第五章『交差する世界』

Prologue「????」




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「これで審査は終了です。長い間お疲れ様でした」


 最後の審査とやらが終了し、すっかり顔なじみとなった冒険者ギルドの職員が言う。いや、ここでは迷宮ギルドというのだったか。

 長かったといえば長かったのだが、待遇は国賓でも扱うかのような最上級のもので、俺の場合は更に迷宮都市内部に知人がいるから審査自体も短くなっているらしい。

 同室の連中は暇でしょうがないとボヤいていたが、騎士団ではもっと何もない場所での待機任務も経験しているのでさほど苦でもない。食事も美味いし、正直骨休めとしてあと一週間くらいならここにいてもいいのだが。


「知人の方も門を抜けたところで待っているそうですよ」


 どうやら、今日審査が終わる事を事前に連絡してあったらしい。わざわざ迎えにまで来るとは律儀というかなんというか……。先日王都で再会した時はあまりの変貌ぶりに驚かされたものだが、人間としての中身は変わってないようだ。

 まったく見知らぬ地で案内役がいるというのは素直にありがたいと思う。何せ、これからはこの街に生活基盤を築くのだから。


 ここ数日間、ずっと通行止め扱いになっていた通路を抜けて、迷宮都市の内部へと向かう。

 ある程度話は聞いているが迷宮都市の規模が一体どれほどのものなのか、ようやく自分の目で確かめる事ができるというわけだ。……確か、エルフさんもいるって言ってたよな。

 通路の出口は高台の広場になっていて、階段を降りればそこはもう人の行き交う街の活気に満ちている。その広場の外枠、柵で囲われた部分にそいつはいた。


「久しぶり」


 数ヶ月ぶりに会ったそいつは、変わらず爽やかな笑顔で出迎えてくれた。気安い雰囲気はそのまま、とてもスラム出身でゴロツキどもの取りまとめをしていたと思えない貴公子然とした雰囲気だ。いっそ、貴族ですと言ってくれたほうが似合っている。こんな風貌で俺より遥かに強いのだから、やはりこの世の中は理不尽に満ちている。


「数ヶ月じゃあまり変わらないな」

「君もね。寮の方に確認連絡が来た時には少し驚いたよ」


 どうやらギルド側で、中に俺の知人がいるという話の裏を取っていたらしい。


「悪いな。コネとかそういうつもりじゃなかったんだが、審査中に聞かれてさ」

「いいよ。もう少し僕のランクが上なら、推薦で審査も短くできたんだけどね。まだまだ新人だから」

「飯美味かったから、もう少し審査が長引いても良かったくらいなんだがな」

「はは、王都から来たらそう感じるよね。アレ、ここの基準だと最低限の食事なんだけど」


 そういえばこいつも同じ流れでここにいるわけで、壁の中で出た食事内容も知っているという事だ。その人間が比較しているのだから、やはりあれはこの街基準では最低限なのだろう。とんでもない話だが。


「でも、まさかこんなに早く来るとは思わなかったよ。僕の時も退団手続きは大変だったんだけど、それでも貴族ではないって事で簡略化されたらしいし、君の場合はもっとじゃないのかい?」

「ああ。……まあ、色々あってな。時期的にちょうど良かったというか……」

「ひょっとして戦争絡みで何かあったのかな?」

「あー、それもあるが、直接的な原因は部隊員の不祥事だな。リディンの奴が捕まってさ、多分死刑台行きだ」

「……それは穏やかじゃないな」


 散々嫌な目に遭わされた奴の事なのに顔が晴れないのは、こいつの善性を表しているのだろう。

 正直、俺は歓喜で叫びそうになったんだがな。影響を受ける部隊員の連中も大半はそんな感じだった。


「そこら辺は歩きながら話そうか……、このあとは迷宮ギルドとやらに行けばいいんだろ?」

「ああ。いや、もう昼近いし、どうせなら食事でもしていこうか。奢るよ」

「いいな。審査の時の飯もすごかったが、金払う飯はもっとすごいんだろ?」

「はは、そうだね」


 リクエストは、と聞かれても良く分からないので、迷宮ギルドに向かう途中の適当な店に入る。どうやら王国料理に近い物を出してくれる店だそうだ。食い慣れたもののほうがいいだろうという気遣いなのだろう。

 しかし、注文して出てきたのは王国料理とは名ばかりの、遥かにグレードの高い食事だった。確かに近いレシピなのかもしれないが、素材の値段は十倍じゃ利かないだろう。……正直、何がなんだか分からないが、確かに審査の際に出されたものより美味い。なまじ元を知っているだけに分かってしまうのが辛い。

 聞いてみれば、これは迷宮都市の一般的な市民が日々口にするようなものらしい。値段もそれほどでない上に、外門の近くという事で多少割高になっているのだとか。つまり、場所代を含めなければもっと安価な物というわけで……。これに慣れてしまうと、王都や実家に帰郷しても飯食えなくなりそうだ。


「こちら、期間限定サービスのミニケーキになります」


 食事が下げられたあと、注文していないのに美しく装飾されたデザートが出てきた。

 一体なんなんだと混乱したが、今の時期は来店するとこれが付いてくるサービスを行っているらしい。この分の料金はタダだ。デザートは審査中の食事でも出たが、こんなに手の込んだ形状の物はない。

 食べるのにも躊躇してしまうが、フィロスは当たり前のように食い始めた。……同僚が何処か遠くへ行ってしまった気がした。半年くらいしか経ってないのに馴染み過ぎだろう。


「それで、さっきの話だけど」

「ああ、俺がここに来るのが早まった理由な」


 それを食べ終わったあとは、先ほどの話題の続きだ。

 つい数ヶ月前の事、オーレンディアの北部に隣接するラーディン王国が戦争を仕掛けて来た。ラーディンはオーレンディアの属国であり、経済、軍事、政治のほとんどを宗主国に依存しているような小国だったのだが、突然何を思ったか飼い主に牙を向いたのだ。

 周辺の小国と連携していたわけでもない。裏にリガリティア帝国が付いているのかと思えば、それも違うらしい。軍事力も国力も、文字通り桁が違う。勝ち目などあるはずのない戦いはあまりにも狂気染みていた。

 表向きの開戦理由は圧政を続けるオーレンディアからの独立戦争との事だったが、ある程度情報を持っていれば誰でもそれが建前だという事は分かる。

 ……分かるのだが、未だ開戦理由ははっきりしないままだ。少なくとも、騎士団の幹部は知らされていないようだった。

 戦争の内容としては単純だ。何かの奇策で戦況が引っくり返る事もなく、オーレンディア側の力押しで圧勝に終わった。開戦直後はオーレンディア側が浮足立っていたという事もあって、いくつかの戦場では敗北もあったらしいが、それも最初だけだ。

 俺たち王国騎士団が本格的に参戦してからは何事もなく戦線を押し返し、そのまま終了。戦争としての状況が出来上がる頃にはもう決着は付いたも同然という状況だ。

 国境近くのネーゼア辺境伯領は被害を受けたが、規模としてはかなり軽微といえる。あの領地は一部が帝国の国境と接していて昔から睨み合いを続けているからこの程度は慣れたものだろう。伊達に辺境伯を名乗ってはいないという事だ。


「戦争についてはこっちでも大体の経緯は把握してるよ。"僕たちは行けなかったけど"、中級ランク以上の冒険者で派遣軍も組んだらしいし」

「ああ、来てたな」


 怪物連中が。ちょっと同じ人間か疑わしくなるような戦闘力で度肝を抜かれたのは記憶に新しい。

 なんせ、剣を振るえば甲冑ごと真っ二つ、魔術を使えば小隊規模で吹き飛ぶ、そんなのが一人二人ではなく大量にいるのだ。

 やたら強い兵士がいて押されていた戦線もあったという噂も聞いたが、迷宮都市軍が来てからは話を聞かなくなった。

 騎士団も面子があるのですべてを迷宮都市軍に任せるという事はできなかったが、やろうと思えば彼らだけでもラーディン軍を壊滅させられただろう。

 対外的にはアレで王国の一領地から派遣された軍だというのだから、ラーディン側から見れば詐欺同然だ。


「その戦争があったから、ゴタゴタで遅れるかと思ったんだけどね」

「実際、まだ軍としての後始末は残ってるさ。……ただ、さっきも言ったリディンがな」


 どちらかというとこちらが本題だ。騎士団で俺と同部隊に配属されていた子爵家の息子がいるのだが、戦争の遠征中にこいつのとんでもない不祥事が発覚し、当主諸共拘束されてしまった。詳しい内容は調べていないが、死刑は確実。貴族としての家名は残るが男爵家に降格され、色々な罰則も負う事になりそうだ。交代した新当主はご愁傷様である。

 その影響を受け、俺たちの部隊は戦争中であるにも拘わらず丸ごと王都へ後送され、その後に解体、再編。ちょうどいいと、俺はどさくさに紛れて騎士団を辞めて来たというわけだ。戦後間もない状況なら普通有り得ない、平時でももう少しかかるだろうというほどの速度で手続きが済んでしまった。むしろ身辺整理と荷造りの方が時間がかかったほどだ。


「このタイミングで辞めるなら、騎士としてのキャリアはないも同然だって脅されたが、もう必要なさそうだしな」


 伯爵家といえども嫡男でない俺は武官として出世するか、あるいは騎士団出身という箔を使って別の職場を探す必要があったわけだが、ここではそれも必要ない。それどころか、迷宮都市では貴族の肩書すら通用しないだろう。別に王国貴族としての籍を抜けたわけでもないが、俺は今日から一人の冒険者だ。


「まあ……ここではその経歴は必要ないね。酒場の下働きから転職して活躍している人もいるくらいだし。基本的に強ければいいんだ」

「それはまた極端な経歴だな……」

「あとで紹介するよ。ウチの固定パーティのリーダーなんだ」


 随分と身近にいる存在だったらしい。

 ……そういえば、親父が半年前に買って来た男娼も酒場で働いてたとか言っていたな。どこの酒場も不景気なのだろうか。




 飯屋を出て、二人並んでギルドへと向かう。

 街に入ってからずっと感じていた事だが、王都と違い活気がある。というか、フィロスが王都に一時帰郷した際に聞いた話通り文明格差が激しい。

 特別なモノかと思うような巨大な建物がたくさん立ち並び、それがただの店や住居だったりするのだ。

 数日前まで俺が暮らしていた王都は王国の中心であり、国内で最も規模の大きい都市といわれているのに。

 騎士団の特性上、地方へ遠征する事は多くあったが、地方都市と呼ばれるほとんどの街は王都と比べれば実際に未発展だった。人口も桁が違う。それがここはまったくの逆で、遥かに大規模で先進的だ。王都と比べても途方もない差を感じる。王都が一番というのは間違いだな。


「随分と華やかな街だよな。ひょっとして祭りでもあるのか?」


 ただ、それにしても街の中は過剰に装飾されているように感じた。いたるところで華美な飾り付けがされ、街路樹にも光る物が無数に取り付けられている。あと、何故か赤い帽子を被った者が多い。流行ってるのか?


「もうすぐクリスマスだから、その飾り付けだね。普段は……もう少し控えめだよ」


 言葉を濁すのは、普段でも王都とは雲泥の差があるからなのだろう。


「クリスマスってのはなんだ?」

「僕も詳しくは知らないけど、この街は事あるごとにこういうイベントがあるからその一種じゃないかな。さっきのケーキもクリスマス関係だと思うよ」


 実はあそこで飾り付けしている人も、クリスマスがなんの祭りか知らなかったりするんだろうか。美味いケーキが食える祭って事でいいのかね。


「この街は、そんなに年中騒いでるのか……」


 王都では街が賑わう行事など年に数えるほどしかない。大抵は式典が付属して騎士団は甲冑を着込んで駆り出されるのだ。ろくな思い出がない。


「僕らが甲冑着て式典するわけじゃないんだから」

「ああ、そうだよな」


 どうやら顔に出ていたらしい。嫌な思い出を共有しているからこそ分かるのだろう。


「まあ、街に活気があるのはいい事だよな。もう騎士ってわけでもないし、こういう祭に俺たちが関わる事はないんだろうし」

「そうでもないよ。君はともかく、デビュー済の冒険者はクリスマスのイベントがあるからね。二十五日の夕方から一日かけてレイドイベントっていうのをやるらしい」

「レイド?」

「なんて言えばいいのかな……。大規模戦闘っていって、たくさんの冒険者が強いモンスター相手に戦うんだ」


 戦争って事だろうか。モンスターとの戦闘経験すらほとんどない俺には実感は湧かないが。


「良く分からんが、迷宮都市の冒険者はダンジョン攻略以外にそんな事もするんだな」

「基本はダンジョン攻略だけどね。闘技場で試合もするし、さっきの話みたいに迷宮都市の外へ遠征したりもするよ」

「お前やお前と組んでる連中もそのレイドとやらに参加するのか?」

「そのつもりだけど、参加条件があるから全員ってわけにいかないんだよね」


 やっぱりある程度強い奴じゃないと駄目だとか、そういう決まりがあるんだろうか。


「敵として出てくるのが赤い服を着た巨大なお爺さんモンスター『ザ・グレートサンタ』とトナカイのモンスター『血塗れ鼻の暴走トナカイ』らしいんだけど、参加者側に恋人持ちや既婚者がいると強くなるらしいんだ。その条件に該当する人が参加すると一緒に戦う人に怒られる」

「なんだそりゃ」


 意味が分からん。どんな理由と仕組みでそうなるんだ。


「じゃあ、お前出れないだろ」

「え、なんで? 別に結婚してるわけでもないし、恋人がいるわけでもないし」

「フィオちゃんと婚約したんだろ? それは恋人じゃないのか」

「……そういう扱いになるのかな」


 何を言ってるんだこいつは。貴族同士の許嫁というわけでもないし、好きだから結婚するんだろうに。


「お前……結婚するために、わざわざお師匠さん張り倒してきたんだろ?」

「あれは……その、稽古だよ」


 本当かよ。後日話を聞きにスラムまで行ったけど、お前の師匠ズタボロだったぞ。あの人、騎士団では伝説になってるような人なのに。


「『フィオは俺の娘のようなものだ。娘と結婚したかったら俺を倒してみろ』って言うからさ、ちょっと頑張ったんだよ。僕も息子みたいなもののはずなんだけどね」

「お前もひどい奴だな」


 戦争に参加した迷宮都市軍ほどじゃないんだろうが、フィロスだってこの半年で相当強くなっているはずだ。騎士団に入る前の時点で実力的には上回っていたっていう話だったのに、もう初老の域に入ったおっさん相手にそれは大人げないだろう。


「ポーション渡したんだけど、使わなかったのかな。まあ、師匠の事だからあれくらいなんともないと思うけど」

「お前らの師弟関係に口出すつもりはないから別にいいんだけどさ。とにかく、お前は恋人持ちのカテゴリに含まれると思うぞ」

「あれ? となるとガウルも駄目か……。じゃあ、ウチから出れるのは……ゴーウェンとティリアの二人だけじゃないか」

「お前と組んでる奴らはほとんど決まった相手がいるって事か」


 なんて羨ましい。俺も恋人欲しいな……小さいエルフさんとか。

 さっきからエルフさんと擦れ違う度に目が追いかけてしまう。他の種族もだが、確かにたくさんいるよな。


「メンバーはあとで紹介するよ。固定パーティだから基本的に似たようなスケジュールで動いてるし、みんな寮住まいだしね」

「お前のチームメイトには興味があったからな。楽しみにしておくよ」


 王都で聞いた時は変わり者が多いって話だったが、こいつだって結構変な奴だと思うんだけど。


「俺の方はまだ右も左も分からない状態だが、暇見つけて模擬戦でもしようぜ。それとも、やっぱり忙しかったりするのか?」

「年末にかけては暇になるから問題ないよ。二十六日からのクラン対抗戦は見る側だし、その時期はダンジョンの入場規制もかかるから」

「じゃあ、よろしく頼む。現役冒険者と直接訓練できるなら、差を測るいい機会だ」

「相変わらず、そういうところは真面目だね」

「そういうところは、は余計だ」


 自慢じゃないが、騎士団では一番訓練していた自覚がある。結局模擬戦でもほとんど勝てなかったが、訓練量だけはこいつにも負けない。実力は更に離されてしまったようだが、迷宮都市の冒険者には独自の訓練もあるだろう。死なないという話だから、相当厳しいものになる事は想像がつく。まさか、普段から死ぬような過酷な訓練はしてないと思うが……。


「まあ、ジェイルはそれよりもトライアルの攻略だね。……で、そのためにまずはここ、迷宮ギルドへの登録が必要だ」


 フィロスが立ち止まったのは四角い形の巨大な建物がそびえ立つ敷地の入口だ。


「……ここが迷宮ギルドって所か」


 王都の冒険者ギルドとは似ても似つかない雰囲気だが、出入りしているのは確かに冒険者のようだ。奇妙な格好をしている者も多いし、王都ではほとんど見かけない女性冒険者もいるが、ほとんどが武装している。つまり、彼らがこれから俺の同業者となるわけだ。




-2B-




 登録手続きが終わった頃に再度合流する事にして一旦フィロスと分かれ、俺は一人会館のロビーで冒険者になるための手続きを行う。なんでも晩飯も奢ってくれるらしい。ついでにチームメンバーも紹介してくれるそうだ。

 ギルド会館のロビーにはチラホラと見た顔がいて、同じく登録手続きをしていた。俺と同じタイミングで審査が終わった連中だろう。


「あの……大陸共通語じゃまずいですかね?」

「この書類は大丈夫ですよ。記載内容が分からないようでしたら、意訳したサンプルもありますので」


 貴族として生まれた以上読み書きは最低限の技能で、王国で困った事はない。

 辺境への遠征時にその地方独特の方言に悩まされた事はあるが、それでも大陸で人間種が使う言葉は基本共通語だ。独自言語を持つ亜人種でも、近年人間との交流が進むにつれてほとんどは共通語に切り替えているらしい。

 だが、目の前の書類に記載された文字は見た事もない複雑怪奇なものだった。……日本語といい、この迷宮都市では公用語らしいのだが、日本ってなんだ? 迷宮都市語じゃないのか? そういえば、ここに来るまでの間に看板などで見かけた文字は似たようなものだった気がする。会館に入ってから時折聞こえる謎の会話もこれなのだろう。

 読めはしないが、幸い記述する必要があったのは名前、性別、年齢、出身地くらいだったので、受付の女性に色々尋ねながら記入する。

 ここで生きていく以上はこれをマスターする必要があると……予定外のところで今後の課題が浮かんできた。……フィロスの奴は一から覚えたんだろうか。




[ 迷宮ギルド会館 二階 面談室 ]


「今月の初心者講習は終わってるし一月は開講しないから、ジェイル君のデビューは最短でも二月になるっスね。まあ、半年を目処にデビューできるよう頑張って下さい」

「は、はあ……」


 そして、二階の個室で今後の事について簡単な説明を受ける。

 冒険者としてデビューするためには、トライアルとやらの他にも定期的に開催される講習が必須になるらしい。受講に特別な技能は必要なく、トライアル攻略するまでに受ければいいという事なので、特に問題はなさそうだ。

 ……問題は、それを説明しているのがゴブリンという事だろう。ごく自然に説明が始まったので突っ込むタイミングを逃してしまったが、どういう事なのか気になってしょうがない。さっきもらったトライアルダンジョンの紹介が書かれた紙には、出現モンスターとしてゴブリンも描かれているんだが、まさかこのゴブリンともトライアルで戦ったりするんだろうか。


「基本的にトライアルは同伴者として中級冒険者の同伴が必要で……」

「すいません、……その、この街にはゴブリンが普通に共存してるんですか?」


 話の腰を折る形になったが、気になって説明が頭に入ってこない。ここははっきり聞いてしまったほうがいいだろう。


「ゴブリンだけじゃなくて、亜人もモンスターも色々いるっスよ。初めて迷宮都市に来た人はびっくりするけど、オイラくらいで驚いてたら大変っス」

「……あの、モンスターと話した事ないんですが、気を付けた方がいい事とかありますか? いきなり食われたりとか……」

「ダンジョンの外にいるモンスターは大人しいから人間と同じで問題ないっス。一部、タチの悪い奴らもいるっスけど、基本は無害っス」


 本当かよ。でも、ダンジョンでは戦って殺しあうんだよな。

 死んでも生き返るとは聞いてるが、自分を殺した相手と会う事もあるんじゃないのか? それともモンスターは生き返らないのか? どうなってんだ、この街。


「タチが悪いっていうのは……」

「人間と同じで、関わるとロクな事にならない奴はいるんスよ。オイラ、いっつも先輩のゴブリンに虐められてるっス」


 実に反応に困る話だ。ようは人間だって善人ばかりじゃなくリディンのような救いようのない奴もいるのと同じという事だ。そりゃ生き物なんだから、そういう奴もいるだろう。

 とりあえずこのゴブリンによれば、ゴブリンのゴブタロウ、吸血鬼のヴェルナー、デュラハンのテラワロスという奴らは気をつけた方がいいという事だ。講習などで会うのは避けられないらしいので、あまり深く関わらないようにしよう。

 面談は予定時間より長引いてしまったが、後半はほとんどゴブリンの愚痴だ。そんなにゴブタロウとやらは厄介な奴なのか。会いたくないな。


「今日は一階受付でステータスカードをもらったら終わりっス。トライアル頑張って下さい」


 ステータスカードというのは冒険者としての身分証明書らしい。といってもこれは簡易版で、デビューしたら正式なものが再度発行されるそうだ。無くしたら大変だな。



[ 迷宮ギルド会館 一階ロビー ]


 再び一階ロビー。受付に行くと、何やら文字が書かれた紙を渡された。待っていれば呼び出してくれるらしい。この紙は受付の順番待ちに使うのだそうだ。

 紙を片手に備え付けの椅子に座り、ロビーを行き交う人を眺めながら時間を潰す。目に入るのは実に興味深い光景ばかりだ。何をやっているのか理解できない人も多いが、多種多様な人種、装備は見ていて飽きない。騎士団の統一化されたものとは違って個性の強い鎧を着ている人もいるし、ほとんどお目にかかれない魔術士、どうやって使うのか分からない武器をぶら下げる人や、俺が両手を使っても持ち上げられなそうな大剣を片手で軽々と持ち運んでいる巨人もいる。……ああ、巨人種もいるからここの天井は高いんだな。随分縦に伸びた構造だと思っていたが、納得だ。

 あそこにいるのはエルフさんだな。素晴らしい。ただ惜しいのは、もうちょっと小さめの……。


「あの……呼んでますけど」

「……は?」


 隣から声をかけられて、受付から自分が呼ばれている事に気付いた。どうやら、紙に書かれた文字を見て気付いてくれたらしい。


「すいません。助かりまし……た」

「いえ、順番待ちなので気を付けた方がいいですよ……なんですか?」


 隣に俺の理想が座っていた。

 エルフさん。それも小柄だが大人になりかけのまさしく少女だ。整った容姿はエルフ独自の雰囲気で、化粧もしていないようなのに美しく輝いて見える。化粧と香水で誤魔化している王国貴族の令嬢とは比較にならない。少し勝ち気そうで、強い目線。何より狙ったような側頭部で二つに分ける髪型。その強烈なあざとさもその容姿なら嫌味にならない。

 ああ、何故だろうか。この子に見られているだけで踏んで欲しい衝動に駆られる。俺は変態だったのか……。親父、俺確かにあんたの息子だったよ。


「お嬢さん!」

「な、何?」

「俺と結婚しましょう!」

「は? ……はああああっ!? いきなり何言ってるんですか、こんな場所で!! 第一誰なんですか、あなた」


 駄目だ。俺にはこの衝動を抑える事ができない。


「ジェイルといいます。ジェイル・ネル・グローデル。今日、迷宮都市にやって来ました」

「新人さんなの……って、名前を聞いてるわけじゃなくてね」

「大丈夫です。誰でも最初は名前も知らないところから始まるんです」

「何が大丈夫なのかさっぱりなんですけど……」


 くっ、駄目だ。この溢れる想いは伝えきれない。どうしたらいいんだ。

 大陸共通語だからいけないのか? やはり日本語とやらじゃないと伝わらないのだろうか。日本語で愛を囁くにはなんと叫べばいいんだ。


「あのですね、受付の人も待ってますし、そういう事は初対面では言わない方が……冗談でも困ります」

「本気です!」

「あー何この人……これじゃ、またあいつらが現れる展開じゃない」

「取り敢えずは自己紹介を兼ねて、このあとお食事でも……」

「ちょっと待ていっ!!」


 少女の手を握り、食事に誘おうとしたところに乱入者が現れた。


「不埒な奴め。パインたんの手を離したまえ!」

「やっぱり来た」


 振り向くと、そこには全身白いローブで身を覆った謎の人物が三人。……なんだこいつら。なんて怪しい奴らなんだ。変質者か。

 俺は彼女を守るように前に出る。


「何者だ」

「我々は」「< パインたんに踏まれ隊 >!」「パインたんの純潔は我々が守るのだ」

「パインたん言うな」


 どうやら顔見知りらしいが、……踏まれたい? というか、この子はパインという名前なのか。本人の口から聞きたかったのに、何故変質者から聞かされなければいけないんだ。


「公衆の面前で踏まれたいなど叫ぶとは、どうやら生粋のド変態のようだな。彼女をそんな危険な奴らに渡すわけにはいかん」

「いや、あなたも大して変わらないからね……」


 俺たちの言い争いが目立ったのか、いつの間にか周りにはギャラリーが集まっていた。誰も止めに入る気配はない。くそ、俺が彼女を守るしかないのか。


「たとえ多少顔面偏差値が高かろうが、我々を差し置いてパインたんとイチャイチャしようなどと羨ま……けしからん!」


 どっちなんだよ。


「まあ待て、ここは俺たち< 赤銅色のマッスル・ブラザーズ >に任せてもらおうか。< 赤銅色のマッスル・ブラザーズ >に」

「ボッヅ、貴様なんのつもりだ」


 人混みの中から新たな変質者が現れた。こいつ、パンツ一枚だぞ。やけに隆起した筋肉がテカテカしている。


「彼女を賭けてお前たちが勝負する場所を用意してやろうというのだ。ウチのクランのリングを使うといい。これは決して悪評ポイント相殺のためじゃないぞ。善意だ」

「お前、そんなにヤバイのか……我々ですらまだ余裕があるというのに」

「というか、勝手に人を賭けないで欲しいんですけど……」


 こいつ、一体俺たちに何をさせようっていうんだ。


「あ、もしもしヴェルゴ? 今からウチのリング使うから用意しておいて……練習? 馬鹿、俺の追放がかかってるんだぞっ!!」

「はいはい、そんな事で悪評ポイントは相殺されませんからね」


 何かを耳に当て、独り言を始めたパンツ一丁の脇から一人の女性……受付嬢さんが現れた。

 ……あれ、今更だけど俺ヤバイんじゃない? 呼ばれてたのになんでこんな事になってるんだ?


「う、受付嬢さん、これはですね、事を穏便に済ませようという俺の善意でして……少なくとも当事者では」

「最初から見てたんで流れは大体分かります。ボッヅさんは今回大目に見ますから撤収、撤収」

「く、くそ、チャンスだと思ったのに……」


 受付嬢さんの一声で見物客とパンツは散っていく。そりゃ俺を呼んでたんだから見てるよな。この受付嬢さん怖いんだけど、俺謝った方がいいのかな。


「まったく、またあなたたちですか。なんでジェイルさんまで一緒になって」

「すいません。俺、この変質者たちからパインたんを守ろうとして……」

「パインたん言うな」


 だから自己紹介しようって言ったのに。


「ジェイルさんはともかく、あなたたちは個別指導が必要ですね。別室に移動しましょうか」

「な、我々はパインたんを魔の手から救おうと……ですね。パインたん、助けてっ!」

「頼んでないし。そろそろ追放されなさい」


 よし、人の恋路を邪魔する無粋な輩は排除されるべきなのだ。


「そうですよね。やはり邪魔されるのは迷惑ですよね」

「いや、正直あなたも迷惑なんですけど……」

「馬鹿な……」


 俺のこの想いが迷惑の一言で一蹴されるというのか。そんな事が許されていいのか。


「というわけで、変な事になりましたがクラリスさんの更新カードはこちらです」

「あ、どうもすいません」

「クラリス?」


 パインたんじゃないのか?


「クラリスー、なんか忙しそうだから先行ってるねー!」

「えっ!? ちょ、ちょっと待ってよ。すいません、カードありがとございました」


 会館の入口から彼女を呼ぶ声がする。ああ、このままでは自己紹介すらせずに別れる事に。


「あ、パイ……クラリスさん? 先ほどの話なんですが」

「うっさい! 近寄んな! 死ねっ!」


 ああ、行ってしまった。くそ、なんて心に響く罵倒なんだ。拒絶されて即座に話しかけるだけの心の強さが欲しい。


「クラリスちゃん、人気者、です」

「黙りなさい、おチビ。あんなのに付きまとわれても嬉しくないわよ」

「やっぱり、金髪ツインテールのツンデレは強しか……」

「誰がツンデレよ。……髪型変えた方がいいのかな。ミユミに言われてこの髪型にしたんだけどな……」


 何アレ。エルフさんがたくさんいる。俺もあそこに混ぜてもらえないだろうか。

 でも、やっぱりクラリスちゃんが一番だな。大人になりかけの微妙な感じがまた素敵だ。しかも、種族的に長い間あの状態というのだから完璧過ぎる。これは、なんとしてでも彼女と繋がりを作らなくては。


「ジェイルさんも、今後ああいう事が重なるとペナルティがあるので注意して下さい。こちらがステータスカードです」

「あ、はい。すいません」




-3B-




 冷静になって考えてみると、俺は何故あんな暴走をしてしまったのか。クラリスちゃんがあまりに魅力的だったのは確かだが、あきらかにおかしかった。< 踏まれ隊 >の連中はともかくとして、あれじゃ印象悪いに決まってるだろ。

 謝りたいんだが、連絡手段が分からない。そして、その手段があったとしても拒絶されてしまう気がする。

 ……少し間を置いた方がいいかもしれないな。今度会った時は軽く挨拶から入って……いや、その前に少しでも交際してもらう可能性を上げるために、彼女の情報を調べられないだろうか。好みとか。受付嬢さんに聞けば教えて……くれなそうだな。最悪、< 踏まれ隊 >にお願いして……加入しろとか言われたらどうしよう。情報料払うくらいならともかく、さすがにあのローブはちょっと……。


「……フィロスは、何か情報持ってないかな」

「僕がなんだって?」

「うわっ!」


 いつの間にか目の前にフィロスがいた。よほど深くクラリスちゃんの事を考えていたらしく気付かなかった。


「脅かすなよ。……実はさっきギルド会館で運命の人に出会ってしまったんだ。ぶっちゃけ結婚したい」

「へ、へえ……いきなりだけどおめでとう?」

「ああ、めでたい。まさか迷宮都市に来て初日でこんな出会いが待っているとは思わなかった。グローデル伯爵家はみんな変態と呼ばれ続けても、俺はせいぜい幼女趣味だからマシな方と思っていたが、どうやらそうじゃなかったらしい。幼女じゃ駄目なんだ。かといって大人でもいけない。いわゆる成長しかけの……」

「あー、その、こんな所で話すのもなんだし、とりあえず、予約した店に移動しようか」

「む、そうだな。クラリスちゃんの話は飯食いながらでも……」


 まだ名前と顔くらいしか知らないないのに、この分だと一晩でも語り尽くせなそうだ。

 クラリスちゃんは魔性の女だな。そりゃ踏まれたい奴らも出てくるだろう。……いかん、< 踏まれ隊 >の奴らに同調するところだった。


「一体、ジェイルに何があったんだ……」




 夕食もフィロスの奢りである。俺だけでなく他のメンバーの分も出すらしいが、騎士団にいた頃はもっと節制していたのに随分と太っ腹になったものだ。


「この街は極端に無駄遣いしなければ、生活費は気にする必要はなさそうだよな」


 今回、個人資産をすべて持って来た上、実家から軍資金ももらっている。つまり資金的にはかなり余裕はあるのだが、収入の見込みが立っていない以上出費は抑えたいのも確かだから、こうして食事を奢ってもらえるのは助かる。

 一ヶ月無料で貸してくれるという寮の部屋も大したものだったし、食事も王都より安く済みそうだから生活費で困る事はなさそうだが、問題は武装にかかる費用だな。当然、騎士団で使っていた装備は返却してしまったし、護身用の剣だけでダンジョンに挑みたくはない。そもそも、俺の得物は槍だし。

 はっ、クラリスちゃんにプレゼントとか……彼女は何か欲しい物はないんだろうか。……奴隷とかいるかな?


「王都基準だと、週一でトライアルダンジョンに挑戦するだけでも普通の生活ができそうだよね。すぐに満足できなくなりそうだけど」


 経験者なのに曖昧な表現なのは、フィロスは半月でトライアルを抜けたからだろう。

 ……半月か。俺は急いでも倍以上はかかりそうだ。


「この街の一般的な基準はもっと豊かな生活なんだろ?」

「上見たらキリがないけど、中級ランクに上がった直後くらいが一般的な生活レベルらしいね。大体そのあたりで結婚する人も多いらしいよ」

「ああ、フィオちゃんと結婚するのも、こっちでの生活基盤が固まったからか」

「それもあるね。十二月の昇格には間に合わなかったから、多分三月……そのあとくらいには迎えに行くと思う」


 なんというか、順風満帆な雰囲気だ。俺もクラリスちゃんと結婚したい。

 ちなみに、フィロスはクラリスちゃんの事は知らないらしい。エルフさんの集団なんて目立ちそうなものだが、冒険者の数が多くて有名どころ以外は把握できていないそうだ。

 下級ランクには心当たりがないとの事なので、多分彼女は中級以上なのだろう。今の俺には高嶺の花だが、それでこそ挑戦のしがいがあるというものだ。




 そうして案内されたのは酒場だった。といっても王都で見かけるような酒場ではなく、酒も出す食事屋といったところだろうか。

 騎士団のちょっと家格の高い奴が見栄を張って利用するような店だが、ここでは大衆用の店である。事前に連絡を入れておけば個室も用意してくれるらしい。店員に案内されてその個室に入った途端、他の客の喧騒が聞こえなくなったのはこの街ならではだろう。そろそろ慣れた。


「そういえばお前、酒は飲めないんじゃないか?」

「せっかくだから一杯くらいは付き合うよ。ひょっとしたら、お酒への耐性も上がってるかもね」


 耐性って……冒険者はそんなところも鍛えられるのか?


「今月で二十歳になって、この街でもお酒飲めるようになったし」

「ああ、お前そんな年だっけ。若いよな」

「ジェイルも大して変わらないと思うけど」


 達観しているところがあるから、フィロスが年下という印象はほとんどない。

 そういえば、この街では成人年齢が二十歳だとゴブリンが言っていたような気もする。未成年は酒飲んじゃ駄目なのか。


「今日来れるメンバーは僕以外みんな未成年だからね。ジェイルだけ飲ませるのも……飲むよね?」

「絶対ってわけじゃないが、正直どんな酒があるか気になるな。昔飲んだ正体不明のワインとかじゃないんだろ?」

「ああ、そんな事もあったね。あれは最悪だった……」


 無理やり飲まされて倒れてたからな。幹事は何故あんな店を使ったのか良く分からん。嫌がらせか?


「時間内だったら、そのメニューに書かれた奴はいくら注文してもいいよ」

「……おごりだって言ってたけど、お前金大丈夫なのか?」

「飲み放題サービスだから、いくら飲んでも値段は変わらないんだよね。残したら怒られるけど」

「なん……だと」


 メニューの内容は読めなかったが、書かれた種類は豊富だ。これをいくら飲んでもいいというのか。なんだ、手当たり次第に頼めばいいのか?

 しかし、どんな物か全然知らずに頼むのも……そもそも俺、酒の種類なんてこんなに知らないぞ。飲んだ経験どころか、聞いた事すらない物って事じゃないか。とりあえず、一番上の奴からでいいか。


「結局、今日は誰が来るんだ? 全員?」

「二人都合が付かなくて、今日はツナとリリカとゴーウェン……って、ちょうど来たみたいだね」

「来たって……ここ外の音聞こえないぞ」

「そういうスキルがあるんだよ。スキルがなくても気配くらいすぐ感じ取れるようになるよ」


 本気なんだろうか……気配だけで判別するとか、そんなの達人の世界の話だけかと思ってたぞ。

 フィロスの言う通りすぐに個室の扉が開かれ、三人の男女が姿を現した。俺より多少大柄な男と、今日会ったクラリスちゃんより更に小さい女の子、そして個室の入口に頭ぶつけそうになるくらいでかい大男の三人だ。


「初めまして、半年前までフィロスと同じ職場にいたジェイルだ。今日から冒険者に転職した」

「こんちは……あれ、もうこんばんは? どっちでもいいか。パーティリーダーやってる渡辺綱だ」

「どうも、リリカです。純後衛のダメージソース担当です」

「…………」

「自己紹介も終わったし、乾杯しようか。みんなは何飲む?」

「え、ちょっと」


 終わってなくないか? あのデカイの何も言わなかったんだけど。何みんな何事もなかったかのように席に座ってるんだ。

 ……えっと、確かさっきフィロスがゴーウェンって言ってたよな。あんな図体してるけど、聞こえないくらい小声なんだろうか。

 結局ゴーウェンの紹介はされず、何事もなかったように宴会が始まった。あいつ、この中でどんな立ち位置なんだ。


「そういえば、ツナだっけ? どっかで会った事ないか?」

「ないと思うけど……良くある顔だからな。誰かと間違ってるんじゃないか? 俺、前世とも顔違うし」

「うーん、最近見たような気がするんだけどな……」


 気のせいだろうか。喉のところまで出かかってるような感じなんだが。

 ツナは俺よりも背の高い筋肉質な男だ。自分で言っているように容姿は地味で、そこら辺を歩いていそうな印象だ。リーダーという感じではない。実はこの中で最年少らしい。ただ、フィロスがリーダーと認めているのだから、それなりの何かは持っているんだろう。

 ツナの隣に座った女の子は真剣な表情でメニューを見つめている。俺は読めないから分からないが、彼女を真剣にさせる何かが書いてあるんだろうか。


「今日はフィロス君の奢りでいいんだよね?」

「え、うん。そのつもりだけど……ひょっとして、またなんか高い魔道具でも買ったとか」

「う……完全にそうだって確信してる。……そうなんだけど……頂きます」

「研究も大事だけど、生活費までつぎ込むのは良くないと思うよ」

「大丈夫、食い溜めは得意だから」


 それは大丈夫と言っていいんだろうか。

 つまり彼女はアレだ。趣味に没頭して、金をつぎ込むタイプだな。魔術士には多いと聞く。


「それに、二十四日まで待てばツナ君が美味しい店に連れてってくれると思う……多分」

「そんな目で見なくても用意してるよ。こないだのイベントで天空城のチケットもらったから……内緒にしておくつもりだったのに、何バラしてるんだ俺」

「天空城って観光区画の?」

「そう、こないだお前が燃やした所。人気のデートスポットだから二十四日は抽選らしいんだけど、まさか、< 食用豚大脱走 >イベントの入賞ボーナスにチケットがあると思わなかったぜ」

「燃やしたのは忘れて欲しい。でも、うん……デートは楽しみにしておく」


 さっきから妙に距離が近いと思ったらやっぱりそういう事かよ。くそ、なんて格差社会なんだ。俺なんて一目惚れした相手に死ねとか言われたのに。

 ……大丈夫、リリカは俺の好みど真ん中で羨ましい事この上ないが、クラリスちゃんを見てしまった今では素直に祝福できる。

 しかし、身長差の激しいカップルだな。これでリリカの方が年上とは。


 残り一人……未だ何も喋らないゴーウェンは淡々と食事を続けている。あれ、あいつの前にあるコップって俺が頼んだ酒じゃなかったっけ。未成年とか言ってたような気がしたんだが……機嫌が悪そうだから突っ込まないでおこうか。なんで目が据わってるんだよ。


「このパーティはあと二人いるんだよな?」

「今日は来れなかったけど、そうだね」


 今日来れないという二人は狼の獣人と重装戦士の女の子らしい。女の子の重装というのも違和感しかないが、この街ではさほどおかしな事でもないのだろう。


「ウチは前衛に偏り過ぎてるんだよな。ジェイルは< 斥候 >の適性持ちだったりしないか?」

「< 斥候 >? 斥候兵の経験はないが……」

「今日来たばかりだからさすがに分からないと思うよ。ようはアレだね、ダンジョン内の罠を見つけて解除したり、偵察をしたりするサポート役の事だよ」

「なるほど、騎士や傭兵の仕事とは違うもんな。戦うだけじゃ駄目って事か。……良く分からないが、多分そっちの才能はないと思うぞ」

「ジェイルは< 槍戦士 >だろうね。騎士団の中で一番槍を使うのが上手かったんだよ」


 剣持ったお前に負けるくらいだがな。得物の長さで有利なはずなのに、それでも差が埋まらない。


「でも、お前らはすぐ中級に上がるんだろ? 俺に適性があってもしょうがないんじゃないか?」

「それはそうなんだけどな。フィロスと同じ騎士やってたくらいだから、すぐ昇格してくるんじゃないか?」


 こいつを基準にされてもな。俺はまだマシなほうだが、他の連中なんて比較対象にもならないぞ。


「デビューしてしばらく経つと戦闘職以外の重要性を思い知らされるから、早めに< 斥候 >と組んだ方がいいぞ。ウチもリリカの魔術で代用するのはそろそろ限界だ」

「おかげで精密な魔力操作に慣れた」


 色々大変そうだ。こういうところで悩むのはリーダーの仕事なんだろうな。


「しかし、ツナもリリカも……ゴーウェンは良く分からないけど、俺が王国貴族だって聞いても物怖じしないのな。王国出身なんだろ?」

「ジェイルは気さくだし、この街でそんな事気にする奴いないし、そもそもリリカも貴族だからな」

「え、そうなのか?」

「帝国のだけど、まだ籍は残ってるはず。エーデンフェルデ伯爵家」

「……大領地じゃねーか」


 隣接こそしていないが、リガリティア帝国は王国と合わせて大陸の二大国家だ。国同士はあまり仲良くないとはいえ、お互い大貴族の知識くらいは持っているだろう。エーデンフェルデはその中でも有数の領地持ちだ。下手な小国以上に広大な土地を保有している。ウチだってかなりのものだが、勝負にならない。


「……なんで冒険者やってるんだ?」

「えっと……籍はあるけど、ほとんど勘当同然だったから。ここに来る前も冒険者だったし」


 良く分からん経歴だ。




 宴は続く。初対面なのに変に緊張しないのは、ツナの性格によるところが大きいだろう。ひたすら食って飲んで、店を出る頃にはもう真夜中だった。

 全員ギルド寮住まいではあるが、ツナとリリカはどこかに寄って行くらしく二人でどこかへと消えた。

 ゴーウェンは……俺の酒を飲み続けた挙句にダウンだ。あの図体を担いでいくわけにもいかず、目も覚まさないので、店の人に対応をお願いした。迷惑な客である。


「やっぱりアルコールは向いてないな。一杯だけなのにまだフラフラする」


 会計を済ませたフィロスと二人ギルド寮へ向かう。

 フラフラと言ってはいるが、以前飲まされた時はそれこそ一杯で倒れたくらいだから、本当に耐性が上がっているのかもしれない。


「それでどうだい。やっていけそうかな?」

「考えていたのとはちょっと……いや、かなり違うけど、目標もできたしな。頑張ってみるよ。まずはトライアルだな」


 どうにかしてクラリスちゃんと仲良くならねば。そのためなら、トライアルくらい軽々と超えてみせないと。甲斐性のある男だというのを証明しなければならない。


「フィロスが里帰りしてくれて良かったよ。お前の話聞かなかったら、ここにいなかっただろうしな」

「そうかな?」

「そうだ。俺はきっかけがない限りあのまま王都にいただろうさ。リディンの件があってもな」


 クラリスちゃんに会えなかったってのは考えたくないな。


「僕はなんだかんだでジェイルはここに来たと思うよ。僕が影響したとしたら、それを早めただけだと思う」

「そうか?」

「そうだよ。それに僕にしたって何年も帰らないって事はないだろうから、結局は君と会って話をするしね」


 良く考えたらそうだな。そう考えると、俺が任務中に戦死でもしない限りはここに来る事になりそうだ。

 騎士で出世するには微妙だったし、親父から提示されたストリップバーの経営者という道はちょっと勘弁願いたい。となると兄貴に付いて領地経営の手伝いをするか、地味な王宮勤めくらいしか道が残ってない。どこかの家に婿養子として入るにしても、実家の悪名が邪魔をするしな。


「今回はたまたま王都への帰郷がきっかけだったけど、もしかしたら違う展開も有り得るよ」

「たとえば?」


「そうだね……僕らがもっと早く昇格して遠征軍に参加するとか?」


「そこでばったりって話か。やけに具体的な例だが可能性としてはありそうだな。十二月の昇格とやらもギリギリで間に合わなかったくらいなんだろ?」

「そうだね。まあ、そんな事はもうあり得ないんだけど」


 そう言うフィロスの目は真っ直ぐに俺を見ている。何か様子がおかしいが、何か他に言いたい事でもあるのだろうか。

 だが、次の瞬間にはいつもの様子に戻っていた。


「ところで、明日はどうするんだい?」

「とりあえずトライアルダンジョンとやらの情報収集からだな。会館の職員に話を聞いてみる」

「慎重だね。でも、いいんじゃないかな。情報収集して、トライアルに挑戦するメンバー募集して、万全の準備で挑むのが一番の近道だと思う」


 言っている事は冒険者に限った話じゃない。それは単純だが難しい事で、俺も騎士であった頃からやろうとしてできなかった事だ。大抵の場合、足りない物は必要になった時にないと気付くものだ。何か足りないと感じていても、それが何か分からない事も多い。


「さて、ジェイルはトライアルで何回死ぬんだろうね」

「怖い事言うなよ……って、死んで当然なのか。じゃあ、一回も死なないで攻略を目指してみるさ」

「はは、大きく出たね。それ、誰も成功してない記録だよ」

「そうなのか。……いや、クラリスちゃんに認められる男になるためにはこれくらい大きく行かないとな」


 騎士を辞めてまで冒険者になったんだ。せっかくなら目標はでかく行きたいもんだ。

 待ってろよ、クラリスちゃん。俺は絶対に< パインたんに踏まれ隊 >になんか入らないからな。




-4A-




「……これはどういう事だ?」


 何もない空間に浮かぶ観測モニタを見ながら、俺はその不可解な事実に混乱していた。

 違和感を感じたのは最初から。差異に気付いたのにはその次。原因を特定するのも早かったが、検証のために何度も観測するはめになった。結果は、単純にいえば理解不能な事態が発生している事が確認できた、というだけ。それは俺もそうだし、手伝わせてるネームレス……二〇〇層管理者もそうだろう。


「不思議な事もあるもんだね。無限回廊の攻略状況に結構なズレがある。まあ、君の攻略層というわけでもないから、それは全体としては些細な差みたいだが」


 無限回廊の攻略があきらかに遅れている。観測できた情報で最も分かり易く大きな違いはそれだ。こちらの世界では一〇〇層の攻略に手をかけているにも拘わらず、あちらはまだ九十四層。俺の攻略層は分からないが、多分一二〇三層だろう。

 いくらこの世界から枝分かれした世界とはいえ、未来なんて些細なきっかけで変わるものだ。いくら近しい世界とはいえ、そういう事も有り得ない事はない。……俺たちが観測しているのが平行世界であればの話だが。


「本来、これくらいの差異は有り得るものなのか?」

「ないね。少なくとも私の記録には存在しない。今観測しているのは平行世界というわけじゃなく、管理者が生まれて可能性の閉じた派生世界だ。便宜上、これを隣接世界と呼んでいるが、本来この世界はほんのわずかな差しか存在し得ない」


 隣接世界。平行世界よりも近しい可能性の世界。今俺たちが観測しているのは、その存在し得ない世界。俺が管理者になった時点で存在し得なくなった閉じた可能性だ。

 こいつが言うには、無限回廊の管理者が生まれた世界は可能性が閉じる……らしい。本来些細な差で発生する無数の平行世界が生まれなくなり、一つの可能性に収束する世界へと変化するそうだ。観測してるんだから存在してるんじゃねーか? という疑問もあるが、多分無限回廊のシステムがシミュレートした虚構の世界なのだろう。より限定的な機能なら以前から使っている。


「何事も試してみるもんだね。これは未知の体験だ」


 こいつを捕まえたあと、吐き出させた情報の一つがこの存在し得ない隣の世界の観測だ。正直、大した用途はない力ではある。こいつも、同一世界の情報を多元的に見る情報ソースとしてしか使っていなかったらしい。

 俺も正直期待はしていなかった。観測できるのは本当にわずかな違いしかない世界のはずなのだ。情報の補完はできても、それだけだ。……なのに、結果は俺たちの予想を大きく覆した。


「興味深い結果といえるが、私も観測した数が多いわけじゃないからな。ましてや、管理者のいる閉じた世界なんて数えるほどしか接触していない。こういう事もあるのかもしれない」

「それにしたって、観測した隣接世界すべてが似たような結果になっているってのはおかしな話だろ」


 俺たちが観測した隣接世界は一つではない。これでちょうど百個目だ。

 結果はほとんどが同じ。違いを見つけるのが困難なほどに似通った世界だった。当たり前だ。誰かが踏み出す足を左右逆にしたところで、世界はそう変わらない。すべての蝶がバタフライ・エフェクトを発生させるわけじゃないのだ。しかも、隣接世界は差異がほとんど存在しない事が予め約束されている。無数の隣接世界間で大きな差異は発生していない。違うのは俺たちのいるこの世界だけ。これではどちらが本当の在るべき世界なのか分からない。


「王都とやらを観測した際に何か分かったようだったけど?」

「ああ。考えられる原因……この世界との差異は多分一つだ。その一つで、結果が大きく変わっている」

「あのユキトとかいう少年かな?」

「……ああ」


 観測したどの隣接世界でも、ユキちゃんは迷宮都市に存在しない。根本的な部分でそれだけが違う。その些細な違いがツナ君たちの周囲の環境を変え、迷宮都市全体にまで波及しているのだ。

 ユキちゃんがいない事で、ツナ君はトライアルの初回クリアなど目指さず真っ当に挑戦した。当然、死亡もしている。

 その流れで迷宮都市の門前で知己になったリリカとパーティを組み、固定パーティを組む事になる。二人が恋人関係になるのはそれよりもあとの事だが、きっかけはトライアルだろう。

 デビューが遅れた事で新人戦も参加していない。クローシェとは後に知り合ったようだが、トライアルの初回攻略がないためアーシェリアと会う事もないし、サージェスとパーティも組んでいない。

 俺とは会っていて渡辺綱にも改名しているし、ミユミとも再会しているから、ここは時期以外違いはない。

 リリカに加え、初心者講習で会ったフィロス、ゴーウェン、そしてその二人と新人戦で組んだガウルが固定パーティになる。かなり遅れてだが、ガウルの紹介でティリアも加入したようだ。

 ユキちゃんの試練がないから、鮮血の城の特殊イベントは発生していないし、ロッテもまだモンスターのまま。摩耶とも出会っていない。

 将来的にどうかは分からないが、フィロスもクラン設立しようとはしていないし、< アーク・セイバー >に入団してもいない。

 中級冒険者になっていない影響か、ラディーネたちとも面識がないし、ディルクも特に興味を持っていないようだった。

 パンダ三匹は普通にデビューしているが、状況の違いからリリカがパンダの飼い主になる事もない。……ミラクル☆るるになって撮影所を燃やしはしたらしい。

 そして、ラーディン王国との戦争。戦争の勝敗だけ見れば特に違いはないが、ベレンヴァールは迷宮都市の冒険者と接触できずに死亡し、サティナは乗っ取られたままどこかへと消えた。

 何故かツナ君がリア充しているのは置いておくとして、全体としてみればユキちゃんの存在はいい方向へ転がるよう影響していて、隣接世界のそれはなくなっている。

 ……影響し過ぎだ。不自然なほどに。


「つまり、本来なら私がこうして捕まる事もなかったわけだな」

「お前が好き勝手やって野放しになるのか……ろくでもない結果だな」


 そちらの方が本来の結果だと言われても容易に受け容れられない。いくら不自然でも、こちらの結果の方が俺にとって好ましいものだ。


「だが、実際はこうして捕まって殺されるのを待つだけの状態だ。というか、さっさと殺したまえよ。こうして小間使いのような事をやってるのも今は新鮮だが、すぐに飽きるだろうしね」

「お前は情報抱えてるからな。まだ殺さない」

「聞かれた事には素直に答えてるだろうに」

「聞いた事しか答えないだろうが」


 こいつは自分が殺される事や拘束した本人である俺に協力する事を何も言わずに受け入れている。

 どうでもいい事だからあえて逆らわないし、積極的に情報提供もしない。そこに俺に対する感情はない。


「どれだけ吐いてない情報があるか判断できないから、迂闊に殺せないんだよ」

「だったら、あの何もない空間に幽閉するのだけは勘弁してもらいたいんだが。……何もできない状態で意識だけ数百年体感させられるのは辛い」


 本当に辛いと思っているかどうかは分からないが、それがこいつに対して最も効果的な罰で、唯一嫌がる事だ。

 何も感じなくなって新しい刺激を求めているのに、何もできないまま長時間幽閉されるのだ。人間なら精神崩壊する。

 本当は数万年だろうが引き伸ばせるのだが、話すべき事を忘れられても困るので、迂闊に行使できない。


「しかし、あのユキトという少年は特別何かがあったわけでもないと思うのだが」

「この世界でもユキちゃんはそこまで特別性のある存在じゃない」


 前世が女だから女に戻りたい。何事にも器用で特に剣の才能に優れている。特殊な存在である事は確かだが、言ってみればそれだけだ。特殊な事情や願望、才能を抱えた奴は他に山ほどいる。むしろ、ツナ君の方が特殊だろう。あいつはやっぱり変だ。

 だが、観測世界で確認したユキちゃん……ユキトは本当に同一人物なのだろうか。

 直接接触したわけではないからはっきりしないが、アレはまるで別人のように見えた。ユキトという名前からして転生体であるのには変わらないんだろうが、ひょっとしたら前世の記憶がないんじゃないだろうか。それなら女性に戻る願望も抱かないし、迷宮都市に来る必要もない。その違いだけで世界の差異について説明が付くが、何故そんな違いが生まれるのかは分からない。


「なあ、あの世界の住人と直接……間接的にでもコンタクトをとる方法はないのか?」


 今できるのは、誰か特定の人物の視点を借りて覗き見る事だけだ。観測できる時期も視点も限定されるから、情報を集めるのにも苦労する。

 中の人と実際に話せるなら、わざわざ視点を変えて百回も観測する必要などないのだが。


「あるのかもしれないが、私は知らない。そもそも、存在しないはずの計算上の可能性でしかない世界だからね」

「そうかい。そりゃま、そうだろうよ」


 虚構の世界に干渉するのはさすがに無茶か。言ってみれば本に書かれた物語の中に入るようなもんだ。すでに記述されたセリフを本の中から書き換えるのは普通に考えて不可能だろう。あの世界はそれだけで完結している。


「隣接世界でなく独立した平行世界なら、私がやったように制限付きで干渉する事は可能だぞ。手間はかかるが」

「ベレンヴァールの時みたいに、お前が召喚された奴に寄生するって事か?」

「手順を踏めば現地のパラサイト・レギオンを操作して世界間転移術を使わせて、その術式に割り込みをかけられる。同類は平行世界にも存在するからね」

「そりゃそうか。基本的に同じ世界だからな」


 同じ世界なら遺跡だって存在するだろうし、探せば世界間転移術のオーブもあるだろう。


「ただ、当然相手の世界に召喚する術者がいないと割り込みもできないし、干渉もできない。そうそう条件に合致した存在はいないよ」


 独立した平行世界にしても、相手に依存した干渉方法だから自由度がない。

 おそらく俺も同じ事はできるんだろうが、召喚先を選べない上一方通行だ。この方法は群体生物で、意識を共有する存在を無数に用意できるこいつだから可能な方法なのだろう。グラスやサティナを洗脳してベレンヴァールを召喚し、そこに割込みをかけるのだって天文学的な確率を力技で引き当てただけに過ぎない。


「とはいえ、先ほどまで見ていた隣接世界のように観測するだけなら簡単だ。遠い世界ほど上位の管理者権限が必要になるが、近隣の平行世界なら私の権限でも観測できる」


 無限回廊の深層で他世界を観測する事はあったが、それを自由に見れるのか?


「お前の管理下に置かれた世界限定って事か?」

「いや、それよりはもう少し範囲が広い。でないと同じ二〇〇層の管理者に接触できないからね。三〇〇層より上位からの接触を待つしかなくなる」


 やっぱり同一の権限は存在するのか。……となると、平行世界にも俺と同じ一〇〇層の管理者は存在する?


「そういや、別世界はともかく、平行世界の無限回廊の扱いってどうなるんだ?」

「どうとは?」

「近い平行世界なら当然俺がいて、無限回廊を攻略してるわけだろ? その世界には俺が管理者として存在するわけで、無限回廊を通して無数の俺がバッタリなんて事に……」

「ならない。平行世界だろうが、この世界の管理人は君一人。ここにいる個体だけだ」

「でも、平行世界っていうからには俺もいるんだろ? 無限回廊は攻略してると思うんだが」


 実際、隣接世界には管理者として存在する俺がいた。


「してるだろうが、管理者権限を得られるのはその世界で一人だけだ。平行世界の君は、管理者権限を得られないまま過ごしているだろうさ」

「…………」


 平行世界だろうがこの世界である以上、管理者権限は一人……俺しか持ち得ない。同格の管理者が存在するとしても、離れた別世界の住人という事か。

 つまり、現在の迷宮都市が存在しているのはこの世界と可能性の閉じた隣接世界のみ。あとはいくら潜っても権限の得られない無限が広がるだけ。

 となると、その世界の俺は確実に地球に帰れず、この地に骨を埋める事になる。俺は運が良かったのか……それとも悪かったのか。いや、どの世界だろうが俺は俺なんだが。


「あれ? 無限回廊自体が存在するなら、第一〇〇層の権限を得ないまま第二〇〇層……はお前がいるから……第三〇〇層まで攻略した場合はどうなるんだ?」

「そこまで攻略していないから知らないが、それが最初の到達者なら権限を得られるんじゃないか? 晴れて管理者としての君が二人存在する事になるな。実際は管理者権限なしで攻略なんて無謀だし、我々の世界を内包する第三〇〇層の管理者はすでにいるがね」


 俺が一二〇三層まで攻略して第一〇〇層の権限しか持っていない以上、すでに各層の管理者は存在するって事だ。それが一〇〇層ごととするなら、ネームレスを含めて上にあと十一人いる事になる。同格の管理者は更に多いだろう。世界と定義される括りの分だけ存在し得る。


「その言い方だと、第三〇〇層の管理者と知己があるのか?」

「体感時間で数百年戦った記録があるな。私に対する嫌悪や憎悪は鋭く、なかなかに心地よい感覚だった」


 ……紹介してもらえそうにはないな。俺まで敵認定されそうだ。

 だが、そいつがネームレスを嫌っているという事は、逆に考えるならちゃんとした交流が可能な相手かもしれない。……こいつの生殺与奪権とか交渉に使えないだろうか。


「その第三〇〇層管理者がいる世界へ干渉する事はできないのか?」

「拒絶された上に対策までされているから、観測すらできないね。向こうからの接触を待つしかない」

「……とりあえずはこの世界の平行世界から確認するか」

「見るだけならいくらでも可能なんだから、とりあえず観測してみるといいさ」




 そうして観測を始めた平行世界は、これまでの疑似再現されただけの隣接世界とはまったく異なるものだった。

 基本的に現在のような迷宮都市は存在せず、最悪の場合廃墟となっているケースもある。迷宮都市が残っていたとしても、辛うじて街としての体裁を維持しているという場合がほとんどだ。観測できる範囲で俺が召喚されていない世界もあったが、大して状況に違いはない。やはり、無限回廊の力がないと迷宮都市は詰んでいる。緩やかに滅亡を待つだけだという事だな。

 世界ごとに大きく違うのはツナ君だ。奴隷のような環境で働いていたり、戦争で活躍して英雄になっていたり、反乱軍のリーダーになっていたり、身を置いている状況がコロコロ変わる。今は関係ないんだが、やはりあいつは変だ。環境によって左右され過ぎ、状況に適応し過ぎである。

 そして問題のユキちゃんだが、こちらはどの世界でもあまり変化がない。……観測した限り、どの世界でもユキトとしてオーレンディア王国貴族の娘と結婚し、王都に定住している。隣接世界の結果と同じだ。


「こっちが本来の存在っぽいな。これが、"ユキト"としての正しい姿って事か」


 逆に言えば、この世界のユキちゃんは変だという事だ。数多の平行世界の中で、この世界のユキちゃんだけが女性に戻る願望を持ち、迷宮都市へとやって来ている。


「ここまで顕著だと、何かしらの手が加わっている可能性も考えられるね。偶然で片付けるにしては世界ごとの差異がなさ過ぎる。興味が持てるよ」


 本当かよ。お前に興味持たれたらユキちゃんも迷惑だろうに。


「……何かしらの手って何よ」

「いや、知らんが我々よりも高位の存在なら可能かもね」

「…………」


 ……なるほど、ね。




「ところで、今更なんだが」

「なんだよ」

「私を殺さずにまだ小間使いの真似事をさせるつもりなら、もう少しちゃんとしたボディを用意してもらいたいんだが」

「……今頃かよ。何? トマトちゃんはお気に召しませんかね?」

「いや、あまりに生物として不可解な形状だからね」


 そりゃ植物と魔法生物とロボットの合いの子みたいなもんだからな。


「理想を言うなら魂の接続が切断した知的生命体か……最悪動物でもいいんだが」

「……まあ、考えておく」


 俺もトマトちゃんが流暢に喋ってるのを見るのは少し不気味だったしな。



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