幕間「迷宮ギルド料理研究会」
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迷宮都市には様々な存在が生活を営んでいる。
最も多いのは人間だが、巨人や獣人、リザードマンなどの亜人種、エルフやドワーフなどの妖精種、それに加えてモンスターとして認知される者までが普通に生活している。
それが最も顕著に見られるのは冒険者たちが所属する迷宮ギルドだろう。冒険者にもその傾向はあるのだが、特に迷宮ギルドの職員には人間以外の種族が多い。 一例だけ見てみても……。
窓口でニコニコしている受付はドッペルゲンガー。
新人冒険者に風俗情報を広める吸血鬼。
補佐役のはずなのに、冒険者の失敗を嘲笑うデュラハン。
……と、ここまで多種多様な種族が集まる組織は広い迷宮都市といえども他に存在しない。
当然問題も多く、種族間の認識、価値観の違いによる摩擦はどうしたって発生する。特に食事に関する違いは大きいだろう。中には岩を食べる者、血を飲む者、人間を食べる者、同種を食べる者さえ存在する。
その種族間の食事に関する摩擦を軽減し、問題をなくす事を目的に組織されたのが『迷宮ギルド料理研究会』である。
歴史は古く、すでに二十年近い歳月を経て尚その体制を残している組織だ。
会長はギルド創設時から所属するゴブリン、ヒビキ・ゴブタロウ。鋭敏な舌を持ち、種族に合わせた食事とその調理法を模索する一流の料理人である。およそ食用に適さないモンスターでさえ、美味しい料理に変換してしまう彼の功績は大きい。未知のモンスター食を求め活動するクラン、< 美食同盟 >の名誉顧問である事からも、その存在の大きさは分かるだろう。
事実、迷宮都市の食のルーツを辿れば、そのほとんどが彼に行き着くとまで言われているのだ。
だが、そんな彼が二十年以上に渡り克服できない問題がある。……それはゴブリンの料理法だ。
どんな調理を施しても不味くなる。むしろ、手をかけるほどに不味くなると言われるゴブリンを美味しく食べる料理法の確立。それこそが、彼が掲げる目標なのである。
「というわけで、今回はゴブリン肉を世間に広く認知してもらうための手段について話し合いたいと思う」
「すいません会長。意味が分かりません」
ゴブタロウに集められた迷宮ギルド料理研究会所属の職員二名。彼を含め、三名が今回の特別プロジェクトのメンバーである。
議長は狂気の美食家ヒビキ・ゴブタロウ。構成メンバーは同じゴブリンであるスズキ・ゴブジロウとタナカ・ゴブザブロウだ。
「まず、ゴブジロウの疑問から払拭していこうか。何が分からないのかね?」
「すべてです。不味いゴブリン肉を広めようとする利点も分かりませんし、メンバーについても意味が分かりません。何故、ゴブリンだけで構成するのですか」
ゴブリンが三匹集まって、ゴブリン肉を食べてもらう方法を模索する。それは自分を食べて下さいと言っているようなものだ。あまりにも狂気。生命として矛盾した行為だ。迷宮都市の家畜ならそういった思考も理解できなくもないが、ゴブリンたちは家畜ではない。冒険者と戦うために創りだされたモンスターだ。
「私は常々、ゴブリン肉が不味いと言われる事に我慢がならなかった」
「そりゃ、不味いっスから」
「回答の途中で口を挟まないでもらえるかな、ゴブザブロウ」
「す、すいません」
見た目はスーツの色以外違いが見当たらないゴブリン三匹だが、そこには明確な立ち位置の差があった。
名前の通り、サブロウ、ジロウ、タロウの順に立場が弱い。ゴブザブロウは下っ端。弄られ役である。
「そもそも私は我々の中で君だけが既婚者という事にも不満を持っているのだ」
「ご、ゴブリーンの事は関係ないっス」
議題とはまったく関係ないが、ゴブザブロウは既婚者である。ゴブリーンという妻にゴブサーティワンというふざけた名前の子供もいる。迷宮都市のモンスターの中では、群を抜いて早く結婚した吸血鬼ヴェルナーに次ぐスピード結婚だ。
ちなみに、人間にはゴブザブロウとゴブリーンの区別はつかない。
「ゴブリーンは私が懸想していたのに、あとから横恋慕された事は未だ納得していないんだ」
「横恋慕って……会長の片思いじゃないっスか。何年引き摺ればいいんスか」
「うるさいわい」
「会長、話の趣旨が完全に変わっています」
ゴブタロウは根に持つタイプなのである。ついでに奥手だ。
「……話を戻そう。ゴブリン肉は不味い。どうしようもなく不味い。だが、だからこそ美味しく食べてやりたいという料理人としての意地があるのだ」
「そこまでなら分からないでもないですが、なんでよりにもよってゴブリンである我々が……」
「参加者は募ったのだが、ゴブリン肉と言うだけでみんな逃げるのだ。鼻で笑ったヴェルナーに生ゴブリン肉を無理矢理食わせたのだが、その惨状を目の当たりにした職員からは、直接文句は言われないまでも避けられている始末だ」
「当たり前ですよ……」
ゴブリン肉は不味い。ただひたすら不味い。
生よりは焼いた方がいいが、その不味さを誤魔化そうと何かしら味付けをすると更に不味くなるのだ。塩を振っただけでも劇物が毒物に変わる。そんなゴブリン肉を調理、ましてや試食の危険さえある集まりに参加したくはないだろう。
「だから、私に逆らえない君たち二人を呼んだわけだ。試食役としてな」
「…………」
「…………」
絶句。ただひたすらに絶句。
あまりの暴君。絶対に逆らえないヒエラルキーを盾にした悪魔の所業である。
「とはいえ、我々はゴブリンだからな。試食役といっても、同種を美味しく食べるのは困難だろう」
「そ、そうっスよ。あんなマズ……いや、同じ種族を食うのはさすがに気が乗らないっス」
「私、最近医者に肉類を止められていて」
必死である。
「だから、無理にとは言わない」
「え、マジっスか? オイラたちには横暴な事ばっかり言うセンパイが妥協っスか」
「そこで、このプロジェクトだ。最初の議題は、どうやったらゴブリン肉を食べてもらえるかを検討したいと思う。ここにある百食分のゴブリン肉、これを処理するんだ。手段は問わない」
ゴブタロウの後ろには布にかけられた山があった。
部屋の中に充満していた嗅ぎ慣れた匂いの正体はこれだ。ダンジョンなどで魔術攻撃を受けて燃やされたゴブリンから発せられる匂いと同じもの。その匂いはチキンの物に似ているが、嗅ぎ慣れた本人たちには良く分かる。
「……えーと、売れって事ですかね?」
それは困難極まるだろう。誰が金を出してこんな劇物を口にしたいというのか。
コネにも限界はあるのだ。最近酷使し過ぎて友人が減っている感すらある。営業職ですらないのに。
「売る必要はない。ただ食べてもらえばいいだけだ。できれば継続的に食べてもらえる方法を提案して欲しい」
「で、できなかった場合は?」
「お前たちで処分してもらう」
「…………」
この時、ゴブジロウとゴブザブロウの脳はかつてない超高速で処理を始めた。
如何に自分たちに被害が及ばないようにするか。もしくは被害を最小限に留めるか。つまり保身である。
目的からして、売上を見込む必要はないだろう。だが、処分といっても廃棄は愚策。この悪魔がそんな事を許してくれるはずもない。最悪、目の前で完食するまで監視されるというケースすらある。実際、過去には似たようなケースがあったのだ。
なんとかしなければいけない。生命の危機よりも恐ろしい、魂を根本から破壊しかねない拷問を回避しなくてはいけない。完全回避は困難でも、少しでもダメージを減らさなくては……。
そして、彼らは一つの答えを導き出した。
「……会長、私めにいい提案が」
「ほう、さすがだなゴブジロウ。言ってみたまえ」
ゴブジロウは自己保身に関しては自負がある。
これまで散々ゴブタロウの無理難題に耐えて……応えて来たのだ。今回もなんとかしてみせよう。
「ゴブリン肉の不味さはすでに周知されています。今更一般人、特にゴブリン肉に触れる機会のある冒険者に振る舞うのは困難極まるでしょう」
「そ、そうっスよ。それはオイラも無理だと思うっス」
それはただの前提だ。ゴブタロウも認識しているただの事実である。
「……で?」
「ターゲットを変えるんです。ゴブリン肉の不味さを知らない相手を対象にすればいい」
「ほう……意外な着眼点だな。確かに知らない相手なら食べてもらえるかもしれない。しかし、迷宮都市にそんな者がいるかね?」
先ほどゴブジロウが言ったように、それは広く周知されている事実だ。迷宮都市では子供でさえそれを知っている。
「迷宮都市の住人でなければいいのです。……外から来た来訪者、つまり新人冒険者をターゲットにすればいい」
「そ、そうっ、トライアルに組み込むのはどうっスか?」
「そうだな、ゴブザブロウ。私もそれは良い案だと思う」
知らない相手に劇物を強要する。正に悪魔の所業。
だが、二匹は保身のためなら身内すら売り渡す覚悟だ。いつものように息子のゴブサーティワンくらいなら実験台にしてもいい。
「なるほど……やるじゃないか、お前たち。見直したぞ」
「ははは……」
こうして三匹の悪魔の企みにより、トライアル受験の冒険者へ、同伴者がゴブリン肉を振る舞うというフローが追加された。
表向き、迷宮都市の常識を伝えるためというお題目ではあるが、もちろん詭弁である。
ゴブジロウとゴブザブロウは後に、発案者として冒険者から袋叩きに遭う事になるがそれはまた別の話だ。
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迷宮都市には様々な存在が生活を営んでいる。
迷宮ギルド、特に職員には人間以外の種族が多く、種族間の認識、価値観の違いによる摩擦など、非常に多くの問題に直面している。特に食事に関する違いは大きい。中には料理研究会の会長であるヒビキ・ゴブタロウのように同種を食べる者さえ存在するのだ。
そんな彼が長きに渡り挑戦し続けるテーマ、ゴブリンの料理法について、今日も特別プロジェクトのメンバーが召集された。
「というわけで、前回に引き続きゴブリン肉を世間に広く認知してもらう手段について話し合いたいと思う」
「すいません会長。もう帰ってもよろしいでしょうか」
「却下だ」
集められたのは今回も料理研究会所属の職員二名。同じゴブリンのスズキ・ゴブジロウとタナカ・ゴブザブロウだ。
元々顔色の悪い種族であるにも関わらず、その顔は血の気が引いているのが分かる。つまりいつもの事である。ついでに言うと生傷も多い。
「では、始める前に一件……前回、トライアルで新人にゴブリン肉を振る舞うというフローを追加した結果、ひどい事実が発覚しました」
「一体なんだね、ゴブジロウ」
「このフローを確立したのが我々二人であるという事になっていました」
「オイラたち、いろんな人からボコボコにされたんですけど……」
提案したのはゴブジロウとゴブザブロウだが、案を出せと言ったのもそれを了承したのもゴブタロウだ。
百歩譲って三匹まとめて殴られるなら話は分かるが、何故ゴブタロウは無事なのか。
「そりゃ、私に被害が来ないように根回しはしてあるからな」
「ちょっ!? オイラたちを売ったんスか?」
「失礼な。カモフラージュだよ。情報の迷彩を行う事で誤解するように仕向けたのだ。嘘は言っていない」
嘘はいけない。事実の捏造も良くない。それは清廉潔白なギルド職員ゴブタロウのイメージダウンに繋がる。
ダンジョンマスターから預かったギルドの最古参職員としても、それは許せるものではない。
必要な事を言わない。相手が誤解するように思考誘導するのはゴブタロウの得意技だ。これまで幾度となくこのスキルで危機を脱して来た。
「やめろ、ゴブザブロウ。会長はきっと我々が真実を公表しても、それが捏造であると判断されるくらいの根回しはしているはずだ」
「良く分かってるじゃないか。さすがはゴブジロウだ」
「横暴極まりないっス……」
ギルド内でのゴブタロウのイメージは正直悪くない。真面目過ぎ、ゴブリン肉愛好家、というマイナスイメージはあるが、少なくとも他人を陥れるようなゴブリンには見られていない。一部、冒険者の中には彼を嫌っている者もいるが、それは決して多いものではない。冒険者の敵は主にテラワロスだ。素晴らしい避雷針である。
逆に、これまで悪行を積み重ねて来た……積み重ねさせられて来た二匹の言う事は誰も信用してくれない。
これは長きに渡る時間で構築された盤石の体制だ。ゴブタロウがそんな事をするとは誰も思わない。むしろ、二匹をたしなめてくれとお願いされてしまう状況だ。
そして、そのゴブリン三匹の間には明確なヒエラルキーが存在している。絶対に逆らえないよう、魂レベルで刻み込まれた服従の精神が反逆を許してくれない。しかもゴブタロウは腕っ節も群を抜いてる。本当にゴブリンなのかと疑わしくなるような凶悪な戦闘力を持つのだ。逆らう方法すらない。
「では本題に入ろう。今回は私が秘策を持って来た」
「嫌な予感しかしないんですが……」
前回大量のゴブリン肉が積み上げられていたトレイの上には、今回も白い布がかけられた何かが載っている。
それほど大きくはない。もしもこれがゴブリン肉で、前回と同じように処分しろと言われてもなんとかなりそうだ。
しかし、そんな楽をさせてくれるはずはない。ゴブザブロウはひょっとしたらと楽観を見せ始めているが、ゴブジロウは確信していた。眼の前の物体は圧縮された悪意そのものであると。
「今回用意したのはこれだ」
「……弁当?」
見せられたのは量産品の弁当。包装には手書きで『ゴブリン弁当』と書いてある。
「君たちには、これを迷宮都市の各コンビニチェーンへ売り込みに行ってもらいたい」
「な、中身は何っスか? メインのおかずがゴブリン肉って事なら、営業かけて来るのはちょっと……」
ただでさえ敬遠されるゴブリン肉だが、食べたあとしばらくは他の何を食べてもゴブリン肉の味になる脅威の特性はあまり知られていない。
それが肉であればまだ良い、これが野菜、魚、御飯などの場合、違った食感でゴブリン肉が再現されるという悍ましき現象が発生する。弁当にするなど、まさしく悪魔の所業だ。数々の食感を以って襲いかかってくるゴブリン肉の猛攻に耐えられる者などいるわけがない。
その特性はそう長い時間続くモノではないが、その事実を知る者は更に少ない。一度箸を止めたあとに再びゴブリン肉を含めた何かを口にする事は極めて難しいからだ。
「実はこの弁当、セールスポイントが用意してある」
「ゴブリン肉ではあるんスね」
一番否定して欲しい部分はスルーだ。ゴブタロウ嘘付かない。
「モンスターの肉は基本的に上位種の方が美味いという特性は知っているな」
「ええ、例外はたくさんありますが……まさかこれ、ゴブリンキングの肉じゃないですよね」
確かに、モンスターはノーマルよりリーダー、リーダーよりコマンダー、コマンダーよりジェネラル、ジェネラルよりロードと、上位種になるほど味が良くなるという結果が報告されている。指揮官種でない特化型にもその傾向はあるが、一般的には指揮官種のほうが美味いらしい。
だが、それはまがりなりにも食べられるレベルのモンスターの場合だ。ゴブリンではそれはセールスポイントにはなり得ない。何故なら、ゴブリンは上位種だろうが関係なく不味いからだ。基本のレベルが低過ぎて、多少良くなろうが焼け石に水なのだ。本当に味が良くなっているか判断すら困難なレベルである。
「違う。キングの連中に聞いてみたのだが、牧場行きは嫌だという事だった」
「打診したんですか……」
「家畜じゃないんスから……」
家畜として生み出されたのならともかく、進んで食べられたいとは思わないはずだ。
キングまで格が上がったゴブリンなら、食うに困る事もないだろう。
「だが私は、奴らよりも遙かにレベルが高いゴブリンがいる事に気付いたのだ。気付いてしまった……」
「ま、まさか、エンペラーっスか?」
無限回廊の深層で出現するゴブリンエンペラー。味は変わらないのに、そんな大物をコンビニ弁当に使うつもりなのか。
「いや違う、私だ」
「は? ……す、すいません……ちょっと意味が」
「この弁当に入っているゴブリン肉は私だ」
「…………」
狂気。
あまりに狂気。
どこの世界に、自分を弁当にして売り込む奴がいるというのか。
ゴブタロウは『どうだ、妙案だろう』という誇らしげな表情を見せている。自分のしている事の狂気性に微塵も気付いていない。
まずい。非常にまずい事態だ。ゴブタロウはこれがセールスポイントになると本気で信じている。この状況のゴブタロウは人の話を聞かない。つまり、この提案を跳ね除ける事は不可能と言っていい。そもそも、二匹にはそんな権限はない。
ゴブジロウたちに残された道はただ一つ、誘導し、微妙に方向を変える事だけだ。
「か、会長、私めに妙案が……」
「ほう、なんだゴブジロウ。言ってみたまえ」
とりあえずそうは言ってみたが、この段階でゴブジロウの頭に案などない。今だ。今考えるのだ。
ゴブジロウの脳細胞が前回以上に高速処理を始めた。冷却機構のないオーバークロック。帰還など考えない決死の特攻である。元々処理能力は高くないので、この会議が終わったらシステムダウンしてしまうかもしれない。
だが、ゴブザブロウはこの手の対応には不慣れだ。ここで状況を好転させるのはゴブジロウの仕事である。
この暴挙をそのまま通すわけにはいかない。また、迷宮都市内、ギルド内での立場が悲惨な物になる。
というか、そもそも何も付加価値なしにこの弁当を売るのは不可能だ。
まずは優先度の高い問題から処理していく。
この弁当を売り込みする場合、ゴブジロウたちは同種を弁当に詰めて売る輩というレッテルを張られる。まるっきり誤解でもないところが厄介だ。まずそれは避けたい。
前回のようなただ焼いただけの物やドロップ品は仕方ないとは思ってはいるが、さすがに加工して食べて下さいと言うほどは狂っていない。そもそもコンビニ側が取り合ってくれるとは思えない。
そして、売り込みに失敗すれば折檻が待っている。ゴブタロウは表向き優しいゴブリンで通しているが、身内二匹には厳しいのだ。どんな苛烈な折檻でもいつも張り付いた笑顔で実行してくる。
何か、何かないのか。この際、ゴブザブロウを切り捨てて自分だけでも助かる道は……。
この間、わずか0.2秒。
「……この弁当には些か問題のある部分があります」
「ほう、どこかね」
本当は問題しかない。
「名前が良くない。せっかく会長が身を呈しているのに、それが伝わらない」
ゴブザブロウは『何言っているんだこいつ』という目を向けている。着地点が見えていないのだ。
いいから話を合わせろと視線で合図を送る。幸いゴブザブロウは素直だ。言いたい事は伝わったはず。
「そ、そうっスよ。ゴブリン弁当って名前は地味っスよ」
無難なフォローだ。
そう、地味とかそういうのはどうでもいいが、実際ゴブリン弁当なんて名前では誰も買わない。ならばゴブリンという言葉を外すのか。それは詐欺ではないのか? 見切り発車もいいところだが、ここからなんとか軌道修正しなければならない。
「言われてみればそうだな。キャッチーではない」
キャッチーとか、そんな次元の話ではすでにないのだが、ゴブタロウは取り敢えず食いついてくれた。
「そこで、会長自身を押し出します。……名付けて『ゴブタロウ弁当』」
「なるほど、確かに私の肉なわけだからな」
ゴブジロウの狙いは、料理人ゴブタロウのネームバリューだ。そのゴブタロウが監修した弁当という意味合いで売れば、多少は誤魔化せるはず。ゴブタロウお得意の『嘘は言っていないが必要な事も言わない』戦法を駆使すれば、わずかでも入荷させる事ができるだろう。
「どうせなら、会長の写真も載せましょう」
「なかなかいい案だ。私のどの部位を使っているかの断面画像でいいかな」
何故、そんなグロ画像を弁当に載せなければならないのか。
「い、いえ、会長の写真はたくさんありますから、こちらで用意します。包装のデザインについてはお任せを」
「そうだな。任せよう」
よし、言質は取った。『監修』などの言葉を小さく挟めば見かけだけはなんとかなる。……中身は諦めた。パッケージで誤魔化すんだ。まだ売り込みをかけるという最大のハードルが残っているが、これ以上の事態悪化は避けられる。
「いやー、良かった。実は調子に乗って一万食ほど作ってしまったんだ。特殊な防腐処理はかけてあるから、一年以内には売り切ってくれ」
「…………え?」
営業をかける前からすでに在庫を抱えているというのか。そして、それをすべて売りさばけと……。
二匹の目の前が真っ暗になった。
こうして三匹の悪魔の企みとゴリ押しにより、コンビニでゴブタロウ弁当が発売される事になった。
騙された系列店は少なかったので、二匹は休日返上で売り歩く事になるのだが、それはまた別の話。
-3-
「どうだね、ゴブタロウ弁当の売上は?」
「ようやく一割が捌けたところです」
ゴブタロウ弁当の販売を開始して早二ヶ月。ゴブジロウとゴブザブロウの二匹はあらゆる手を使ってこれを売り捌いた。
権力でゴリ押しできそうな得意先はもちろん、友人、親戚関係、果ては自分たちで屋台を押して迷宮都市中を売り歩いている。
それでも一割。一割なのだ。これだけの労力をかけて二ヶ月で一割。残り九割をどうやって捌けばいいというのか。
もう頼れる知人はいない。というか、かなり前から避けられてる節がある。
「い、いっそ、廃棄するというのはどうッスかね?」
「何を言っているんだ。賞味期限はまだまだあるぞ。頑張りたまえ」
ゴブタロウは絶対分かっていてやっている。すべて理解し、これが売り物にならないと判断した上で、二匹に無理難題を押し付けているのだ。
「ちなみに、もし勝手に廃棄などしようものなら倍追加するからな。頑張っちゃうぞ」
「…………」
もはや、ゴブタロウ弁当を売りたいのか、二匹を虐めたいのか判別が付かない。ゴブタロウには、自分の体を切り売りする事への忌避感はないのだろうか。
「そういえば中級ランクになんでも食う巫女さんがいただろう? あの子に格安で売るというのはどうかな」
「失礼ですが会長。彼女はああ見えて美食家です。たとえGPをエサにしようが、不味い物は食べません」
「私を不味いとか言うな」
せめてそれくらいは事実として受け止めて欲しい。
ゴブジロウは依然として山のように積まれたゴブタロウ弁当の在庫を思う。
いくら腐らないとはいえ、倉庫代も馬鹿にならないのだ。自分の部屋も身動きが取れなくなって久しい。いっそ腐ってくれた方が遥かにマシだ。何故ゴブタロウはこんなにも無駄に付与魔術が得意なのか。前衛職のはずなのに。
ちなみにゴブタロウから提案された巫女さんだが、普通の弁当なら彼女はこの量でも食べ切るだろう。制限しなければ数日で処理してもらう事も可能だ。しかし、如何せん不味い物は彼女のターゲットにならない。件の巫女さんはどういうわけか、見も嗅ぎもせずに近くにあるだけで旨さの判別をするらしいのだ。恐るべき感覚である。
「会長のツテを使って、< 美食同盟 >にお願いするのは駄目なんでしょうか」
「私とて売り捌くための努力はしている。もちろんその線も当たってみたのだが、クランマスターは未だに連絡が付かないのだ。どうやら、遠征に継ぐ遠征で留守らしいな」
確実に逃げられている。
ここ最近、そこまで緊急の遠征依頼は頻発していない。つまり任意の仕事というわけだが、仮にも大規模クランのマスターが連続して遠征に行くのは不自然だ。大抵はクラン員に割り振るだろう。
「オイラ、もうゴブタロウ弁当食べ過ぎて、体が会長になっちまいそうっス」
どうしても数が減らず、二匹は自腹購入して消費している。捨てるのは許されないから、すべて食べるのだ。
最近は、ゴブリン肉を最後に食べれば味同化の罠を避けられるという事が分かったので、ゴブリン肉は締めに回している。後味は最悪だが、締めじゃなくても結果が同じなら他の物は普通に食べたいのだ。
「食費が浮いていいじゃないか」
「ウチ、そんなに経済的に困窮してるわけじゃないっス」
普及のための手段だから元々の値段からして安い。しかも卸値そのままの出費なので、食費としては確かに安くなる。
だが、如何せんゴブタロウ弁当なのだ。同じ物を食べれば飽きるとかそういう次元ではない。慣れもしないというのがこの弁当の恐ろしいところなのだ。
「ゴブサーティワンには無理矢理食わせてるんスけど、ゴブリーンは早々に実家帰ったっス。会長はウチの家庭を崩壊させたいんスか」
「ほう……なるほど」
「言っておきますが、今会長がモーションかけても逆効果だと思いますよ」
当たり前だが、原因がゴブタロウ弁当なのだ。いくら半別居状態とはいえ、その原因の素材には靡かないだろう。
「まあ、弁当の方は引き続き頑張って売り切ってくれ」
「……ひょっとして、また何か?」
このプロジェクトチームが招集されるには理由があるはずだ。弁当売上の報告だけで済めば良かったのだが、やはりそんな甘い話ではなかったらしい。
「その弁当にも関わる事なのだが、商品を売るために必要な物はなんだと思う?」
「……客が買いたいと思う事じゃないっスか?」
「需要というやつだな。それは正しいだろう。では、その需要を増やすためにはどうすればいいか」
「……宣伝ですね。客がそれを欲しいと思う以前に、存在を知らなければ話になりません」
何か新商品を売り出す時、大々的に宣伝をかけるのはそのためである。商品の数割が宣伝費といっても言い過ぎではないほどに宣伝というのは重要だ。
「そう、宣伝だ。私は自腹でゴブリン肉のCMを放送しようと思ってる」
「…………」「…………」
こいつ、馬鹿なんじゃないだろうか。ジロウとサブロウの心は今一つになった。
ゴブタロウは資産家だ。金は有り余るほど持っているから、テレビCMだろうが関係なく放送できるだろう。
それは問題ない。問題は、それを放送したとして需要が増えるはずがないという事だ。需要拡大に認知度は確かに必要だろう。だが、それは品質を伴っている場合だ。最低限でもいいから一定の品質がなければ誰も欲しいとは思わない。
そもそも、ゴブリン肉の認知度は高い。悪い意味で高い。こんな状況で『ゴブリン肉おいしーい』というCMを流してもギャグにしかならないだろう。
「会長の金なら何してもいいでしょうが、意味はないかと」
「ゴブリン肉が不味いのはみんな知ってるっスよ」
「うるさいわい」
そんな事はゴブタロウだって知っている。
「CMといっても、番組の合間に流れる数十秒の物じゃない。今回は宣伝番組そのものを作ろうと思っているのだ」
「……余計に無理があるのではないでしょうか」
「まあ聞け。私はこれでもそこそこ名の通った料理人だ。料理番組のレギュラーもいくつか持っている」
「そうっスね」
そこは否定するところではない。そこそこどころか、迷宮都市で最も有名といってもいい。料理番組だけでなく、それ以外のジャンルでも多数出演している。多忙で降板してしまった番組も多い。
「実は新番組の企画が上がっていてな。そこにねじ込めないか構想しているのだ」
「ご、ゴブリン肉の料理番組ですか?」
「罰ゲームにしかならないっスよ」
その時、ゴブジロウの脳裏をよぎったのは、『ひょっとしたら、番組としては面白いかもしれない』という事だ。
視聴者が食べるわけではない。本人は至って真面目でも、罰ゲーム的な絵面ならウケはいいだろう。
……これをゴブタロウ弁当の販売に繋げられないだろうか、という前向きな構想まで浮かんだほどである。
「……なかなかいいかも知れませんね」
「ちょ、ゴブジロウ何言ってるんスかっ!?」
「さすがだな、ゴブジロウ。分かってくれたか」
多分、ゴブタロウの考えている事とは乖離しているが、訂正はしない。
番組としてはアリだ。だが、それだけでは自分たちのメリットには成り得ない。要はゴブタロウ弁当を捌くための宣伝に繋げないと……。……そうか、罰ゲームだ。ゴブザブロウが言うように、ネタとしてなら需要は作れるかもしれない。
そのためには、番組をただゴブリン肉の紹介だけに留めず、ネタとして受け取ってもらえるような方向に持っていく必要がある。
問題は、出演者だが……。
「ん、どうしたんだ、ゴブジロウ」
「いえ……ちょっと良い案が浮かびましたので」
ゴブジロウは自前のギルド員専用端末から、冒険者情報へとアクセスする。
「それで、これまで私が散々実験してきた多数のレシピを公開しようと思うのだ」
「でもそれ、どれも関係なく不味いっスよね?」
「程度の差はある」
確かに違うのだろうが、不味さ一万と九千九百九十九では差はないも同然だ。
「……会長。罰ゲーム的に出演者に食べさせるのは番組的には面白いでしょう。ネタ需要でいいなら、ゴブリン肉は不動の地位を確立できるかもしれません」
「そ、そうっスか?」
ゴブザブロウの目は懐疑に満ちているが、この目算はある程度合っているはずだ。というか、冷静になれば普通に理解できるだろう。
ならば、今ゴブジロウにできるのはこれをどう自分のメリットへと近づけるかを考える事だ。
「分かってくれたか、とりあえずはネタでもいいから食べてもらいたいのだ」
とりあえずネタでも広めればいいのは、トライアルの冒険者に食べさせる話が通った時点で確信している。
「問題は出演者です。ただゴブリン肉を食べる番組を始めても出演したいというタレントはいないでしょう」
「そこは鳴かず飛ばずの底辺共を無理矢理だな……」
外道の極みである。タレントとして活躍したいのに芽が出ない者を、更に苦しめようというのか。
きっと逆らえない。それをオファーする本人が理解しているからタチが悪い。
だがきっと、そのオファーはねじ曲がってゴブジロウとゴブザブロウが主導で行われた事になってしまうのだ。最悪でもそれだけは避けたい。
「いえ、それには及びません。番組的にも人気タレントの方が視聴率も取りやすいでしょう」
「しかし、人気のあるタレントが汚れ仕事を請けないだろ」
汚れ仕事だとは分かっているのか。
「そこは会長の腕を振るって頂きます。会長の料理人としての腕を振るい、最高の食材を厳選して料理を食べる番組を作るのです」
「ゴブリン肉のかね?」
「ゴブリン肉じゃねーよっ!」
つい声を荒げてしまった。
「……失礼。そこは普通に美味しい料理です。値段や稀少性すら無視した贅沢な料理を用意し、出演者に食べさせるのです」
「……それだと普通の料理番組ではないか」
「オイラも出たいっス」
それだけならゴブジロウも出たい。だが、次の案を言えばその考えは吹き飛ぶだろう。
「それを素材当てクイズでもなんでもいいんですが、何かしらのゲームの題材とします。そして、最下位の出演者には罰ゲームとしてゴブリン肉料理を食べてもらいましょう」
「……ほう。いいかもしれん」
「せっかく美味い物食べたのに、全部台無しっスね」
この際、出演者の事は考えない。
ゴブタロウは偶に< 美食同盟 >のレストランで腕をふるう事があるが、そのコースの値段は入札制で天井知らずだ。それでも予約は殺到する。その料理が食べられるのだから、ゴブリン肉を食べさせられる"かもしれない"デメリットがあるとしても、エサになり得るだろう。
テレビ番組なのだから、タレントレベルでは罰ゲーム回避の裏取引があってもいい。むしろその様を放送してしまってもいい。番組が面白くなくなる類の取引はゴブタロウの強権でねじ伏せればいい。
「なかなかやるじゃないか、ゴブジロウ」
「いえいえ。……それで、レギュラーには彼を押したいと考えています」
そこで登場するのは、先ほどから端末で調べていた冒険者情報だ。ゴブジロウが出した端末には、一人の冒険者の顔が映っている。
「……ツナ君じゃないか」
「さすが会長、ご存知で。そう、渡辺綱。ついこの前トライアルを一日で突破した、今話題の新人です」
「最近ウワサになってるっスよね。特別番組は見たっス」
「何故、彼を?」
「トライアルの公開されている動画ではカットされていますが、彼は鋭敏な舌を持ちつつ、ゴブリン肉の不味さすら許容するという稀有な才能を持っています」
「頭おかしいんじゃないっスか、そいつ」
失礼だが、ゴブジロウも同感である。古今東西、どの世界を見渡しても真顔でゴブリン肉を食べる奴はいない。
トライアルの動画ではオーク肉を食べて視聴者の度肝を抜いたそうだが、ゴブリン肉はその比ではないのだ。オークは上位種なら食えない事もないし。
「彼を特別枠として招待し、会長が用意したゴブリン肉料理の批評をさせましょう。どれくらいの不味さなのか解説があれば、番組も面白くなるかと。……新人ですし、出演料を奮発すればきっと請けてもらえるかと」
「分かった、では依頼料は多めにして依頼をかけてみよう。……早速、企画書を作らねばな」
よし、これでネタ料理としての地位が確立されれば、ゴブタロウ弁当も多少は捌けるはずだ。なんなら、プレゼント企画として配ってもネタとして許容してもらえる可能性まである。これで、部屋も少しは広くなるだろう。
「どうせならお前たちもその枠で出演するか」
「……えっ?」
ゴブタロウの逆提案に部屋の空気が静止した。
「いや、ツナ君が請けてくれるとは限らないだろ? その場合の代替要員は必要だから」
「お、オイラ、あがり症だからジロウに譲るっス」
「馬鹿を言うな! 企画案を出したのは私なのだから、サブロウが出るのが筋だろう」
醜い押し付け合いが始まった。ゴブタロウの口から出た以上、出ないという選択肢はない。ならばせめて自分だけでも、という事だ。
「どっちも出ればいいだろう」
「「…………」」
だが、ゴブタロウの口から次いで放たれたのは両名に対する死刑宣告だった。
思わぬところで落とし穴が待っていた。
……大丈夫だ。新人冒険者なら目が眩むほどの額を用意すれば、きっと請けてくれるはず。そうしたら、代替要員など気にする必要はない。どうせゴブタロウの財布から出る金なのだ。採算度外視で交渉すれば大丈夫。……多分、大丈夫。
「……いいか、ゴブザブロウ。死んでも渡辺綱を連れてくるんだ」
「……了解っス」
そうして、ゴブタロウの料理番組(罰ゲーム付き)の放送が決定した。
有名タレント、有名冒険者、著名人を集めたクイズ形式のバトルは、罰ゲームを含めて好評だ。
毎週の放送翌日には限定で同じ料理を< 美食同盟 >で食べられるというのも人気を加速させている。
毎回悲鳴を上げながらゴブリン肉料理を食べさせられる謎のゴブリン二匹も、意外に人気があるそうだ。
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