第43話 不安と心配

 意識を取り戻したベレクトがまず目にしたのは、白い天井だった。暮らしていたアパートの壁に色合いが似ており、今まで夢を見ていたのかと思った。しかし、風に乗って甘い匂いが通り過ぎ、現実へと引き摺り戻される。

 起き上がり周囲を確認してみると、清潔そうなベッドが8台並び、間仕切りの医療施設用カーテンが設置されている。病院の様に見えるが、相部屋は4人が標準だ。また部屋には窓が無く、染みついた消毒の香りもしない。

 同じく倒れたはずのイースは居らず、閉鎖的な空間に妙な胸騒ぎを覚える。

 服装を確認すると、普段着のシャツとズボンと倒れた時のままだ。靴はベッドの傍らに置かれ、いつでも行動に移せる。


「あっ……」


 しかし、フェンから貰ったブローチが無かった。

 探さなければ、と一瞬思ったが、踏み止まる。

 誘拐犯がブローチを隠し持っている可能性が充分にある。下手に探せば、弱みと見なされ、さらなる窮地に追い込まれかねない。

 結ばれている誓約によって、フェンへは異常事態が伝わっている。ブローチを失うことになっても、彼なら許してくれるはずだ。

 まずは脱出が最優先だ、とベレクトは自分に言い聞かせる。


「あら、ベレクト! 起きたのね!」


 ベッドから立ち上がり、靴を履くために屈んだ時、出入り口から母親の声が聞こえてきた。


「か、母さん……」

「倒れていた所を、教団の皆さんが運んでくださったのよ? お礼をしに行きましょ?」


 にこにこと笑みを浮かべ歩み寄って来る母親に対して、ベレクトは一歩後ろへ下がろうとするが、ベッドに足をぶつける。


「ここは、どこなんだ?」


 嘘を交えつつ、ここが何処なのか遠回しに訊いた。


「どこって、東の新王教団の本部に併設された病院よ」

「東?」

「まだ意識が朦朧としているのかしら。前々から建設されるって話していたじゃない。ここに運ばれて来る時には、顔が真っ青で譫言を言う位に危ない状況だったそうよ。無理しないでね」


 心の底から心配している。そんな表情で言う母は、教団側の言い分を信じているようにベレクトには見えた。

 白衣の医療団の中に潜んでいた教団の信者が、島の中央にそびえる神殿の湯場から東区まで運んだ。迷路のように細く入り組んだ島では馬車や荷車を使うのは難しく、目立たずに動くとなれば、老朽化と共に封鎖されたはずの地下通路を使ったと想定される。外界からの襲撃から身を守るために作られた場所だが、暗躍するには打ってつけだ。


「俺と一緒にいたはずの、イースはどこに?」

「あら、イース君もいたの? でも、お医者様から聞いていないから、きっと平気よ。今頃は漁に出ているわ。漁師だもの」


 漁師の仕事は、深夜又は夜明け前に始まる。そして、島の皆が動き始める朝方に港へと戻り、競りなどを行い、昼過ぎに仕事を終える。昼から船を出す漁師がいるとすれば、設備の点検や餌やりに来た養殖業者位だろう。

 漁師と縁が無くとも、食料品を買うために港の市場に行く過程で、自ずと知り、常識として身に付いて行くものだ。

 ベレクトの実家の周りは、イース一家を含めて漁業の関係者が沢山暮らしている。彼らの出勤と退勤の動きは、自然と目に入る。知らないなんて、ありえないはずだ。


「さぁ、さぁ、こんな所で油を売っていないで、行きましょう?」

「行くってどこへ?」

「貴方を助けてくれたお医者様の元に決まっているじゃないの」

「突然行っては失礼だ」


 話し声を聞きつけて看護師が来ても良いはずが、誰も来る気配が無い。


「もしかして、怖いの? 昔から医者嫌いよねぇ……」


 母は大きくため息をつく。

 物心ついて以降、ベレクトは熱を出しても1人で耐えていた。気まぐれのように普段は無関心の父が〈昔のあいつは、もう少しマシだったのに〉とぼやきながら、診療所に連れて行ってくれた記憶が指折りあるだけだ。

 母はベレクトの双子の弟カルダンを、父は妻を見つめている。

 その思い出の人は、誰だろうか。


「すいませーん。俺の友人が、倒れたって聞いたんですけどー」


 その時、聞き覚えのある声が部屋の外から聞こえてきた。

 リュートルだ。

 下手に何か言えば拗れると思い、ベレクトは平静を装いながら母を観察する。


「あら、お友達?」

「学生時代からの仲だ」


 僅かにだが、母親の目が鋭くなった。


「αかしら?」

「Ωだよ」


 直ぐにそう返すと、母は満面の笑みを浮かべる。


「それなら、会わないといけないわね。お医者様に目覚めたと伝えておくわ」


 母は部屋の出入り口まで行くと、入室許可を待っていたリュートルに声を掛けた。そして、彼の入室と共に遠のく足音が聞こえた。


「……変な人ですね」

「だから、離れたんだ」


 小さく呟いたリュートルに、ベレクトは苦笑する。


「同じ西区に住んでいるのに、どうしてここに居るんだ?」

 ベレクトは嘘を交えて問いかけた。


「あれ? 話しませんでしたっけ? 俺は、東区生まれなんですよ」


 壁に耳あり、と諺がある。どこの誰かに聞かれているか分からない。

 リュートルは即座に理解した様で、彼の嘘に乗って答える。


「初耳だ。西区に詳しいから、てっきりそちらの生まれとばかり思っていた」

「そりゃー、あなたより人生の先輩なんですから、知ってて当然ですよ」


 彼はわざとらしく肩を竦める。


「まぁ、今とは違って小さい頃は体が弱くて、ずーっと神殿の湯場に通っていましたからね……調子の良い時にこちらへ帰っていましたが、結局は部屋の中ですし、面識が無くても仕方ありません」


 半分は本当なのだと、ベレクトは気づいた。教団の病院とされるこの建物へ難なく入れたと言うことは、東区内に面識のある人物がいる証拠だ。1人ではなく、複数人。神殿側だけでなく、家族、東区の住民も含まれている。

 奇蹟ではなく専用の染料で髪を染めているのも、外殻の住民から信頼を得るためだ。

 外殻の住人として聖徒が潜伏していると考えていたベレクトだが、まさか赤ん坊の頃からとは思っていなかったので、内心驚いた。


「それにしても、意識が戻って良かった。久々に実家に帰って来たら、父から〈病院へ担ぎ込まれる人を見た。若いΩのようだったから、おまえの友達じゃないか 〉って話を聞いて、急いで来たんですよ」

「俺の話を、家族にしていたのかよ」

「同じΩの友達が出来るのが初だったので、つい嬉しくなっちゃって」

「変なこと言っていないよな?」

「もちろんです!」


 東区に潜伏している聖徒または外殻の協力者が、ベレクトが教団の病院へと搬送されたのを目撃している。神殿は、以前から教団を注視している。

 建物から脱出さえできれば、彼らに保護してもらえる。

 難題であるが、僅かに希望が持てた。


「それなら良いが……おまえの家族にまで心配をかけたな。さっさと退院して、一緒に挨拶しに行くか」

「でも今日、教団員のΩの合同健康診断が行われるそうなんですよ」

「Ωの、合同健康診断?」


 漁業組合等の大きな組織が、職員及びその家族の健康診断を実施するのは、雇用主としての義務だ。神殿では、女性だけでなくΩ専用の健康診断を定期的に実施している。

 多くの信者を抱える教団が実施していても、おかしな話ではない。

 しかし、誘拐した挙句に健康診断とは、露骨すぎる。相手は何か焦っている様に感じる。

 エンリから聞いていた〈新王の花嫁探し〉と繋がり、嫌な予感しかしない。


「俺もあんたも職場で毎年健康診断を受けているだろ? 断れなかったのか?」

「ベレクトさんは、今日倒れた原因を調べたいそうです」


 リュートルは西区の人間であるが、湯治をしていたので神殿との繋がりがあるとみなされている。対してベレクトは、湯場での寝泊まりはストーカー被害の保護なので、比較的浅いと判断されたようだ。

 ここで囲い込み、内通者に仕立て上げようとしているのだろうか。

 それとも、診断結果から、新王の花嫁の1人にでもしようと言うのか。


「今日は恋人と会う予定なんだ。本当に、断れないのか? その……心配して、こっちに押し入るかもしれないぞ」

「溺愛されてますからねぇ。いっそ、ここで〈この人と末永く幸せに暮らします!〉って宣言してみては? きっと沢山の方が祝福してくれますよ!」


 フェンと彼の護衛達がこちらに向かっていると暗に言われ、ベレクトは不安と心配で胃が痛くなった。

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