第17話

 やっぱり来るんじゃなかった。

 数メートル動くのにも苦労するような人混みの中で、七緒はうんざりとそう思った。


 まだ神社の敷地内にすら入っていないのに、周囲は人間でごった返している。

 特に人が溢れているのが商店街だ。二方から伸びる商店街の終着地には、レトロな木造の建築物――道後温泉本館がある。

 そもそもこれが一体何なのかというと、かつて聖徳太子も訪れたという歴史の長い日本最古の銭湯だ。道後が四国一と言わしめるほど名の知られた温泉地となったのには、この道後温泉本館の威光が大きい。


 この本館の裏手、長い階段の先に君臨するのが、道後の湯を司る道後湯神社。

 七緒が目指す湯神祭とは、まさしくそこで行われていた。


「ねえ、あれって若旦那衆のグッズコーナーじゃない!?」

「えっやば!!ほぼ完売じゃん!」

「やっぱこっち先に来ればよかったね〜」


 女子高生たちが騒ぎながら駆け去った後で、七緒はそろりと顔を上げた。目深に被ったキャップを深く被り直す。

 聞き間違いでなければ、グッズコーナー? と言っていた気がする。温泉旅館の若旦那のグッズなんかあるわけない。そう思っていたのに、商店街の真横に設置された時計塔の下には、なんとテント三つ分の特設コーナーが展開されていた。

 バカでかいブロマイドと、その上にもれなく貼られた完売のシールが目に飛び込んでくる。


「……」

 七緒は見なかったことにして、いそいそとその場を通り過ぎた。

(さっさと蔵元と会って打ち合わせして帰ろう)


 聞く話によると、蔵元が立ち会わなければいけないのは主催や来賓に御神酒を振る舞う午後三時までの間だけだという。それ以外の時間は祭りの運営側が人手を出してくれるとのことなので、七緒はその時間帯を狙ってこの場を訪れていた。時刻はもう直ぐ三時となる。


「面神楽すごかったわねえ」

「壮観だったな」


 行き過ぎる人々の会話を聞くに、どうやら神楽はすでに終わったらしい。ちらほらと恭弥の名も耳に入ることから、さぞ目を惹く活躍をしたのだろう。


(……少しくらい、早めに出ればよかったかな)


 そんな考えもよぎったが、すぐに頭を振って追い払った。

 恭弥に見つかったら、まるで自分が彼を追いかけてここに来たようではないか。連絡の一つもよこさない相手にそんなことを思われるなんて、さすがに七緒のプライドが許さない。


(今日は絶対、彼には会わないようにしないと)


 今一度気を引き締めて帽子を被り直した七緒は、勢いよく石畳の最後の階段を踏み締めた。その矢先、ぼんと顔面から人に衝突する。

「す、すみませ……」

 よろめいた七緒は、したたかにぶつけた鼻を押さえながら慌てて顔を上げた。


「あ?」

「なんじゃ、いきのええ姉ちゃんじゃの」


 そこにいたのはどう見てもカタギとは思い難い集団。七緒が顔からぶつかったのはどうやらその頭領と思しき男だったらしい。真っ青になって硬直する七緒に、黒紋付袴の男たちはわらわらと群がってくる。


「おお、わし好みじゃ。どうじゃ、一緒に飲んでかんか?」

「引っ込んどれ十兵衛。嬢ちゃん、わしとどうじゃ?」


 あ、いえ、その、と引き攣った笑顔を浮かべながら断りの言葉を探していると、「七緒さん!」と急に背後から腕を引かれた。

 七緒は振り返って大きく目を見開く。

 そこにいたのは、額に汗を浮かべた薫だった。


「え、薫さん、何で」

「………申し訳ないが、彼女は僕のツレだ。他を当たってくれませんか」


 珍しく語気の荒い薫に驚いているうちに、ヤク――黒紋付袴の集団も応戦体制をとっていたらしい。しかしどこからか「カタギと揉めんな馬鹿共」 という声が響き、結果としては事なきを得た。

 腕を引かれ、七緒は直ぐにその場から離れる。




「あなたは、どうしてそう危なっかしいんです……!!」


 七緒の腕を引っ張って人混みを抜けた薫は、七緒を屋台の裏の植木に腰掛けさせると、つぶさに彼女の身の回りに視線をやった。


「怪我は? 何か酷いことはされませんでしたか?」

「さ、されてません……」


 どうしてこんなところに薫がいるのか、未だ状況を理解できず目を瞬かせる七緒の前で、薫は小さく安堵の息を吐いた。

 かと思えば、次の瞬間には普段通りの険のある一言が放たれた。


「まったく、大人なんですから、もう少し行動に責任を持ってください」

「……それはご親切にどうも。もう大丈夫ですから離れてください」


 その言い振りに、七緒も彼に対しての憤りを思い出した。

 薫の手を払ってそっぽを向く。

 彼に対してこんな振る舞いをしたことはない。薫は一度驚いたように手を止めたが、やがてゆっくりと七緒から離れ、しばらくの間険しい面持ちで彼女を見つめた。



「……あの男と付き合うことにしたんですか」

「…………は?」

「道後老舗、春灯亭の桐谷恭弥」


 薫の口から思いがけない名前が出たことで、七緒は再び目を見開いた。彼女の明らかな動揺を肌で感じ取った薫は、自分の中に黒々とした嫉妬が湧き起こるのを感じた。


「先日の今でもう次の相手ができるとは。あなたがそんなに尻軽だったとは思いませんでしたよ」


 気付けば、そんな言葉を口にしていた。

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