第3話「チャンピオン」
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翌日、無限回廊攻略の日がやって来た。
メンバーは俺、サージェス、ガウル、ティリア、摩耶、ボーグの六名である。摩耶以外は第三十六層の未達組だ。
今回の目標はその第三十六層へ到達する事になる。ボスがいるわけでもないし、ただのダンジョン攻略である。
「よしみんな、ユキさんの事はとりあえず忘れてダンジョン攻略だ」
「イエッサー!」
……おかしい、ボーグさんしか返事してくれない。
「お前も結構ひどい奴だよな」
「仕方ないだろ。居場所バレして面会の取り付けまでしちまったんだから、もうあとは展開に任せるしかない」
俺たちはダンジョン攻略に専念するべきだ。いくら攻略済のルートとはいえ、集中力を欠くと失敗しちゃうぞ。
「それともガウルさんには、事を穏便に済ませるいい案があるっていうのか?」
「……俺は会った事ねえから分からねえけど、ダンジョンマスターはアテにできないのか?」
「それは悪手の極みだな。ダンマスに話を持っていくと、更に話が拗れそうだ」
あの人がこの手の問題に真摯に対応してくれる姿が思いつかない。こんなおもしろ案件なら、引っ掻き回される可能性のほうが高いだろう。もっと深刻な、命狙われてるとか、そういった事情ならあっさり解決してくれそうだけど。
つまり、ダンマスは細かい問題に立ち会わせてはいけないという事である。知られるだけでもあんまりよろしくない結果を招いてしまう。
「大丈夫だ。ダンジョン攻略中は時間が経たない。とりあえずユキの事は忘れるんだ」
「そりゃそうだがよ」
「さて、ティリア君、いつものように負担をかけてしまうが、鉄壁のガードを頼むよ」
「え、わ、私ですか? は、はいっ、頑張っちゃいますよ」
話題逸らしに無理矢理ティリアに振って、強引に話を切り上げる。
こんなところで悩んでいてもしょうがないのは、全員分かっているのだ。少なくともダンジョンにいる間は忘れるべきだ。
「ところで、この前のラジオ収録、マネージャーはどんな反応だった?」
「え? 最初は乾いた笑いで、『即オチする姫騎士さん』のコーナーで頭抱えてました」
正常な反応である。マネージャーはまだ大丈夫だ。……最近はちょっと大丈夫か心配な摩耶も頭抱えてるな。
無限回廊第三十一層の攻略は前回の挑戦がなんだったのかといわんばかりに順調に進んだ。
オーガやブリーフタウロスが雨のように降ってきたりしない、普通の洞窟だ。緩やかな曲線、昇降部分が多く、石造りのダンジョンに比べて全体構造の把握が難しいが、それも事前にマップが完成しているなら問題はない。拍子抜けといってもいい。
俺たちは、前回のように安全領域にコテージを展開する事もなく攻略を始め、特に問題も起きず階層中盤まで進む事ができた。
出現するモンスターは数は多いが基本的に小型の物がほとんどで、これまで縁のなかった虫系のモンスターがひしめいている。その生態に生理的嫌悪感はあるが、山で生活していた時にさんざん口にした食料だ。それより遥かにでかいとはいえ、気持ち悪い程度では俺たちを阻む事はできない。むしろ、どうやって調理すれば美味しく頂けるか検討してしまう有様である。殺したら魔化するので検討するだけだが。
普通なら虫を嫌いそうな女性陣も特に気にした様子はない。
「小サイノガ部品ノ隙間ニ入ッテクルノハ面倒ナノデ、今回ハチャントコーティングシテキマシタ」
ボーグだけは見当外れの方向で苦手なようだが、それも前回で対策済らしい。
そんなわけで、俺たちはダンジョン攻略を進める。散歩とまではいかないが、快適な探索といえる範囲だろう。
ちなみに、慣れてる俺だからこう言えるだけで、一般人が足踏み入れたら巨大虫の大群で発狂すると思う。
「こんなもんなのか?」
「今回の構造の難易度はかなり低めだと思いますが、正直前回がひど過ぎただけかと」
「すさまじいハズレフロアだったからな」
断じて俺のせいではないと叫びたいが、つまり今回は割と平均的な難易度の構成という事だ。かといって間違っても楽勝と言えないのは、三十一層が壁と呼ばれる所以である。
複雑なマップ構造は事前対策ができていたから問題ないが、全体の面積は平均的な構造よりも広い。最短距離を突っ切っても一日以上は余裕でかかる距離である。
これを探索しながら踏破するのは、単純に時間が足りない。ユキたちが一発で抜けられたのはラディーネの蟲がいるからというのが大きな要因だろう。そしてトラップが多い。< 斥候 >などの罠対策なしで探索するのは自殺行為といえるほどに。摩耶が対応してくれるから問題ないが、中には一発で即死になるようなトラップもあるのだ。
「地雷、毒矢、火炎放射、ガス、モンスターを呼び寄せるアラーム、底に槍の設置された落とし穴、殺す気マンマンのトラップ群だな」
「床だけでなく、壁に触れる際も気をつけて下さい」
まだ階層的に出てこないが、先のフロアには赤外線や重量、光を起動トリガにしたり、時間差で作動するトラップもあるそうだ。
爆弾処理か。……足元だけ気をつけててもダメって事ね。ここまでくると、テレポーターの罠も出てきそう。おおっと。
< 斥候 >と呼ぶには戦闘よりだが、摩耶はこの手の処理に関しても万能だ。かなり安心して任せる事ができる。
しかし、トラップの対処中は安全というわけではない。モンスターが襲ってくると、こちらは少ない人数で対応する羽目になる。場所によっては摩耶の護衛に一人回す事もある。
つまり、このダンジョンの難易度は真っ当に高い。[ 鮮血の城 ]や[ 静止した時計塔 ]、ついでに鬼難易度の三十一層といったような狂った難易度に慣れてしまったので勘違いしそうだが、この難易度だって三十層までに比べたら雲泥の差なのだ。少なくとも浅層で苦戦するような冒険者では入り口から先に進めないのは変わらない。
時々忘れそうになるが、俺たちは昇格したての中級冒険者である。猫耳はともかくとして、本来はアーシャさんや魔王ベレンヴァールといった強敵とは縁がない立場のはずなのだ。ロッテですら怪しいだろう。
簡単に言ってしまえば、攻略には余裕があった。ポジション的にティリアや摩耶の負担は大きいものの、それを補うほどの戦力がある。バラ撒きたがりなボーグさえ弾薬を節約しているほどだ。
一層あたりの探索にかかる時間は、三日の内一日程度。ランダムで再配置された宝箱を探し、次の階層へ移動する前に休息。コテージを拠点にしてモンスター狩りをする。少しレベルアップが遅れていたガウルやティリアの戦力を底上げする事もできた。
資料では中継地点である第三十五層まで構造に極端な差はない。ユキたちが待ち伏せを喰らったという第三十五層最後の通路は要注意だが、それも事前に分かっていれば怖くない。
……と、思っていた。
[ 無限回廊 第三十五層 ]
「私は、渡辺さんの事故体質を甘く見ていたようですね」
「事故体質言うな」
「いや、事故体質でしょう。前回は出てこなかったのに、どうして今回に限って討伐指定種が出てくるんですか」
ゴールである中継地点。その手前にある長い通路と広場、そこから少し戻った場所にある小さい通路に俺と摩耶、ガウルは逃げ込んでいた。サージェス、ティリア、ボーグはここにはいない。……三人だけだ。俺たちは完全に分断された。
「とりあえず、レンジャーの奴らは撒けたみたいだな」
通路の曲がり角まで偵察に行っていたガウルが戻ってくる。危機は去ったものの、途方に暮れる。
「しかも、よりにもよって< オーク・チャンピオン >なんて……」
「俺、ティリアのオークに対する弱さを甘く見てたわ」
「そいつは今更だろ」
ティリアの弱点は認識していたが、それでも前回ユキたちが攻略した際にはオーク種の確認はされていない。当然、摩耶が作った資料にもそんな記載はない。実際ここまで姿はなかったのだが、それはあくまで配置された雑魚モンスターであり、討伐指定種は別という事だ。
……そう、またしても討伐指定種である。俺は何度やつらと遭遇すればいいのだろうか。そんなに出現するものではないって話じゃなかったのか? 全然レアじゃねーんだけど。
基本性能は高く、毎回地味にメイン盾兼回復という大変な役を無難にこなしてきたティリアだが、ここにきて天敵が出現した。
いくら弱点とはいえ、それでもただのオーク相手なら一撃でやられるような事はない。だが、出現したのは討伐指定種である<オーク・チャンピオン>だ。そこまで鉄壁に近い盾として活躍していたティリアが、あいつが出てきた途端に陥落した。
筋肉だけでなく、全身に分厚い脂肪を纏い、鉄のような皮膚で覆われたその姿は巨漢。右手には無骨な片手斧。いつかの< オーク・ジェネラル >のような派手な格好ではない。身に着ける防具は急所のみを守る地味なものだ。
死んではいないが、真正面からそんな< オーク・チャンピオン >の攻撃を喰らったティリアは気絶。機転を利かせたボーグの自爆で足止めはできたが、俺たちは完全に分断された。
サージェスが二人を抱えて《 トルネード・キック 》で突破してくれなかったら、あの二人は完全に死亡していたはずだ。回転にって三半規管は死んだかもしれないが、被害としては誤差の範疇だろう。
こうして分断されてしまった以上確認する術がないが、無事中継地点には辿りついた……と思いたい。
『くっ、仕方ありません。ここは私に任せうぼえぁっ!』
いきなり饒舌になり、まったく必要がないのに一人で立ち向かおうとしたティリアの姿はあまりにひどいものだった。同じ光景を思い出したのか、摩耶は顔を覆っている。くっ殺せ、と言う暇すらなく女性が出してはいけない声を上げて、たった一発で伸されてしまうのはさすがにタンク失格だろう。
……ただのオークじゃなく討伐指定種だから、大目に見てやったほうがいいのだろうか。
「仕方ありませんね。今回は制限時間まで粘って次回に……」
「いや、それは多分無理だ」
ここが如何に広いフロアとはいえ、< オーク・チャンピオン >だけなら、制限時間まで粘る事も前の層に戻る事も可能だろう。
しかし、あいつは一体ではなく複数体の< オーク・レンジャー >を引き連れて出現した。< オーク・チャンピオン >が戦う間、奴らは襲いかかってはこなかったが、俺たちが逃げ出した途端追撃を開始。奴ら自身は大した力はないが、お互いの位置情報を共有でもしているのか、一匹に見つかればすぐさま増援が現れるという事態に陥った。
気付かれる間もなく一撃で仕留めるならともかく、まともにやり合えばすぐに増援がやってくる。そして更なる増援は< オーク・チャンピオン >になるだろう。
摩耶一人ならなんとか逃げられるかもしれないが、オークとはいえレンジャーなんて名前の奴相手に《 隠れ身 》が通用するかも分からない。奴らは< オーク・チャンピオン >の戦場を整えるための舞台装置なのだ。
この状況を整える切り抜ける最適解はなんだ。取れる手段は限られている。……悩むまでもないな。
「……三人で突破するぞ」
「くっ……はははっ、さすがですね。面白いですよ」
摩耶はその言葉を待っていたように笑う。索敵を続ける< オーク・レンジャー >にバレない程度の声だが、表情は歓喜に満ちている。
お前、こういう場面だと慎重派だと思ってたんだけど、いつからバトルジャンキーになったの?
「ツナはともかく、お前まで乗り気なのかよ」
「障害物を避けるのではなく、薙ぎ倒していくのが渡辺さんのやり方でしょう? いいじゃないですか、二度目の討伐指定種殺し」
「いや、安全地帯まで抜けられるようなら抜けるけどな」
なんで討伐前提になってるねん。逃げられるなら逃げるわ、あんな化物。
ワイバーンの時と同じで壊滅したけど、やられたのはほとんど自業自得のティリアだけだし。煽られてもリベンジしたいとは思わん。
「そこで倒さないといけない状態に追い込まれるのが渡辺さんです。私は大体理解しました」
「うわ……なんかすげえ説得力。……こりゃ、腹括るしかねえな」
「お前ら……」
二人揃ってひどい言い草である。
前世を含んでもそういうパターンが多いのは確かだが、進んで特攻してるわけでもないからな。
……まあいいさ。Lv0の状態で< オーク・ジェネラル >殺してるんだぜ。チャンピオンだかなんだか知らんが《 オーク・キラー 》の力を見せてやる。
とはいえ、< オーク・チャンピオン >を無視して先に向かうのはほとんど不可能だ。
奴は最終通路手前の部屋に陣取り、俺たちを待ち構えている。< オーク・レンジャー >が誰かを見つければそちらに移動するだろうから、俺たちのうちの一人が囮になれば抜けられるかもしれない。すでに一度中継地点まで突破している摩耶が囮になろうかとも言ってくれたが、それは却下だ。
「俺はあいつに目を付けられた」
パーティの中で、あきらかに俺への反応だけが違った。ユキたちが挑戦した前回に出現しなかった事と、あの反応から推測するに、あいつの出現条件は俺の称号スキル《 オーク・キラー 》じゃないかと思う。
それを前提にするなら、俺以外が囮になった場合はあいつが動かない可能性は高い。ガウルだけなら先行させる意味はあるが、それは本人が承諾しない。だったら挑戦してみるのも悪くないだろう。
幸いというかなんというか、偵察した際、< オーク・チャンピオン >の周りに< オーク・レンジャー >の姿はなかった。
摩耶曰く、奴は種族英雄と呼ばれる種類のモンスターで、単独戦闘時に補正がかかるスキルを多く持つそうだ。逆に近くに仲間がいると弱体化する。つまり、奴を倒すつもりなら邪魔は入らない。倒したあとの警戒は必要だが、残るのは格下の< オーク・レンジャー >だけだ。満身創痍でも通路を抜けるくらいなら……できると思う。
「あのよ……単独戦闘が得意っていうなら、そこら辺の< オーク・レンジャー >を一匹捕まえて、瀕死状態であの部屋に放置したらどうなるんだ?」
非常に外道な案ではあるが、ガウルの疑問はもっともである。実際には単独戦闘に変わりはないが、ダンジョンの提供するスキルはシステム的な要素が多い。範囲内に味方がいるだけで発動しない、というのは十分ありえる話である。
「どうなんだ?」
「……英雄系種族は近くで仲間が死んだ場合にパワーアップする能力を持っている可能性も多いので、その危険性が残りますが、それでも単独戦闘補正に比べたら上昇率は少ないはず……試してみましょうか」
そうして、摩耶はそこら辺をうろついていた< オーク・レンジャー >を一匹瀕死状態にしてお持ち帰りした。全身の関節を外した上で運びやすいように拘束、目隠し、口も縫い付け、昏睡状態というセット付きだ。
やっている事は間違いなく悪役。残虐超人も真っ青の残虐っぷりだ。< オーク・レンジャー >のあまりの惨状に提案者のガウルもドン引きである。
昏睡状態から覚めたら何かしらの方法で場所を報告される恐れはあるので、ここからは速攻だ。< オーク・レンジャー >だったものを部屋に放り込み、俺たちも戦闘に入る。
だが、悪逆非道な俺たちに対して、< オーク・チャンピオン >は英雄だった。
部下を人質にされ、激昂した< オーク・チャンピオン >は真正面から俺たちに勝負を挑んできた。小器用な技など不要。力だけでそれ以外のすべてを補って余りある戦闘力は孤高の英雄と呼ぶに相応しい物だった。
とはいえ、ここまで対峙してきた強敵たちはそれ以上なのだ。今更威圧され、怯むような事はない。
――Action Skill《 瞬装:グランド・ゴーレムハンド - ヘヴィ・ブロウ 》――
広間に入り、跳躍した俺は、< 童子の右腕 >の上から< グランド・ゴーレムハンド >を展開し殴りつける。圧倒的質量が< オーク・チャンピオン >に叩きつけられた。
二束三文で売りに出ていた< グランド・ゴーレムハンド >を使ってみて分かった事が一つある。実はこいつ、盾なのに手なのだ。ハンドだから手で間違いないのだが、要するに持ち手の意思で開閉できる。その上、《 拳撃技 》も使用可能という優れ物だ。< 力 >が要求値に達してないと手として使えないから、今の俺では< 童子の右腕 >が必須であるが。
殴りつけた< グランド・ゴーレムハンド >はそのまま破棄。巨大質量といえども潰されるような相手ではないが、足は止めた。
離脱した俺に続くのは、ガウルの《 ブリザード・ブレス 》だ。わずかとはいえ動きを止めた< オーク・チャンピオン >の足を地面に固定する。完全に氷漬けにする事は不可能だったが、それは折り込み済。狙いは足である。足を凍りつかせた氷も一瞬で内側から粉砕されるが、攻撃を叩き込むに十分な隙だ。
剣を展開し、< オーク・チャンピオン >に再度肉薄。《 隠れ身 》で姿を眩ませていた摩耶との同時攻撃に移る。攻撃は当たった。どちらも直撃だ。
しかし、当たった瞬間俺の背筋を駆け抜けたのは強烈な危険信号。こいつ、防御していない。する気がない。ダメージを受け止め、そのまま攻撃態勢に移るつもりだ。
「逃げろっ!!」
攻撃しているのはこちらだ。その優位性が摩耶の判断を一瞬だけ鈍らせた。< オーク・チャンピオン >の《 バックハンド・ブロウ 》で摩耶の体が飛ぶ。俺の声で反応できたのか直撃ではないが、尋常じゃない距離を飛ばされた。
摩耶の状態を確認するために《 看破 》をかける暇もなく、< オーク・チャンピオン >の右手に握られた斧が俺に対して振るわれる。
これは真っ向から受けてはいけない一撃だ。武器で防御してもそのまま押し切られる。
受け流し。剣で相手の軌道をずらす。奴のパワーは確認済だ。尋常じゃないそのパワーに合わせて攻撃を受け流せ。
――Action Skill《 ウエポン・ブレイク 》――
しかし、奴が放ってきたのは片手斧にも関わらず《 重量武器技 》ツリーの武器破壊技。受け流すための武器が、ただ一撃バラバラに粉砕した。
相手は十数層先相当のモンスターだ。扱う武器も格が違うのか、一発で破壊されるのは想定外だ。
まずい。相手の動きはまだ止まっていない。
――Skill Chain《 ストライク・アックス 》――
続けて放たれる斧の基本技。単純な軌道に威力と攻撃速度をプラスするだけの、ただそれだけの技。
しかし、そんな基本技でも扱う者が強者であれば単純で強力なスキルへと変貌する。それはここまでの戦いで身を以って実感してきた事だ。俺は《 瞬装 》で盾を展開し、真っ向からそれをガードした。
「ぐぅっ!!」
《 シールド・ブレイク 》でもないのに、盾が半壊する。腕を通して骨まで浸透する攻撃は、盾があと一撃も持たないであろう事を確信させた。
< オーク・チャンピオン >の動きは止まっていない。続く攻撃があるなら、一撃で落とされかねない。空気が震える咆哮をあげて< オーク・チャンピオン >が次の連携スキルの体勢に移った。
「うっらぁっ!!」
――Action Skill《 襲爪撃 》――
< オーク・チャンピオン >の連携スキルにインターセプトするように、横から飛び込んできたガウル。脚に装備された金属爪が< オーク・チャンピオン >の顔面を奇襲し、表皮を削り取る。
――Skill Chain《 連爪撃 》――
続けて、空中で身を翻し手に装備した爪での追撃。< オーク・チャンピオン >が怯んだ様子はないが、スキル発動は阻止したのか硬直が発生したように見える。
攻める? いや、ここは一旦距離を取るべきだ。攻めるべき体勢すら整ってない。
援護とばかりに、横合いから摩耶が投擲したらしき苦無が< オーク・チャンピオン >の腕に突き刺さる。
くそ、予想はしてたが、とんだ化物だ。本当に単独戦闘補正切れてるのかよと言いたいくらいの性能である。
攻撃力や速度もやばいが、何よりこちらの攻撃を一切無視して行動してくるハイパーアーマー状態が厄介だ。
一方、防御力はそれほどでもない。ダメージは通っている。ここまでの攻防だけでも五分の一は削った。間違いなく格上だが、数値上でも届かない相手ではない。
避けようともしない相手に対しこの場面で一番有効な武器はおそらく< ラディーネ・スペシャルII >だが、メンテ中で手元にはない。
ならば前に出るしかないわけだが、真っ向から打ち合うのは愚策。そしてスキル連携はもっと愚策だ。あいつは連携中でもきっと割り込んでくる。
仕切り直しの時間は少ない。わずかな距離を取り、《 瞬装 》で新たな武器を展開するのが精一杯。
展開する武器は< 不鬼切 >。《 不壊 》付きのこいつなら、少なくとも壊される事はない。武器のランクでいうなら夜光さんからもらった小太刀< 紅 >でも対抗できそうが、壊したら今度こそ殴られそうなので自重した。
行動可能な状態になり、< オーク・チャンピオン >が向かうのは最も近距離にいるガウルではなく俺だった。
俺が仕留め易そうとか、リーダーであるとかそういう理由ではなく、きっと《 オーク・キラー 》の称号のせいだ。ヘイト管理するまでもなく、奴の敵対心は俺に向かって振り切れている。
ならば、これを利用する。俺が前面に立って凌ぎ、脇からガウルと摩耶がダメージを稼ぐ戦法だ。視線を向けると、二人とも同じ考えに至ったのが分かる。状況判断とチーム連携はこれまで積み重ねてきた土台がある。俺が< オーク・チャンピオン >の猛攻を必死で捌き、いくつもの盾を壊されながら、二人がダメージを稼ぐ。
《 看破 》を通して分かるのは、こいつはHPダメージを与えるごとにその減少幅が小さくなっている事だ。おそらく、HP残量に応じて防御力が上昇するスキルが発動しているのだろう。
次の五分の一が削られるまでに、倍の時間がかかった。二人が稼ぐダメージは少しずつ減っているのに、攻撃の手は一切止まらない。
猛攻の中、ついに予備の盾をすべて壊された。落ちている< グランドゴーレム・ハンド >をなんとか回収し使い回すも、何度か攻撃を防いでる内にそれも破壊される。化け物か。
こちらはいくら攻撃を直撃させてもわずかばかりのダメージ。あっちは一発でも直撃させれば大ダメージ。
……なんだ。いつもと変わらないじゃねえか。いや、それより分かり易い構図だ。《 オーク・キラー 》のヘイトのせいで、俺が落ちない限り戦局は変わらないのだから。
気の遠くなるような攻防だが、ダメージは稼いでいるんだ。俺たちは全員満身創痍で、特に俺はボロボロだが、あいつだってHPは残り少ない。
ただ、このままだと戦力が尽きるのは間違いなく俺たちのほうが先だ。どう楽観的に見積もっても俺たちの、特に俺のHPは保たない。
死闘の予感がする。この先に、HP0の戦いが待ち受けているのは必然。だが、あいつはきっとそれでも向かってくる。俺と同類の臭いがする。種族を超えたシンパシーのようなものを感じるのだ。
……どうする。そこまでもつれ込んだら負けは必至だ。あいつの攻撃はHPなしで受けたら即粉砕される威力だ。《 飢餓の暴獣 》の発動に賭ける? ……あんなあやふやなものに頼った戦いはなしだ。戦術に組み込むべきじゃない。
逆転の手立てがない。考えろ。考えろ。あいつより先に逆転の一手を探り出せ。
そして、泥沼の死闘が終盤に差しかかり、先に動きを見せたのは< オーク・チャンピオン >だった。
奴が取った行動は俺ではなく、まったく別の場所に斧を投げつける事。その意図に気付いた時、戦慄が走った。
斧が向かった先は部屋の隅に転がる< オーク・レンジャー >。
おい、オークの英雄さん!?
斧が顔面から胴体を引き裂き、< オーク・レンジャー >が死んだ。
その瞬間、< オーク・チャンピオン >の体が膨れ上がり、一回り大きくなった。錯覚ではなく、確かに筋肉が膨張している。
単独戦闘補正。それはここまで見せつけられた圧倒的パワーが更に上乗せされた事を意味する。
俺の《 飢餓の暴獣 》やロッテの《 鮮血姫 》のような爆発的な強化ではない。地味で、上昇率はわずか数%といったところなのだろう。
だが、その数%が致命的だ。ここまでギリギリで捌きつつダメージを稼いでいたのに、奴から立ち上る威圧感はそれを許さないと言っている。
敗北が足音を立てて近付いてくる。
斧を投げ捨てた< オーク・チャンピオン >はその拳で殴りかかってきたが、< 不鬼切 >から感じる力は斧のそれに匹敵するものだ。
まずい。手立てがない。この猛攻を受け流すだけの力が残っていない。俺が落ちたら、戦線は維持できない。全滅だ。
猛攻を続けるガウルと摩耶の動きから微かな余裕さえ消えた。俺以外にターゲットが向いたら一瞬で瓦解するほどの、なりふり構わぬ攻撃なのに、HPが削れない。
摩耶だけならあの長い通路を抜けて安全地帯まで辿り着くことも可能かもしれないが、そこに実質的な意味はない。
覚悟を決める。大博打となるが《 飢餓の暴獣 》の発動に賭ける。この攻撃力を前に多大な肉体的損傷を維持し続けたまま死なないのは壮絶な難易度になるが、もうそれしか手がなかった。
振り下ろされる拳を凝視し、死なないギリギリのラインを見極める。それを受けて、《 飢餓の暴獣 》が発動するまで追撃を防ぐ。それが勝利するために残されたただ一つの道だと、半分諦めかけていた。
――Action Skill《 トルネード・キック 》――
さんな中、< オーク・チャンピオン >の腕目掛けて、強襲をかける者がいた。
「ご無事……ではないですね。遅れました」
この死闘のクライマックスに、安全地帯に向かったはずの男が参戦した。
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その後の結末だけ語るなら、俺たちは勝利した。
俺の《 飢餓の暴獣 》やボーグの自爆のような特殊な例を除けば、サージェスはうちの最高戦力だ。それが終盤になってほぼ無傷で参戦したという事実は大きい。
当然、楽勝ではない。順当な勝ちとも言えないが、俺の代わりにサージェスを全面に押し出した戦いはなんとか押し切る事ができた。
HPは多いが、サージェスの< 防御力 >はほとんどない。< オーク・チャンピオン >が沈む頃にはHPは残りわずか、スーツに至っては見る影もなかった。……まあ、《 フル・パージ 》しただけなのだが。
前面から離れても、奴のヘイトが俺に集中していたというのも大きい。もう一枚盾役がいるなら、行動を縛り易い状況になった。つまり、ティリアが盾として機能していれば、やりようはいくらでもあったという事だ。……あんにゃろ。
サージェスが参戦してからも苦戦は続く。HPを削り切り、あいつの体に直接攻撃が届くようになってからが更に激戦だ。
HPの壁がないとはいえ、ただでさえ分厚い筋肉と脂肪に守られた体に強烈な再生能力が加わる。切っても殴っても、瞬く間に傷が癒えていく。ハイパーアーマー状態も健在だ。HPがあろうがなかろうが、まったく変わらない。
終わりのない死闘である。もう何度死にかけたか分からない。あいつが力尽き倒れた時、擬態じゃねーかと疑ったほどだ。
多分、HPがなくなってからのほうが長く戦っていただろう。サージェスなしだったら確実に負けていた。
とはいえ、全員ワイバーンの時よりもズタボロの様相ではあるが、俺たちは生き残ったのだ。
「あの通路を一人で戻ってくるのはなかなか骨が折れました」
俺たちが< オーク・チャンピオン >に挑むであろうと予想したサージェスは、ティリアとボーグを安全地帯まで運んだあと、長い通路を逆走したらしい。
そこには、行きには存在しなかった< オーク・レンジャー >が多数張っていたそうだ。確かに、戻ってきて合流される可能性を考えるならその配置は間違いじゃない。無視して戻る事もできるが、背後に敵を残すわけにもいかない。サージェスは通路の< オーク・レンジャー >を仕留めつつ先へ向かう。そして、あの合流に繋がったというわけだ。
転送ゲート前まで行くと、そこには首だけのボーグと伸びたままのティリアの姿があった。サージェスは二人を置いたあと、すぐに引き返したようだ。
ティリアは死んでないし、最悪の場合はボーグを抱えてゲートに飛び込む事はできるだろうという判断だ。俺たちが持つ一番高いコテージもボーグの《 アイテム・ボックス 》の中だからな。
首だけ向けて俺たちを確認したボーグが『え、アレを突破してきたの?』という顔をして絶句していたのが印象的だった。
まあ、ワイバーンの時と違って前準備があったわけでもなく、人数も半減しているからな。普通は抜けてくると思わないだろう。
ティリアは道中完璧な仕事をしていたのに、最後の最後で大失態だ。これで負けていたらお尻ペンペンくらいは要求したいところだったが、それは勘弁してやろう。俺が何も言わないでも、摩耶の説教は待っている。地獄の無限訓練から続く恒例行事だ。
「さて、今回の討伐ボーナスは何に使うか夢が膨らむな」
「そうですね。いろんなところが膨らみます」
そこは膨らませんでいい。というか、そろそろ服を着ろ。
「ドロップした斧はどうしましょうか。< 暴雄の威斧 >っていうらしいですよ」
< オーク・チャンピオン >が魔化したあと、ドロップしたカードを片手に摩耶が聞いてきた。
この層基準なら破格の性能と思われる片手斧。鑑定しないと性能は分からないが、おそらくユニークアイテムだろう。ただ、武器種がちょっと微妙だ。
「うちでは俺かキメラしか使えないな。能力調べてみて、不要なら売却して分配しよう」
「了解です」
俺もキメラも斧はメイン武装ではない。使い道がないでもないが、値段次第では売ってもいいだろう。ゴーウェンあたりが欲しがったら格安で譲ってもいい。
「とりあえずゴールだ。ゲート潜って帰還しよう」
制限時間はまだあるが、ゴールを前にして休憩を挟むつもりはない。
予想外のハプニングはあったが、中級ランク冒険者が最初に躓く山場は超えた。
残念なティリアさんは伸びたままだし、ボーグは首だけ、俺たちもいつも通りボロボロだが、それでも中継地点まで辿り着いたのだ。
普通なら絶対体験しない難易度になっているはずだが、それを口にすると俺のせいにされそうなので黙っておく。
「そういや、この先は第三十六層が続いているんだよな」
ユキが先に進む事を断念したフロアである。構造は同じだからそのまま同じフロアが広がっているはずだ。
向けた先で反対側から潜れば転送施設に戻るが、確認だけなら問題なくできるだろう。死んでも中継地点に辿り着いた実績は残る。
「帰る前に見るだけ見て行きましょうか」
先を知っている摩耶がそう言って先導した。
[ 無限回廊 第三十六層 ]
「なるほどな……」
ゲートを潜り、安全地帯を抜け、モンスターの姿がない通路を進むと、ユキが断念した原因だと一発で分かる光景が待っていた。
安全地帯から少し先まではただの石造りの通路。その先は行き止まり……と巨大な水路がある。迂回路はない。先に進むには水中に潜る必要がある。
水路手前で目をこらして中を覗くと、モンスターだらけ。それが、かなり奥のほうまで続いているのが分かった。視界はそこまで悪くなさそうだ。
……これは確かに水中戦必須だな。
「ここを先に進むには水中に潜り、水路を抜ける必要があります。水棲モンスターの配置も多く、高レベルの《 隠れ身 》持ちでようやく次のフロアに辿り着けるような環境です。水深はそこまででもないので歩く事は可能ですが、現実的とはいえないでしょう。」
「摩耶は先も確認してきたのか?」
「はい。私とラディーネ先生の蟲で可能なところまでは確認しました」
あの蟲、水中でも移動できるのか。
ある程度マップも作ったという事で、製図済のそれを見せてもらう。地図にはいくつかの広場があり、その間を通路が繋げている。これが水没してるなら、移動するには潜って上がってを繰り返す事になるな。
「確認できた限りではいくつかの大区画に分かれ、その区画ごとを繋ぐ通路はすべて水没。しかも、巨大モンスターが生息している完全水没エリアまでありました。ここですね」
摩耶が指したのは地図上でもかなり面積のある広場だ。
「水が引くギミックとかはないのか?」
「そういうマップもあるらしいですが、この層にはなさそうです。確認できた範囲にそれらしいものは見当たりませんでした」
「水中戦は必須って事か……」
「水中戦どころか泳げない人も多いので、前回はとりあえず中継地点までという事で次のフロア構築を待つ事になったんです」
泳げないのは話にならない。これではレベルアップのためにモンスター狩りもできないだろう。
ユキたちはレベルアップをメインに今週も第三十一層から攻略しているが、それで正解だろう。
「ガウルの《 ブリザード・ブレス 》で凍らせたりはできないか?」
「そりゃあ、いくらなんでも無理だ。表面凍らせて上歩くくらいならできるだろうが、通路が完全に水の中じゃ意味ねえだろ?」
「凍らせながら掘り進んでいくとか?」
「無理に決まってんだろ」
そりゃそうだよな。北極の氷だって、水深深くまで凍ってるわけじゃない。
「カネテヨリ開発シテイタ水中戦仕様ボディガソロソロデキアガリマスノデ、ツカマッタ状態デ無理矢理高速移動トイウ手モアリマスガ」
「抜けるだけならそれでもいいかもな」
ボーグが乗り物扱いになるって事を気にしなければ。
……だけど、問題は移動じゃなく水中戦だ。フロアの構成にもよるが、水没エリアが出現するかどうかは運によるところが大きい。
運が良ければ、第三十六層から第三十九層までノーマルなダンジョンって事もありえるだろう。水場があったとしてもその迂回路が用意されているケースもあるだろう。
しかし、次の中継地点となる第四十層。ボスがサーペント・ドラゴンで固定されたエリアは水中戦が必須になる。どうしたって水中戦力は必要なんだ。
「ああ、一つ水凪さんから言伝がありました。第三十六層に到達したら伝えて欲しいと」
「水凪さんから?」
そういえば、あの人だけは攻略済みだ。何かヒントでもくれるんだろうか。
「『第四十層攻略は不参加でお願いします』と」
「は?」
え……どういう事? そりゃ五十層まで突破してるわけだし、彼女自身は攻略しなくても問題はないだろうが……。
「水中戦において、あの人の力は有利に働き過ぎます。先に進むつもりなら、自力で突破しろって事ですね」
「ああ、あの姉ちゃん、《 水神の加護 》持ちだったな」
《 水神の加護 》? ガウルのやつと似たようなギフトだろうか?
「あの人は迷宮都市の守護神である四神の巫女の一人です。水神から直接加護をもらっている唯一の存在なので、水中は彼女の独壇場ですよ」
そりゃ巫女さんなんだから、神職ではあるんだろうが……水神?
獣人ではないのは……加護をくれる神様が獣神じゃないから関係ないのかな。いいな、俺も何か加護欲しい。ラッキースケベの加護をくれる淫神とかいないだろうか。
『フハハハッ! 我は淫魔神ドスケベ・ゴッド! 使徒となる貴様に、溢れんばかりの性欲だけを授けてやろうっ! 励むがいいっ!!』
……やっぱいいや。
「つまり、水凪さんが住んでる神社で祀ってる神様からギフトをもらったって事か?」
「あそこは[ 水霊殿 ]といういわゆる分社で、[ 四神宮殿 ]と呼ばれる場所が別にあると聞きました。彼女の名字である四神宮も、四神の巫女を表すものになるのだとか」
なんか突然RPGっぽくなってきたな。そこに神様がいるんだろうか。いや、亜神ってやつなのかな? その二つの明確な区別はつかないが。
というか、水凪さん苗字持ちだったのね。
「戦闘も見せてもらいましたが、すさまじいの一言ですね。水の中を濡れずに歩き、泳がずとも自由自在に移動も可能。弓は地上以上に扱え、呼吸すら地上と同じように行えるそうです」
「なんだそれ」
超すごい。地上より水中のほうが強いって事じゃねーか。……だから不参加か。さすがに有利過ぎるって事だな。そんな力に頼らずに先に進める実力はつけろと。
となると回復役は後ろの安全地帯で伸びてるティリアに固定だ。全員突破するためには最低二回頑張ってもらう必要がある。
あの情けない姿を見てしまうと不安しか覚えないが、オークさえいなければあいつは優秀な盾だ。……水中ならオークはいないから大丈夫……なはず。
……しかし、回復役が少ないってのはキツイよな。パンダにしか使えないミカエルは置いておくとして、ディルクやリリカは適性あるんだろうか。確か、セラフィーナは回復魔術使ってたはず。
「ちなみにサージェスは泳げるのか?」
「むしろ得意なほうです。《 トルネード・キック 》でスクリュー移動もできますし、普段のレッスンで慣れてますので」
「そうか……」
なんのレッスンかは聞くまい。……だが、普通に戦う事はできそうだな。
俺の場合は泳げはするし、遠泳、潜水も得意なほうだが、あくまで水泳の範疇だ。武装してモンスターと戦う技術はない。服着て泳ぐだけでも結構キツイと思う。
現在のところ、水凪さんを除いて水中戦ができそうなのはサージェスと摩耶、あとは換装用ボディが完成すればボーグだけか……キツイな。パーティ中の相性や役割分担どころか、六人の定員にすら満たない。
「しばらくはレベルアップしつつ、地道に水中戦の特訓だな」
マネージャーにそういう訓練施設を手配してもらおう。……年内の第四十層攻略は諦めたほうがいいかもしれないな。
-4-
訓練施設の手配がてらマネージャーに今回の件について報告したら、驚くのでもなく『またですか……』という生暖かい視線で微笑まれた。もうククルの中で俺はトラブルに巻き込まる運命を抱えた存在になっている気がする。
「渡辺さんは多分、そういう星の元に生まれたんですね」
決して嬉しくないが、半分くらい間違ってないのが辛いところだ。
早速だが、訓練施設については今日の夜に予約を入れてくれたらしい。昼でなければ結構空いてるそうだ。他のメンバーの予定も大体空いてるのは確認済である。
「マネージャーも来る? 今働いてるって事は、夜なら業務終わってるだろ?」
「そうですね。訓練はともかく、息抜きに泳ぎに行くのもいいかもしれません。あそこだったら普通のプールもありますし」
もう十二月も近いというのに水着イベントか。季節を無視しているが俺はそんな事は気にしない。
そもそもあの海水浴場だって、夏場のみのオープンらしいが年中でも開放できるはずだ。あれ、ダンジョンだぜ。
「あの……、何か目が血走ってますが、水中戦の訓練施設ですからね。水着だけの人のほうが少ないですよ」
「え……」
そんな馬鹿な。……そうか、よくよく考えてみれば、戦闘するのに水着だけなわけがない。ただ潜水するだけでもダイバースーツを着るものだ。その上、戦闘までするのだから、ただの水着で足りるはずがねえ。
くそ、水着で戦闘してハプニングでポロリという事態まで妄想していたのに……。いかん、サージェスだけは普通にありえそうだ。
「そんなに落ち込まないで下さい。ほ、ほら、ただ泳ぎに行く私は水着ですし」
「そ、そうだよな」
ありがとうマネージャー。君の水着姿を堪能させてもらう。期待してるぜ。なんならポロリしてしまってもええんやで。
そして、長いダンジョン攻略で忘れかけていたが、もう一つ問題が残っていた。
忘れてそのまま放置したいところだが、そうも言ってられないレーネさんの事である。
「予定していたダンジョン攻略は終わったはずですわよね?」
ククルに会った帰り、またしてもバーサーカーさんに捕まってしまった。
……何この子、張り込んでるの?
「あ、ああ。終わった……ぞ。……まさか、今日ずっとここにいたのか?」
「まさかですわ。先ほどまで無限回廊第十層の攻略に行っていました。たまたまです」
体感時間が長くなるからダンジョン攻略はしないと思っていたのだが、意外に冒険者としての仕事もしているらしい。
ほとんどソロでミノさん撃破したレーネなら、第十層までは楽勝だろう。その先もなんか普通に突破してきそうなのが怖い。
「この街で生活基盤を整えるなら、早くユキト様に追いつかないといけませんからね」
「……なんで?」
「ユキト様を養おうというのに、格下では話にならないではないですか」
何言ってるんだろう、この子。ユキをヒモにするつもりだったの? 今現在は微妙だが、男女の立場が逆転しとるがな。
「ユキを王都に連れ戻すつもりだったんじゃないのか?」
「最初はそのつもりでしたが、私ならこちらの方が稼げますし、性に合っているようです」
そら、お前さんバーサーカーだしな。天職だろう。
あのトライアル動画のミノタウロス戦を見てしまったら、間違っても向いてないとは言えない。少なくともフェイズよりは冒険者向きだ。見た目だけは今もお嬢様だと思うけど、むしろ貴族令嬢でした、という事実のほうが信じられないくらいである。
……でした、というか今も貴族令嬢か。
「それに、この街のほうが王都の貴族よりいい生活送ってますわ。あのドレスオークたちと交流する必要もありませんし」
「前も言ってたが、ドレスオークって何よ?」
「社交界に参加している貴族の子女の事ですわ」
え、肥え太った貴族令嬢って意味だったの? どんだけだよ。
「なら、ユキと一緒に攻略する事を考えたほうがいいんじゃねえ? あいつ、結婚しようが冒険者辞めないと思うぞ」
結婚できるかはこの際置いておくとして。
「む……それもいいですわね。ダンジョンの制限時間が来るまで暗がりで二人っきり、じっくりねっとりとユキト様の神秘をご確認させて頂くというのも……ああ、いけませんわユキト様。モンスターさんたちが見ています! そんなご神体を曝け出して……」
「なんでペア攻略になってんねん」
ダンジョン攻略は六人パーティが基本だぞ。お前とユキの二人じゃトラップすら回避できないだろうに。
というか、妄想の中だとしてもダンジョンで何してんだよ。それは部屋でやれ。そして動画下さい。
……あれ、でもダンジョンでそういう事が禁止されているって聞いた事がないな。倫理観云々の話を抜きにすれば、アウトじゃないのか? 良く考えてみたら夫婦で潜ってる冒険者もいるだろうし、長期アタックなら持て余す事もあったり?
まあ、実際には色々問題あるだろうし、デメリットも多そうだが。
「まだ設立前だが、それならお前もウチのクランに来るか? サブリーダーのユキがOK出せばっていう条件付きだけど」
「まあっ! なんて素晴らしい。あなた意外にいい人ですわね」
「いい人ですわよ」
「真似しないで下さい」
そりゃすまんね。
「では、早速面会の日取りを決めましょうか。今夜などは如何でしょうか?」
「早過ぎるだろ」
あいつに伝わる間もなく遭遇戦が始まってしまう。逃げ出す暇もないが、会話が成立しない可能性が高い。
「というか、今日の夜は予定が決まってる。……とりあえず仮として予定ギリギリの六日後。それより早くなるようなら別途連絡するっていうのはどうだ?」
「む……しかた……ありません……わね」
すこぶる不満のようである。重要な案件だから、ワガママを言わないように努力しているのだろうが、顔とセリフがそう言ってない。
……だが、俺には切り札がある。こんな事もあろうかと、という心構えは別になかったが、ステータスカードの写真機能を解放したあと、適当に撮り貯めしていたデータの中の一枚だ。
「よし、ならばこれを見たまえ」
「こ、これは……っ!?」
昨日の引越しの際、ダビデの上で寝ているユキさんを激写したものだ。本人の了承は得ていない。
これは貴様のような相手にはクリティカルな切り札のはずだ。猫耳に対する《 食い千切る 》級である。
「飲んでもらえるのであれば、この画像を添付してメールしてやろう」
「な、なんという卑劣な……」
セリフの割に顔はニヤけてるけどね。
「……くっ、しかた……しかたありませんわねー。……では、妥協点として、毎日経過報告を頂けませんか?」
「それくらいならいいよ」
ついでに毎日ユキの写真も送っちゃる。ご神体は不可能だが、日常シーンなら問題ない。最悪、日程を延期するためと言えばユキも納得するだろう。
「ところで、あなたフェイズさんの行方はご存知ありませんか? 昨日から寮にも会館にも姿がないのですけど」
「え、探してどうするつもりなんだ?」
「そりゃ、粛せ……色々その身に問い質さないといけませんし……」
「いや、勘弁してやれよ」
さすがに不憫である。あいつただ巻き込まれただけだぞ。……本格的に巻き込んだ俺が言うのもなんだが。
ちなみにクランハウスに戻って聞いてみたが、ユキは予定を繰り上げる気は一切ないようだった。
[ 水中戦闘訓練施設 ]
その夜、俺たちはマネージャーの予約してくれた水中戦闘訓練施設に足を運んだ。
しかし、そこに水着姿を期待させたククル自身の姿はない。
『す、すいません。ちょっと急な案件が舞い込んできて……ああー、カナンさんどこ行っちゃったんだろう』
電話の向こうからは切実な声が響いてきたので嘘ではないと思うが、非常に残念である。つまり微かなポロリの可能性は潰えたという事だ。
手配された訓練施設はダンジョン区画内、ギルドからそう離れていない所にある。通る度に何度も見かけていた、スポーツジム兼スイミングスクールの建物が目的地らしい。
予約済であり、そもそも冒険者は優待される施設らしいので、受付はすぐに終わった。
そのあとはロッカールームで着替える事になるのだが、更衣室は男女別である。……果たしてユキがどうするのかと思ったら、普通に男子用の更衣室に入ってきた。
え……これは一体どういう展開なの?
「え、何?」
一体その下がどうなっているのかと強烈な好奇心を抱かせる、レーネに言わせればご神体が遂に開放されてしまうのかと期待して目を血走らせながらガン見していたのだが、普段着の下に以前海水浴で使用した健康的な水着を着込んでいやがりましたわ。ふざけんなですわ。
夏場ならそのまま外に出ても違和感のない格好である。……そうね、そりゃそうだよね。少し考えれば分かるよね。うん。
「リーダー、ここはパンツも脱いだ方がいいのでしょうか」
「お前、武装して訓練するコースだろうが。脱ぐな」
一方、何も脱ぐ必要のない奴はすでに全裸だった。ユキも見慣れたもので、すでに動揺すらしない。
俺たちの中ではサージェスの裸はすでに日常なのである。
訓練を行う場所は、カテゴリ別に三ヶ所に分類される。
完全に水中戦闘訓練を行うための巨大プール、それより手前の着衣・武装状態での水泳訓練用プール、そして泳げない人用の普通のプールの三つだ。
水中戦闘訓練用プールは、水没した訓練場やダンジョンのような構造のもので、迷宮構造になった探索エリアも構築可能だそうだ。モンスターとの擬似戦闘訓練も行えるらしい。
普通のプールは日中スイミングスクールで使う物と共用である。前世でも良く見かけた、ただの25メートルプールだ。
俺たちの中で泳げないのはユキとガウル、戦闘訓練に入れるのはサージェスと摩耶。俺とティリア、ラディーネの三人は着衣・武装状態での水泳訓練となる。
ボーグとキメラ、水凪さんは不参加だ。キメラは知らんが、ボーグは専用装備ができてからのお披露目になるだろう、との事。
水凪さんの水中戦闘は参考までに見てみたいが、いても参加するのは戦闘訓練用プールで、しかもいつもの巫女服のままだろうから素直に諦める。
俺たちが挑戦する着衣・武装水泳訓練用のプールはかなり深い、潜水用にも使えそうな巨大なものだった。何故か飛び込み台もある。
間違っても足はつかない。底までの距離を考えると、沈んで戻ってくるだけでも一苦労だろう。
「……これ、まずいな」
最初という事でコーチには通常の着衣状態での訓練を薦められたが、一度だけいつものフル武装でチャレンジしてみる。最終的にどんな状態になるのかの確認だ。
……結果は散々。試してみた直後に後悔した。泳ぐどころではなく、浮かぶ事すら困難である。防具の金属部分が重いのが一番の問題だが、革部分だろうが重い。というか布でも重い。いつも着ているインナーですら重いのだ。
「まあ、当たり前なんだがね」
一人、事前準備として水中戦闘用のレオタードを用意していたラディーネが俺たちの惨状を見てニヤニヤしていた。確かに溺れそうになってもがく姿は滑稽だったろう。
……だが、俺以上に悲惨なのはティリアだ。全身甲冑着けて水泳なんて自殺行為である。結果は分かっていただろうに律儀に甲冑着けて挑戦し、今目の前で本気で溺れ死にかけていた。
「えほっ、げほっ、ど、ど、どうしましょうか……?」
そんな事聞かれても困る。最近呼吸困難に陥る姿ばかり見ている気がするが、今の惨状が最もひどい。
しかし、水凪さんに拒否されてしまった以上、第四十層の回復役はお前しかいないのだ。無理でもなんとかしてもらうしかない。
最悪、俺はなんとかなる。普通に水着で挑戦しても、万能スキル《 瞬装 》があれば瞬間的に武装を展開する事も可能で、無手からの攻撃も慣れている。この様子ならラディーネも大丈夫だろう。だが、盾役が防具なしでは話にならない。最悪、鎧は諦めて盾だけでも使えないとマズイのだが。彼女の場合は、盾だけでも相当な重量物だ。なんせ、全身が隠れるような巨大金属盾なのだから、重くないはずがない。
「他のパーティは、こんなのどうしてるんだ?」
サージェスや摩耶、それとユキあたりは問題ないだろう。普段使っている防具はそう重い物ではないし、なしでもなんとかなるが、それは冒険者としても少数派だろう。< マッスル・ブラザーズ >のような連中も例外だ。だが、基本的に防具は重い物だ。大抵の前衛は無力化しかねない。
サローリアさんの水中戦闘にはとても興味があるのだが、動画自体がない。ガッデム。
「色々だね。防具なしで挑戦したり、潜水用装備を用意したり、水中で動くためのスキルや魔術を習得したり、中にはステータスの暴力でゴリ押ししたり、採算度外視でアイテム消費して突破なんてところもあったはずだ」
軽い武装か……それでもキツイ上に防御力が激減しそうだが、考慮するしかないな。
俺も、海水パンツで戦うわけにはいかないし……ロボットもので水中専用機が作られるのも理解できるというものだな。
ラディーネが着ているレオタードも露出は増えたものの硬そうではある。訓練なんだから、胸部分くらいは柔らかい素材でもいいのよ。
会った事ないけど、水神さんの加護もらえたりしないだろうか。なんなら崇めてもいいよ。……ひょっとして、ダンマスに頼めば会えるのかな?
「とりあえず、実験用装備の開発という名目で迷宮都市から予算をもらおう。いくつか水中用装備を作ってみる」
「え、マジで?」
そんな予算が下りるのか? 個人用の装備だよな?
「新素材を始め、それらの装備の情報はもちろん街に提供するさ。しばらくすれば、それを元に同じような装備が作られるようになる。その実験台……と言っては不穏だが、サンプルのような物だな。前世の記憶の中にある水中用、宇宙用装備の知識から何か作れないか検討するよ」
なんて頼もしい。科学者らしいアプローチだ。マッド・サイエンティストらしく、『じゃあ、改造しようか』とか言い出すと思ったのに。
「ひょっとして、甲冑着て戦う事もできるようになりますか?」
「……それは無理じゃないかな? 軽めの金属で盾くらいなら……それでも防御力は落ちるだろうね」
「ですよねー。……はぁ、最近ダメダメな感じなんで少しは活躍したいんですが」
ここ最近、駄目なところが目立つから必死なんだろうか。ティリアが頑張っているのは分かるんだが、元々のポジションが地味だしな。
この前の< オーク・チャンピオン >はちょっと擁護不可能だよ。
「お前、確か師匠いるんだろ? その人はどうしてるんだ?」
「師匠は岩ですから浮きませんし、防具も着けませんから参考になりません。第四十層も水中を歩いたんじゃないですかね」
ああ、岩石巨人ならそれもそうだな。防具なしってのもすごいが、……呼吸すらしてないって事もありえそう。
「……師匠が岩?」
事前に話を聞いていないラディーネが、興味を持ったらしく聞き返してきた。希少種とか言っていたから、研究の対象になってしまうのだろうか。岩を解剖しても多分面白くないと思うぞ。
「< ストーンヘンジ >所属の岩石巨人族で、ガルデルガルデンといいます」
「ああ、< 要塞 >ガルド殿か。有名人じゃないか」
ストーンヘンジって……どこの遺跡だよ。それクラン名なのか?
「そのガルド氏は今どこの所属なのかね?」
「え……今言ったように< ストーンヘンジ >ですけど……」
「いや、そのクランは最近解散しただろう?」
「…………え?」
ティリアが固まった。弟子でも未確認の情報らしい。
「そのお師匠さんは、今フリーでやってるって事なのか?」
「クランハウスが使えないって事か。……岩石巨人ほど大きいと住むところを探すのも大変だろうにな。ウチのダビデの二倍くらい大きいはずだぞ」
「そ、そうですよっ! 師匠、家なき子になっちゃいます」
「……そんなアホな」
いくらなんでも、そんな名の知れた冒険者がホームレスなんて……。
「ちょ、ちょっと師匠探してきますっ! 訓練途中ですが失礼します」
「お、おう、気をつけてー」
慌ててティリアはロッカールームへと走っていく。「あいたーっ!」……あ、コケた。そそっかしい子ですわね。
……岩だったら、外でも問題ないような気がしないでもないが。
「そのガルデルなんちゃらは有名人なのか?」
「有名だね。< 要塞 >の名の通り鉄壁の防御を誇る、迷宮都市屈指のタンクだ。しかも、岩竜を使役する< 騎兵 >でもあるから、機動力まで備えてる。狭い所は苦手だろうがね」
そんだけでかいなら狭い所だと詰まるだろうな。……ビッグネームっぽいけど、そんな人がホームレスなのか。
「そういや、ボーグはともかく、キメラはどうしたんだ?」
「ああ、あいつはここに入場拒否された……というのもあるが、奴の場合は水棲モンスターを取り込む事で適応可能だからね。今、色々試してるところだよ」
最も常識の範疇で考えてはいけない奴だったか。前にワイバーン食って羽生やしてたしな。
「さあ、まずは地道に着衣水泳ができるように訓練しよう。レオタードなら予備があるが、使うかね? 《 サイズ補正 》付きだぞ」
「勘弁してくれ」
俺のレオタード姿は危険物だぞ。放送事故級だ。
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