005 おはようチーさん

第37話 おはよう子供(ガキ)達。

「おはよう、お嬢」

 オレの目覚めの一言はいつだってシンプルだ。

 オレの顔を見下ろすの笑顔を確認し、目覚めの挨拶をするのが起床時のルーティーンだ。

 だが今日は、お嬢が少し浮かない顔をしている。

「もう、このまま起きないのかと思ったよ、チーさん」

 体はどうやら満充電だ。オレはお嬢の腕からゆっくりと体を起こし、慎重に周囲の様子をうかがう。

 目に飛び込んできた光景に、オレは驚きを隠せない。ぱっと見は教室のように思えるが、これは普通のとはかけ離れている。

 今にも雪崩を起こしそうな、床に積み上げられた、カラフルなクッションの山。古びたテレビと大量のビデオテープとDVDメディア。そして天井からは、よく赤ん坊のベッドの上でくるくる回っているやつ――メリーとかいう、あれが三つり下がっている。

 さらに、趣味の悪い、グロいウサギのキャラクターの壁掛け時計。

「お嬢、この気持ち悪い空間はなんだ?」

 オレは辺りに誰もいないことを確認して、お嬢の腕から飛び降りた。床に着地した瞬間、尾びれを足の替わりに立ち上がる。ぴょんぴょんと回転しながら再度辺りを見回す。あらためてお嬢の全身を見ると、見覚えの無い制服を着ていることに気づいた。

って呼ばれてるところ」

「なんだ管理者って。それに、ここは本当に学校か? ……おいおい。オレは一体、どれだけの間眠っていたんだよ」

「黙って!」

 お嬢が唇の上に立てた人差し指を当てる。しかも斜めにだ。この癖は幼少の頃にまで遡る見慣れたものだが、話が長くなるので割愛する。

 廊下を移動する足音に警戒するお嬢。

 黙っても何も、だ。オレの声は誰にでも聞こえるものではない。まあそれでも、イルカのぬいぐるみの姿をしたオレが、尾びれで立って跳びはねていたら怪しいことには違いない。

 お嬢に従い、自立をやめて横向きに転がる。

 教室の扉が開き、女子生徒が中に入ってくる。

「ひとちゃん……どう?」

「るるちゃん、さっきまでチーさんが……」

「お前ルルコか!」

 二人の会話に割り込んで、オレは思わず大きな声を上げた。とは言え、実際に音声を発しているわけではない。オレの声がお嬢とルルコにだけ聞こえるように、チャンネルを合わせた。

「うわびっくりした! ……チーさん、私はルルコじゃない。るるだって言ってるでしょ」

「どうでもいいんだよ、んなことはよ」

 オレは再び体を軽くジャンプさせ、尾びれで立ち上がる。そして、あらためてルルコを見て言った。

「ルルコ、お前髪切ったのか。えらく雰囲気変わったじゃねえか。最後に会ったのは、えーっと」

「二月だよ」

「今は?」

「五月」

「はあ? 意味がわからねえな!」

 本気マジで意味がわからない。充電切れで一日、二日ほど眠っていることはあったが、三ヶ月も起きなかったのは初めてだ。

「お嬢、ちゃんと充電してくれてたよな」

「してたよ。ちゃんとこの腕で。服があると駄目なのかとも思ったから、腕まくりだってしてたよ」

 疑われて心外だと思ったのかお嬢は、唇をとがらせ頰を膨らませる。幼い頃から変わらぬ仕草に、オレは僅かに安堵あんどした。


 ――お嬢とルルコの話は、オレにとって簡単に納得できるものではなかった。オレが眠る前の世界と、ここが別の世界だと言われても、そんな証拠は何処どこにも見当たらない。しかし二人がうそを吐いているようにも思えない。

 何より。何故なぜ。何のために。この町、この学校を中心に、世界の改変なんてことが起こっているのか。どう考えても不自然で、うたぐり深いオレには、どうしても解せない。

 二つの記憶――そして、や管理者どもによる、筋に沿ったストーリー。

 合宿での出来事、つまり管理者による挨拶代わりの演説は、に大きな影響を与えただろうことは、お嬢やルルコの話しぶりからもわかる。

 だが、そんな芸当はオレにだってできることだ。オレはぬいぐるみのイルカだぜ? それが自立して動き回って、ガキの頭の中に言葉を送り込んで、コミュニケーションを取ってるんだぜ?

 オレから言わせれば、管理者の力だってオレのそれと大差があるとは思えない。

 少なくとも管理者というふざけたやつがいて、ふざけたオレがいる。この世界はそんな場所には違いない。

 だからオレは、慎重に考えて行動することにした。いつか、その管理者と交渉する機会も訪れるかもしれない。もっとも、あっちがこっちの相手をしてくれればの話だが。

「ところでお前ら、結局あのチョコレートはどうなったんだ?」

 オレの言葉に、お嬢とルルコが顔を見合わせる。オレの最後の記憶は、そこで止まったままだ。だから、どうしても確かめておきたかった。

「あー、そういや物朗くん来ないね?」

「どうしたんだろう。探しに行った方がいいかなぁ。もの、まだ記憶が曖昧っぽいから、ここに来るの迷ってないかなぁ」

 などと、ご丁寧にオレに対して説明するように、二人はわざとらしい会話を続け、そのまま教室の外へ出てしまった。

 不気味な教室に、オレひとりを残して。

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