【転②】運命の日
そして、数年の時が経ち――運命の日。
グレモラの成人の日が訪れた。
3人の兄のものはとうに終わり、今年でようやく末の子であるグレモラの番が訪れたのである。父である国王と食事の席を共にする、一年のうちに数度あるかどうかの機会だった。
「今日は皆で成人したグレモラを祝おうではないか」
父のその言葉で食事が始まる。しかし、そんな祝いの場であっても毒見役の従者を付けているのが、『デアノリス家の食事』だった。
テーブル上の料理を配膳役の従者が取り分け、それを毒見役の従者が受取り、小さく切り分けて口へと運ぶ。そんな兄たちの席の様子を横目に、グレモラだけが遠慮なく料理を次から次へと食していた。
兄たちは怪訝な表情でグレモラを見ている。
王は不思議そうな表情をして、彼に尋ねた。
「今日は誰かに毒を盛るには絶好の機会ではないか? いつ、誰が料理をすり替えたとも限らん。そのような恐れ知らずでは、命がいくつあっても足りないのではないか、グレモア?」
その言葉には嘲笑の色も混じっており、本気で心配しているわけではなく。
むしろ、このような状況を楽しんでいるようにも見えた。
「父上には私が兄上たちのような臆病者ではない、ということを知っていただきたいいのです。誰であろうと、僕の食事を邪魔することすら出来ません。ほら、この通りに――」
グレモラは挑発的な笑みを3人の兄たちに向けながら、グラスに注がれたワインに口を付けた。ワインは一つの
「グレモアめ……調子に乗りやがって」
グラスに毒が塗られている様子もないことを確認し、兄弟たちも従者による毒見を挟まずに同じように口を付けたのだった。
――――――
『――僕はお前のその舌が欲しい』
悪魔と出会ったその日、グレモラは誘いに対してそう答えた。
「悪魔よ、その舌を僕にくれ。他のものは全部くれてやる」
「くはは……奇妙なことを言うものだ。この私の舌が欲しいだと? いったい何ゆえに? 王になるためには舌など必要ないだろう。負け犬として誰かの靴を舐めるのぐらい、自分の舌で行ったらどうだ。そんなことに私の舌はやれないからな」
グレモアの珍妙な願いに、悪魔は一瞬目を丸くしてから、蔑みの言葉を投げた。
しかし、グレモアの表情は真剣そのものである。
「……何を食べても、美味しくないんだ」
骨と皮だけになりつつあった腕で、ベッドの毛布を抱きかかえる。
「怯えながら食事をするのはもう嫌だ。悪魔の舌なら毒なんて平気だろう? そんなものは気にせずに、好きなだけ、腹いっぱいに食事ができることが僕の願いだ」
その切実な願いに、悪魔は『ほう……』と、これまでとは違った反応を見せる。
「私を"暴食の悪魔”と知ってか知らずか……。そんなことを願うとは、実に面白い餓鬼じゃあないか。身体の方は不十分だが、頭はそう悪くはないらしい。……いいだろう、他の者よりもお前に付いたほうが面白そうだ」
目を細め、悪魔はグレモアへと手を伸ばす。
「さぁ、舌をこれでもかというぐらいに出すんだ。お前に私の舌を与えることによって、契約は完了する」
そう言われるがままに――グレモアは悪魔を見上げ、口を開いた。
――――――
「どの料理も絶品ですね。きっと最高の食材がふんだんに使われているのでしょう」
グレモラは次から次へと、テーブルに並んだ料理に手を付けていく。兄たちは一品一品に毒見を挟むため、彼らとグレモラの食事のスピードには差があった。
大皿に盛り付けられた肉料理から、グレモラが自分の分だけを取り分け、美味しそうに頬張り始めたところで兄の一人に異変が起きた。
「い、いぃぃぃい! 痛い、痛いっ!!」
グレモラの正面で突然に立ち上がり、痛い、痛いと叫びながら喉元を掻きむしり始めたのは、第三子の兄だった。その次の瞬間には、グレモラの右隣に座っていた第二子の兄が血の塊を勢いよく吐き出す。
毒見役の従者たちは驚愕に目を見開きながら顔を見合わせていた。
その惨状に顔を青ざめさせたのは、残った第一子の兄である。
彼は糾弾するように、震える手でグレモラを指さした。
「毒を仕込んでたな、グレモラ……! いったい、どの料理に――」
「この卓に並べられた全ての料理にですよ、兄上」
満面の笑みでグレモラはそう答えた。
まるで今日の空模様を答えるかのように、明るく朗らかな返事だった。
「ワインに仕込んだものだけが特別強い上に、他の毒にも影響を及ぼしているんです。どの症状が当たるかは運次第、効果が出る時間も様々といったところだろうね」
兄たちにワインさえ飲ませられればそれでよかった。
あとは誰がどの料理に毒を入れていようが関係ない。
なぜならば、悪魔の舌に毒は効かないのだから。
「じゃあ……じゃあ、なんでお前は平気なんだ……!?」
兄たちと同じワインを飲んで、兄たちと同じ料理を口に運んだ。悪魔との契約のことなど露とも知らない彼らは、ただただ混乱と絶望に包まれるばかり。
「……さぁ? 毒はともかく、料理はとても美味しかったのは確かだね」
そう答えて、手元の皿に残った一枚の肉を口に放り込み、美味しそうに咀嚼する。
じっくりと味わうようにして
「グレモラ……この化け物め……!」
このままでは済まさないと、兄は手元にあったナイフを握った。……が、立ち上がっても顔は青ざめたまま、どころか血の気が完全に引いて真っ白となっていて。ぐるんと眼球が天井へ向くと同時に泡を吹いて倒れてしまった。
「誰も食べないのなら、僕が全部いただいてもいいですよね? 父上」
「あぁ、好きなだけ食べるといい。ここにあるものは全てお前のものだ」
何事もなかったかのように食事を続けるグレモラを見て、王は満足そうに笑う。
誰かが、『まるで悪魔だ』と呟いた。
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