幕間「凡人の歩き方」
-4-
何故、冒険者になったのか。
そのきっかけはなんだったのか。
いつ、冒険者を志したのか。
冒険者としての目標は?
尊敬する先人は誰ですか?
ライバルと思う冒険者はいますか?
あなたの得意分野はなんでしょう?
将来的な冒険者としてのビジョンはありますか? それはどんなものですか?
所属したいクランはありますか? あなたが所属クランに求める事はなんですか?
ダンジョンアタック、訓練、講習など、冒険者としての活動にどれくらいの時間を費やしていますか?
本業以外の芸能活動はどれくらいの割合で行うつもりですか?
写真集やグラビアに興味ないですかね?
冒険者になるまで、あるいはなってから辛いと思った事はなんですか? 逆に良かったと思える事はなんでしょうか?
女性が冒険者を志す事についてどう思いますか?
女性冒険者に婚期の遅れが見られる事について意見はありませんか?
未成年者がデビューする事について問題は感じませんか?
ゴブリン肉のCMに興味はないかね? 高額報酬を約束するが。
冒険者の社会的地位、報酬について思う事はありますか?
冒険者学校のカリキュラムについて改善点があれば。
二番目のお姉さんを食事に誘いたいんだけど、仲介役お願いできないかな?
物心付いた時からずっと、あたしはそんな事を聞かれ続けて来た。何か変なのも混ざってるけど、基本的に内容は似たり寄ったり。大体こんな感じだ。
相手は色々で、家族の知人だったり、ギルド関係者だったり、見知らぬ冒険者だったりする。雑誌やテレビの記者の取材も多い。
もちろん、あたし自身が目的というわけじゃない。子供の頃は両親の、最近は一番上の姉の取材のついでで、ただのおまけだ。時々二番目の姉目的の人もいるが、完全シャットアウトである。
……まあ、ともかくあたし自身をメインディッシュとして近づいて来る人はいないという事だ。
「すいません、お忙しいところ時間取らせてしまって……」
「いえいえ、お姉ちゃんに比べたら暇人ですから」
目の前に座る女性の雑誌記者も同じだ。若く見えるが、実際の年齢は分からない。あたしと同年代と言われても納得してしまう容姿だ。
緊張している様子から、駆け出しである事は間違いないだろう。取材されるあたしの方が慣れ切って落ち着いている。
こういった取材で利用する場所は基本的に迷宮区画か、実家近くの喫茶店。今日はギルド近くの喫茶店で、奥まったボックス席を利用している。
取材内容は目前に迫る無限回廊一〇〇層攻略について。当然、本来はあたしが答えるようなものじゃない。取材から逃げた姉の代役だ。
< アーク・セイバー >と< 流星騎士団 >、どちらが先に攻略するか。その意気込みを、普段代表として表に出てくるローランさんとグレンさん以外に聞いてみようという趣旨という話だ。もっとも誰も取材に応じてくれないらしく、関係者でようやくコンタクトが取れたのがお姉ちゃんで、その代役があたしという事。よくある事だ。あたしが冒険者としてデビューしたあとでも、姉の活躍が華々し過ぎて、その取材ばかりである。
クランマスターはおろか、サブマスター、クランマネージャー、専属の事務員ですら取材を断られる事があるらしい。……トップクランの上層部は、面倒くさがり屋が多過ぎる。ちなみに、いくら忙しいとはいっても冒険者の職業の特性上、姉のスケジュールが隙間なく詰まっているという事はない。
今も本当の取材相手は趣味のドライブ中のはずで、あたしは生け贄というわけである。
……いつも聞かれる事は同じだから面倒臭いというのは分かるが、妹を盾として利用しないで欲しい。あたしは< 斥候 >だから打たれ弱いのだ。
「といっても、最前線の事であたしが答えられる事なんてほとんどありませんけど……」
「取材の依頼は本人にも伝わっているはずなんですが、何か伝言などは聞いてませんか?」
……伝言。
『適当に頑張りますって答えといて』
ここに来る直前に話した、姉の適当な伝言が頭をよぎる。
最初の頃は色々回答を用意していたのに、いつの間にか上辺を取り繕う事すらしなくなってしまった。代役とはいえ、相手をするだけ他のクラン幹部よりはマシらしいが、それでもこの程度だ。
「いえ、特には……当り障りのない事を書いておけばいいんじゃないですかね。掲載前に精査だけお願いすれば問題ないと思います」
「やっぱりそんな感じですか……本職の芸能人ってわけでもないから、こういう取材にもいい顔してくれないんですよね」
「トップは本職だけでお金も名声も十分以上に稼げてますからね……」
冒険者には芸能活動でお金を稼いでる人も多いが、トップクランの最前線メンバーとなると話は別だ。
実力だけで十分以上に稼げるから、そういった方面で人気取りの必要がない。人気商売ではあるが、人気は必須ではない。
当然ファンもいるが、その人たちはやはり冒険者としての姿を見てファンになったわけで、多くのメディア露出は望んでいない事も多い。その癖、偶にイベントに出演すると大盛況だ。世の理不尽を感じる。
「昔は良くテレビにも出てたんですけどね。バラエティ番組でいじられ役として」
「あー、私も見た事あります。戦闘中からは想像も付かないけど、可愛らしい人ですよね」
大体素の反応なのがウケていた。本人はそれが嫌でテレビに出なくなったのだが。
ちなみに、二番目の姉は違う意味で絶対に出演できない。ハプニングが怖すぎる。
「やっぱり企画に無理があったかな……」
「忙しい時期ですからね。マネージャー通しても難しいかもしれないです」
「実はもう断られたあとでして……ウチみたいな弱小雑誌は厳しいんですよね。あと何人か訪ねてみても反応が乏しいようなら、編集長に戻すとします」
それが正解だと思う。特殊なコネでもあれば別だが、新人記者さんにそんなものはないだろうし。
そもそも無限回廊の深層以降は一般にはほとんど情報公開されていないから、どのみち当たり障りのない意見になってしまうはずだ。あたしも良く知らない。
結果、全員『頑張ります』なんてコメントで紙面を埋める事になったら悲劇だ。ある意味伝説になれる。
「じゃあ、クローシェさんの近況などはどうですかね? 何か面白い話とかありますか?」
「あたし……ですか?」
「結構頑張ってるらしいじゃないですか。元クラスメイトとして鼻が高いですよ」
「ぅえっ?」
やばい。変な声が出ちゃった。
……って、え? クラスメイト?
「やっぱり覚えてないですよね。私、冒険者学校のクラスで一緒だったんですよ。一年の時の」
「す、すいません」
おかしいな。基本的にパーティメンバーとばかり一緒にいたけど、クラスメイトくらいは大体把握しているはずなのに……。
「いえ、忘れられててもおかしくないんです。早々に脱落して普通科の学校に転校しましたから」
「あー」
ドロップアウト者か……。そういえば、そういうクラスメイトもいた。
冒険者学校は基本的には成績不良で退学になるような事はない。卒業はできないが、在校期間は最低三年という決まりがあるだけだから、何年留年しても残る事はできる。そんな中で学校を辞めて行くのは、冒険者としての自分に見切りをつけた者たちだ。
冒険者としての適性がない。痛みに耐えられない。死ぬ事で心が折れた。理由ならいくらでもある。割合は少ないけど、極少数そうやって辞めて行く人はいる。学費も安くはないから、その方面で無理が出る者だっている。ただ、こちらは成績に応じた奨学金・補助金制度もあるので、やはり冒険者としての適性がモノをいうわけだ。
憧れだけで志すには苦痛に満ちた世界である。熱意だけではどうにもならない事もある。それが間違っているとはいえない。
「私は入学直後にひどい死に方をして以降、戦う事に対して臆病になってしまったんです。怖くて怖くてどうしようもなくて、諦めざるを得ない状況になりました。だから、続けられるっていうだけですごいと思っちゃうんですよね。デビューできるだけで本当にすごい」
そんな事はない……と言いたいが、この人には言ってはいけない言葉なのだろう。
一度は志して、冒険者学校にまで入ったほどだ。一般の学校に比べれば、そのハードルだけでも相当に高い。
それを諦めるまでにどれほどの苦悩があったか。ちゃんと冒険者デビューできたあたしが言っていい事ではない。
「だから冒険者への憧れは一層強くなって、気付いたらこんな仕事に就いていました。学歴も中途半端だし、弱小社の見習いですけどね」
諦められないからと関係のある仕事に就くのも、真っ当な道だろう。あるいは冒険者そのものよりもずっと。
あたしには、デビューだけして何年も下級ランクに留まっている人たちよりも潔く見える。
ちなみに、あたしはこの雑誌を読んだ事はないのだけど。
「その……同期付近にものすごい人たちがいるんで、そういう人たちに比べたらあたしは地味なんですけど」
「これは記者としてというより、純粋に興味です。記事にできるかどうかは分かりませんけど、クローシェさんの事、色々聞いてもいいですか?」
「あ……うん、はい」
あたしは今、おまけではなく、あたし自身の事について取材されているのだろうか。……珍しい事もあるものだ。
「じゃあまずは……そうですね、冒険者を志したのは何時頃からですか?」
-1-
冒険者を志したのはいつからか。それはこれまで数えきれないほど聞かれた問いで、回答に困る問いだ。
それをいつからと明確にするのは難しい。物心ついた時にはあたしの周りにはすでに環境が出来上がっていて、見本となる両親や姉妹も冒険者の道を歩んでいる。
唯一、母はあたしが生まれた時から専業主婦だが、それでも元冒険者で、迷宮都市出身者なら知らない人の方が珍しいほどの有名人だ。
家の中は冒険者ばかり。訪ねてくる知人も冒険者かその関係者で、なんならお手伝いさんだってみんな副業冒険者である。戦う執事とメイドさんだ。
目指すために必要なものはすべて揃っている。そんな環境で生まれ、育てば自然と冒険者を志すのは自然な事だと、素直に思っていた。
将来は両親にも負けないほどの冒険者になるのだと、幼い頃のあたしは微塵も疑っていなかったのだ。
だけど、成長して物事を知るにつれ、その目標はあまりに高い頂にあるのだと知った。お姉ちゃんのように、真っ直ぐ突き進むだけの才能もなかった。
冒険者としての適性は標準以上に満たしている。人並み以上にはなれるだろうと、教師や友人は口を揃えて言う。将来的に、この職業で食べていくには問題ない資質だと。
あたしは生まれつき持つ特異なギフトのおかげで、なんでも小器用にこなせる。このギフトを持つだけで、冒険者として巨大なアドバンテージを持った状態でスタートができる。
でも、目標へ辿り着くにはそれだけでは決して足りない。そこには絶壁のような隔たりがあって、あたしにはそれを超えるだけの才能はない。
皮肉な事に、それを気付かせてくれたのは、なんでもできるギフトの力だった。
『随分と変わったギフトだよな』
幼い頃に出会ったダンジョンマスターはそう言った。
今では顔を出す事はほとんどなくなったが、あたしが小さい頃は頻繁に家へやって来て両親と何かしら談笑していたのを覚えている。
先日、新人戦のお祝いとして久しぶりに顔を出してはくれたが、ほとんど顔出しだけでろくに会話も交わしていない。
子供の頃、物事の分かっていなかった私は、ダンジョンマスターの事を近所のお兄さんだと思っていた。
家に来るという事は多分冒険者かその関係者だろう、程度には思っていたので、その言葉を聞いてもそうなんだ、という程度に受け止めていた。
あたしのギフトは《 見様見真似 》という。見て理解したアクションスキルを、習得に至る前でも強制的に行使する事ができる、ある意味万能なスキル。その強力なギフト版である。
スキルとしての《 見様見真似 》の発現者は何人か確認されていたけれど、ギフトではあたしが初の事例らしい。それは今も変わらない。
生まれた時から持っている力で人との違いは良く分からないが、とりあえずオンリーワンではあるらしい。
といっても、この《 見様見真似 》の効果は、本当の意味でのオンリーワンからあたしを遠ざけるものだった。
その効果は名前の通り物真似だ。
発動スキルの精度はあたし自身の技量依存だし、自分の技量と比べて高度過ぎるスキルは真似できないが、それでも大抵のアクションスキルなら発動可能だ。比較するにもおこがましいような貧相さだが、お姉ちゃんの《 流星衝 》だって真似だけならできる。
ただし、使えるといってもそれは決して身に付いたわけではない。
これは本来、ある程度習熟して使える段階になってから発動可能になるものを、無理矢理起動しているだけの紛い物。未熟以前の代物でしかない。
どの程度習熟したか、あとどれくらいでまともに使えるようになるかの判断には便利だが、そんな状態ではとても実戦では使えないのだ。
実際に使用して体験できるという事は、自身の体でスキルの本質を覚え易い。つまりはコツが掴み易い。だから、本当の意味で新たにスキルを習得するよりは遥かに効率的な学習ができる。スキルオーブのように一足飛びに習得する事はできないが、これはその時点で適性の足りていないものでも使える分、幅広く対応できる。
だが、その恩恵があってさえ、あたしの成長は凡庸なものだった。
自分に合っていそうなスキルを自分のものにするために修練しても、ロクに身につかない。
結局、冒険者としてデビューする段になっても、ほとんどのスキルは真似の領域を出ないまま。モノになったもので誇れるのは
おそらく、あたしに才能はない。平均的な冒険者と比較してならともかく、目標である両親や姉の持つそれには到底及ばない。
二番目の姉だって冒険者に向いてないと嘆く事はあるが、あたしはその才能ですら眩しく見える。……いや、欲しいかと言われたらいらないんだけどね。恥ずかしくて死んじゃう。
とにかく、あたしは贔屓目に見ても凡才か、多少優秀といった程度。《 見様見真似 》の恩恵があってようやくそこにしか至れない。
いつしか、姉に憧れて始めた槍も諦めてしまった。それでは絶対に敵わないと理解してしまったから。
なんでもできる。だけどすべてにおいて劣化版かそれ以下。そんな私が冒険者の世界でトップに立つ事は難しい。何か特定の分野で第一人者になる事もできないだろう。
両親は別に、あたしが冒険者になる事を望んでいるわけではない。姉は、あたしが冒険者になると言うと嬉しそうな顔をしたが、諦めるなら引き止めはしないだろう。
それは期待していないとかそういう事ではなく、単にこの職業が過酷であるからだ。自分たちが身を以て知っているから、同じ思いをさせたいとは思わない。あたしも、自分の子供に薦められる職業かと問われたら否と答える。
だけど、それでもこの道を諦めるという選択肢はなかった。その道はずっと前から続いていて、あたしは自覚せずともその道を歩いていた。ずっと、遥か先まで一本道なのだ。
職業なら冒険者以外にも無数にある。話に聞くだけの外の世界と違って、迷宮都市は裕福だ。それこそ食べていくだけなら何をしても生きていける。
外から来た人には厳しい面もあるけれど、それでもそのまま外にいるよりはよっぽど良い生活のはずだ。
加えてあたしはこの街の出身で、かつ実家はその中でもトップクラスの富豪だ。体裁を気にしなければ働かなくたって過ごしていける。
でも、それは結局親が手に入れたもので、勝ち取ったものだ。あたしたちはそれを与えられているに過ぎない。
子供ながらに両親や姉の名声は誇らしくもあったけど、それはあたしに向けられたものではないと気付いてしまった。
自分で手に入れた物が欲しいと感じたのはいつからだろうか。
何が欲しい、というわけでもない。それが自分の手で勝ち取ったモノであれば良かった。あたしだけの何か、そう誇れるモノが欲しかった。
冒険者としての目標は変わらない。霞んで見えないほどの高みで、決して届かないとしてもそれを変えるつもりはない。
才能がなくても構わない。道は一本で、立ち止まるか進むかしかないのだから。
だからせめて、あたしだけの何かが欲しかったのだ。
「アーシャのお祝いには参加しないのか?」
「……ダンジョンマスター」
その日、お姉ちゃんたちが無限回廊攻略層を久しぶりに更新したという事でパーティが開かれた。
家族や関係者の同伴は許されているけど、あたしはそれに参加せずに一人家で留守番をしていたのだが、そこに現れたのが主催者側のダンジョンマスターだ。
「ただ家族っていうだけで、重要機密の塊みたいなところに足を踏み入れるっていうのもちょっと……」
開催場所は、普段は足を踏み入れる事のできない領主館。どこにあるのかも分からない、まさしく迷宮都市の中枢だ。
禁忌という意味では、亜神の住まう四神宮殿よりも更に上位といっていい。
「サローリアやマイケルもいたけどな」
「サロお姉ちゃんやマイケルは何も考えてないだけだと思います」
多分、呼ばれたから行った程度の考えだろう。で、呼ばれた先で緊張してプルプル震えるのだ。
「まあ、大した場所じゃないから、見たらがっかりするかもな」
「ダンジョンマスターの感覚ではそうでも、大抵の一般人はそう受け取らないと思います」
「いやいや、マジで大した事ねーよ。貧乏時代から使われてる領主館をそのまま使ってるから、この屋敷の方がよっぽど立派だ」
そんな事を言われても、迷宮都市の貧困時代なんて想像もつかない。
話によればせいぜい二十年前くらいの事のはずなのに、あたしが生まれた時にはそんな名残もなかった。
そういった意味では当時のそのままが残っている重要文化財という事だろうか。……遺跡?
「元々はこの屋敷の隣あたりにあったんだが、初めて外から見た時はあまりに貧相でビビったわ。周りはもっと寂れてたけどな」
そういうダンジョンマスターは昔話をするおじさん……お兄さんにしか見えない。この人がこの街で一番偉いといっても信じない人は多いだろう。
公式な立場として最上位は領主なのだろうが、街の運営上最上位にいるのはダンジョンマスターである。領主としての仕事もほとんど彼が代行していると聞く。
「んで? お姉ちゃんのお祝いもしない悪い妹は何を悩んでるんだ? 今日は気分いいから、おっちゃん相談にのるぞ」
お祝いをしていないわけではない。家を出る前には極道パンダのセットをプレゼントしたし。
……気乗りしないのは事実だけど。
「えーとですね。最近ちょっと伸び悩んでるっていうかー」
「……《 見様見真似 》の話か」
「…………」
すごいな。一発で言い当てられてしまった。まるで、事前にあたりを付けていたようだ。……まあ、付けてたんだろうな。
「お前が子供の頃にそれを見て、いつかはそんな日が来るんじゃないかとは思ってた。予想よりはかなり早かったが」
「……真似はできても身につかないんですよねー」
「なまじ使えちまうから勘違いし易いが、あれはきっかけに過ぎないからな。最初の一歩を踏み出し易くなるだけだ」
それは分かっている。意識して使っているうちに嫌でも理解させられた。
「そのきっかけがあっても身につかないって事は、やっぱり才能がないんでしょうか」
「ないんじゃね?」
「おぉう……」
不意打ちでグサッと来た。ここまではっきり言われるとは予想してなかっただけにキツイ。
相談に乗ると言っているくらいだから、もうちょっとオブラートに包んで欲しかった。
「も、もうちょっと優しく言ってくれると嬉しいなーって思うんですけど」
「才能ないって事は俺とおんなじだ。奇遇だな。ナカーマ」
「……え?」
何を言っているのだろうか。
表立って活動はしていないけど、ダンジョンマスターが冒険者としての極みにいる人だっていうのは知っている。それが才能ないなんて……。
「なんの冗談ですか?」
「冗談じゃねーよ。俺には冒険者の才能なんてない。戦いに関しても、スキルの使い方に関しても、ついでに政治に関しても、素の俺なんて無残なもんだ。秘められた力とかないし、選ばれた血統でもないし、謎の古武術の伝承者って設定もない」
「ちょっと何を言ってるのか分からないですね」
この街を作り上げた人の言葉ではない。
「じゃあ逆に聞くが、お前の思う才能って何よ」
「えっと……一概には言えないですけど、身体能力とか、スキルを覚え易いとか、戦術眼に優れてるとか、……あとは斬新な発想があるか……とか?」
「なら俺には何もない。そういう方面なら、お前は俺よりは才能あるよ」
ダンジョンマスターの言葉は掴みどころがない。飄々としていて真意が掴み辛い。
まさか言葉通りの意味じゃないだろうから……言葉遊びか、何かの哲学のようなものだろうか。
「疑ってるみたいだが、そのままの意味だよ。……ようするにな、冒険者やるのに才能なんて必要ないって事だ。あるにこした事はないが、なくても俺程度になら追いつけるさ」
「マジで言ってます?」
「マジマジ。俺凡人よ。でも、現時点でお前の姉ちゃん程度なら軽く捻れるぞ」
なら、一体どうやってそこに至ったというのか。コツや裏ワザでもあるのだろうか。
「じゃあ、同じ凡人であるクローシェに一つコツを教えよう。まあ、心得みたいなもんだけどな。……たとえばさ、こうして一歩踏み出すだろ?」
「はい」
ダンジョンマスターはただ普通に一歩歩いただけだ。別段、注視するような動作もない。
「才能のある奴ならこの一歩の間に二歩も三歩も進む。アーシェリアなら十歩くらい進んでるかもな。俺やお前みたいに才能ない奴は一歩。……でもこれは、距離に差はあっても前に進んだって事では同じ意味だろ」
「それだと置いてかれますけど」
「置いてかれるな」
じゃあ駄目じゃん。
「ここで問題なのは時間だ。生涯の内、現役の内に何歩進めるか。普通、どんな仕事でも時間制限はある。特に冒険者なんて肉体労働なら活躍できる時期は短いだろう」
それはそうだ。普通に暮らしてたらなんだって活動できる時期には制限がある。全盛期というなら尚更だ。
でもそれは迷宮都市の外の話で、この街ではそれは当てはまらない……。
「そういう制限があるなら、何事も才能ある奴が遥かに有利だ。凡人には勝ち目がない」
「……迷宮都市の冒険者には時間制限はない」
「その通り。俺たちは常に全盛期だ。意思の続く限り歩き続ける事ができる。どこまでだろうが行ける。俺はその体現者だ」
もしも、ダンジョンマスターが言う通り才能を持たないのだとしたら……その一歩の距離をひたすら積み重ねたという事だ。
あまりにも長い、目眩のするような距離を、一歩ずつ。
「それに、アーシェリアはさっき十歩進んだわけだが、あいつだって立ち止まる事はあるだろうさ。お前はその間も変わらずに歩き続ければいい」
「……そうすれば追いつける?」
「いや、それは分からんな。お前が立ち止まるかもしれないし、アーシェリアが回遊魚みたいに止まらないかもしれない。歩幅は違うから、そしたら絶対に追いつけないな」
才能がある方がいいけど、それは絶対ではないと。
「ただ、物事に絶対なんてない。保証できるものでもない。でも、それは逆の意味でもそうだ」
「追いつけない保証はない」
「その通り。俺たちにとって、才能は絶対のアドバンテージじゃない」
可能性の話なら、100%なんて有り得ない。それは分かる。本来それは机上の空論で、実際に0.1%を突き付けられた側からはたまったものじゃない。『勝てる可能性は0.1%くらいあるから頑張って努力しろ』なんて言われても、ふざけんなと張り倒すだろう。
……目の前でそれを言うのが、実現した人でない限りは。
「そもそもさ、同じ冒険者になるんだとしても、お前とアーシェリアの道は違う。道は人それぞれ個別にあって、目標それぞれで距離も違う。比較なんてできねえよ」
「目標は無限回廊の攻略じゃ……」
「それは迷宮都市の冒険者全体の目標で、個人のものは別だ。ゴールがどこにあるのかは自分で決めろ。自分が納得するまで歩いて、満足したら終わりにすればいい。俺としては先に進んでくれた方が嬉しいがな」
近くにいるとどうしても比較対象になるけれど、そもそも比較するものでもないのかもしれない。
「な? 才能なくても問題はないだろ」
「才能ない事自体はどうしようないから、結局問題の方向性をずらしただけに思えますけど……少し楽になりました」
「そこは上手くずらされたままでいてくれると助かる。俺自身も解決してないしな」
ようはあたしの中の目標、冒険者像が漠然とし過ぎていたのだ。
ただ両親や姉のようになりたいというだけでなく、明確にあたしだけの目標を見つけるべきなのだろう。
その点、二番目の姉……サロお姉ちゃんは独自の道を行っている。……参考にならないけど。
-2-
その当時、あたしが通っていたのは普通の学校だった。
子供の時から冒険者になると決めている人は、冒険者学校の幼年部に入るのが一番の近道と言われていたのだが、まだ迷いがあったせいか普通の小学校に入学したのだ。
あと後で調べた事だが、冒険者学校の幼年部といっても、多少専門のカリキュラムが組み込まれているだけで普通の学校と大差はないらしい。
だから、学校で出会った友人の事を考えるなら、これはこれで正解だったのかもしれないと思っている。
現在もパーティを組むカロリナと出会ったのは、卒業間近になって冒険者学校に入る準備をしていた時期だ。
進路が同じという事も然ることながら、親が冒険者で上の兄三人も冒険者志望という、良く似た境遇だったのが仲良くなった一番の要因だろう。
ちなみに、現在彼女の兄三人は追っかけもいるほどのアイドル冒険者だ。ウチとは違う意味で兄弟姉妹間の隔絶を感じる。
「私も目指してるんだ。中学校には上がらずに冒険者学校本校の試験受けるつもり」
簡単に言っているように聞こえるが、そのルートは相当にハードルが高い。学力的な意味でも身体能力的な意味でも経験的な意味でもだ。
実際、そんな進路を選ぶ者はほとんど皆無で、普通なら中学卒業後か高校卒業後か、とにかくある程度学歴を重ねた上での選択肢にするのが無難と言われていた。
だから、そんな進路を辿る同士、自然と話す機会も増えた。何度かの説明会や学校見学を経れば更に人数は減るから当然だ。
そしてもう一人。
「錫城真白です。よろしゅう」
「よ、ろしゅう……?」
ある日突然現れたその子はあたしたちと同じように冒険者学校志望で、更には家族が冒険者という、またしても似たような家庭の持ち主だった。
「錫城って……地霊院の分家の?」
「……あれ、何故分かります?」
「いや、ウチ迷宮都市の苗字持ちでは最古参だから。カロリナの家もそう」
迷宮都市には家名持ちはそう多くない。最近増えた新興の家名ならともかく、昔からある名前くらいは把握している。
そうでなくても、特殊な扱いの漢字姓なら知っている人は知っているだろう。
「私のウチはクローシェの家ほど由緒正しくないけどねー」
カロリナはそう言うが、グラーヴス家だってウチとそう変わらない。
まあ、親が親だからウチも由緒正しいといえばそうなのだろうが、どっちもせいぜいが十年程度の歴史しかない。
……オーレンディア王家なんて七百年以上続いてるのだから、迷宮都市の外なら鼻で笑われる程度の歴史だ。
むしろ、家格だけならこの子の方が上かもしれない。
「錫城……亜神に連なる家系の方が由緒正しいんじゃないかな」
「ウチ分家だし。偉いのは本家の巫女さんだけだよ」
分家といったって、親の世代で分かれたばかりの家だ。この子も四神の巫女の親戚筋なのは間違いない。
歴史が浅い分、分家はその格が保証されているというか……。
「それよりもわたしすごい事に気付いてしまった」
「な、何?」
「わたしたち、みんな『ロ』です」
「…………は?」
言われてみれば、三人とも名前に『ロ』が入ってるけど……それがどうしたんだろう。
「クローシェだからクロちん、カロリナだからカロちん、わたしは真白だからシロです。完、璧! いえー」
「ちん……あ、あだ名って事? 別にいいと思うけど……」
なんだ、このテンション。
クローシェであんまりクロとは呼ばないんじゃないかな。ちょっと新鮮かも。
「……白黒はともかく、カロって何? 熱量?」
「太りそうだね。……あたしも別に黒くはないけど」
……でも、真白は名前の通り白い。髪も服も真っ白だ。
「じゃあ、わたしたちのパーティは全員この方向で攻めましょう」
「……え、何が?」
そんな良く分からない真白……シロのノリに合わせて、なし崩し的にパーティが結成。ついでにあだ名が決まってしまった。
あだ名は仲間内だけで使うつもりだったけど、すっかり定着してしまって今ではお姉ちゃんたちからもクロ呼ばわりだ。
そして、この方向で攻めるというシロの方針は実現し、あたしたちは六人の『ロ』で集結する事になる。……どーなってんの。
「じゃーん。早くもパーティメンバーを見つけて来ました。わたし偉い」
狙ったのか、それとも偶然なのか、冒険者学校に入った直後、シロがパーティメンバーの候補として連れて来たのもやはり『ロ』だった。
「よ、よろしくね……」
「何が何やら……」
「……よろ」
あたしたちもそうだが、連れられて来た方も困惑気味だ。
結果的に揃ったメンバーは……。
クローシェ・グロウェンティナでクロ。
カロリナ・グラーヴスでカロ。
錫城真白でシロ。
メロディア・ベアレでメロ。
ティロール・ラーゼンでチロ。
ロロ・エイサンダリアでロロ。
見事に『ロ』ばっかりである。ティロなのにチロだし、ロロなんてそのままだけど、そのまま強引に押し通すのがシロのキャラクターなのだ。
そして、提案されたチーム名は『ロ』が六つだからという事で『66』。もうどうにでもしてくれという感じである。ロロの『ロ』が重なってるから『67』ではないんだろうか。『6×6』じゃ駄目なのかと聞くと、それは卑猥だから駄目だとか言うし……。シロはお馬鹿さんだ。
そこまで拘っているわけでもなく、代案があるわけでもないので、このままあたしたちのチーム名も決定した。実は今も登録名は『66』のままだ。
「じゃあ、クロちんがリーダーで」
「……は?」
集めたのはシロなのに、あたしがリーダーなの?
抗議するも、カロから放たれた『シロに任せるのはまずいと思う』という一言であたし以外の全員が一致した。
連れてこられた新メンバーも一致団結している上、シロまでうんうんと頷いている。……自分の評価は自覚しているらしい。
……まあ、集まった経緯やリーダーを押し付けられた事、ついでにシロの扱いは置いておくとして、あたしたちはこうしてパーティを組む事になった。
シロが変な理由で見つけて来たメンバーだったが、チームを組むようになると、意外にも相性は良かった。戦闘におけるポジションもバランスがいい。
遊撃・斥候役のあたし、前衛のカロ、回復役のメロ、中衛支援のチロ、高火力後衛のロロ。唯一シロだけは分類不能で、巨大なモグラを引き連れて暴れ回る。放っておいた方が強いタイプである。
飛び抜けて強い部分もない代わりに、高めの平均点で推移して穴がない。平均点以上は確実に出せるが、それ以上は出せない。失敗も少ない。パーティが半壊する事はあっても、次にはそれを活かしていい結果を出せる。そんなパーティだった。
学生時代、本当の意味で失敗と呼べるのは卒業試験のトライアル最下層くらいだろう。
初回はまあ……しょうがない。立ち直り、鍛え直すのに時間はかかったが、冒険者なら躓く問題だ。トライアルのシステム的には当たり前というレベル。
致命的なのは、その再挑戦。慎重になり過ぎて、大半のメンバーが攻略完了する中、あたしたちは三年目の卒業ギリギリまで攻略できずにいた事。
課題が見つかれば、それを理由にしてズルズルとスケジュールを後ろ倒しにしてしまっていたのだ。
そして、万全の準備をして挑んだ卒業間近の二月。トライアル自体は攻略できた。
だが、ミノタウロスを倒したあとに立っていたのは五人だけだった。……戦闘中、メロが死亡したのだ。
誰かのミスとは言えない。石橋を叩き過ぎるくらい叩いて慎重に挑んだ結果の事で、ほとんど事故のようなものでしかない。
それがケチのつき始めで、予備日として設定していた翌週は全員でクリアどころか全滅。変な負け癖が付いてしまったあたしたちが全員で攻略するのには、結局五月までかかった。
三年の在学期間を経て、必要単位とトライアル攻略の実績さえあれば学校はいつでも卒業できるが、六月にデビューする冒険者は少ない。
冒険者学校の卒業生は、留年生も含めて大抵が四月デビューだし、六月末に予定されている新人戦もスケジュール的に困難なものになる。
だから卒業せずにそのまま三月まで残るという選択肢はあったけど、あたしたちは卒業を選んだ。居辛いという理由もあったが、最大の理由は学費である。
ウチは問題ないが、みんながみんな家庭が裕福というわけでもない。特に両親が離婚しているチロの場合、無駄な出費は避けたいというのが本音だ。
満三年を超過した事で奨学金を打ち切られたのも痛かった。
これは、単純にカンパすればいいという類のものではない。今後一緒に仕事をやっていく仲間に対して一方的な貸しは亀裂を生みかねない。
時期外れの卒業という部分にさえ目を瞑れば、それ以外は問題ないのだから。
正式な時期でない五月の卒業式は小ぢんまりとしたもので、出席者はあたしたちと先生だけだった。
自分を責めているのかメロは泣いていたけれど、あたしたちの誰もがその失敗を追求したりしない。反省は必要で、その克服はしたのだから今更なのだ。
「ほんとごめんね。あたしがあの時……」
卒業式後、珍しくメロと二人になって、その後も彼女は落ち込んでいた。
彼女は泣き虫で臆病だが芯は強い。今回のように長く引きずるのは三年間の付き合いで初めての事だ。
「それはもういいよ。誰もメロの責任だなんて思ってない。何回も反省会して、アレは事故って結論になったでしょ」
「でも……」
「ストップ。……多分さ、メロも分かってるよね。あたしたちはこの先必ずどこかで同じ失敗をしたはずだって」
「それは……」
あたしたちは性格はバラバラなのに、皆どこか似ている。
冒険者として成功している家族がいて、それなりに適性はあるけど突出しているわけではなく、そんな自分にコンプレックスを抱いている。そして多分、一流になれないとどこかで諦めているのも一緒だ。
似た者同士だから、考えている事も分かる。あの失敗は単なる事故ではなく、全員がこの先起きうると想定していた失敗だと。
「それがたまたま卒業時期に重なってメロは責任感じちゃってるのかもしれないけど、あれ自体は多分必要な事で、あたしたちはそれを克服した。同じ事を繰り返さなければいい」
あの時ダンジョンマスターに言われた言葉が、今になって重く伸しかかってくる。この時まで、あたしは何一つ理解していなかったのかもしれない。
「冒険者は失敗してもいい。死んでもいい。それが許されている。時間だってあたしたちの縛りにはならない」
大切なのは失敗しない事じゃなく、そのあとで立ち直る事だ。
大切なのは歩みを止めない事だ。
「だから、歩く事さえをやめなければ、あたしたちはどこまでだって行ける……なーんて、前に言われた」
「……お姉さんに?」
「いんや、違う人。……多分、迷宮都市で一番諦めなかった人だよ」
あたしはまだ、その言葉を飲み込み切れていない。意味は分かるけど、実感が伴わない。
だから、今回みたいに失敗して立ち止まってしまう。パーティリーダーなんだから、あたしが一番止まっちゃいけないのに。
それができなかったのが、今回の最大の問題で反省点なのだ。三、四、五月と続いた停滞はその代償なのだろう。
「失敗しても転んでも、挫けず、諦めず、立ち上がって行こう」
そして、それがきっとあたしたちが目指す冒険者像なのだ。
朧気ながら、そう感じ始めていた。
-3-
六月デビューという事で、やはり同期は少ない。
四月なら専用の施設を利用して行うデビュー講習も、ギルド会館の部屋で行われた。
あせらずじっくり、ゆっくりでも絶対に足は止めない。
そう在ろうと考え始めた矢先、ツナ君たちに会った。ただでさえ目立たない地味子ちゃんなあたしたちの存在が見事に霞む。
あたしとシロとメロ、カロとチロとロロで分かれて出場した新人戦もやはり敗北した。相手が相手だからという理由もあるけど、敗北は敗北だ。
準備不足なのは間違いない。でも、それ以上に準備期間がないはずだったツナ君たちの試合を見て、勝とうという姿勢すら忘れていた事を自覚させられた。あたしはまだ自覚が足りなかったらしい。
そして、それとは別に彼らとの世界の違いを理解した。
アレは、お姉ちゃんたちと同じ類の世界に生きる存在だ。凡人では真似のできない、覚悟なしに関わると劣等感で押し潰される存在だと。
あの世界はあたしたちの歩く道ではない。それを間違ってはいけない。足を踏み外して停滞する事になるから。
あたしたちはあたしたちの道を辿り、最終的にそこに至ればいいのだ。
……そして現在。じっくり頑張ろうと固く志したつもりのあたしは、かつてない焦燥感に囚われていた。
「どうしても昇格を急ぎたい」
この事実はあまりにも衝撃で、許容できない。ちょっとなりふり構っていられない状況で、情けない事にあたしだけが取り乱している。
「えーと……私たち、結構早い方だと思うんだけど。わりと威張れるレベルで。お兄ちゃんたちからもすごいなーカロリナはーって褒められるよ。えへへ」
「カロのシスコンお兄ちゃんたちは、それこそなんでも褒めるし」
「いや、それでも早いと思うけどね」
彼らは三人揃ってベタベタのシスコンだから、ちょっとした事でもベタ褒めだ。アイドル三人に囲まれてさぞかしいい気分だろう。乙女ゲーか。
まあ……カロが言うように、あたしたちの昇格速度は実際かなり早いペースだ。これはちょっと予想外で、それは分かってる。
お姉ちゃんの昇格ペースである半年には間に合いそうにはないけど、それでもデビュー一年経つよりは早く中級に上がれる見込みではあるのだ。
だけど、そんな事とは関係なしに譲れない事情もある。
「ひょっとして、渡辺君たちの事を気にしてるの?」
「いや、さすがにツナ君たちに追いつこうとは思ってないよ。あのペースはちょっと無茶過ぎるし」
「だよねー。私としてはもう少しゆっくりでもいいんじゃないかなーって……「ごめん却下」……思うんだけど……」
本当ならメロの言うのんびりペースでもいいんだけど、ちょっとそうも言っていられない。
「クロちんが焦ってるのはアレでしょ、パンダ」
「パンダ?」
カロは分かってないみたいだけど、シロがずばり正解だ。
「……そうなの。いくらなんでも、パンダには負けたくない」
「あー、こないだデビューしたっていう謎のパンダ三匹……でもなんでパンダをライバル視? そういえば、海水浴の時にもいたよね?」
この場合、ミカエルは特に関係ない。
「アレ、一匹はクロちんの元ペットだから」
「…………は?」
そりゃ理解できないよね。カロだけじゃなく、シロ以外はみんなハテナマーク浮かんでる。
「……昔、クロの家の庭にいたアレ?」
「そう、マイケルちん」
……そう、カロは辛うじて見た事がある。あたしが今焦っているのはマイケルの事だ。
あたしたちより三ヶ月も遅れてデビューしたのに、先日、本人からE+まで昇格したとの報告があった。ツナ君たちがいるから最短記録の更新には届かないけど、このままならお姉ちゃんより早いペースで中級の昇格条件を満たしてしまう。
試験発行までに時間はかかるから、さすがに十二月中に昇格試験をクリアという事はない……だろうけど、その次の三月までにはクリアしてくるだろう。
そして、それはペットに抜かされるという事でもあり……いくら凡人の自覚があるとはいえ、さすがに元飼い主のプライドが許さない。
「できれば年内……十二月中旬までに試験をパスすればギリギリ式典に間に合うはずだから……」
「ちょ、ちょっと待ってクロ、何言ってるの? 無理だってば」
……カロの昇格試験は、確か規定量のGPを稼ぐ事だったっけ。
試験内容としては単純で羨ましい限りだけど、どうしても時間がかかる。短期間じゃ厳しいか……。でも無理をすれば……。
「あの……私、十二月中旬から年末はバイトがたくさんあるからダンジョンアタック自体休もうかと……」
「……チロはまたバイト?」
「クロの家と違って、ウチは弟たちの学費を稼ぐのに大変なのよ……特に年末は高額バイトが多いの」
「あ、あたしはもう家出たし……」
チロはいつもバイトしている印象があるけど、やむを得ない事情があるから責める事もできない。実はまだ小遣いももらっているし。
これで冒険者としての活動に致命的な問題が出てるなら対策しないといけないけど、むしろあたしたちのペースは早い方だから、これで文句を言うのはワガママだろう。……本人がバイトで色々な仕事をするのも好きみたいなのは置いておくとして。
分かってはいるのだ。分かっていて尚絶妙なラインで、現実があたしの危機感を煽ってくる。
「わたしも年末から年始にかけては実家の手伝いで忙殺されるっぽいしねー。土亜ちんが正式に四神宮に入って巫女になるし」
「そりゃシロはそうだよね。というか、あの子地神の巫女になったんだ。空席だったもんね」
「この前会った時、地神様からおにぎりもらったって言ってた」
「なんじゃそら」
まずい、このままシロの話に移行しそう。シロ以外直接関係のない亜神の話なんて今はどうでもいい。今問題なのは、あたしのなけなしのプライドがピンチという事なのだ。
「と、とにかく、マイケルには負けたくないのっ!」
「まーまー。とりあえずまだ私とシロの試験しか出てないんだし、全員分出題されてからでも遅くないでしょ。三月狙いって事で。ぶっちゃけ、それでも早いくらいだし」
「三月……」
それが一番現実的なのかな。それでも早いんだけど……マイケルと同期か。
ソロじゃないんだから、あたしだけ昇格するのもなしだよね……。というか、そもそもあたしの試験内容出てないし。
……それで、もしも三月に間に合わないとかになったら……いやいや弱気になるな。パンダに負けてどうする。たとえ凡人と自覚してても、負けたくない相手はいるのだ。
……え、あたしのライバルってマイケルなの?
「じゃ、今日のところはそんな感じでいいよね、クロ。……ロロは分かった?」
「……ん」
何も喋ってないが、ロロも話は聞いていたらしい。
「うー……わ、かった」
駄目だ。どうしても受け身になる昇格の仕組み上、手がない。そもそもどう頑張るのかって話で、こんなところで唸ってても意味はない。
ツナ君たちみたいに特殊イベントでもあって昇格なら……いやいやいや、彼らでもギリギリな試験を出されても突破できないし。それで三月にすら間に合わなかったら最悪だ。
「あせらずじっくり、ゆっくり、でも挫けず、諦めず……でしょ? クロちゃん」
「メロ……」
穏やかなメロの言葉を聞いて、少しだけ焦りが消えた気がした。
というかメロにそれを言われると、あたしは言い返せない。
「そーだね、私たちは私たちのペースで行くんだって決めたんだから。しっかりしなよ、リーダー」
「……ごめん、ちょっと取り乱した」
またまだ頼りないけど、あたしはパーティリーダーなのだ。パンダに負けそうな事くらい……で取り乱してはいけない。
せめて、このパーティでいられる内はそう在らないといけない。
「そうやって頑張ってれば、私たちは< 流星騎士団 >にだって入れるよ」
「え?」
あれ? それは私の進路であって、チームの進路じゃないはずだけど……。
「せっかくだから、はっきりさせておこうよ。私たちは全員で昇格していって、チームごと< 流星騎士団 >に入る。嫌な人はー?」
「……いない」
ずっと黙ってたロロが返事をして、みんなが頷いた。
……これは事前に打ち合わせしてたな。
「じゃあ、私たちの取り敢えずの目標は< 流星騎士団 >入団ね。これでクロだけのじゃないからね」
< 流星騎士団 >はトップクランの一つだけど、所属する事に必ずしもメリットだけがあるわけじゃない。
入団制限がかけられていて、すぐに入れない事も問題だ。クランに所属すればバックアップも受けられるのだから、どこかで妥協してクランに所属するのが普通である。
クランに入れば、自然とパーティ構成も見直す必要がある。だから、誰かがクランに所属したらこのパーティは終わりと思っていたけど……。
……みんなは付き合う必要なんてないのに。
「……はー、やっぱりカロの方がリーダーに向いてるんじゃない?」
「やだよ、クロ見てると大変そうだし」
あたしはいいパーティに恵まれた。
デビューしてからのペースはかなり上位にいるけど、地味で、目立った活躍もできない。手放しで称賛されるような能力もない。
でも、これがあたしのパーティなのだ。
-5-
「なるほど……なかなか興味深い話を聞かせて頂きました」
「冒険者の体験談としては、あまり面白いとは思えませんけど」
一般の人には、ツナ君たちのような派手な話の方がウケはいいだろう。
「いえいえそんな……。面白かったですよ、……特にパンダをライバル視しているところなどは」
「そこか」
思わず行儀も忘れて突っ込んでしまったが、相手も笑っているからいいか。
「現時点で集まってる情報はそこまで多くないですが、実際あのチームはすごいですよ」
「チームとしてならそりゃ……情報局の天才児までいるわけですし」
「それもそうですが、パンダさんたちもなかなか。人間とは比較にならない身体能力はそれだけでも大きいですが、マイケルさんは……冒険者としての動きっていうんですかね。専門家に言わせると、下手な中級ランクより立ち回りが上手いらしいです」
そうなのか……。最近の動画は見せてもらったけど、マイケルが戦っている事実とパンダが三匹もいる事、何故かリリカたちがパンダ耳を着けていた事が気になって、そこまで気が回らなかった。ウチにいた時、良く動画を見ていたけど、あの時研究でもしていたのだろうか。
「あと、現時点では非公式記録で審議中ですが、ミカエルさんはトライアル最年少クリアの暫定タイトルホルダーです」
「は? えーと、ミカエルってマイケルと同じくらいだと思ってたんですけど……」
「審議中なのは主にそれが原因ですね。十月が誕生日らしいですが、ミカエルさんはトライアル攻略当時は二歳だったらしいんです」
「に、二歳?」
マイケルが二歳の頃ってかなり小さかったのに……。という事は、あれから倍くらいまで大きくなるとか?
……それは本当にパンダなのだろうか。無限回廊十層に出てくる中で最も強敵といわれるビッグ・ボスより大きくなっちゃうんじゃ……。
「まあ、パンダについては半分冗談です。多分、記録として扱われる事はないと思いますし」
「冗談なんだ……」
この人、もう取材とか忘れてるんじゃないだろうか。
「先ほどの取材に戻りますが、一番興味深かったのは、冒険者に才能はいらないっていう話ですね」
「ダンジョンマスターの?」
「はい。諦めず、挫けず、前に進み続けていればどこへでも行ける。……なるほどと思います。迷宮都市の冒険者なら確かにそれは正しい」
……そういえば、この人はドロップアウト者だ。あまりよろしくない話題だったかも。
「ただ、諦めてしまった身から言わせてもらうと、その心の在り方もまた才能なんじゃないかと思います」
「諦めない事?」
「……私は早々に折れました。他にもトライアルの洗礼で心砕かれる人は多い。デビューしてからも、中級に上がれない、無限回廊三十一層や五十一層の壁を超えられない、あるいは冒険者稼業は諦めないまでも、先に進む事は諦めてしまう人は大勢います。誰もが強い意思を持ち続けられるわけじゃない」
心の問題は繊細だ。分かっていてもどうにもならない事はある。そういう人も多いし、目の前の人はまさしくそうだ。
「だから、自分の弱さを飲み込んで前へ向かえるその姿勢は尊いものだと思います」
「あたしは環境が……実家や家族っていう身近な目標があるから……それに、同じように歩いてくれるメンバーもいるし」
「そういったものも含めて重要なんだと思います。私の元パーティなんて、見事に空中分解しましたからね。解散以降、顔も合わせてません」
あたしは家族に恵まれた。環境に恵まれた。そして、パーティメンバーにも恵まれた。
あたしと同じで突出した才能はないチームだけど、それでも同じ目線で一緒に歩いてくれる。
パーティメンバーは共に過ごして戦う仲間なんだから、それは自分だけの力じゃなくても、自分たちの力ではあるはずだ。
これはあたしたちだけの力で、かつて求めたあたしだけの何かなんじゃないだろうか。
正解かどうかは分からない。きっと答え合わせできるものでもない。……だけど、そうであればいいな、と思う。
「これは、今後も活躍が期待できそうですね。上級に上がったら他の取材はシャットアウトして、私の独占取材を受けてもらえると嬉しいです」
「それは……気が早過ぎるかな」
多分冗談だろうけど……でもまあ、考えてみてもいいかもしれない。珍しく、あたし自身に興味を持ってくれた記者さんなのだから。
「と、失礼。社から連絡ですね」
何かが震える音が聞こえるが、この反応は電話らしい。
「緊急かもしれませんし、どうぞ」
「すいません……はい……今ちょっと取材中でして……えっ? 本当ですか? はい」
記者さんは取り出した電話機で会話を始め、少し席から離れる。
カードじゃなく専用の機器というのは、職業柄必要なのだろう。複数台持っているに違いない。
「失礼しました」
「えーと、緊急の取材か何かですか?」
「……非公式ですが、最新の情報が入りました」
戻って来た記者さんの顔は、なんともいえない微妙な表情だ。あまりいい話ではないのだろうか。
「実は今日、< アーク・セイバー >の先遣隊が一〇〇層に挑戦していたそうです」
「え、そうなんですか。というか、あたしがそれを聞いちゃってもいいんですかね?」
「今日のニュースになるでしょうし、号外も出るからそれは問題ないと思いますが……結果は壊滅。詳細は分かりませんし、公表もされないでしょうけど、これは相当厳しい難易度のようですね」
「壊滅……?」
……先遣隊が?
先遣隊は普通、次の攻略層の下見を行うために、死に難い人員が投入されるものだ。突破力や殲滅力よりも、生存しより多くの情報を持ち帰る事を基本に行動する。はっきり言えば、生存だけに関しては本隊よりも上だろう。……それが壊滅?
「先遣隊が壊滅したというニュースは久しく聞きませんね。……ここ数年はなかったと思いますが、前はいつでしょう?」
「……七十五層」
「ああ、< 流星騎士団 >の……と、あまり関係者の方は話したくない内容ですよね」
「それはいいんですけど……」
お姉ちゃんたちは年単位で停滞したけど、先には進んだのだからそれは気にするところじゃない。問題は……。
「まさか、あの時と同じになるなんて事は……」
「まさか……ないといいんですけど。……すいません、私これから社に戻ってこの記事を書かないと」
「あ、はい」
「今日はありがとうございました。またよろしくお願いします」
そう言い残すと、記者さんは伝票を持ち、慌てて店を出て行ってしまった。
「さて……」
残されたあたしは一人冷めた紅茶を飲む。
状況としては、まだ先遣隊が壊滅したというだけだ。それに< 流星騎士団 >だけが突出していたあの時とは状況が違う。
中級にすら昇格していないあたしが心配するような事じゃないだろう。
< アーク・セイバー >が先に攻略すると予想していた人は多いけど、これで並んだかもしれない。
お姉ちゃんたちが先に攻略してくれると嬉しいけど、そうしたらまたあたしたちとの差は広がってしまう。
……いや、関係ないとは言わないけど、それはお姉ちゃんたちの問題だ。あたしは取り敢えず三月昇格目指して頑張らないと。
……マイケルには負けないように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます