幕間「もえる撮影所」
-1-
迷宮都市に来てもう少しで半年。帝国よりも暑い夏も過ぎ去り、季節は冬に変わりつつある。
たった半年。だが、この半年は冒険者を始めてから……いや、生まれてから最も激動の期間だといえるだろう。
当初の目的だった生活も、デビューした直後あたりから安定し始めた。
正直、現時点でも迷宮都市の平均とは言い難いが、それでも帝国での日々困窮に耐えていた頃とは比較にならない改善だ。少なくとも飢える事はない。
いつかツナ君が言っていた、王都にいた頃より百倍いい生活しているという発言も大げさではなかったという事だ。
もっとも、彼を含むパーティーメンバーはすでに中級ランクに到達しているので、更にいい生活を送っている事だろう。羨ましい。
推薦を請けた際はあまりの胡散臭さにギルドぐるみの詐欺を疑ったものだが、この街は想像以上に快適だ。
もちろん、糧を得るためのダンジョンアタックは過酷で、特に戦闘は外にいた頃とは比較にならない。
死んでも蘇るというのも決して利点だけではない。蘇生の際の魂の再構築は常人には耐え難い苦痛で、それを何度も味わうのは、ただ死ぬよりも辛い事かもしれない。
私の場合は事情が異なるから、蘇生の負担は軽い。かつて体験した< 魂の門 >での修行で、魂を組み替える事への耐性は身に付いている。
だから、この街は私向きだ。目的も手段も適性もすべてが合致する。
問題は、この生活に慣れてしまうと帝国の冒険者業には戻れなそうだという事だ。特に戻るつもりもないのだけれど、もしも追放されたりしたらと思うとゾッとする。野菜をかじりながら道端で夜を過ごす日々には戻りたくない。
そして、特に想像以上だったのが魔術の知識だ。
迷宮都市に蓄えられた魔術知識の量は膨大で、祖母の代より以前から何代にも渡り続けられてきた魔術理論は根底から覆された。私は今、その遥か先へと向かおうとしている。
この系譜がどういう理由で始まったのか、代々の後継者が何を考えていたか分からない。だが、この血、この魂に刻まれた目的、意思は確実に私の中で息づいている。
その意思が告げているのは、目的がこの街にあるという確信だ。あまりに遠いと思っていた目標、この血脈に眠る魔道の深淵へ到達するという悲願は、あるいは私の代で成し得るのかもしれない。
届かないとしても、少なくとも数十年、ひょっとしたら数百年分の距離は縮められるだろう。そうしたら次代に託す事になる。
次代……私は結婚できるのだろうか。……弟子とった方がいいかな。
「というわけで、一ヶ月ほど冒険者業は休業です」
「は?」
現在パーティーを組んでいるディルク君から、突然そんな事を言われた。何が、というわけなのか。
無限回廊の第三十層に到達し、規定のGPを稼いで、あとは中級の昇格試験が発布されるのを待つ状況で……休み?
今日は、明日の攻略に備えての打ち合わせではなかったのか。
「昇格試験の発行は時間がかかるので、どちらにしても攻略はここでストップです。タイミングとしてはちょうどいいかと」
「でも、さすがに一ヶ月休みっていうのは……」
それだけあればできる事はたくさんある。試験に向けて鍛えるのだって、ダンジョンアタック以上に適した場はないだろう。
それに……生活費が大変だ。特に、最近ちょっと余裕が出てきたからと買ってしまった魔術具の出費が痛い。
どうしよう……明日のダンジョン・アタックの収入を当てにしてたのに……。
「リリカさんが合わせる必要はありません。抜けるのは僕とセラだけなので、パンダ連れて攻略するのはアリでしょう」
「あ、そうなんだ。……ちなみに理由は聞いてもいい?」
「詳細は機密情報なのでちょっと……。迷宮ギルドではなく、情報局側の仕事ですね」
ディルク君は迷宮ギルドの他に情報局と呼ばれる組織に所属している……らしい。
こういった複数機関への所属は外ではあまり推奨されない行為だが、迷宮都市では極当たり前に行われている事だ。私も魔術士ギルドからの誘いは受けている。
ディルク君の所属する情報局は、何やっているかの詳細も公開されていない特殊な機関だ。実は迷宮ギルドで何気なく行っている仕事でも情報局に繋がっているケースは多いらしい。なので、今回の件も秘密なのだろう。パーティーを組んでいるディルク君が相手でなければ情報局の仕事という事も教えてもらえなかったかもしれない。
「セラフィーナも?」
「セラは特に仕事ではないんですが、絶対ついてくるので」
「あー」
彼女はディルク君に依存し切っているところがあるから、離れて自分だけダンジョンというのは厳しいだろう。
まだその現場を見た事はないが、長期間ディルク君と離れているとかなり精神的に不安定な状態になると聞いている。
今のように少しでも離れていると『ディー君分が足りない』と危険信号を上げるらしいのだ。ディルク君の方は一人で大丈夫でも彼女はそうはいかない。
……となると私とパンダだけ……パンダか……。
「最近、パンダの飼い主って呼ばれる事が多いんだけど……」
「諦めて下さい」
愚痴は鋭く切り捨てられてしまう。なかなかに厳しい子だ。
確かに実害があるわけではないのだが解せない。ディルク君やアレクサンダーが周りの誤解を否定してくれないのも意地悪だ。
大体、パンダたちの飼い主は別にいるのに。……今度会ったら文句を言わないと。
「まあ、僕の情報共有に慣れ切ってしまうのもまずいので、普通の戦闘勘を取り戻すのもいいかもしれませんよ。パンダと」
「パンダはともかく……そうだね、分かった」
ディルク君の能力と魔術は便利で、あるとないとでは戦力に大きな差が出る。三十層まで一気に攻略できたのも、E+ランク昇格へ必要なGPを短期間で稼ぐ事ができたのも、彼の力によるところが大きいだろう。
……だけど、便利過ぎる。アレに頼っていたら、冒険者としての判断能力や勘を失いかねない諸刃の剣だ。
ここらで一度元のスタンスに立ち返るのも必要な事かもしれない。
「そういえば、来週< 食用豚大脱走 >イベントがあるんで、遊びに行くっていうのはどうですかね?」
「……考えておく」
何、その気になるイベントは。ひょっとしてお肉もらえるのだろうか。
……食用っていうくらいだから、オークじゃないよね?
ディルク君じゃないが、"というわけで"これから一ヶ月の予定を組み直す必要があるが。
とりあえず明日のダンジョンアタックだ。これをどうするか、唯一話の通じるアレクサンダーに連絡を取ってみる。
『あーすいません。あとで連絡しようと思ってたんですが、思ったより引き継ぎが忙しくて……できれば今週は休みにできないですかね?』
アレクサンダーも忙しく、今週は不参加との事だった。中級に上がるタイミングで引越し屋を辞めるそうなので、引き継ぎも忙しいんだろう。
となると残るマイケルとミカエルを連れて、三人……三名での挑戦になるが……この面子には不安しかない。パンダ耳である程度意思は伝わるものの、間に入ってくれるアレクサンダーがいないと、さすがにコンビネーションに問題が出るだろう。
迷宮都市に来る前までのようにソロという手もあるけど、それでは挑戦できるダンジョンも限られる。無理をして死んでアイテムロストなんかしたら最悪だ。無料で食べられる寮の朝食とパンの耳だけの生活が待っている。
「……今週は休みかな」
あとで二匹にはメールしておこう。喋れなくても文字は読めるみたいだし。
この後、明日のアタックに向けた準備の予定だったが、それも取り下げだ。
-2-
「おー、リリカ。久しぶり」
暇を持て余してギルド会館をフラフラしていると、不意に声をかけられた。
「え……と、久しぶり」
「……お前、俺が誰だか忘れてただろ」
「そんな事は……ない」
「不安になるな、おい」
彼の名前はフェ……フェイズだ。そう。
あまり特徴のない顔と性格なのでつい忘れそうになるが、私と同時期にこの街に来た元傭兵だ。一応、商隊の護衛を一緒にした事もある。
ついでに言うと、冒険者としての能力も特筆するところがない極めてスタンダードな戦士である。未だあまり多くない知人の一人だ。
「いつも連れてるパンダはどうしたんだ? 家出か?」
「別に私が飼ってるわけじゃない」
マイケルは元々ペットらしいが、今はれっきとした冒険者だ。認めたくはないが、それは事実である。
「あなたよりは遥かに強いし、ランクも上だからペット扱いは失礼だと思う」
「……え、あいつら冒険者なの?」
「そう」
ちょっと調べれば分かる事なのに、何故知らないのか。
彼らにパンダだからという既成概念は危険だ。カテゴリ上は動物だが、獣人などの亜人やモンスターと同じカテゴリとして扱った方がいい。
というか、それ以上に理不尽な存在だ。……特にミカエル。お前の間抜けヅラをいつか燃やしてやりたい。
「つまり、未だデビューできていないあなたは、パンダより格下という事になる」
「マジかよ……って、いやいや、デビューはできるから。……俺もようやくトライアル突破してさ、来月頭にデビューだ。かなりお前に遅れをとったが、ようやく先に進めそうだぜ」
「私はそろそろ中級ランクの昇格試験」
「なん……だと」
かつてツナ君に味わわされたのと同じ思いをするといい。走っても走っても追いつけない存在がいる事を。
これはつまり、フェイズには決して追いつかせないという宣言だ。
……格下探してるようじゃ駄目だな、私。認めざるを得ないけど……今になって振り返ってみても、やはりあの二人はおかしい気がする。
「……お前との差が簡単に縮まるものじゃない事は、一緒にトライアルに挑戦した時点で分かってたが、そんなスピードかよ」
フェイズとは七月に一度ペアでトライアルを攻略したのだが、その時は散々な結果だった。
最悪、第五層まで行ってフェイズの洗礼だけ済ませればと考えていたのだが、第四層ボスであるアントマンの蟻酸によって腕を溶かされ、そのまま終了の流れとなったのだ。
フェイズは冒険者として最低限の実力は備えていたけれど、その時点でさえ私との差はかなり開きがあったといえる。今ではその開きは更に広がっているはずだ。
結局、フェイズの成長を待つわけにもいかずソロでの攻略となったが、この時期にトライアル突破という事は、それで正解だったのだろう。フェイズは良くも悪くも平均的なルーキーという事だ。
「アレを一日で突破したルーキーもいる」
「噂の< 暴虐の悪鬼 >と< 雪兎 >か」
フェイズでもあの二人の事は知っているらしい。
トライアルの最速攻略が最も影響を与えたのは、今、そしてこれからトライアルに挑戦するルーキーたちなのだ。
当面の目標であり、しかもその記録がつい最近打ち立てられたものだとすれば気にならないわけがない。
「嫌な時期にデビューしちまったもんだよな。どうしても比べられる」
いくら差があろうと、比べられるのは構わない。問題は比べる事もできないくらい離される事だ。そんなのは冗談じゃない。
……あの二人のスピードはデビューしたあとも更に加速している。きっと、ここから先はもっと過酷になる。追い縋るだけでも精一杯になりかねない。
だけど、そのスピードは私にとっても歓迎すべき事だ。ツナ君たちと共に行く事が私の目標への最短距離だと、確信に近いレベルでそう感じているのだから。
「俺はさすがに厳しいが、バーサーカーの奴ならお前にも追い付くかもな」
「バーサーカー?」
バーサーカーと聞いて思い出すのは、その< 暴虐の悪鬼 >だけど、それならフェイズもそう言うだろう。
そういう新人がいるのか……それともクラス名だろうか。< 狂戦士 >というクラスは個別にあった気がするけど。
まさか、ツナ君を真似たとか……。
「そういう新人がいるんだよ。まだデビュー前のルーキーくらいしか知られてないが、あいつは強えな。実はトライアルもあいつに助けられた部分が大きいんだよな」
「一緒に戦ったの?」
「ああ、ソロでミノタウロスに挑んで失敗したらしくて、仲間を探してたんだ」
「ソロで強化ミノタウロス相手なら負けて当然だと思うけど」
それは、あの二人だってできなかった事だ。挑戦しなかっただけともいえるけど、動画を見る限り一人では不可能だったろう。
「そのあと、ミノタウロス戦の参考動画見たらしくてさ、少し足りなそうだからってパーティ集めたんだ……マジで足りないのはちょっとだった」
という事は二回目でクリアという事だ。一人でもなんとかなるけど、念のためって事だろうか。……デビューを急いでる?
「ミノタウロス相手に同じくらいでかい斧振り回して圧倒するんだから、ありゃちょっと格が違うな。あいつならすぐに有名になるだろうさ」
「なるほど……フェイズはその人にくっついてトライアル突破したと」
「き、寄生じゃねーぞ。俺もちゃんと戦力にはなった……はずだ」
あまり活躍しているフェイズの姿は想像できないが、そういう事にしておこう。
「という事は、デビュー後はその人とパーティを組むの?」
「いや、奴さんはソロだ。だが、俺の方はその時に組んだ他の連中とはデビュー後も一緒にやる事になった。ああ、お前の場合と違ってちゃんと話の通じる人間だぞ」
「それは余計」
私だって、まさかパンダと組む事になるとは夢にも思わなかった。
「おっと、悪いが俺これからその連中と遊びに行くんだ。またな」
というと、フェイズはさっさとどこかへと去って行った。何か用事があったわけじゃなく、ただの挨拶だったらしい。
あの様子なら、パーティ間の関係も上手く行っているのだろう。彼は彼のペースで冒険者としてやっていくという事だ。
-3-
「うーむ……」
ギルド会館ロビーに置かれたお仕事情報誌を眺めても、唸り声しか出ない。
不意に空いてしまった時間を生活費を稼ぐための労働に割当てようと……もとい、有効活用すべく会館の情報を漁ったが、結果は芳しくない。
欲しいのは日雇いの仕事だ。帝国にいた頃、私にできる事といえば写本や翻訳で、それが緊急の食い扶持だったが、この街にはその類の仕事はない。
今見ているこのお仕事情報誌に使われている印刷……同じ文章を大量に作成できる技術がある以上、商売上がったりだ。
職人ではなく一般人でさえ会館の前にあるコンビニに行けば、同じページを一瞬にして写す事さえできる。しかも、本当にわずかな金額で。誰も写本など必要としない。
まだ日本語を完全に習得したわけでもないから、翻訳も不可能だろう。
となれば、次に思いつくのは力仕事だが、私にその選択肢はない。レベルの恩恵で以前よりは腕力が付いたものの、やはり非力なのだ。
お仕事情報誌には力仕事以外もたくさんあるけど、そのほとんどが私には馴染みのない仕事ばかりだ。辛うじて理解できるのはコンビニの従業員や清掃員。コンビニがこのギルド会館前にある雑貨屋の事である事は分かるが、そのスタッフというのは私に務まるものなんだろうか。
特に料金を払う際に使う道具はそんなに簡単に使えこなせそうな気がしない。あのレジとかいう精算用の道具を使う仕事は、専門技能が必要なのではないだろうか。
掃除の仕事は字面だけならできそうだが、『最新式のマシンで初心者でも安心です』という文字の横の絵には、複雑怪奇な代物を持った人間が立っている。……初心者の基準が分からない。それとも、この街で主に使われている魔術のように見た目が複雑そうなだけで、扱いは簡単なんだろうか。
性別や種族、身長で弾かれる仕事もある。この街の成人は二十歳だから、それを募集条件に含む仕事が多い。私はこの前十七歳になったばかりなので全然足りない。
もう、いっそソロかパンダ二匹連れて、無限回廊の浅い階層……十一層あたりに行った方が建設的かもしれない。
だけど、簡易とはいえ< 斥候 >技能持ちのアレクサンダーがいないのは問題だ。罠の対処はともかく、宝箱を見つけても手が出せない。浅層の資金源はほとんど宝箱なのだ。
「ひょっとしてお仕事探してますか?」
そんな悩める私に話しかけてきたのは、ギルド会館で受付嬢をやってるドッペルゲンガーさんだ。登録前から色々世話になっている。
「ドッペルさん……はい。ちょっと予定が空いてしまって」
彼女は一日中、それこそ夜中でもいつも受付をしている。もはや分身でもしているのではないかと疑うレベルだ。
名前は知らない。冒険者なら誰もが知っている人だが、受付嬢さんで通ってしまうので私以外にも知らない人はいると思う。
ギルド職員と中級冒険者の交流戦の時も、紹介された名前は『受付嬢』という徹底ぶりだ。不憫な人である。
「またその呼び名ですか……いや、ドッペルゲンガーなのは確かですがね」
「日雇いの仕事を探してるんですけど、分からない事が多くて、私にできるのかの判断も難しいんです」
「……ここは流れ的に私の名前を尋ねる場面ではないでしょうか」
ドッペルさんの名前より、仕事の方が切実なのだが。
「……えーと、ドッペルさんのお名前を聞かせてもらえますか?」
「よくぞ聞いてくれました! 私の名前はですね……」
ドッペルさんは自己紹介を始めようとしたが、途中を言葉を止め、威嚇するような表情であたりを見渡す。
これまでは自己紹介の瞬間に狙って邪魔をされてきたから、それを警戒しているのだろう。
「よし、邪魔はいませんね……私の名前は"カノン"といいます。よし、よし、久しぶりに言えた」
ガッツポーズを取るような事なんだろうか。
……しかしそうか、この人はカノンさんと言うのね。意外と普通の名前で反応に困る。
「ところで受付嬢さん」
「……あなたも人の話を聞かない人ですね。……いいです。私たちは揃って受付嬢と呼ばれる運命なんです……」
「じゃあ、やっぱりドッペルさん」
「いや、それもちょっと……」
名前自体は伝わったのだから、呼び名なんてどうでもいいと思うんだけど……。
「それで、もしかして仕事を紹介してもらえるんですか?」
「……ええ、その話でしたね。……私の名前なんかどうでもいいですよね、そうですよね」
その顔には激しく影が差していたが、仕事を優先させたのかいつもの表情に戻った。切り替えの早い人だ。
「そうです。……いやもう、なんの偶然なのか、ちょうどリリカさんに臨時のバイトがありまして」
「……私に? 誰かが私宛に仕事を依頼したって事?」
一体どういう事なんだろうか。
私はこの街では新人もいいところだ。知名度もないし、悔しいが魔術士としての腕前だって、無数にいる魔術士に埋もれている状態である。外部出身って事で魔術士ギルドには評価されているらしいけど、せいぜいそれくらいで、個人指名されるような心当たりはない。
「あーいや、そういうわけではないんですが、他に条件に合う人がいないというか、気持ち悪いくらい条件がぴったりというか……」
条件に合う人を探していたら、ちょうど私が暇していたという事か。
「なんの仕事ですか? 空き時間ができたから探しているだけで、何日も続くようなのはできないんですけど」
「モデルのバイトです。今日が空いてるのでしたら、連絡すれば今からでも大丈夫だと思います。撮影は数時間で終わるらしいので、時間あたりの収入としてはかなりいい案件ですよ」
そう言って提示された報酬は、とても魅力的なものだった。一回のダンジョンアタックで稼ぐ金額よりは少ないが、拘束時間、消耗品や装備が不要な面からもその額は十分過ぎると言える。仕事場が迷宮区画ではないので、あの電車に乗る必要があるのは不安だが、お金は魅力的だ。
……帝国で日々の生活にも苦労していた頃なら、この額を見た瞬間に返事をしてしまった事だろう。こういう事はちゃんと内容を聞いてからでも遅くない。私は成長したのだ。
「モデルというのは何をする仕事なんですか」
「クライアントが用意した衣装に着替えて、写真撮影する仕事です」
撮影……確か講習では、ダンジョンの動画は"撮影"されていると言っていたはずだ。
そして写真というのは、この求人誌に載っているような色の付いた絵の事……つまり私の絵を記録する仕事という事になる。
……え、それでお金がもらえるの?
「その写真を何に使うんですか?」
「撮影する衣装の販売広告に使うようですね。番組の放送に合わせて発売するようなので」
つまり、メインは私ではなく服。……なるほど、モデルというのはその服を人が着た場合にどう見えるのかを試す役という事か。
「立ってるだけ?」
「いえ、さすがに立ってるだけではないでしょうが、あちらも専門のモデルでない事は分かって条件指定しているので、難しい事は要求されないかと」
興味あるなら是非どうぞ、とその仕事の内容が書かれた紙を渡してくる。
……難しい漢字が多くて半分以上読めないが、分かる範囲ではそういった事を書いてあるように見える。
これが見知らぬ人からの誘いだったら危険と判断するが、これは仮にもギルドが請け負った仕事だ。変な事にはならないだろう。
「分かりました。請けます」
「そうですか! 助かりました。先方も急いでるらしくて急かされてたんですよ。つい先ほども電話があって困ってたんです」
つまり、この金額は緊急性込みの値段なのかもしれない。
この仕事に命の危険はないだろうが、ようは害獣やゴブリンが大量発生した場合などと一緒だ。
仕事の際に気をつける事、簡単なルールなどの説明を受け、受付嬢さんに連絡を取ってもらうとすぐに来て欲しいとの事。場所は……。
「すいません、ちょっと行き方が……」
「ああ、外から来たばかりだと、観光区画は乗り換えが難しいですね。確かパンフレットが……」
と、その時の事だった。
ロビー脇の階段から疲れた顔で降りてくる見知った顔があった。確か……クローシェ・グロウェンティナ。以前、迷宮都市を案内してくれた子だ。
向こうもこちらの視線に気付いたのか、階段を降りるとそのままこちらに近付いて来た。
「こんちはー。お久しぶり」
「こ、こんにちは」
なんの躊躇もなく話しかけてきた。……この子は、行く先々で知り合いに会うと声をかけるのだろうか。
「お二人はお知り合いですか?」
「んー、一緒に迷宮区画デートに行くくらいの仲かなー」
デートという言葉の意味は分からないが、色々間違っているような気がする。
「それなら、良かったら彼女の道案内をお願いしてもよろしいですか? このあとの用事がなければですけど」
「え、単独潜入試験終わったところで暇だからいいですけど。どこへ行くつもりなの?」
「えっと……」
「観光区画のここです。すいませんがバイト代は出ないので、案内のボランティアという事になりますが」
「大丈夫大丈夫、うちらマブだから。いくらでも案内するよー」
……マブってなんだろう?
「えーと、なになに……観光区画の撮影所かー。行ったことないけど、観光区画までの案内はできるね。あたしも中に入っていいの?」
「同伴許可は出せますので、中まで一緒に行って頂けると正直ありがたいですね。リリカさんはさすがに不慣れなので」
「助かる」
「そりゃ観光区画なんて、外から来たルーキーは用ないだろうしね。撮影所なんてちょっと楽しそう」
という事で、私はクローシェの案内で現場に向かう事になった。
-4-
「話は聞いてるよ。もうE+ランクに上がって昇格試験申請したって」
「……え、何?」
雑談交じりにクローシェが話しかけてくるが、今はそれどころじゃない。
迷宮区画を出るまでは色々楽しく話もできたのだが、電車に乗ってからはずっとパニックだ。座席の隣から天井に向かって伸びる金属の棒にしがみついた手を離せない。
話は聞いていたが、まさかこんな鉄の塊が高速移動するなんて……。途中で見た自動車もおかしいが、これは更に巨大で私の理解の範疇を超えている。
こんな乗り物があるなら、そりゃ馬車も竜籠もいらないはずだ。遊覧観光用というのも頷ける。
「まさか、電車で緊張してる?」
「そ、そう……。なんでこんなのが動くの?」
魔力で動く施設やゴーレムなら遺跡で見た事がある。だが、これは桁外れに規格外だ。
この箱の中に一体何人が乗れるというのか、どれだけの荷物を運べるというのか。スピードだって、馬では決して追いつけないスピードだ。
もしも横転したらどうなるんだろうか。あそこに座っている乗客は何故こんな物の中で寝られるの?
「なんでと言われても……詳しい仕組みはさすがに分からないかな。でも、ツナ君とかは迷宮都市に来て数日で、平気な顔して乗ってたよ。あれは路面電車だったけど」
引き合いに出す対象として、ツナ君は色々と不適格だと思う。……街に来て数日って。
「リリカちゃんは、ザ・外から街に来た普通の人って反応するよね」
「私は魔術士である事以外は普通だと思うんだけど……あと、ちゃんはやめて欲しい」
魔術士だって、迷宮都市じゃ珍しくもない。中級ランクに上がれば、よほどの特化型でない限り何かしらの魔術を使えるというし。
「そそ、それで、誰から何を聞いたの?」
「無理しなくてもいいよ。汗すごいよ。リリカ……さん?」
「だ、大丈夫。話している方が気が紛れる事が分かった。……呼び捨てでいい」
何かに集中した方が気が紛れる。視界に入る外の景色は無視だ。
「それならいいけど……。中級昇格までもう少しだねって話。聞いたのはマイケルからだよ。一緒にパーティ組んでるんだよね?」
「は?」
何故、マイケル?
「アレクサンダーじゃなくて?」
「……それって同じパンダの子だよね。じゃなくてマイケル」
あのパンダ、喋れないんだけど。
「ペットショップで話した時、その場にいなかったんだっけ? あの子、昔ウチで飼ってたペットでさ、今も時々帰ってくるんだけど、その時にね」
疑問なのはそこではない。
「め、メールとか?」
「え? 普通にリビングで話したけど」
……彼女が何を言っているのか分からない。マイケルがクローシェの家のペットだったのは聞いているが……。
私だって、ディルク君からもらった着け耳を使えばある程度意思の疎通はできるけど、あくまである程度だけだ。会話できるわけじゃない。
パンダ語という言語があるならまだしも、マイケルはがうがう言っているだけだ。ミカエルがクマクマ言ってる以上、パンダ同士でも同じ言語とは考え辛い。
そもそも、そんな短い言葉だけで会話が成立するはずがない。クローシェは極当たり前に話せると言っているが、それがおかしいと思っていないのか。
「同期の最速組四人に追い付くのは半ば諦めてたけど、まさかマイケルに追いつかれるとは思わなかったよ。あたしたちもかなり早いはずなのに……」
そんな私の疑問を余所にクローシェは会話を続ける。……よし、聞かなかった事にしよう。
「あの子たち、他の冒険者と比べてもかなり強いから不思議ではないと思う」
マイケルの格闘もミカエルの良く分からない魔術も、一般的な人間の冒険者とはかけ離れたものだ。
アレクサンダーは< 荷役 >である以上戦闘力は劣るが、それ以外の部分に秀で、緊急時には前衛もこなせる。
謎だらけのミカエルはともかくとして、あの身体能力は種族的な面も大きいのだろう。人間は基本的な部分がどうしても劣る。
私やディルク君たちがいなくてあの三匹だけでも、それなりの早さで昇格していっただろう。
「いつの間にあんなに強くなったんだろうね。昔はこんなにちっちゃかったのに」
クローシェが示す大きさは掌サイズだが、いくらなんでもその大きさはないだろう。何倍になるというのだ。
「昔から強かったんじゃないの?」
「うーん、そりゃパンダだから力はあっただろうけど、普段は庭でゴロゴロしてただけだしなー。時々お姉ちゃんの枕にされてた」
お姉さんというと、ツナ君たちが新人戦で戦った人の事だろうか。……パンダと寝るあの人の姿はちょっと想像つかない。
「申請しただけで昇格試験はまだ発行されてないから、まだ差はある」
「……普通さ、パーティ組んでると中級に上がっても同じ面子で続けるんだけど、それはつまり全員分の試験が終わるまで足止めくらうって事でもあるんだよね。こっちは凡人集団、そっちは天才二人とパンダと飼い主なわけで、試験で手こずるような気がしない」
「飼い主言うな」
パンダの取りまとめをしているのはアレクサンダーであって私ではない。というか、そっちは元とはいえ本物の飼い主なのに。
「んでもって、中級に上がったらツナ君たちと合流するわけでしょ? ちょっと凡人には厳しい競争になるよね」
「そんな事……」
「あーいや、いいんだ。あっちが度を超えた規格外なだけで、あたしたちだって早いんだから。……問題はマイケルに抜かれるという切実な事実だけなんだけど。……どうしよう、へこんできた」
確かに、冷静に考えるとペットが後輩として同じ職業になる、しかも立場で抜かれるというのはキツイ。
たとえば私に当てはめた場合、師匠が飼っている犬に魔術士として抜かれるという事だ。弟子の面目丸潰れである。
昔エサやっていたペットに仕事で負けるのはちょっとプライドが許さない。これが新たな入門生というならまだ納得もできるが、それでも悔しい。ペットなら尚更だろう。
『あーちょっと魔術士のイヌ君指名で仕事があってさー。リリカ? 彼女はちょっとねー』
『ワン!』
く、冒険者ギルドで、私ではなく犬に仕事を割り振られるのを想像してしまった……。なんて屈辱的なの。燃やしてやりたい。
「うん、良く分かる」
「……え、ほんとに?」
まあ、師匠はペットなんて飼っていなかったから、私がその立場に陥る事はないけど……。ご愁傷様です。
-5-
二度ほど電車を乗り換えて、観光区画とやらにやって来た。
最後の方はかなり慣れたが、それでも帰りは再びアレに乗ると思うと憂鬱だ。クローシェは電車が嫌ならと自動車で帰る事を提案してきたが、どちらも未知の物である事には変わりない。
途中で聞いた話だと、電車や自動車は軽く馬の数倍のスピードが出ているという。私の人生の中で、そんな高速で移動したのは初めてだ。
「ふ……ふふふ。普通の自動車なんて全然。お仕置きと称して椅子に括りつけられて、三百キロオーバーの世界を体験すれば止まって見えるようになるよ。……あの時は、もう絶対にお姉ちゃんを怒らせないって誓ったね。たとえ不死身の冒険者だろうが、怖いものは怖い」
クローシェは何やら強烈な体験をした事があるようだ。目が遠い。
駅を出ると、そこはもう別世界だ。石でできた実用性重視の四角い建物は少なく、自然が多く残る街並み。生活するためではなく、楽しむための空間が広がる。遠くに目をやれば、ダンジョン転送施設のような奇抜な建物も多く見られた。
「おー、一年ぶりくらいで来たけど、随分変わってるねー」
「そんなに変わるものなの?」
街並みなんて、そうそう大きく変わるものじゃない。場所によっては数十年単位で時を止めているような街もある。
迷宮都市の移り変わりは早そうだけど、たかだか一年で変わるものだろうか。
「全然違う。前に来た時はあそこら辺の変な建物はなかったし、あの城もなかったよ。ほら、あの空に浮かんでるやつ」
クローシェが指差す方向は空だ。巨大な岩が浮かび、その上には城が見えた。
「あ、あれが浮かんでるの?」
「らしいね、最近の人気の観光スポットで、今はカップルだらけだから行きたくはないけど」
「実用性があるわけじゃないの……」
迷宮区画でいうところの竜籠と同じ。アレを拠点にすれば、戦争なんて形にもならない……ここの戦力考えたら今更か。あの程度は、ただの娯楽という事ね……。
以前迷宮都市の壁の上から見た時は影も形もなかったのに。……視界自体が阻害されていたという事なんだろうか。
私がギルド会館を一番大きな建物と言って、ドッペルさんが言葉を濁すわけだ。あの時、ドッペルさんは私には見えない巨大な建物がたくさん見えていたのだろう。
周りには人も多いが、みんな私服で浮かれているような雰囲気が窺える。きっとこの人たちはここに遊びに来たのだ。
「んじゃま、歩きながら軽くこの街の観光案内でもしようか」
目的地の撮影所とやらに向かう道すがら、クローシェはこの観光区画についての説明をしてくれた。
ここは、迷宮都市の住人が楽しむための施設を研究、発表している特殊な区画で、住人はほとんどいないらしい。
景観、遊具など、それこそあの空中城のような大規模な施設まで作っているとの事だ。すべてが娯楽のために作られた実験区画。壮大過ぎて目眩がしそうである。
これから私たちが向かう撮影所はテレビや雑誌の撮影のために作られた施設で、他の区画では困難な、何か高度な事をする場合はここの一部を借りるらしい。
私にはすべてが高度に見えるのだけど、その中でも優劣はあるのだろう。
「リリカ・エーデンフェルデ様ですね、少々お待ち下さい」
周りに比べて少し殺風景な場所にある撮影所。その受付で手続きを済ませ、クローシェと中に入る。
案内されたのは謎の道具が大量に設置された空間だ。その中には、薄暗い空間の中で強い光を当てられながら立つ女性が一人。
「あれがモデルさんだね。場所がここかどうかは分からないけど、大体あんな感じじゃないかな」
「え゛っ……」
あんな目立つところで、大量の視線を浴びながら撮影とやらをするの?
ここまで来てなんだけど、私には荷が重いんじゃないだろうか。
「大丈夫大丈夫、あたしも子供の頃やったよ。本職のモデルさんじゃないんだから、ニコニコして立ってれば大丈夫。ほらスマイルスマイル」
「す、スマイル……」
クローシェは指を顔に当てて笑顔を作っていたが、私は確実に引き攣っていたはずだ。
そのまま衣装を着替える部屋に案内されるが、緊張で自分がどうやって歩いてるのかも分からなくなっていた。
一人だったら確実にパニックになっている。クローシェの存在はすごくありがたかった。
「こ、これ?」
「はい、これが今日着て頂く衣装です。少し構造が複雑なので、衣装担当の手が空き次第着替えを手伝わせますね」
「すごいねー、超フリフリ。ドピンクだよ」
案内役の女性に手渡された衣装は、およそ機能性があるとは思えない、無駄に装飾されたヒラヒラの服だった。
いくら奇抜な装備が多い迷宮都市の冒険者でも、こんな服を着ている人はいない。この格好で街を歩けば確実に全員が注目するだろう。
「あ、あの……この服は一体……」
「これが年明けからの新番組『魔法少女☆ミラクルるる』の主人公ルルカの戦闘コスチュームです。放送開始に合わせてこの衣装も販売するんですよ。今回はその宣伝ですね」
戦闘……一体、これを着て何と戦うというのだろうか。理解し難い世界だ。
「あれ、受付嬢さんがくれた紙に書いてあったけど、知らなかったの?」
それは読めていない部分だ。読めたとしても、字だけでこれを連想するのは不可能だと思う。
「ほら、あのポスターがその新番組だね。あたしが子供の頃からやってるアニメシリーズで、一年ごとに主人公が入れ替わるんだよ」
「…………」
壁に張られたポスターには、手渡された物とまったく同じ服を着た小さい女の子が変なポーズで映っている絵が……。
……これを着ると、あんな風に見えてしまうと。……あれ、私なんでここにいるんだっけ。
「しかし、まさか本物が来てくれるとは思いませんでした」
「おい、ちょっと待て」
思わず口調が荒くなってしまったが、今この案内役の女はなんと言った?
「……どういう事なの?」
「え、聞いてませんか? ウチのプロデューサーが街でリリカさんを見て数ヶ月前に急遽内容が変わったんですよ。ビビビッとインスピレーションが、とか言ってました」
忙しくて修羅場でした、とか言っているが、さっぱり理解できない。
「……えーと、あのルルカちゃんって、リリカがモデルって事?」
「はい、もうデザイナーもノリノリで、最近マンネリ化してたこのシリーズに革命を起こすと。セクハラ親父で人格面は尊敬できませんが、腕は確かですし期待できます」
ポスターの女の子はとてもいい笑顔でこちらを見つめている。それを見ていると気が遠くなっていくようだ。
……あれが、私だというの?
「うーん、言われてみれば似てるかも……というか、こういうのって肖像権とか抵触しないんですか?」
「あくまでモチーフにしただけですし、動いてるのを見るとそれほど似てませんよ」
私はこんな服を着た事もないし、似てないのは当たり前だ。第一、私はあんなに小さくない。小さくないったら小さくない。
一体全体、何がどうして私がこんな事に……。いや、あれは偽物。私はリリカであってルルカではない。……いやいや、本物を主張したいわけではなく、むしろ無関係だと主張したいのだ。
大体、ルルカの近くにいる小さいパンダはなんだ。私のイメージはパンダだというのか。
「どうです? せっかくこうして撮影にまで来られたのですから、正式なキャンペーンモデルとして参加するというのは。ギルドの方は依頼をかけて……」
「お断りします」
勘弁願いたい。もしそんな事になったら恥ずかしくて死んでしまう。
というか、この先に待っている撮影会を思うだけでもう死にそう。
「すいませんマネージャー、ちょっと……」
「あ、はい。すいません、席外します」
部屋の外からスタッフが声をかけて来たので、いよいよ着替える事になってしまうのかと思ったがどうも違うらしい。前の撮影が長引いていて、私はもう少し待機する必要があるそうだ。
その間の時間潰しとして、衣装室に設置されたちいさなテレビでPVとやらを見せてもらうことになった。『魔法少女☆ミラクルるる』の紹介映像らしい。
『ふわははは! この毛根死滅剤を空中から散布し、街を混乱に落とし入れてやるわっ』
『そこまでよ! そんなひどい事はこの魔法少女ミラクルるるが許しませんっ!!』
『くっ、見つかったか。かくなる上は緊急散布を……』
『させないわっ!! みらくるパンダストラーイクッ!!』『ぱ、ぱんだっ!?』
『ぐっ、まさか、仲間を投げるとは……』
『くらいなさいっ!! みらくる火炎放射器!! 汚物は消毒よっ☆』
『ぐああああっっ!!』『ぱんだーっ!!』
「…………」
……なんだこれ。
「ふーん、次回作のマスコットって羽生えたパンダなんだね」
いや、気にするところはそこではないと思う。
何故そのマスコットを投げるのかとか、その武器は果たして魔術なのかとか、パンダごと敵を燃やすなとか、問題しかない。
こんな短い動画なのに、むしろ理解できる部分のほうが少ない。そして、敵を燃やしながら猟奇的な笑顔を浮かべる魔法少女は悪役にしか見えない。
……誰がこれのモデルだって?
「どうしよう……もう帰りたい」
「えー、せっかくなんだから頑張ろうよ。なかなか体験できる機会じゃないよ」
むしろ体験したくない部類の機会なんだけど。
「あ、そうだ。こんな事もあろうかと、あたしちょうど催眠道具セット持ってるんだ。これで上手く魔法少女に成り切れば、恥ずかしさも紛れるかも」
「さ、催眠?」
クローシェが何故そんな物を持っているのかは知らないけど、そんな脈絡のない展開も、この藁にも縋りたい状態では光明に見えた。
こういう時、師匠だったらお酒でも飲んで誤魔化したのだろうが、ここにそんな物はないし、そもそも私は飲んだ事がない。たとえ効き目の怪しい催眠とはいえ、わずかでもこの恥ずかしさが紛れるなら……。
「よーし、この水晶玉を見て。あなたは魔法少女になーる。魔法少女になーる」
「……私は……魔法……少女」
初めは半信半疑だったが、どうやら効果があったらしい。
クローシェの取り出した水晶玉を見つめていると、次第に意識が朦朧としてきた。
朦朧とした意識の中で蘇る映像は、火炎放射器を構えて高笑いをあげる魔法少女ミラクル……リリカ……いや、ミラクルるるだ。
……そう、私は華麗に変身して悪を燃やし尽くす正義の魔法少女なのだ。
それからの事は良く覚えていない。いや、記憶がひどく俯瞰的……まるで自分ではない事のように感じるだけで記憶自体は残っている。
……いっそ残らない方が良かった。
されるがままに魔法少女の衣装に着替えた私は、最初は何をしているのかを分からないままスタジオに立ったのだが、カメラマンとプロデューサーの指示に従ってポーズをとっている内に、自分がリリカなのか、それともルルカなのかの境界線が分からなくなっていった。
体を包むのは全能感。今だったらなんでもできると、そう感じていた。
最後の方はノリノリで、自発的にPVでルルカがやっていたようなポーズをとるようになり、基準は分からないが撮影自体は成功を収めたらしい。
……ただ、悪乗りしたプロデューサーが私にいやらしいポーズをとるよう要求してきたのが、悲劇の始まりで終わりだった。
『えっちな悪党は消毒よっ!!』
私は模造品の火炎放射器をプロデューサーさんに向け、とても自然な感じで魔術を発動させたらしい。
プロデューサーが……燃えた。
結果、ボヤ騒ぎになったが私たちはそのまま解放され、その頃ようやく洗脳……催眠状態から復帰した私は、自分のしでかした事に放心状態になっていた。
久しぶりに人を燃やしてしまった……。帰る際、ずっとクローシェが謝っていたが、それも耳に入らない。
帰る途中、クローシェのカードにギルドから連絡があり、ボヤ騒ぎの問題は不問とされた事を告げられた。
火だるまになったプロデューサーは前々から問題を起こしていた人物で、有耶無耶のまま過失を彼に押し付けたらしい。
ひどい話だが、私としては助かる。……いやもうほんとごめんなさい。
その後、ギルド会館で簡単な事情聴取を受け、寮の部屋に帰宅。ベッドに倒れ込む。
……今日のあまりの体験を思い出して悶絶した。
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