第53話 測られる距離

 一緒に家に帰るのはいつ振りか。あまり覚えていないが、それでも心羽みうの様子は普段通りではなかったことだろう。

 帰宅して真っ先に自室に向かい、それから一向に出てこなくなった。それは、普段なら心奏かなでの役割だ。


 結局、何がしたのか全く分からなかった。突然教室から連れ出されたかと思えば、何を言われることも無く離れ離れ。こちらに聞く隙も与えないということは、聞かれたくもないような理由なのだろうか。

 それとも、言いたくても言えないのだろうか。


 言いたくないなら言わなくていいし、聞かなくていい。世界のどこかに、たぶんそんなことを言う人がいる。格好いいヒーローのように背景に音楽を流しながらヒロインに告げるのだ。お前の秘密を無理に聞くことはしない。

 一言、ふざけんな、と。本当に好きなら聞きやがれ、本当に助けたいなら聞きやがれ。無理に聞かない? 相手が嫌がるから引き下がる? 違うだろ。無理強いしないのは確かに優しさかもしれない。それまでに何度も放してくれと迫ったのかもしれない。

 それでも最後まで、聞くことを諦めちゃ駄目だろう。だってそれは、逃げ道を塞ぐことになるのだから。


心梛ここな、俺ちょっと行ってくる」

「え? でも、大丈夫? 一人にしてあげたほうがいいんじゃ」

「いや、行ってくる。普段頼りない分、たまには助けになってやらないとな」


 覚悟を決めたような表情を浮かべる心奏かなでに、心梛ここなは不安そうだった表情を引っ込めてエールを送る。


「うん、分かった。私ご飯の支度してるから、三人で一緒に食べようね」

「……ああ、ちゃんと呼んでくる」


 階段を上って心羽みうの部屋の前に立つ。そういえば、もう何年も心羽みうの部屋には入っていないかもしれない。いつからか触れ難いと思ってしまっていた。

 容姿端麗、成績優秀、その上努力家。まさか雛沢ひなざわ心奏かなでと双子だなんて誰も思わないような完璧振り。誰もが羨むようなものを幾つも持っている心羽みうは、いつの間にか別世界の住人になっていた。


 でも、だからこそ、俺は心羽みうのことを知らないといけないのだろう。


 ノックを三回、返事はない。


心羽みう、いるんだろ? 大丈夫か?」


 返事はない。

 こんなことは正直初めてだ。どれだけ逆境に打ちのめされても、心羽みうが自分から部屋に閉じこもってしまうなんてことは無かった。すぐに立ち直って前へと進み続けていたから。


「出て来いよ、そろそろご飯だ。そんなに噂のことが気になるのか? どうせみんなすぐに忘れるんだから、気にするなって」


 勤めて軽い調子で言ってみるも、やはり返事は無し。


心羽みう? 聞いてるのか? 入る――」

「来ないで」


 ドアノブに伸ばし掛けた手を止める声が聞こえた。

 ただそれは突き放すような声でも、悲鳴のようなものでもなく。極めて自然体な普段通りの声音。嫌なら嫌と言う、好きなら好きと言う。そういう正直さから出てくるような、だからこそ本気の拒絶。


「聞こえてるなら、返事くらいしろよ」

「何でよ、わざわざあんたの為に返事してやる理由が分からないわね」

「たまには俺の為に優しくしてくれてもいいだろ」

「いつもしてるわよ。手のかかる弟だと思ってるもの」

「それを、行動だけじゃなくて態度で示せって言ってるんだよ」

「ばーか、そんなことするわけないでしょ」


 扉越しで距離がある。くぐもっていて聞こえずらい。それでも普段通りに会話内容に、少しだけ安心してしまう。どうやらそこまで落ち込んでいたりするわけではないらしい。

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