第29話

 這いつくばって靴を舐めようとするオリヴェルを全力で止めたカステヘルミは言い出した。


「どうしたんですか?何かを思い詰めているなとは思っていましたけど、一体何があったんですか?この際、口から吐き出してしまいなさい!楽になりますよ!」

「本当に楽になるのか?」

「楽になると思います!絶対に!」

「絶対に楽になるのか?」

「そう思います!」


 あらかじめ人払いをした部屋で、カステヘルミは這いつくばるオリヴェルの両肩を鷲掴みにしながら説得すると、オリヴェルの頬を涙がポロポロとこぼれ落ち始めたので息を呑み込んだ。


 冬が過ぎて春が来て、春が過ぎたら夏が来て、無事にカタジーナが出産を終えたと思ったら秋がやって来た頃合いに、オリヴェルは何かを思い詰めた様子で食事も喉を通らなくなってしまったのだ。


 カステヘルミにはオリヴェルがこうなってしまったことに心当たりがあるし、そうなってしまった原因が自分だということも十分に承知をしている。


 確かに、結婚当時のオリヴェルは酷い男だった。

 カステヘルミのことなど視界にも入れず、ユリアナのことばかり切なげに見つめて、カステヘルミの花嫁衣装などチラリとも見なかっただけでなく、彼は花嫁を放置して初夜をボイコットしたのだ。


 その後も公爵家に輿入れした花嫁を放置し続けて、初めての舞踏会にドレスの一着すらプレゼントせず、新婚のカステヘルミを侮辱するような行為を続けて来たのは間違いない。そんなオリヴェルを『一妻多夫』攻撃で破滅に追い込んでやろうとしたのはカステヘルミだし、その後、白い結婚を継続しているのもカステヘルミの意向を汲んでのことだろう。


 公爵夫人だったパウラとユリアナに洗脳するような能力があり、その洗脳による後遺症に悩む義父の姿を見ていると、いつまでもオリヴェルを許さないカステヘルミはあまりにも大人気ないとも思えてしまう。


 いつでもカステヘルミのことを第一に考え、側に寄り添い続けてくれる夫が、親族や周りの人間から色々と言われていることも知っているし、カタジーナが子供を産んだのだから次はカステヘルミが、という周囲の期待があることも知っている。


 銀髪に紺碧の瞳を持つオリヴェルが野生的な美丈夫で、結婚後も人気が高いことを知っているし、早くカステヘルミが離婚をするのを望んでいる貴婦人たちが山のように居ることも知っている。


 近衛として王族の専属護衛となるほどの腕は持っているだけあって、動く時に筋肉質な獣のようなしなやかさを持つ、逞しい体つきにうっとりとすることが冬の間だけで何度あったか分からないし、カステヘルミに対して頑ななまでに忠誠を誓うオリヴェルに対して気持ちが傾いているのは間違いない。


 オリヴェルは間違いなくカステヘルミにとっての大事な夫であり、夫であるオリヴェルは妻であるカステヘルミを大切にし、尊重もしてくれる。だとするのなら、妻として今のオリヴェルの状況を放置するわけにはいかない。


「オリヴェル様、貴方様がそこまで思い詰めるくらいなら、もう、私への遠慮とかいらない・・」

「カステヘルミ・・俺は・・君と離婚したくないんだ!」

 

 二人はほぼ同時に言葉を発すると、お互い目を見開いて、

「「え?」」

 と、驚きの声を上げた。


「カステヘルミ・・遠慮って・・」

「オリヴェル様、離婚ってなんですか?」


 再びほぼ同時に言葉を発すると、咳払いをしたカステヘルミはオリヴェルに最初に話すように促した。この夫婦の絶対的上位者は妻となっているのだ。


「カステヘルミ・・カステヘルミは自分の領地で発見した、鋼鉄の天才と呼ばれる奴を愛しているんだろう?」

 カステヘルミは鋼鉄の天才を知っているし、彼女なりに愛してはいるのだが・・

「今回、そいつが君と結婚するために陞爵をするから、君は俺と離婚をして、そいつと結婚したいと考えているんだろう?」


 オリヴェルは年甲斐もなくグズグズと泣きながら言い出した。


「俺は確かに・・洗脳されていたってこともあったかもしれないが・・最初の最初で大きな失敗を犯したのは間違いない・・君に離婚を突きつけられても、何も言えないのは分かっているんだけど・・俺は・・俺は・・君と離婚したくないんだ」


「じゃあ、離婚したくなくて靴を舐めようとしたんですか?」

「博士がそうした方が良いって言うから」

「ハーーッ・・変人の言うことを真に受ける人がいるだなんて・・」


 カステヘルミは自分の頭を抱えながらも、オリヴェルが今これほどまでに思い詰めている原因は自分にあるということを理解した。


「鋼鉄の天才と私は結婚できませんよ」

「だけど俺と離婚すれば」

「離婚しても結婚できません、だって鋼鉄の天才は女の子なんですもの」


 鍋屋の子供は女の子だったのだ。天才的発想を持っているのが女児だったからこそ、カステヘルミが自腹を切って出資することになったのだ。


「技術者や学者の世界は男社会だというのは間違いない事実ですが、天才というものは性別を超えて現れるのだと思います。私が見つけた天才は女の子だった為、帝国まで後援者である私が同道することになりましたし、帝国に渡ってからはビルギッタ様の庇護下に入ることになったのです」


 天才的な発想と力を持つ少女をカステヘルミの父が庇護下に置けば、周りの人間は卑しい女が体を使って籠絡したのだろうと噂する。彼女がより見下されることを恐れたカステヘルミは、自分が前に出て盾になることを選んだのだ。


「今回は技術者の一行と一緒にあの娘もラハティに来ますし、陞爵の話も出ていますが、ラハティで爵位を授かるのはあの娘の夫となる人ですよ」


 鋼鉄の天才はすでに自分のパートナーを見つけているし、大きな商会を持つ彼女のパートナーに対しては、昔から陞爵の話が出てはいたのだ。


「例え今、オリヴェル様と離婚したとしても、私には再婚する相手なんて誰もいません」

「だけど!聞いた噂では!」

「所詮は噂でしょう?」


 鋼鉄の天才は前に出ることがほとんどないため、巷の人間は男であると思い込んでいる節がある。天才と仲が良かったカステヘルミがなかなかオリヴェルに落ちないため、周囲の人間が出鱈目な噂話を吹聴しているということだろう。


「今度、あの娘に会うのでオリヴェル様も一緒に行きましょう?私も自分の夫をあの娘に紹介しておきたいと思っていたので」

「カステヘルミ、俺は君の夫?」

「戸籍上ではそうですけど」

「さっき、君は俺に遠慮はいらないと言ったよね?」

「・・・」

 その時のカステヘルミの顔は燃えるように真っ赤に染まっていたのだった。



 その後、公爵家の弟が自分の妻を陥落させるのを翌年の秋と賭けた人物は、大金を手にすることになり、それでは夫に陥落した妻は一体いつ妊娠するのかということで新しい賭けが始まることになったという。


 そして翌年の夏にはルーレオ王国からラウタヴァーラの港にまで線路が届き、鉄道事業を潰そうと大騒ぎをしていたオムクスは、ルーレオからラハティを経由してオムクスの王都まで鉄道を伸ばす計画が立てられたことによって沈黙することになる。


 オムクスの王家ではルーレオの姫君による性病爆弾が爆発し、ルーレオから安心安全に薬と医者が輸送されることを一番に望むようになったのだ。その後、鉄道を使った物流網に参入することが出来たオムクスは、ラハティに対して嫌悪感を示す人間ほど左遷されるという現象が続くことになる。


 そうして肝心の爆心地となったジョアンナ姫だが、ラハティの王子との結婚を成立させることが出来なかったオムクスの姫君が建てた修道院へ身柄を移し、神への祈りを続ける敬虔な信徒となったらしい。


 カステヘルミがいつ妊娠出産をするかという賭けは、翌年の冬に賭けた人間が大金を掴むことになる。



                〈   完   〉



    ******************************



 番外編はこれで終わりとなるのですが、おまけはカステヘルミの子供が出てくるお話となりますので、最後までお付き合い頂ければ幸いです!!


 猛暑、猛暑と記録的夏日の報道がすごいです。本当に暑い日が続いてうんざりするのですが、少しでも気分転換となれば嬉しいです!!

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