第36話 湯治の場に隠れ潜む (ごく一部修正)
湯場に移動したベレクトに、やや高い値段の部屋が宛がわれた。皇族の誓約者ならば外界の客向けに最高級のスイートルームを用意すべきだろう。しかし独身のΩが1人泊まるとなれば悪目立ちしてしまうので、一般人でも奮発すれば泊まれる部屋が選ばれた。
神殿内に作らえた湯場の宿泊施設は、吹き抜けの中央エントランスホールを中心に円柱状の建築をしている。神殿と同じく柱や壁は白の石材で統一され、ホールの床は華やかな花の紋様のタイルが敷き詰められている。部屋に入る際には、必ず吹き抜けの廊下を歩く必要があり、不審者が侵入しても直ぐに分かるように防犯対策がなされている。また、犯罪が起きないよう監視するだけでなく、急病人が出た際に迅速に対応できるように各階には警備員が常駐している。
「エンリ先生がそろそろ来ますよー」
一連の騒動が終わった翌日、宿泊施設3階のベレクトの部屋の前に若い男が立っている。
僅かに扉を開け、立っているのが彼一人であると確認したベレクトは、廊下に出た。
「もう、そんな時間でしたか」
「はい。先程、警備の人が教えてくれましたよ」
奇蹟では無くあえて専用の毛染め薬で茶髪に染め上げたΩの聖徒。名前をリュートル。髪の色を変えても瞳は青いが、着古したシャツと茶色のズボンを着ているお陰で、活発そうなΩの青年もしくは外界出身の若者に見える。
彼は〈殿下から演技しろって言われたんですけど、オレの性格じゃー無理なんでー〉と自己紹介時に言って、さっさとαの第一皇子センテルシュアーデの誓約者であると白状した。
気苦労が絶えなさそうなαの第一皇子に同情すると共に、Ωでも戦闘が出来る人材がいる事に驚いた。年代を考えれば、先代聖皇メルエディナより実力者を第二の性に固執せず実力者として扱い、雇用する価値観が神殿に根付きつつあると考えられるが、皇族の護衛を務める人材となれば別格だ。
護衛としては信頼できるだろうが、底が知れなくて怖い。そうベレクトはリュートルに対して思っている。
「お茶淹れますか? オレって結構上手いですよ」
年はベレクトよりも3歳年上の24歳であるが、神殿で関わった聖徒の従者達に比べて〈後輩〉や〈舎弟〉のような態度を取っている。
大学への飛び級や就職で近い年代のΩから妬まれた経験のあるベレクトは、最初から好意的なリュートルの扱いに内心困っていた。
「あなたは自分の部屋で休んでいてください」
「えー! つまんないじゃないですかー! 俺が!!」
不満の声を漏らしたリュートルを背に、ベレクトは階段近くでエンリを出迎えようと歩き出した。
その時、
「ベレクトはどこですか!?」
エントランスホールに響く大きな声に、ベレクトは硬直する。
「失礼しますねー」
リュートルがすかさずベレクトに青色のバスケットハットを被せた。
「オレが下の様子を確認するので、ベレクトさんは部屋に戻ってください」
青ざめるベレクトは無言で頷き、事情を知る警備員が駆け寄る。彼女にベレクトを任せ、リュートルは吹き抜けのエントランスホールを見下ろした。
受付カウンターの前に若いαがいる。
身長、髪の色、体格、その風貌と先程の発言から、イースであるのは確定だ。
相対するのは受付の職員では無く、白衣の医療団の制服を身に纏う4人だ。おそらくあの中にエンリがいる。全員ほぼ同じ背格好をしており、特定されないよう対策した様だ。
リュートルは胸ポケットに入れていた青い結晶を取り出し、耳に当てる。
「この中に西坂の診療所の医者がいますよね? ベレクトを何処に隠したのか教えてください」
受付のネクタイピンに埋め込まれた青い結晶から受信される音声に、リュートルは眉を顰める。
「何を仰られているやら……我々は、湯治場のため長期滞在する方の診察を任されているだけに過ぎません」
肩を掴まれた白衣の医療団の1人が、静かな声音で言った。
長期滞在をする場合、神殿に申請書を出さなければならない。そして、偽装し不法滞在をしていないか調べるためにも白衣の医療団が客の定期的に診察を行っている。
「この湯場は、人々の疲れと傷を癒す神聖な場所です。荒事は持ち込まないでいただきたい」
「俺は彼の身を案じているだけです!」
「おや、その方は酷い容態の様ですね。ここではなく、病院にいらっしゃるのでは?」
団員はあえて斜めに解釈をした発言をする。
「……全部の病院を見て回りました。避難所だって行きました。あとは、ここだけなんです」
Ω専用を含め、家庭内暴力などから逃げるための避難所は、役場や治安維持局の詰所に彼らが来て、緊急時と判断した時にのみ初めて位置を知ることが出来る。利用者に対しても、漏洩しないように契約を取り付けなくてはならない。
いずれ情報が洩れるだろうとは考えられていたが、αの若者が平然と言ったのがリュートルには引っ掛かった。
「教えてください。俺は、あいつを守りたいんです」
「仮にその方の居場所を知っていたとして、傷付いた被害者を守る為の避難所に赴く方には教えられませんよ」
心的外傷後ストレス障害、うつ病、パニック障害、摂食障害など被害を受けた人々は、難を逃れても苦しみ続けている。
その症状の元凶である加害者を被害者に会わせるなんて、白衣の医療団がする筈がない。
「避難所に行きましたが、出入り口で職員の方と話しただけです。中に入って、被害者の方と鉢合わせする様な行為はしていません」
イースは引く様子を見せず、粘っている。
怒鳴る様子もなく、暴力沙汰に持ち込んでいないので、周りも下手に動けない。
これは長期戦だな、とリュートルが思っていると、誰かが階段を上って来る足音が聞こえた。
「こ、こんにちはぁ……エンリです……」
階段から顔を覗かせたのは、神殿の聖徒達の健康と治療を担う青衣の医療団の制服を着たエンリだった。
青衣は聖徒のみで編成がされた医療団だ。たとえ聖徒であっても別の団所属の人間は着ることが許されない。しかし事態を予測したセンテルシュアーデが根回しし、特例として許可を出していた。そしてエンリは、ここに診察に行く予定だった白衣の団員に囮になって貰い、ここまで登って来た。
「ベレクトさんをお願いします」
小声でリュートルは言い、伝わった様子のエンリは頷き、ベレクトの部屋へと赴いた。
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