第45話 雛沢心羽

「あはははっ、あははははっ」


 家までの道のりで、心羽みうは心底楽しそうに笑っていた。普段ならそれを傍から見ているだけの心奏かなでも口元に笑みを浮かべていた。


「あーだめだめ、まだ笑い止まんないもん。私、あんたがあんなに大きな声出せるの知らなかったわ」

「俺だって心羽みうがあんな変なことをするとは思ってなかったぞ」

「変な事とは何よ、いい気分だったでしょ?」

「まあ、否定はしない」

「だから、素直に口にしていいのよ。せめて私に食らい本音を言いなさい」


 その口調は少し強かったけど、強要しているわけではないのだろう。笑顔のままで言うのは、どんな言葉で受け入れて上げるという優しさなのだろうな。


「いい気分だった。すかったとしたというか、今まで引っ掛かっていた物が取れた感じだった。楽しいって、こういうことを言うんだと思った。だから、ありがとな。今日が楽しかったのは心羽みうのおかげだ」

「そうね、確かに私のおかげかもしれないわ」


 何がそんなに嬉しいんだか。心羽みうは誇らしげに胸を張った。

 ただすぐに、態度を正して心奏かなでを向き直る。


「でも、自分の感情を真っ直ぐに口にして、それを本物にしたのはあんた、心奏かなでよ」


 その言葉は、心奏かなでが探していた答えだったのかもしれない。


「大抵の感情は、心の中で竦んで記憶になんて残らないわ。あんたの場合、そういうことが多すぎたってだけ。あんたは別に感情が無いわけでも、感受性が低いわけでもない。それを形にするのが下手だっただけ、やり方を知らなかっただけ。私も最近になってようやく、心奏かなでがその事に真剣に悩んでるんだって分かったわ」

「悩んで、いたのか?」

「何で疑問形なのよ……でもまあ、そういうところよ。心奏かなでは感情を抱きかけた時、それを肯定することが出来ていないのよ。だからそれが確かな感情になる前に霧散して、心の中に残らないの。だから一つ、コツを教えてあげるわ」


 どうして心羽みうはそんなことを知っているんだろうと考えて、思い出す。

 ああ、そういえば心羽みうも友達が出来ないなんて子どもっぽい悩みを抱いていた時期があったなと思い出す。そうか、心羽みうは先に経験していたんだ。心奏かなでの悩みなんて、問題なんてその正解をとっくに知っている。

 

 まだまだ、隣に立つには時間がかかるらしい。


「思いかけた感情を、全部口に出してみなさい。それはその内確かな形を持って、記憶にも残るわ。楽しいかもしれないと思ったら楽しい、悲しいかもしれないと思ったら悲しい。それを口に出来る人が、やがて楽しい時には笑うようになって、悲しい時に泣くようになるのよ。それが人間らしいってこと。心奏かなでは本をたくさん読んでるんだし、どんな時に楽しくなるのか、悲しくなるのか分からないわけじゃないんでしょ? だったら後は簡単な事よ。素直になりなさい、愚直になりなさい。どう? 簡単でしょ?」


 そんなわけがないだろ。何が簡単なんだ。それが出来ていたなら今頃こんな風になってない、なんて普段の心奏かなでなら不満を垂れていたかもしれない。

 でもその時は不思議と軽やかな気分だった。何でも出来てしまうような、万能感と言えばいいのだろうか。浮かれるってこういうことなんだろうなって、心奏 《かなで》はまた一つ感情を知った。


「そうだな。それくらいなら、俺にもできそうだ」

「でしょ? ならこれからは毎回口にしなさい。別にかもしれない、って思わなくてもいいわ。楽しいと感じそうなシチュエーションだと思ったら楽しいって言う、そういうのでいいの。その内何が本当に楽しいのかが分かるようになる。本来なら、こんな年になる前に皆やることだとは思うけど……あんたは自分なりのペースでこれから頑張りなさい」

「何で上から目線なんだよ」

「私が教えている側だからよ」

「頼んだ覚えは無いんだけどな」

「頼まれなくても教えてあげるのが、いい教師ってものなのよ」


 自慢げにそういう心羽みうの笑顔が認めたくないくらいに綺麗に見えるのも、心羽みうが感情に素直だからなのだろうか。それも、いずれ分かる事なのだろうか。


 帰り道の間、心羽はねは楽し気にお土産を揺らしていた。

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