第45話 捨て駒の施設
運命の番。
最も相性の良いαとΩが出会った時、本能でそれが分かると実しやかに囁かれているが、真相は不明である。
なにせ、島の歴史を保管する神殿ですら、運命の番を具体的に観測した事例が無い。近親相姦を避けるために、血縁の遠いものに惹かれやすい様に本能が働きかけているのでは、と一部の学者が唱えているが、答えに辿り着けた者はいない。
定期的に話題に上がるが、迷信、伝説の部類となっている。
「う、運命の番……?」
「そうです! オメガは運命の番と出会うと、他のαを避けるようになるんですよ! 貴方が先生のαの香りを拒絶したのが、何よりの証拠です!」
嬉々とする女性に反して、ベレクトは顔を引きつらせる。
汗や唾液に含まれるαの媚香は、二種類存在する。βに対する階級社会の形成と維持を行う香り。Ωの誘導と発情体制へ変化させる香りだ。ただし、後者は興奮もしくは発情している状態でなければ効果は薄い。
番となったΩが、αの匂いの付いた衣類を集めて巣作りをするのは、其れが理由だ。
裏を返せば、媚香を定期的に嗅がなければ、発情期の迫る本能が揺さぶられ、身体が反応しないことを意味している。
実際に、番の有無に限らずαの媚香を嗅いだΩとそうでないΩの差について、研究がなされている。その過程で、αの媚香を嗅いで予定よりも早くに発情したΩが〈運命の番〉と錯覚し、被害を受けた事例が数多に出てしまっている。
つい先ほど、Ωの1人が発情したと言っていた。
周囲のΩ達は〈先生〉がいると分かると高揚気味になった。
嗅ぎ分け、特定の媚香に嗅ぎ続けているとΩ自身が認識しているなら、彼、彼女は定期的に。
「もしかして、違うのでしょうか?」
ベレクトの反応の薄さに、女性は困った様に問いかける。
「……初めて聞く話だったので」
「初めて聞くなんて……やっぱり、通りすがりの相手の香りに見入ってしまって話は、本当だったのですね!」
「は……?」
「それなら、経験豊富な先生にお任せください!」
フェンの媚香にベレクトはΩとして虜になっている。そこまでなら、まだ理解できる話であったが、運命の番の話しから斜め上の方向に進み始める。
女性の姿が、一瞬揺らいだように見えた。
「あのー。拒絶してるなら、近づけない方が良いんじゃないですか?」
リュートルは看護師がこれ以上ベレクトに近付かないように、間に入る様に半歩前に出る。
「いえいえ。αにも上下がありまして、先生の香りを間近で嗅げば直ぐに間違いと分かる筈です!」
女性の目が、完全に据わっている。
新王教団の誘拐犯は自分達に都合の良い様に解釈し、話を周囲に広めているようだ。そして、看護師である彼女は其れを一身に信じてしまっている。
女性と母親の姿が重なり、ベレクトは身体を強張らせる。
「もしも、本当に運命の番がいるとしても、ですよ? 未経験では苦労も多い事でしょう。先生の手ほどきを受ければ、きっと番の方もご満足……」
「待ってください。貴女は自分が何を言っているか、分かっているのですか?」
急激におかしくなる発言に、リュートルが苦言を呈した。
何かが軋む音がした。
その瞬間、女性は白目をむき、まるで糸の切れた人形のように床へ倒れ込んだ。
悲鳴と困惑の声を上げるΩ達だが誰も女性を心配せず、〈先生〉は一切反応しない。
代わりにゴン、という大きなものが落ちる音が衝立から聞こえてきた。
「ベレクトさん。伏せて!」
リュートルはその音が何であるか即座に理解した瞬間、ベレクトに覆いかぶさるように床に体を丸める。
次の瞬間、衝立から大きな爆発が発生する。衝撃波と音にベレクトは耳を塞ぎ、口を開けて低い姿勢を取る。
「もう大丈夫ですよ」
「今のは……」
起き上がったベレクトはあたりを見渡す。
重計などの調査器具は倒れ、椅子や机は無残な状態になったが、何故か壁や天井は無傷だ。やはり、フェンが来られない理由は建物にあるようだ。
巻き込まれたΩ達やベレクトの周りには、リュートルが撒いたと思しき神鉱石の小さな宝玉が幾つか転がっている。あの中に奇蹟による防御壁が組み込まれていたのか、Ω達は爆発から免れた。
そして、衝立の向こう側、奥に在ったのは首の無い木製のマネキン人形だった。
「どうやらΩ以外は、人形のようですね」
2人の前に倒れていた女性もまたマネキン人形に姿を変えていた。
人形には、顔、胸、両肩、腰、両足と複数箇所に神鉱石の宝玉が埋め込まれている。
「人間に見えるよう幻影を発生させ、遠隔で操作していたのでしょう」
「そんなこと、できるのか?」
「この建物限定だから、人を騙せるほど精密に動けたのだと思います。こんなの、初めて見ました」
奇蹟は、念じた現象や物の再現が出来る。しかし、曖昧であればある程に効果は薄く、機能しなくなる。習性や形状、材質などの知識を頭に入れるのは、その曖昧さを避けるためだ。そして条件を付ける事で、その曖昧さを抹消し、盤石な力を発揮できるようになる。
ただし、奇蹟を扱う本人の才覚や力量、神力の保有量など、経験が物を言う場合もあり、条件を付けたところで全てが上手く行くとは限らない。医療の現場で主に奇蹟が使われるのは、先人の知識や経験、ノウハウがしっかりと組み上げられているからだ。
「ベレクト! これは一体どういうことなの!?」
爆発を聞きつけた母親が、我が子の心配を一切せずに怒りの形相で攻め立てる。その背後には信者らしき人物がいるが、全員男だ。αが2人、βが4人、若くとも40代以上と見られる。
「なんてことをしたの!? 折角、新王様が貴方を心配して、いらっしゃったのに!」
「新王? どこですか?」
リュートルは間に入り、問いかける。
「新王様は、お医者様でもあるの。島の各地を巡っていらっしゃるから、今日は奇蹟を使ってこちらに降臨なさっていたのよ」
衝立の奥に在ったマネキン人形は新王の奇蹟で動いていた。
あの爆発は新王が仕掛けた事になる。だが彼女達からすれば、ベレクト達が拒絶し、新王が罰を与えたとでも思っているのだろう。
「ベレクト! 貴方は何をやってるの!? 新王様と繋がりを持てる絶好の機会だったのに! 貴方もようやく花嫁となり祝福されるはずだったのに!?」
癇癪を起す母に、ベレクトは嫌悪の表情を向ける。
帰らない双子の弟の話しばかりした挙句に、息子を誘拐して来るような組織の方を持つ。この人は本当に何がしたいのだろうか。
震える体を必死に抑え、これが絶縁の決定打になると言い聞かせ、ベレクトは自身を鼓舞する。
「花嫁探しも、健康診断なんて嘘だろ。候補から外れたとか言い訳を付けて、あんたらはΩを汚したいだけだ」
ベレクトは大学時代に、似たような事があった。歓迎会と称して、αとβに囲われかけたのだ。誘われた当初から違和感があり、課題の提出し忘れと称して逃げ、エンリの診療所に匿って貰い、事なきを得た。
「察しはついていたが、本当にどうしようもない人たちだな」
Ωの初体験を奪いたい。犯し、快楽を得たい。そんな汚らしい欲望を持ったαやβは、何処にでも湧いて出てくる。母親の後ろにいる男達は、健康診断を終え、媚香を嗅いで発情に近付いたΩ達と〈繋がり〉を得るために新王に呼び出された様に思えて来る。
「なんですって、あの御方もこの方々もそんなこと」
「俺には、Ωを餌にαとβを使って、神力を集めてようとしている風に見える」
Ωは額に宝玉が無いために神力を集め保管する。体内の許容量を超えると異常をきたす為、神力の消費と譲渡を目的としたのが〈発情期〉ではないか。そんな説がある。
マネキン同様に、この建物にも神鉱石宝玉が埋め込まれていると仮定した場合、奇蹟を内包し、一定の神力を内包している。それによってマネキンを人と誤認させる強力な力を発動する事が出来る理由になる。けれど、力が大きければ大きいほどに、消耗は激しいものだ。
空っぽになってしまった神鉱石に神力を注ぎ込むために、この施設で一定期間が過ぎたΩを集め、αとβを利用し発散させる。
二階の窓のない部屋にΩを軟禁し、非人道的な行為が行われるのが目に見えている。
「俺を取り込もうとしたのは、逆効果だって考えればわかるはずだ。この無計画さからして、その新王は今回の事態を〈失敗〉と見なし、証拠隠滅の為に逃げたんじゃないか?」
マネキンであった女性が、徐々に発言がおかしくなっていった。欲望を隠しきれなくなった、とでも言うのだろうか。本来の目的とも思える話を喋り始める姿に、ベレクトはある確信を得ていた。
この施設は、神力が枯渇し始めている。
「ベレクト。どうしたの? 昔はあんなに良い子だったのに。聞き分けが良くて、お母さん想いで優しいあなたは何処へ行ったの?」
唐突に同情を誘い出す母の言葉がベレクトの心に響くわけもない。
常に支離滅裂な人を、どうして母と思っていたのだろうか。
「もう終わりなんだ」
ベレクトがそう言った瞬間、壁に亀裂が入り、其れを辿る様に光を帯びた。
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