第4話:ネイリスト、エルフと出会う!

 数分歩くと、そのエルフの女性はは巨大な大木の前で立ち止まった。彼女は苔やツタが自然のカーテンのように覆う場所を潜り抜けた。私も追いかけると、そこには木の幹から削り出された重厚な扉があり、美しい彫刻が施されていた。


 彼女は扉を開けると、こちらを見て中に入るように促した。

部屋の中は暖かい空気とともに石造りの暖炉の柔らかな光が迎え入れてくれた。

私は冷え切った体を暖め、ホッとした息を漏らした。ずっと野宿をしていたからか、夜の森の寒さに気づくことはなく、体が暖まっていく感覚にあの森の冷たさをやっと痛感した。


しかし、その時、私の心はまだ不安でいっぱいだった。知らない世界に飛ばされ、見知らぬ場所で生きる不安が胸を締めつけていた。

目の前のエルフの女性は美しくも冷たい印象を受ける。彼女の長い銀髪と白い肌、そして冷静な瞳はこの世界の神秘を象徴しているかのようだが、同時にとても閉鎖的で冷たい印象を受けた。


彼女は私を小さな木製の椅子に座らせると、別室へと消えていった。彼女が本当に信頼できる人物なのか、私にはまだわからなかった。


しばらくすると、彼女は木の器を持って戻ってきた。


「Rúvëa sórë la..(ルーヴェア・ソーレ・ラ)」


器を受け取り困惑する私に、彼女は飲むようジェスチャーで示した。

見るからに不味そうなそのどろっと液体を恐る恐る器を口に運ぶと、苦い緑の液体が喉を焼いた。


「……!!……げほっげほっ!!」


苦い!まるで抹茶……いや玉露を粘土状に伸ばしてそこに色んな薬品を入れた味がする。

強烈な苦味とどろどろした食感がとても気持ち悪い。謎の甘みも感じられてとにかく物凄くまずい。吐きそうだ!

しかし彼女は動じることなく器を飲む動作を続ける。どうやら飲みきれということらしい。

私は苦みに耐えながら、彼女の指示通り飲み干すと、彼女は無言で木のカップに水を汲んでくれた。

私はそれを受け取ると喉に一気に流し込む様に水を飲み干した。


「これで言葉がわかるな?」


「あ……はい……わかります。」

あの苦い薬のようなものにはこちらの世界の言語を理解する力があるようだ。

先ほどまでの彼女の言葉は、母国の日本語のようにすんなりと耳に馴染んで聞こえる。

また、私の日本語も彼女には通じているようで、警戒心を持った眼差しを向けながらも彼女は私に問いかけた。


「では問おう。この森で何をしている?ここは禁忌の森、人間が立ち入ってはならない場所だ。」


「そうだったんですか……知らなかったです。」


「知らない?そんなわけはないだろう。人間とエルフの平和条約で厳しく定められている掟だ。」


「エルフ?ですか?」


「…………本当に何も知らないのか?」

私の様子から何も知らないことを察した女性は、深く息をついてから続けた。彼女の目には明らかな警戒心が宿っていたが、私のあまりの無知な様子に訝しげな顔をしながらも口を開いた。


「私の名前はセシル。ここの森に住むエルフ族だ。貴様の名は?」


「わ、私は結城……アリスです。ただのアリス。」


「そうか、ただのアリス。では続きを問おう。なぜこの森にいる?先も言ったようにここは人間が立ち入ってはならない禁忌の森だ。他のエルフ達に気づかれては知らなかったでは済まされないぞ。」


「す、すみません。あの……信じられない話かもしれませんが、私はこの世界の人間ではありません。別の世界から神様の力によってここに転生させられたんです。」

セシルさんは驚いた表情を見せながらも冷静に対話を続けた。


「別の世界から……転生?」

セシルさんの表情が変わった。驚きと疑念が交錯しているようだった。


「はい。私も最初は信じられませんでした。でも、本当に全く違う世界からここに来たんです。」

セシルさんは考え込むように一瞬黙り、その後深い決意を込めた瞳で私を見つめた。


「その話が本当なら、お前がこの森のことや条約のことも知らないのは頷ける。しかし、この森に留まることは危険だ。」

彼女はしばらく思案した後、再び口を開いた。


「しばらく私のもとに滞在することを許そう。その間にお前が最低限、森で生きていく知識を身につけられるように生きる術を教えてやる。」


「ほ、本当ですか!?ありがとうございます!それは本当に助かります!」

願ってもない言葉だった。

この世界のことは何もわからないし、ここがどこなのかセシルさんがどんな人なのかもわからなかったが、それを知るチャンスとこの世界で生きていく術を与えてくれるなんて願ってもない話だ。

驚きと不安が入り混じる中、私はセシルさんの提案に乗ることを決心した。


「ただし、忘れるな。お前が学ぶべきことは多い。そして、お前の存在はここでは異質だ。それを理解してもらうためにも、知識を吸収することは重要だ。」

セシルさんの言葉には、私への警戒心と共に、彼女が私に興味を持ち、その真実を確かめたいという気持ちが感じられた。


「は、はい、わかりました。」


「あくまで生きていく術を身につけるための間の滞在だということは覚えておけ。今日はもう遅い……今夜は眠るといい。お前が使っていい部屋があるから案内しよう。」


「お部屋までいただけるんですか?」


「……見ず知らずの人間と褥を共にしろと?」


「ああいえ!そういうことでは!」


「いいから。ついてこい。」

セシルさんはそういうと家の中の小さな階段を登り始めた。私も慌てて後に続く。

連れて行かれた部屋は木を掘って作ったようなシンプルながらも落ち着ける場所だった。小さなベッドと机が一つ。本が木を掘って作った本棚の中にいくつか置かれていた。その部屋の明かりは瓶の中に光る蝶が入ったものだった。


セシル:「今夜はここで休むといい。明日から森で生きるための術を教えてやる。部屋は好きに使ってくれて構わないが、最低限自分の身の回りの世話は自分でしろ。」


「は、はい!ありがとうございます。おやすみなさい、セシルさん。」


セシルさんは無言で部屋を出て行った。

私はネイルバッグを置き、小さなベッドに身を沈めた。ベッドの暖かさに包まれると、これまでの疲れが一気に押し寄せてきた。


初めての森でのサバイバル。

しがないネイリストの、しかも都会育ちの私がかつて読んだサバイバルの知識だけで三日も過ごせたのは奇跡の様なものだ。

この森は人もエルフも立ち入らないという危険な場所らしいし、運良くセシルさんに助けられたのも本当に幸運だとしか言いようがない。

しかもこの森で暮らしているセシルさんが、私に生きる術まで与えてくれるという。助かった……。


先々の不安を感じながらも押し寄せる安堵感と、久しぶりのベッドの暖かさからかいつの間にか私は深い眠りへと落ちてしまった。



 セシルさんの家での初めての朝。

泥のように眠っていたため気づいた頃には窓から日の光が差し込んでいた。寝過ぎてしまったかと慌てて階段を降りると、セシルさんがすでに起きており何やらキッチンらしき場所で作業をしていた。

焦る気持ちを抑えながらセシルさんに話しかける。


「お、おはようございます!すみません、寝過ぎてしまったようで……」


「構わない。むしろ森の外でなど安心して眠れなかっただろう。よく眠れたのなら何よりだ。」


「ありがとうございます…あの、私も何か手伝いましょうか?」


「特に必要はない。座っていろ。」

セシルさんはキッチンからパンと野草のスープの質素な食事を持ってきた。私の前にもそれを出してくれる。二人分の食事が並んだテーブルに隣り合うように座るとセシルさんが囁くように呟く。


「Lávané melda anwa, meldo nostar, antáma nourëa. (ラヴァネ・メルダ・アンワ、メルド・ノスタル、アンタマ・ノウレア)」

その言葉は昨夜の薬のお陰か、私の耳にもなんと言っているのかはっきりと聞こえた。

真の与え手に祝福を、愛する先祖よ、私たちに糧をお与えください。

食事の前の祈りの言葉だろうか。


「それはお祈りか何かですか?」


「エルフの食事の前の祈りだ。どんな質素な食事でも我々は命を与えてもらっている。植物だろうがなんだろうが、何かの命を奪い生きるための糧とするために頂く……その為に食事の前の祈りは大切だ。」

「なるほど、そうなんですね……私の故郷にも簡単な祈りの言葉があるのですが、それを使ってもいいですか?」


「構わない。」

セシルさんからの了承を得ると、私はそっと両手を合わせ、言われ慣れた日本の食事の前の挨拶をした。


「……いただきます。」


「……それだけか?」


「はい、これだけです。」


「それにはどういう意味がある?」


アリス:「敬意の言葉です。 肉や魚、卵はもちろん、野菜や果物も含めて、食材の命そのものに向けた言葉として使います。また、食材を育てたり獲ったりした方や、食事を作ってくださったセシルさんに対する敬意と感謝の気持ちを込めた言葉でもあるんです。」


「はは、そうか。面白いな。私への感謝もあるのか。」


「はい。こうしてまともな食事を頂けるだけでも嬉しいですが、セシルさんが私の為に作ってくださったことへの感謝の言葉でもあります。」


「一人分も二人分も変わらないさ。さぁ、冷める前にいただこう。」


「はい。」

野草のスープは何も味がしなかった。ほんのりハーブの香りがして素材そのものの素朴な味がする。

パンも本当に小麦を練っただけのものだろう。パサパサしていて普段食べていたものとほど遠く美味しいとは言えなかったが、こうして誰かと食事をできること。そして誰かが自分の為に作ってくれた食事というのが嬉しくて思わず涙がこぼれそうになった。

涙がこぼれないように喉の奥でぐっと堪えながらパンを齧ってはスープを飲む。


味が対してしない朝食ではあったが、心が温かく満たされるような感覚を覚える。

とても心和む食事だった。

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