第11話 Eeny, Meeny, Miny, Moe,


 放課後の一扇学園の裏庭はがらんとしていて人気がない。


 これが昼休みだったらまた話が違ったけれど、今は放課後。帰宅部らは帰り支度を整えて帰路に付いているし、部活にいそしむ生徒たちは各々の部室やグラウンドへと移動している時間である。


 一応、授業の一環で作物が育てられているミニマムな農場や、美化委員会が管理しているらしい花壇はあるけれど、放課後の時間を使ってまでやるようなことはないらしく、いつの時期もこの場所はあまり人がいない。


 裏庭にはたった二人の人間しかいなかった。


 一人は風狸伊草。

 彼女は誰かを待っているのか、裏庭に設えられたベンチの上にちょこんと座って、暇な時間をスマホを見てつぶしていた。


 そんな伊草の前に、今しがた二人目の人物が現れた。


「……………………どうも」


「ふん」


 ベンチに座る伊草を見下ろすように現れたのは、伊草にとっていくつもの因縁を持つ相手、狐陽玄羽だった。


 ちなみに、彼女の待ち人は玄羽ではない。なので、どう反応していいか伊草は困り、その果てに蚊が鳴くような声で小さく挨拶をしてみた。

 そんな伊草に対して玄羽が発したのは、苛立たし気な声である。いや、言葉ですらないこちらは正真正銘の鳴き声か。もしもこの場に宮村が居たのなら、そんなことを考えていたであろうやり取りだ。


 ただし、この場に彼は居ない。いつだって伊草を助けてくれるヒーローもいないし、玄羽が纏う棘を和らげてくれる冗談もない。今頃は屋上で無様に転がっているところだろう。そしていくら彼が痛みに呻いたところで、この場に関係することはできないのだ。


 あと十数分。屋上の一幕が終わり、彼が裏庭に急行するまでの間、この場にはこの二人しかいない。


 小動物のように縮こまる伊草と、世界のすべてが気に入らないとでもいうかのようにつまらなそうな目をする玄羽の二人だけ。


「…………え、と、なにか、よう……です?」


 二人が睨みあう(睨んでいたのは玄羽だけだが)こと十秒ほど。凍り付いたような沈黙の中で、先に声を発したのは伊草だ。

 中学生の時の出来事から、まったく知らない仲ではない二人。けれど、決して仲良く談笑ができるような仲ではなく、こうして睨みあっているだけでも気まずさで心が潰れてしまいそうになった伊草である。何とかこの空気を打破するためにも、勇気をもって彼女はその発言に挑んだに違いない。


 けれど、震える伊草の決死の声は無視されてしまった。それこそ、マネキンにでも話しかけているような手ごたえのなさだ。なんだか中学生の時のことを思い出してしまう。クラスメイト達が、なぜか自分をいないものとして扱い始めたあの時間のことを。


 けれど、その時と違うのは……目だ。玄羽の目。綺麗な目。伊草を見下ろす目。それが、確かに伊草がこの場に居ることを教えてくれる。言葉は無視されてしまったけれど、自分という存在が無視されていないことを、教えてくれている。


 あの時とは、違う。


 そう考えてから、伊草はあの時のことを思い出した。


(そういえば、色々あったけど……結局、狐陽さんと話したことなかったな……)


 伊草はドジだが愚かではない。中学二年生の時に自分がいじめられていたことはしっかりと認識しているし、その首謀者として玄羽の名が上がっていたことも知っている。そしてそれが、ある種の曲解――或いは、悪意のあるヘイトスピーチに基づいた責任逃れの末に祭り上げられた名であることにも、薄々と勘づいていた。


 そもそも、教科書をぼろぼろにされたり机に落書きされたり水を頭からかけられたりした伊草だけれど、その現場であまり玄羽と遭遇したことがない。なので、いじめの首謀者という話も何かの誤解があったのだろうと、伊草は思った。


 もちろん、だとしても気まずいことには変わりない。中学三年生のあの日。卒業式のあの日。玄羽と宮村がキスをしていたあの瞬間を、伊草は一度だって忘れたことはないのだから。


 だから気まずい。発した声が震え、上ずってしまうほどには。


「……はぁー……そういうことね。ったく、例の件はどうしたっていうのよ……」


 ふと、何かを理解したらしい玄羽がそう呟いた。もちろん、その言葉は先ほどの伊草に対する返答ではない。だから伊草の頭の上には疑問符が溢れ出てきたし、余計に伊草は混乱してしまう。


「隣、座るわよ」


 それから玄羽は、一言そう言ってからドカッと、荒い調子で伊草の隣に座った。突然隣に座られて、びくりと伊草が体を震わせて驚く。それから警戒心の表れか井草は肩を縮め、少しだけ玄羽から距離を取った。


 けれど、相手に失礼になるかもしれないなんてことを考えているからか、ベンチから立ち上がるようなことはしない。その結果、裏庭のベンチに二人が並ぶこととなってしまった。


 一体どうしてこうなったのか。見つめあうだけで気まずさから潰れそうになってしまっていた伊草のメンタルが、今度こそ圧死しそうになっている。小動物のようだ。早く来てくれと、心の中で宮村へと願う伊草であった。


「ねぇ」


 そんな折、今度は玄羽の方から話しかけてきた。


「風狸伊草、よね?」


 突然名前を呼ばれたことに驚いたのか、縮こまっていた伊草の体が、跳ねるように伸びた。それから、ワンテンポ遅れつつ、伊草は返答する。


「あ、は、はい。そう、です……」


「何緊張してるのよ。一応私、元クラスメイトの同級生なんだけど?」


「あ、す、すいません!」


「……こりゃ私も、人のこと言えないわね」


 何かを自己完結したのか、自嘲気味に笑う玄羽。その笑いが何に由来しているのかなんて、伊草にはわかりようもないことだ。けれど、そんな風に笑う姿を見て、少しだけ伊草の緊張は綻んだ。

 なんたって中学生の時、玄羽が笑っている姿を一度だって見たことがないから。


「あ、あの……」


 恐る恐る、伊草は再び玄羽へと話しかけてみる。


「なによ」


「えっと、前々から聞きたかったことなんですけど……狐陽さんって、たいちゃ……大河君とは、どういう関係なんですか?」


「どういう関係、ねぇ……」


 足を組んで、器用に頬杖を突きながら、伊草の方に顔を向ける玄羽。彼女の視線はどこか疑わし気で、不機嫌に見える。変なことを言ってしまったか、と自分の発言に伊草が後悔したところで、少し遅れた答えが返ってきた。


「もっと直接訊いた方がいいんじゃない? あんたはタイガのことが好きなのか、とかさ」


 伊草の肩がびくりと驚いた。

 まさか、遠回しに効きたかったことを言い当てられるとは思っていなかったのだ。ただ、さも当然のように玄羽は言った。


「私は好きよ。タイガのことが」


 そう言い放った玄羽の姿があまりにも堂々としすぎていて、その言葉に伊草は何の反発心も抱くことができなかった。自分もまた、同じ人が好きだというのに。それでもただ、そうなのかと、漠然と思うことしかできなかった。


「私は好き。だから私も気になってるのよ。あんたは、タイガのことが好きなの?」


 それから突然向けられた質問に、さらに伊草は戸惑ってしまう。目の前に居るのは恋敵。だから、自分もまた同じ人が好きなのだと宣戦布告を果たし、戦いの場に名乗りを上げるべきなのだろう。


 けれど、どうしても気後れしてしまう。


 なぜ?


「わ、私も……好き、です……けど。私は――」


 伊草が気後れする理由は多い。

 まず、目の前に居る恋敵と己の差。小学校のころから玄羽は校内で噂されるほどに綺麗な存在だった。足はすらりと長く、全体的にスリムなシルエットはモデルのようで、整った顔立ちは誰しもが羨むほどに美しい。対する自分は、どんくさいちんちくりん。比べたところで、悲惨な結果が待つだけのようにしか見えない。


 ただ、そんなものは理由の一つ。他にも、自分に自信が無かったり、最近はあまり交流できていないからはっきりと言えなかったりと、雑多な理由が並んでいて、玄羽の容姿もそんな中の一つに過ぎない。


 だから、気後れする理由の中核は、もっと別のもの。


「私は、卑怯だから……」


 卑怯だから。


「だから、なによ」


「………………………………あの卒業式の日」


 思い出すのは卒業式の記憶。中学校最後の日。あの日、中庭で起きたこと。伊草もまた、宮村を探してあの日は校内をうろうろとしていた。その時、偶然にも遭遇したのが、二人の逢瀬であったのだ。


 二人の関係に驚いて、そして悲しくなった。そこで初めて、伊草は自分が宮村のことを好きだったのだと、理解した。今まで、なんとなくそばに居てくれた彼は、いつまでもそばに居てくれると思っていた。教室が変わり、距離が離れても、宮村は助けてくれたのだ。だから、そばに居てくれることが普通だと、思っていた。


 けれど、玄羽と宮村がキスをしているところを見て、急に彼が遠く離れてしまったように感じたのだ。


「離れたくなかった。私はタイちゃんと一緒に居たかった。だから、呼び止めようとして……あんな風に、ずるいことをしちゃったんです」


「ずるい、ねぇ……」


 たいちゃんだったら助けてくれる。

 いつも自分が泣くほどつらい時に彼はヒーローのように現れて、なんだかんだと問題を解決してくれたから。だから、泣いてしまえば、また助けてくれるんじゃないかと。


 悲しかったのは嘘じゃない。辛かったのは嘘じゃない。けど、泣いたからと言って何も解決しないことなんてわかってた。でも、もしかしたら、なんて。そんな風に考えて。宮村のことが好きだと言ってまで、伊草は彼を呼び止めようとした。


「そんなことをしちゃったから……タイちゃんは……あんな風に」


 あの日の宮村の暴走の原因は自分にある。と、伊草は確信していた。自分があんなことを言わなければ、自分があの場に居なければ――自分が宮村を好きだと気付かなければ、あんなことにならなかったんじゃないか、と。


 少なくとも、宮村が言わないような暴言を、彼に言わせてしまったことを、強く後悔しているのだ。


 だから、伊草は気後れしている。

 自信を持てなくなっている。

 宮村が好きなのだと。

 玄羽の恋敵なのだと。


 胸を張って言えない。


「笑えるわ」


「……え?」


「笑えるって言ってるのよ。なにそれ? あんたねぇ、普通に考えたらわかるでしょ。あの時、失敗したのは私の方だったって」


「……え、えと……それは、どういう意味、ですか?」


 顔は全然笑っていないけれど、ふふふっと声だけ笑って見せた彼女の言葉に、伊草はぽかんと呆けたような声を出す。彼女が何を言っているのかわからないのだ。

 失敗したのは私の方? それはつまり、どういうことなのか?


「簡単よ。あの日、私は告白に失敗した。それ以上もそれ以下もない。ただそれだけの事実よ。その理由は単純明快。あの日のタイガは、あんたのことが好きだった。きっとあんたが先に告白してたら、私に付け入るスキなんてなかったでしょうね」


「え、えぇ!?」


 心臓が飛び出るほどに驚く伊草。その驚きぶりは、萎びた草笛のような声ばかりで反応して先ほどまでと変わって、大太鼓を叩いたような大声を発したことからも分かる通りだ。


 というか、失敗の意味を今となっても訳が分からなかった。


 あの日のタイガは、伊草のことが好きで。もしも告白するタイミングが違えば、付き合えていたかもしれない、と?


 はっきりいって、おべっかというか……この場でこちらの気分を悪くさせないための、都合のいい嘘だとしか思えない。


「いやまあ、あいつに好きとかそういう恋愛的な感情があるかは、ちょっとわかんないんだけどさ……」


 ただ、そんな風に続けて語る玄羽の姿は、とてもこっちの気を使って嘘を言っているようには見えなかった。


「というか、本当に気づいてないの? あの卒業式の日、あいつがいっぱいいっぱいになって暴走したのは、私が原因。私が気を遣わせたから、あいつはキャパオーバーしたのよ」


「気を遣わせたって……」


「私の親のこと、同じ学校だったんなら知ってるでしょ」


「…………」


 その言葉に、すぐ反応することはできなかった。

 確かに、伊草だけではなく、あの学園に居た人間ならば、玄羽の親のことは知っている。同級生を包丁で切り付けて、傷害事件として逮捕されたモンスターペアレンツの噂は、大いに学内をにぎわせたのだから。


 けれど、なぜそれと、宮村の暴走が関係しているのか、伊草にはちっともわからなかった。


「あいつ、あれで結構、単純な思考なのは、私よりも長い付き合いのあんたなら知ってるでしょ?」


「そ、そうですね……」


 宮村の思考は単純だ。いや、思考回路自体はスパゲッティのようにいろいろなところで絡まりあっていて、それがめちゃくちゃなまま数珠つなぎのようにまとめられているせいで複雑なことになっているけれど、受け取った刺激に対して、出力される反応だけに要点を絞れば、確かに単純な男なのだ。


 嫌われたら気分はよくないし。


 可哀そうなやつを見ると助けたくなってしまう。


 めんどくさい先輩は苦手で。


 女の子に好かれたら素直になれない。


 なんてことはない、普通の男の子なのだ。


「だからこんなことでも考えたんじゃないの? 私の想いを拒否することなんてできないって」


「……あ」


 そこまで言われて、ようやく伊草は、玄羽の言いたいことが理解できた。


「いじめの首謀者なんて噂されて、しかも親が犯罪者。そんな私に、学校で居場所があると思う? あいつが、あいつだけが、唯一の友達だったのよ」


「い、いや、でも……狐陽さんは、綺麗だから……」


「慰めはいいわよ。そもそも、あいつに選ばせられなかった私の負け。私は、あいつが掲げる主義すらも変えられなかった」


 玄羽は続ける。羨ましそうに、憧れるように。


「あいつは選ばない。それはつまり、一回付き合えば別れるなんてことも選ばないから、無理に迫ればよかったのかもしれない。実際、そうしたわけだけど。あの時。あんたが現れた。ただそれだけで、あいつは、言われるがままだったはずのあいつは、急に選べなくなった。驚いたわよ。あいつに突き飛ばされたときのことは」


 確かにあの時、宮村は言った。

 言葉を変えてくれ、と。日和見な宮村らしい言葉だなと、その時ばかりは玄羽も思ったけれど。だけど、今となっては違う意味が込められていたのだと思う。


 自分が選んだことにしたくなかったのだ。たとえ玄羽と付き合うことになったとしても、あちらから強引に付き合うことにしてきたということにしたかったのだ。


 それはなぜか。

 きっとそれは、宮村が伊草のことを好きだったから。


 どんな理由があったにせよ、自分から伊草ではない誰かを恋人にするなんてことを、したくなかったんじゃないか。


 だってそれは不誠実になるから。

 だから、誠実であれる境界線を。

 自分の意思では選んでいないという免罪符を、彼は作ったのだ。


 玄羽は、そう考えていた。


「ま、きっと無意識だと思うけど……屈辱よね。あのままあんたが現れなければ、私はお情けで付き合うことになっていた……それに気づくこともできずに、道化みたいに笑ってた」


 今でも思い出せるあの時の光景。告白を邪魔されたとき、意地でも彼が自分のものであるように見せるために取った宮村の腕を、振り払われた時の衝撃。


 あの瞬間、宮村が見せた表情。


 少なくともあの時だけは、彼は見られたくなかったのだ。玄羽と恋人のようにふるまう自分を、伊草に見られたくなかったのだ。


 その時点でもう、玄羽は振られたも同然だった。


「だけどね」


 ただし、続けられた玄羽の言葉は、どこまでも諦めの悪い闘志に溢れていた。


「私はあいつが好きなの」


 狐陽玄羽は、宮村大河が好きだ。


「慣れあいも、友情も、交流も、約束も、偽善も、優しさも、思いやりも、悪さも、正しさも、恋も、愛も、男も、女も嫌い。大っ嫌い。だけど、あいつは好き。タイガだけを、私は愛してる」


 嫌いに満ちた世界だけれど。

 だからこそ彼女は、好きな人を諦められない。


「振られたってわかって諦めようとした。けど、変な先輩に絡まれて、助けてくれたあいつを見て、やっぱり私はタイガのことが好きなんだって思った」


 だから、クロバは言った。


「あんなことがあっても、私はタイガのことを諦められない。迷惑をかけてばっかりだって、そんなことわかってる。でも、わがままでも押し通したいのよ」


 何の気後れもなく。

 何の後悔もなく。


「もしもあんたが身を引くってんなら、今度こそ私がもらってくわよ。今度こそ、お情けじゃなくて。正真正銘、心の底から私のことを大好きになってもらうの」


 不安も、虞も何もかもを見せずに。


「だって私は、タイガが好きだから」


 目の前の恋敵へと、宣戦布告した。 


「……っ! ……わ、私、も……」


 もう、退路はない。


「私も、たいちゃんが好き! だ、だから……絶対に渡さない!」


 打って変わって伊草の言葉は不安に満ちていた。自分に対する自信のなさからくる気後れが、こんなことを言っていいのかという後悔が、誰かの意思に反する虞が、彼女の言葉には満ち溢れていた。


 けれど。


 決して引くことのできない意志が。曲げることのできない心が。そして、嘘をつくことのできない本心が、その言葉には溢れていたのだ。


 幼稚園の頃から、十年以上の付き合いの幼馴染。ドジな自分を助けてくれるヒーロー。自分のそばに居てくれるのが当たり前だとばかり思っていた人。


 その人が離れてしまうとわかって初めて、伊草は自分の恋心に気づいた。


 それがつい数か月前のこと。その思いは、未だに冷めることなく燃えている。燃え盛っている。


 退くことなんて、できないほどに。


 だけれども。


「でも、狐陽さんとも仲良くしたい!」


「……なんでそうなるのよ」


 続けざまに放たれた伊草の言葉に、玄羽は思わず眉を顰めてしまった。


「あのねぇ、私はあんたの恋敵。男を奪い合うってのはなれ合いじゃないのよ。奪われた方はみじめよ~」


「あ、えっと……確かにそう、かもしれないけど……」


 恋愛が事件に発展するなぞ、現代だろうが古代だろうが、古今東西で聞き飽きるほどに溢れた話だ。けれど、伊草は言う。


「確かに、振られたら辛い、と思う……私も、あの時はすごい辛かったから……でも、だからって仲良くできないわけじゃない、と思う」


 卒業式の日。初めて自分の恋心を認識したあの日。

 胸が張り裂けそうなほどに、伊草はつらい思いをした。

 けれど、それとこれとは話は違う。たとえ恋敵だろうが、仲良くできない理由にはならない。


 そんな話を、呆れた風に玄羽は聞いた。


「私は仲良くする必要がないって言ってるのよ」


「そんなことないよ! だって――」


 伊草は続けた。


「だって、一番好きなものがおんなじなんだから……仲良くしたら、すっごい楽しんじゃないかって……思った、んだけど……」


 一番好きなものが同じだから。

 だから、仲良くなれる。仲良くなれたら楽しいはず。

 楽しい方が、いいに決まってる。


「それに、その方が、嫌いあうよりも、ずっといいん、じゃないかな……?」


 嫌いあうよりも、友達であれたほうがずっといい。どんな人間だろうと。辛いよりも、楽しい方が、ずっとましだ。


 それが、風狸伊草という少女だった。


 次第に力を失っていく伊草の言葉は、最後には消え入るような声となって風に乗ってどこかへと言ってしまった。けれど、決してその言葉に、力がなかったわけじゃない。


 空を仰ぐようにして、玄羽は小さくつぶやいた。


「おかしいんじゃないのあんた……? いや、こういう方が男受けよかったりするのかしら……」


「え、えと……ちょっと聞こえなかったんだけど、なんていいったのかな?」


「……なんでもないわよ」


 そのつぶやきは辛うじて伊草の耳には届かなかったけれど、玄羽は目の前の恋敵が、かなりの難敵であることを理解した。敵を作らない。人から好かれるために必要な要素だろう。


 しかも、かつて自分をいじめていた人間を、なんて。普通にできるわけがない。ここまでくると、平和主義とも言えないような……無差別友好主義とでもいおうか。逆にどうやって天空寺はこんな頑固者を怒らせることができたのか。よほどひどいことを言ったのだろう。


 まあ、どちらにせよ。


 こんな少女と、こんな少女をいじめて楽しんでいるクラスメイトを放っておいた自分を比べてしまえば、確かに差がつくなと玄羽はなんとなく思った。


 だから玄羽は、伊草へと伝えた。


「友達になれるかなんて知らないけど、連絡先ぐらいは交換してもいいわよ」


「ほ、ほんと!?」


「あと、玄羽でいいから。敬語も……って、気づいたらなんか解けてるわね」


「あ、え、えと、ごめんなさい!」


「いいのいいの。ただ、これだけは忘れないでよ」


 スマートフォンに表示させたSNSのIDをメモ書きしながら、改めて彼女は宣言する。


「仲良くなっても私たちは敵だから。絶対に負けない」


「わ、私も負けないよ!」


 こうして二人の恋敵は、どういうわけか友好を結んだ。

 それがどのような未来を生み出すのかはわからないけれど。それでも、憎しみあうよりもずっといいはずだという思いは同じだった。


 それから数分後。


「……悪い、遅れた」


 いじめの被害者と首謀者であり。

 同じ男を好きになった恋敵であり。

 同じ後悔を背負った仲間である二人のあれこれがすべて終わってから、何とも遅れに遅れた男が、ようやく裏庭へと到着したのであった。


「ねぇ、タイガ。一ついいかしら?」


 先ほどの会談から変わらず、仲良く二人でベンチに座っていたクロバとイグサ。二人が抱いた疑問は共通して、遅れて到着した宮村の姿にあった。


 代表するようにクロバが訊く。


「なんだよクロバ」


「なんでそんなに汚れてるのよ」


 宮村は土まみれだった。一体何があったのか、制服は乱れに乱れ、端々には泥とも砂ともわからぬ汚れが付きまくっている。果てには、どこかの生垣にでも突っ込んだのか、葉っぱの群れが草冠でも作るように宮村の頭に引っ付いているのだ。いったいなにがあったのか。ここに自分たちを呼んだ要件よりも、そっちの方が気になってしまう。


 けれど、その質問に対する宮村の回答は単純なもので。


「転んだ」


 たったそれだけだった。


「はぁ」


 思わずクロバはため息を付くように呆れた声を出したけれど、事実、本当に転んだだけなのだ。宮村が屋上からここまで来るまでの十数分。階段で転げ落ちること二回。何もない道で転ぶこと三回。水やり後の花壇に突っ込むこと一回という結果を経た果てに、宮村は土まみれ泥まみれとなった。


 まあ、彼も彼でかなり状態が悪いから仕方がない。これでもサッカー部が誇る黄金の足によって強かに殴打されたばかりなのだ。健常とは言い難いぐらいには、彼は消耗している。


「まあ、なんだ。戦った結果というか、無様に負けた結果というか……とりあえず俺から言えることは、天空寺先輩の件はもう気にしなくていいってぐらいだ」


「ああ、そう。……ちょっといろいろ心配だけど、まあそういうことにしておくわ」


 何があったのか非常に気になる二人。けれど、クロバはこんな状態になってまで、ここに来た宮村の意図を汲んで、そしてイグサは気にしなくていいといった宮村を信じて、これ以上質問を続けることはなかった。


 ただ、それはそれとしてけがをしていそうな宮村を心配したイグサは、どうにか応急処置をできないかとバックを手に取り宮村へと近づこうとベンチから立ち上がる。


「あ、私、タオル持ってるから! 応急処置しかできないけど……」


「ああ、いや。その前に言いたいことがある。というか、そのために集めたんだ」


 ただ、イグサの行動を宮村は止めた。

 どうやら、自分の現状を無視してまで伝えたいことがあるらしい宮村だ。ただ、問題があるとすれば、肝心の二人は、宮村に呼び出されたことを忘れていたぐらいには、先ほどまでの会話に意識を取られていたことだろう。


 それもそうだ。彼女らは今しがたお互いにその意思を確認し、スタートラインに立ったところで、それは差し詰め戦争前の宣戦布告と言っても過言ではないだろう。


 それぐらいに重要な話だったせいで、宮村と待ち合わせをしていたことを完璧に忘れていた。だから二人して目を泳がせながら、忘れていたことをなかったことにしようとしていた。


 ただ、そんな事情を知らない宮村は、自分が来るまで待っていてくれた二人へと謝罪した。


「えっと、中学校の頃からいろいろあったお前らを二人にして悪かった。きっと何をしゃべっていいかもわからないぐらい気まずかったと思う」


 確かに気まずかったし、何をしゃべっていいかわからなかったのも事実だけれど、もうその段階はとっくに過ぎていて、今となっては互いを好敵手のように思うぐらいには二人の仲は深まっている。


「喧嘩をしてるかもしれない、なんて思ったけど。まあ、何もなくてよかった」


 喧嘩はしてる。宮村を取り合う喧嘩だが。それに何もなかったわけじゃない。連絡先を交換するぐらいには何かあった。


 ただ、何があったのかを宮村は知らない。


 彼は何も知らない。


 だから。


「あー……えっと。これからすごい卑怯なことをするが……卒業式の日のことはわるかった! 思わず言っちまったことだったけど、結構酷いことを俺は言った。許してくれ! 俺はお前らと遊んでた日が楽しかったんだ! だから、もう一回。友達としてやり直させてくれないか!」


 彼の決死の選択も、今となってはなんてことはない話でしかなかった。どうもこうもなく、から回ってしまっていた。


 だって二人は、もう次に進んでいるから。


「……引き分けね。いまのところは」


「あ、えっと……うん! たいちゃん、土曜日の予定は楽しみにしてるからね!」


 というか、友達としてやり直したいのならもうしている。

 玄羽とはデートという名で遊びに出かけているし、伊草とは次の休日に遊ぶ約束をしてしまっている。


 だからあとは、彼だけが進めるかどうか。

 進むことに前向きになれるか、どうか。


「……なんか空気感違くないか二人とも?」


「そりゃそうよ。私たちはもう次に進んでるもの。だから、タイガ。あとはあんただけよ。もしも卒業式の日のことを後悔してるってんのなら、今の謝罪で許してあげるからさ――」


 ちらり、と玄羽は伊草を見た。


 まだまだ玄羽のことをよく知らない伊草は、そのアイコンタクトが何を伝えたかったのかわからない。けれど、話を振られたことには違いないので、彼女は言葉を継いだ。


「え、えっとたいちゃん!」


 ぴょんと跳ねるようにその言葉に反応したイグサは、緊張した足取りで宮村へと近づいて、その手を取った。


「私たちは返事、待ってるから!」


「……ま、そうね」


 続いて玄羽もベンチから立ち上がって、空いている方の宮村の手を取った。


「あんたのそのバカみたいな主義が変わるぐらいにメロメロにさせてやるわよ」


 あの日の続きは始まった。

 

 


 



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