりはないが、そのスタートラインに立つ手伝いくらいはする。これが今回の俺の落とし所だ。お分かりになって?」

「……あなた、結構お人好しですわね」

「そうね」


 自覚はある。逆レイプ犯を更生させようとしてるくらいだからな。多分、ユキ絡みの話じゃなけりゃスルーしてただろうし。


「でも、さすがに次はないぞ」

「わ、分かりましたわ。自制心を鍛えて出直します」


 犯罪はまずい。巻き込まれて俺まで追放になったら目も当てられないし、ユキさんが許してくれないかもしれない。

 だからフォローするにも徹底的に安全策だ。石橋を叩いてぶっ壊して、堀を埋めるくらいの慎重さで行きたい。

 ……それで駄目でも俺には被害が来ないようにしておきたいものだ。


「ユキを含め、俺たちは無限回廊の攻略を進めるっていう共通の目的がある。自分の有用性を示して、実力でクランに入る事を認めさせればいい」

「クラン入りは、ユキ様がノーと言えばそこで終わる話なのでは?」

「あいつは確かにその権限を持ってるし、俺もあいつが駄目と言っているのを引っ繰り返すつもりはない。だが、俺自身は冒険者としてのお前の資質は買っている」


 爆弾である事には変わりないが、そのマイナス面を前提にしてもこいつの才能は破格だ。正直、冒険者としての適性だけなら俺たちの誰よりも高いような気もする。夜光さんが言った次世代の波、セラフィーナや燐ちゃんと同種の何かであるような気がしてならない。

 [ 鮮血の城 ]挑戦前だったら、ユキの意見を無視してでもメンバーに勧誘していたはずだ。


「クランの代表が俺やユキなのは確かだが、メンバーは他にもいるんだ。他の全員とはいかなくても、過半数がお前の入団を支持すればあいつだって真っ向から否定はできない。そして、肝心の俺はお前の入団に関して消極的賛成だ」

「なるほど、外堀から埋めていく形ですか」

「ハードな話だが、そこがスタートラインな。そこからひたすら好感度稼がないとゴールが見えないぞ」


 スタートラインまでの距離を大幅に後退させたのは自業自得だ。恋愛ゲームなら、もうリセットして初めからやり直したほうがいいレベルのフラグの折れっぷりである。


「上等ですわ。ローゼスタの娘に後退の二文字はありません。恋は前進あるのみですわ」


 ローゼスタ男爵家とやらには、そんな苛烈な家訓があるんだろうか。……実際、かなりのやり手らしいからな。


「よし、じゃあ覚悟を決めたレーネさんに、お兄さんからいいプレゼントをやろう」

「なんですか突然」

「同じ迷宮都市にいるわけだから、どうしてもユキに遭遇してしまう事態があり得るのは分かるよな?」

「は、はあ……そうですわね」

「そこで、完全に正体を隠蔽するグッズがある。頑丈という以外目立った特性はないが、《 サイズ調整 》付きだから誰でも装着可能だ」


 そう、デーモン君の全身鎧である。バーサーカーと呼ばれるレーネなら、きっと似合うと思うんだ。今なら斧も付けちゃうぞ。


「……なんだか良く分かりませんが、数少ない味方からのプレゼントを断るわけにもいきませんわね」


 リハリトさんから俺、俺からレーネへと受け継がれる恐怖の化身である。……決して在庫処分というわけではないぞ。




「それで、ここからが本題だ。お前の実家が迷宮都市の窓口やってるって話を前に聞いたんだが、迷宮都市の領主について何か知らないか?」

「良く知ってますわね。……確かに他の貴族と比べれば情報は持ってますが、領主に関しては水の巫女と呼ばれてる事くらいしか分かりません」

「水の巫女って、そういえば辺境伯も言ってたな。あだ名?」


 水凪さんと被ってるんだが。あの人は水の巫女じゃなく、水神の巫女らしいけど。


「あだ名というほどフレンドリーなものではありませんが、そもそも名前がないのです。この地には代々そういった風習があるそうですわ」

「名前がないって……じゃあ那由他って名前はどこから出てきたんだ」

「そのナユタさんは存じませんが、迷宮都市の現領主は王国貴族の間で水の巫女と呼ばれています」


 改名でもしたんだろうか。漢字だし、ダンマスと結婚した時につけたとか。


「ユキともちょっと話したんだが、王都から高々馬車で三日の場所にある街の情報なのに、そんなに伝わらないものなのか?」


 今だったら認識阻害もあるし他にも情報漏洩対策はしてるんだろうが、ダンマスが召喚される前までそうだったとは考え辛い。

 ダンマスを召喚したのが例の領主である以上、その時点で生まれてはいるはずなのだ。


「馬車で三日……ですか。おそらくその辺りから認識がずれているんでしょうね」

「何か知ってるみたいだな」

「推測に過ぎませんが、王都から三日というのはあり得ません。地図に載っていないので正確には分かりませんが、いくら常識外れの馬車とはいえ、王都と迷宮都市の距離は最低でも十倍ほど離れていないと辻褄が合わないんです」


 確かにおっさんの使っていた馬車は速かったが、そこまで常識を逸脱したスピードではなかったはずだ。

 たとえば俺が王都に行く時に乗せてもらった馬車と比べても倍のスピードも出ていないだろう。単純に距離が倍になったとしても六日だ。一週間程度なら往復できない距離じゃない。

 いくら水場もなにもない不毛の土地とはいえ、馬車で三日の距離なら徒歩で踏破する事も不可能じゃない。そして、レーネがこう言う以上、数日という単位の誤差ではないのだろう。


「その根拠は?」

「二十年以上前の文献です。交易の記録を漁ってみたら、片道を馬車で一月ほどかかっていたという記述が複数ありました。それが、いざ定期便に乗ったら三日です。馬車の改良や街道の整備で短縮できる距離ではありません。そもそも、街道らしきモノはありませんでしたし」


 なるほど。予想通り、多少は記録が残っているらしい。レーネがそれを調べていたっていうのは意外だが。

 本来は馬車で一ヶ月以上あの荒野を抜けないと辿り着けない距離が、あの定期便だと三日に短縮される。特定の交通手段以外を無効化しているって事か。ここに来る前だったら眉唾物だが、ダンマスならそれくらいできるだろう。


「以前はモンスターが大量に跋扈していたらしいので、その差かと思いましたが、その場合は踏破を断念するか未帰還となっていたので、この距離はモンスターをやり過ごした場合のものでしょうし」

「認識阻害の範囲なのか、空間そのものが歪んでるのか分からないが、仕掛けはありそうだな」

「魔術的な仕掛けは確実に働いてるかと思います。二十年前の内戦の際、王国軍はあの壁にすら辿り着けなかったそうですから」


 それだけ離れていれば、行き来も容易じゃない。昔の迷宮都市の情報がないというのも、そこまでおかしな話ではないというわけか。

 分かったのは距離の偽装くらいで、肝心な事は分からないままだな。


「それが原因かは分かりませんが、件の領主も迷宮都市を離れる事はほとんどなかったそうです。公式記録で残っていたのは代替わり時のものだけでした」

「つまり、領主について分かる事はほとんどないって事か。貴族ってもっと血縁関係が複雑なものかと思ってた」

「水の巫女は領主ではありますが貴族ではありませんし、領地そのものも旨味がないという認識でしたから、婚姻関係を結びたい貴族はいなかったのでしょう」

「貴族じゃない?」

「ええ、どういった理由かは分かりませんが、ここの領主は王国の爵位を持ちません。元々かなり特殊な扱いだったようですわね」


 肝心な事は分からんが、色々変な街だったんだな。


「おそらく、王国貴族の誰に聞いても似たような答えになるかと。国王や、宮廷勤めの専門家ならあるいは、といったところでしょうか」


 それはハードルが高いな。年末のパーティまでに確認できるような相手じゃない。

 ダンマスの嫁さんの一人が辺境伯の親戚って話だから多少詳しいかもしれんが、辺境伯領まで行くわけにもいかないしな。




[ 水の巫女に似ている水神の巫女の場合 ]


 レーネから得た情報で分かったのは、迷宮都市外からの情報源はないと言っていいという事だ。

 ならば、役職なんだかあだ名なんだか分からない水の巫女という言葉から何か追えないだろうかと、駄目元で水凪さんの住む神社を尋ねてみた。

 ……いや、関係ないらしいけど、ここしか思いつかなかったのよ。


「先輩って訳でもないですね。そもそも私は水神の巫女であって水の巫女ではありませんし」

「紛らわしいよな」


 水神の巫女と呼ばれていても水凪さんは良く知らないらしい。この分だと直接関係もなさそうだ。


「四神様やダンジョンマスターに会う事は多いですけど、奥様方とはほとんど面識ありませんし、特に領主様は直接話した事もありません」

「あれ、会った事はあるのか?」

「ええ、水神様の巫女に任命される時に一度だけ。なんて言うか、綺麗という以外に表現の難しい方ですね。儚げというか。……何故、突然領主様の話を?」

「あ、いや、年末に呼ばれてるパーティの主催なんだ。こないだの遠征絡みで招待状もらったんだよ」


 《 アイテム・ボックス 》から招待状を取り出し、水凪さんに見せる。


「……本当だ。珍しいってレベルじゃないですね。……しかも、開催場所が領主館」

「そういえば領主館ってどこにあるんだ? やっぱり中央区画とか」

「場所はちょっと教えるとまずいので秘密という事で。一応、機密扱いなんですよ。明確に決まりというわけでもないんですが、暗黙の了解というやつで」


 言ってみれば最高権力者の住む場所だから、おかしくもないか。ただ、この言い方だと水凪さんは場所を知ってるっぽいな。


「でも、結局年末には行く事になるんじゃ」

「それもそうですが、じゃあそこまでは秘密という事で。……多分、私が案内人になります」

「え、……なんで?」

「私が水霊殿水凪であり、四神宮水凪だからですかね? その場合、案内できる人も少ないですし」


 四神の巫女だからという事だろうか。

 ……まさか、その四神ともご対面なんて事になったりするんかな。ちゃんと正装していったほうがいいかな。


「四神宮っていう名字は聞いた事あるんだが、水霊殿?」


 水霊殿ってこの神社の事だよな?


「水霊殿は元々の名字です。正確に言えば四神宮は名字ではないんですが、まあ役職就任にあたり改名したと思って頂ければ」

「戦国時代の武将を官職で呼ぶみたいな感じ?」

「すいません。その例を良く知りません」


 ああ、漢字名だし巫女さんだから日本に詳しいって前提で話してたが、普通は知らんか。でもまあ、そういうモノって思っておこう。


「いい機会ですから、その時に他の巫女も紹介しましょうか。みんな渡辺さんに興味持ってるみたいでしたし」


 なんですと。


「詳しく教えて頂いても宜しいでしょうか。名前と容姿、あと好みのタイプなんかも……」

「な、何故、そんな食いつきを……。その時でいいじゃないですか。別に冒険者じゃないですよ」

「冒険者じゃない?」


 いや、巫女さんであれば冒険者かどうかはこの際関係ないな。むしろ、冒険者同士の結婚が推奨されていないなら、その方が……あ、でもやっぱり結婚できないとかそういう縛りあるのだろうか。さすがに正月だけバイトで巫女やっている学生とは違うだろうし。


「クランに誘うとかそういう話じゃないんですか?」

「いえ、純粋に巫女さんへの好奇心です」

「そ、そうですか。……じゃあ、あとで簡単なプロフィール送っておきますよ」

「是非に」


 四神の巫女という事は他に三人もいるという事だよな……いや、それぞれ一人とは限らない。もしかして、年末は巫女さんに囲まれちゃったりするのかしら。よし、年末は巫女さんパラダイスだな。


「というか、領主様の話だったんじゃ……」

「いえ、こちらも大事な話なので」


 と、新情報は多かったが、肝心の領主についてはいまいち分からないまま、水凪さんとの話は終わった。

 関係ない事でもしばらくお話したかったのだが、年末は忙しいらしく、父親らしき神主さんに呼ばれてタイムアップだ。

 巫女さんの話題に食いついたせいで聞けなかったという事はないはずである。




[ ギルド職員の場合 ]


 というわけで、情報源はかなり限られるという事が分かった。その後も知ってそうな人に聞いてみたのだが、成果はほとんどないままだ。

 そろそろ諦めてダンマスの折り返しを待つほうが無難かもしれない。


「あー、冒険者の公開情報というわけでもないから、我々からは教えられないな」

「受付嬢さんは会った事なかったみたいなんですが、その言い方だとゴブタロウさんは面識あるんですか?」


 ククルを含めギルド職員もほとんどが空振りだったが、たまたま出会ったゴブタロウさんは知っているらしい。

 そういえば会った時にかなり古参の職員だって言ってたな。


「あるね。私とヴェルナーとテラワロスは良く知っている。他は……面識あっても詳しくはないだろうね」

「教えられないのは、やっぱり迷宮都市の機密に関わるからとか」

「いや、冒険者や芸能人のように厳密な公開情報設定がされていなければ、個人情報って取り扱いが難しいんだよね。これがたとえば区画長の情報でも同じ回答になる」


 単純に規定って事か。面倒な話である。


「個人的に聞きたいという事であれば……知ってる者は限られるな。< アーク・セイバー >や< 流星騎士団 >の幹部は大体面識あるかな」


 そりゃそうか。アーシャさんとか子供の頃からダンマスと会ってたみたいだし、知らないわけないよな。

 ……ちょっと連絡とってみようか。


「というか、ダンジョンマスターに直接聞けばいいんじゃないかな? 良く会ってると聞くけど」

「ダンマス、連絡繋がらないんですよね」

「そういえば今は……。ああ、君なら問題ないな。それ、例の二〇〇層管理者絡みだよ」

「ああ……そういう事だったんですね」


 監禁されていたわけじゃなくて何より。

 つまり、尋問か何かしてて、情報の整理でもしてるって事か。あれ、……って事は、あいつまだ生きてるのかな。一発キャラで終わらないのか?

 年末に領主館に行ったらバッタリとか嫌なんだけど、まさか出てこないよな。


「全然話は変わるが、渡辺君はクリスマスのレイドイベントには参加するのかな」

「え? あ、はい。巨大サンタと戦うやつですよね。参加登録はしましたけど」


 まことに遺憾ながら。

 いや、スルーする事も考えたんだが、独り身だと参加必須みたいな謎のプレッシャーを周囲から受けているんだよな。……主に掲示板とかで。

 直後のクラン対抗戦に出るわけでもないし、別に参加するのは問題ないんだが、参加して当然みたいな扱いなのは解せぬ。

 何故、俺がクリスマスイブにデートする彼女がいないという前提なのか。表沙汰になってないだけでいるかもしれないだろ。……いないけど。


「参加するだけで粗品も出るっていうから、せっかくだし参加しようかなと」

「じゃあ、チームが一緒になったらよろしく頼むよ」

「え……まさか、参加するんですか?」


 このゴブリン、職員だよね。そりゃ、参加者は三十六人一チームでランダムに振り分けられるみたいだから上級ランクと一緒になる事はあるだろうが、職員も合同なの?


「独身の職員はみんな参加するね。この時期は恒例行事みたいになってる。ヴェルナーやゴブザブロウの高笑いが聞こえるようだよ、まったく」


 それはただの幻聴で、本人たちは気にもしてないと思います。基本的にリア充どもは非リア充の事は眼中にないので。

 ……あれ、じゃあ、まさかテラワロスと共同戦線張る事になる可能性もあるって事? 勘弁して欲しいんだけど。


「なに、奴は基本的に独身者のサンドバッグだ。君たち中級ランク以下の冒険者はトナカイのほうをオススメするよ」

「は、はあ……」


 ……お祭りだし、まあいいか。




[ 事情に詳しそうな人の妹の場合 ]


 よくよく考えてみたら、トップクランは現在無限回廊一〇〇層攻略に向けて多忙を極める状況である。< アーク・セイバー >も< 流星騎士団 >も主だった人は誰もいない。簡単に連絡がつかないだろう事に気付いたのは、直接クランハウスを訪ねてからだった。こういう時に限って昼寝しているエルミアさんにも遭遇しないし、燐ちゃんや剣刃さんの奥さんも留守である。

 そして、別にアーシャさんに聞かなくても、その妹に聞けばいいんじゃね? と気付いたのはそのあとの事だ。


「寮まで来るから何事かと思えば……」


 久しぶりにギルド寮を訪ねてクロを捕まえる事に成功した。いや、事前に電話したから当然なんだが。

 そのまま寮を出て隣の会館に移動。いつもの喫茶店を利用する。情報料として、飲み物はケーキ付きで俺の奢りである。


「二個でいいよ。本当は広場近くのケーキ屋さんの方がいいけど、会館の喫茶店で我慢してあげよう」

「へへー」


 安いし、近いから助かります。あのケーキ屋、三倍くらい値段違うし。


「それで、ダンジョンマスターの奥さんの話だっけ?」

「ああ。気にするような事じゃないかもしれないが、あまりに情報がなくて盥回しにされてる感があるんだよな」

「まあ……そうかもね。ダンジョンマスター含めて、あまり人前に出てこないし」


 ダンマスはしょっちゅう会ってるからそのイメージはないが、そうなんだろうな。


「でも、奥さんっていってもどの奥さん?」

「領主やってる奥さん。……というか、ダンマスの嫁さん何人いるんだ?」


 重婚しているハーレム野郎だというのは知っているが。


「三人だよ。領主は那由他さん。……うん、確かに情報はないだろうね。引き籠もりだし」

「ひ、引き籠もり?」


 いきなりあんまりな評価が出てきてしまった。

 公的行事に顔出さないのは引き籠もりだからなのか? 部屋から出ない領主って斬新だな。


「真相は分からないけど、ダンジョンマスターが良く言ってるんだよ。確かに他の二人に比べて会った回数も少ないし」

「やっぱり怖い人なのか? 目を合わせたら殺されたりとか」

「殺されるって……どこから出てきたの、その話。あんまり話した事はないけど、優しい人だよ。なんか女の子ーって感じで、恋バナとかそういうのが好きな」


 ……印象が百八十度変わったんだけど。急転換過ぎるだろ。


「でも、ダンマスの嫁さんって事は結構いい年……」

「その話題はさすがにマズイ」


 やはり、女性に年齢の話は禁句ですか。

 この前の婚期の話でも三十近くなると必死になるとか言ってたから、迷宮都市の女性が気にしてないって事はないだろう。そこら辺、男とは感覚が違うのかもしれない。


「気にしてるかどうかは知らないけどね。でも、見た目はあたしらと変わんないよ。少なくともあたしが子供の頃から変わってない。那由他さんに限った話じゃないけど」

「ダンマス絡みならおかしくもないか。……だったら実年齢気にする必要なくね?」

「いやいや、そこは乙女心というやつですよ。お姉ちゃんたちもそろそろ話題に出すと機嫌が悪くなるようになってきたし」


 アーシャさん二十歳になったばっかりなのに、もう気にしてるのかよ。ウチのティリアさんなんかまったく気にしてないぞ。

 ……領主さんが気にするかどうかは分からんが、年末パーティでも口には出さないようにしておくか。ベレンヴァールあたりも無頓着っぽいから注意しておこう。


「そのアーシャさんやサローリアさんのほうが詳しかったりするのか? ……その、年代的に」

「うーん……那由他さんに関してはあたしと大して変わらない気がする。詳しいとすれば、ウチの両親か……あとはひいお爺ちゃん?」

「ひい爺さんが健在なのか。長生きだな」

「あれ、会った事ないかな? 迷宮ギルドのギルド長だよ」

「……いや、会ってないな。というか、ギルド長いたのか、ここ」


 ここまで会った人を振り返ってみるが、心当たりがない。容姿が爺さんじゃないとしても会ってないだろう。

 言われてみればいなきゃおかしいんだが、気にした事もなかった。なんとなくだが、ゴブタロウさんかヴェルナーさんが一番偉いと思ってた。


「そりゃいるよ。他のギルドにもいるし。ツナ君、目立ってるからてっきり会ってると思ってたんだけどな。男の子だからかな?」

「なんだ、エロ爺さんなのか?」

「今はそうでもないけど、昔はすごかったらしいんだよね。大陸中に名前の知らない親戚がたくさんいるって話だよ。ちょっと聞いただけでも伝説になりそうな感じ? 自伝出してるから読んでみたんだけど、曾孫として目眩がするレベルだった」

「すげえ爺さんだな」


 ひい爺さんって事は、全盛期は迷宮都市にダンマスが来る前だよな。今みたいな超文明の恩恵もなく、そんな伝説作ってるとかハンパじゃねえ。

 男として師匠と呼ばせてもらいたいところである。特に責任取ってなさそうなところとか。


「迷宮都市の生き字引みたいな人だから、那由他さんの事もさすがに知ってるはず」

「その爺さん、普段はどこにいるんだ? この会館にギルド長室があるとか」

「どうなんだろう……神出鬼没で、あたしが会ったのも新人戦後にやった家族パーティが最後なんだよね。……いつもどこにいるんだろ」

「駄目じゃん」


 いくら詳しくても狙って会えないんじゃ意味がない。確実性を優先するならダンマス待ったほうがいいだろう。

 両親の方も最近は不在になる事が多く、実家を訪ねても会えなさそうだ。この分だと、その前に年末が先に来てしまう。




-4-




 そうして、それ以上収穫のないままクリスマスが過ぎる。

 あ、サンタは強敵でしたね。紛れ込んでいた隠れリア充が開幕直後に爆発したのはびっくりしたし、子供たちの幻想を打ち砕く血まみれの服とチェーンソーにはドン引きでした。あれ、多分上級ランクの人たちがいないと勝てないんでしょうね。俺はたまたまチームが一緒になったゴーウェンとひたすらトナカイ殴ってました。はい。

 ……非リア充の集会レイドは思い出したくないんだよ。なにが< 恋なき証明 >だ。そんな粗品いらねえよ。

 よし、サンタの事はもう忘れた。次はクラン対抗戦だな。出場するわけじゃないが、フィロスたちや夜光さんの応援に行かないと……。

 領主の情報が少ないのは気がかりだが、取って食われるというわけでもなし、あとは当たって砕けろの精神で挑むとしよう。


 クラン対抗戦は数日かけて行われるが、連日観戦しに行く人はそれほど多くはないらしい。

 テレビでも中継されるし、クラン対抗という大人数が出場する関係から、特定の日に絞って闘技場を訪れるのが普通だそうだ。

 初日の今日、ウチのメンバーで闘技場まで行くのは俺とユキ、あとはククルくらいである。ゲームのイベントや、あまり内容の知りたくないセミナーの集会に出る奴、テレビで見るから闘技場まで行くのは面倒だという奴など、実に協調性に欠ける連中である。特に、新婚で昨日から迷宮都市観光してる狼には何か嫌がらせをしてやりたいところだ。


 ……などと考えながら転送施設の道を歩いていると、見覚えのある人影が立ちはだかった。

 話した事はない。向こうも覚えはないだろう。だけど良く知っている。人違いじゃない。向こうも俺を待っていた様子だ。


「こんにちは。はじめまして渡辺綱さん。少々お時間よろしいでしょうか」


 ベレンヴァールを召喚し、無限回廊二〇〇層管理者に操られ、ダンマスに救出された少女、サティナだ。

 隣を見るとユキがどうする? という顔をしていた。


「……悪い。先行って、ククルにちょっと遅れるって言っておいてくれ」

「分かった」


 そういうとユキは一人闘技場へと向かう。あいつはサティナの顔を知らないから、何が起きているのか分からないだろう。……あとで説明する必要があるな。


「ご予定がありましたか?」

「クラン対抗戦見に行くだけだから遅れても問題ない。……で、サティナさんはなんの用?」

「ええと、ここに来たのはとある人の推薦で……って、私名乗りましたっけ?」

「いや、知らないはずないだろ。……あんまり、ベレンヴァール困らせてやるなよ」

「……え?」

「……え?」


 ……あれ? ひょっとしてこの子、俺が誰だか分かってないの? 名前言ってたよな?


「な、な、なんで、ここで勇者様の名前が……」

「いや、ちょっと待て」

「あ、はい」


 ここはシリアスな場面じゃなかったのか? 何故、こんなグダグタなノリになるんだ。


「……よし、気を取り直していこう。あんたはラーディン出身のサティナさんでいいんだよな?」

「は、はい。そうです。最近この街に来ました」


 知ってるがな。転移するところ見てたし。


「そして、俺が渡辺綱だと知ってここに来た」

「はい。紹介を受けまして」


 なんで俺の名前知っててこんな状況になるんだよ。


「……まさか、お前が操られてたその場に俺がいた事を知らずにここに来たの?」

「はい。……はぇっ? ええええっ!? ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい! し、失礼しました。まさか助けて頂いた方の一人だとは聞いてなくて……どうなってるの」


 いや、俺が聞きたいわ。タイミング的にすげえ不穏だったから警戒してたけど、これじゃただのドジっ子じゃねーか。


「あー、落ち着け。一つずつ、誰に、なんと言われて、なんのために、ここに来たのか教えてくれ」


 怪しいメッセンジャーという線は完全に消えたが、情報は正確に聞く必要がある。この分だとお互いの情報が足りずに思い違いする可能性もありそうだ。


「え、えーとですね。紹介者はこの街の領主のナユタ様です。今後、冒険者として活動するに当たって、渡辺さんのところのクランに加入するのがいいんじゃないかという事で」

「……まさか、クランに入る気なの?」

「は、はい。まだデビュー前なのでランク足りないですけど、その際にはよろしくお願いできないかな、という事で事前のご挨拶を」

「すまん、いくつか疑問があるんだけど、質問OK?」

「はい、なんなりと」

「なんで直接来たの? メールとか電話とか、ギルドを通すとか……」

「クラン設立前でまだ正式な窓口がないという事だったので、それなら直接伺ったほうがよいかなと」


 マネージャーいるんだが、そこら辺知らないのかな。……知らないんだろうな。


「ウチ……というか俺の経歴とか知ってる?」

「す、すいません。知りません」


 それくらい調べてこいよ。言われたまま突貫して来たのか。


「最後に、すごーく重要な事なんだけど……ベレンヴァールがウチに入るつもりって知ってる?」

「……え?」


 ……駄目だこりゃ。


「よし、出直して来い」

「ちょっ、ちょっと、どういう事ですか!? ナユタ様何も言ってなかったんですけど!?」

「いい事を教えてやろう。ちゃんと脳に刻むんだぞ」

「は、はひっ」

「どこかに突貫するなら下調べが先だ」

「……すいません」


 果たしてこの件で問題があったのは誰なのか。領主さんなのか、この子なのか。……どっちにしても体当たり過ぎだ。

 色々調べたけど、なんか年末の事は気にしなくてもいい気がしてきちゃったぞ。



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