第八話 アクト・ブレッタ

 白魔女対策で悩んでいたアクト・ブレッタはサラの助言どおり、まずその日のうちに対魔法戦術専門のアルカディ教諭に相談を持ち込んでいた。

 運良い事にその日はアルカディも手が空いていたし、学年の主席が自分のところに相談に来た事を快く思った彼はとても協力的にアクトの相談に乗ってくれた。

 しかし、結論から言うと、アルカディ教論の助言は終始授業の延長線のような一般論に留まり、アクトの求める白魔女に対してあまり有効な対策を得る事はできなかった。

 アルカディ教諭にいろいろと相談したアクトは気付いた事がひとつある。

 それは思っていた以上に自らの意識の中に白魔女に対する情報が乏しかった事だ。

 アクトが白魔女と対峙したのは短い時間であったし、その短い体験から感じた彼女の超絶的な能力を他人に説明する事の難しさを感じていた。

 乏しい情報からは詳細な議論へと進めるのは難しく、白魔女の有効な対策を見出す事ができないという結論へ至っていた。

 こうしてアクトはアルカディ教諭にこれ以上相談できなくなってしまい、この路線は諦めるしかなかった。

 アクトは方針転換して、今度は魔法に対抗するための魔道具を頼る事にする。

 どう進めるか思慮を巡らす彼だったが、アクト自身も魔道具に対する知識は乏しかったため、結局、サラの助言どおり、最近ラフレスタで幅を利かせているエリオス商会へ足を運ぶことになった。

 高等学校の四年生ともなると授業は選択制になる。

 学年トップの成績を誇るアクトならば、卒業に必要な単位を心配する事もなく、本日の午後からは選択しなければならない授業も無かったため、都合は良かった。

 サラもついて来たそうにしていたが、彼女は午後から必須の魔法関連の授業があるため、置いてくることになった。


(ともあれ、どう相談したものかな?)


 先刻のアルカディ教諭とのやり取りと同じ繰り返しになりそうな予感もあり、本来のアクトらしくなく、俯き、考え事をしながら、歩いていたのが良くなかった・・・


どん!


「キャッ!」


 何か柔らかいものにぶつかり、その直後に聞こえた小さな悲鳴。

 「しまった」と思った時にはもう遅く、細身のローブをまとった女性が後方へと倒れて行くのが目に映る。


(自分の不注意でぶつかってしまった・・・この女性を救わないと・・・)


 アクトはぶつかった女性が反射的に前方へ突き出した細手を掴もうとする。

 咄嗟に彼女の手を取ろうとするアクトであったが、それは虚しく空を切る・・・

 スローモーションのように二人の手は空を切り、そして、女性の身体だけが仰向けに倒れ込み、地面の砂埃がフワッと舞い上がる。

 倒れた彼女の周囲には沢山の人がいたが、その突然の衝突事故に驚いたためか、皆の表情は固まっていた。

 いち早く我に返ったアクトは相手方の女性を助けるべく、真上へと突き出されたままの彼女の細手を取ろうとする。


「す、すみませんでした。大丈夫ですか?」


 しかし、次の瞬間、アクトも予想できない事態へと発展する。

 真っすぐと天に伸びた彼女の手を取ろうとしたが、その手はスルリと躱され、自身の腕の服の袖を掴まれて、おもいきり彼女側へと引っ張られたのだ。

 前方に転びそうになるアクトだが、その次に自分の腹部へ衝撃が加わるのを感じた。

 アクトは『相手に蹴られた』と一瞬で認識し、その直後に自分の身体が浮遊感を感じて、ぐるりと空中を一回転させられる。

 そして、途中で相手が手を離した事で、アクトひとりだけが空中にゆっくりと舞う。

 空中で回転している間、アクトは彼女のローブの裾から生える細くて長く白の足に目を奪われつつも、今、自分の身に起こっている事が何か非現実的な世界にいるような不思議な感覚を覚えていた。

 訳が解らず、なんだろうと考えるアクトだが、数刻後には数メートル先の地面へと落下し、その衝撃で強制的に現実世界へ叩き落された。

 ドカン、ゴロゴロと音を立て、情け容赦のない制裁を喰らったアクト。


「い、痛ぇー」


 うめき声をあげて顔を起こしたアクトは自分を向こうから自分を見下ろす女性と目が合う。

 その女性はさっきまで倒れていたはずだが、いつの間にか立ち上がり、ローブの付いた土埃を掃っていた。

 そしてアクトと目が合うとキッと睨んで指を差し出す。


「あなた、どこ観て歩てるのよ。そして、どこに当たったと思っているの!」

「どこって、あの・・・」


 彼女と接触したと思われる自分の肘を触り、その柔らかな感触から、思わず彼女の身体を見て何かを喋ろうとする。


「もしかして、おっぱ・・・」

「言うな!」


 ビクっとして黙るアクト。

 アクトが口から発せられようとした単語を察知した彼女が急いで止めたのだ。

 それは憤怒の形相、それなりに修羅場を経験していると思っていたアクトさえも黙らせる迫力が込められていた。

 ぶつかったり、投げられたり、怒鳴られたり、と短時間の内に状況が目まぐるしく変化するが、ようやく現実を把握するまでにアクトの心の余裕が戻ってきた。

 ここで改めて相手の女性を観たアクトはフードが開けて、露わになった彼女の顔を目にして息を飲むことになる。

 それは青と黒色の混ざった艶のある長い髪に、黒い瞳を持ち、顔立ちがとても魅力的な女性だったからだ。

 髪や瞳の色は帝国では見ない組み合わせである。

 南方から来た外国人なのだろうか・・・

 そして、灰色のローブはどこかで見たことのある意匠。

 どこかの学校の制服だったような気がする。

 ラスレスタに存在するどこかの有名学校の生徒だろうと思うが、現時点のアクトには何処の学校かまでは判別できなかった。

 白い肌の顔に、形の良い鼻や唇が整っていて、人形染みて見える。

 美人だと思うが、キツイ表情をしているのは自分が原因で怒らせたからだ。


(女性は怒らすものじゃないな・・・まぁ、俺が悪いのは事実だし、謝って許してもらうしかないか・・・)


 そう考えたアクトは素早く立ち上がり、素直に謝罪を口にする。


「申し訳ありません。お怪我はありませんか? ボーっとしていて、本当にすみませんでした」


 アクトはできるだけ誠実に彼女に謝ろうと足を踏み出したとき、何かに気付く彼女が叫ぶ。


「まっ、待って、動かないで!!!」

「えっ?!」


・・・パキ・・・


 何やら嫌な予感がして、一歩踏み進んだ自分の足をゆっくりと上げる。

 そこにはガラスが粉々に砕けた眼鏡の残骸が現れた。

 これはもしかして彼女の眼鏡かと悟り、サーと血の気が引いていくアクト。

 それに対して女性は増々顔が赤くなり・・・

 数舜の充電時間を経て、彼女の怒りが爆発するに至る。


「こっ、この〇〇野郎!、!#@%&××!!◇○◎$$%%!」


 それは罵倒の言葉だと思われるが、彼女は怒り心頭で興奮し過ぎなのか、一体何を喋っているのかまったく理解できない言葉であったりする。

 アクトは素直に怒られながらも、こっそりと周囲の人間を観察してみたが、皆もポカーンとしていた。

 きっと、この人達も自分を含めて彼女が何を喋っているのか、誰にも理解できないだろうなあ。

 でも、彼女が怒る正当性についてはアクトも十分に理解できる。

 悪いのは自分であり、罵倒を受けるのは正当だとアクトは思う。

 アクトは黙って頭を垂れて彼女からの罵りと思われる言葉を受け入れていたが、もし、この場面を他の高等騎士学校の生徒が見ていたら大変驚いただろう。

 四年生の筆頭で誉れ高き存在であるアクトを折檻している華奢なローブ姿の女性。

 指を刺されてアクトが罵倒される姿は、彼女から言われ放題の図になっている。

 アクトも自分が悪い事をしたと認識しているため、反撃を全くせず小さくなっている。

 こんな情けない姿の学年筆頭を高等騎士学校では見た者はまずいないだろう。

 二分ほど経過して、彼女の怒りの嵐が多少収まってきたと思われた時、これ頃合いとライオネルが助け舟を出してきた。


「ハルさんも、もうその辺にしてはいかがですか。彼も反省しているようですし・・・」

「はぁはぁはぁ。そうですね。私とした事が・・・少し興奮し過ぎました」


 ようやく言葉が理解できるものに戻ってきた女性だが、彼女は両目を閉じて眉間を手で押さえ、何かを抑えつけるような神妙な顔付きになる。

 この言葉のやりとりからこの女性の名前がハルというのを知るアクト。


「それにしても、さきほどの言葉は何かの魔法の呪文でしょうか? それとも私の知らない言語だったりするのでしょうか? 方々の国を旅してきた私ですが、まったく理解が及びませんでしたよ」

「えっええ!? まあ、魔法の言葉のようなものですよ・・・発動しなくてよかったです」


 多少しまったという顔つきになる彼女であったが、アクトは彼女の怒りが少し緩んだのを感じ、再び謝る事にした。


「あ、あの。本当に申し訳ありませんでした。この眼鏡は弁償します」


 丁寧に頭を垂れるアクトだが、ハルは疫病神が近寄ってきたように飛び退いて、謝罪の言葉を拒否する。


「いらないわ。私に近寄らないで下さる疫病神さん? 貴方が私に近付くと碌な事が起きないみたいだから。それに眼鏡は予備もあるから弁償しなくてもいいわ。それよりも私に近付かないで!」


 ハルは再び目をキリッとさせて、アクトの謝罪すら拒絶する言葉を矢継ぎ早に述べる。

 極力アクトと関わりたくない事を解りやすいほど態度で示していた。


「ちょっとした無礼な人との接触事故がありましたが、私は全く以て大丈夫です。ライオネルさん。本当に失礼します。それでは皆さんお元気で」


 彼女はグルッと踵を返し、再びローブのフードを深く被り直すと足早にこの場から去って行った。

 アクトという名前の青年に本当に関わりたくないのだろう、ハルは一切振り返りもしない。

 その彼女の様子をエリオス商会総出で見送る。

 全員が頭を垂れる様子にアクトも思わず追従してしまい、頭を下げていたりする。

 この姿が何とも間抜けで情けないな・・・と、アクト自身でもそう思ってしまう。

 アクトは自分の謝罪を受け入れて貰えなかったのは非常残念に思うが、商会総出で見送られる彼女を見て・・・


(この女性は大物なんだろうなぁ。このハルって呼ばれている子は自分とあまり変わらない年齢のように見えて実は凄い人物なのだろうか。大貴族かな? あんな娘、見た覚えはないけどなぁ・・・)


 そんなどうでもよい事を考えながら黙って見送る。

 やがて彼女が見えなくなったところで、ライオネルはアクトに向き直って口を開いてきた。


「ところで君は何だったのでしょうか? 我が商会に用事があった様に見受けられますが・・・」


 アクトは申し訳なさそうにライオネルに向き直り、まず謝罪の言葉を口にする。


「いろいろご迷惑をかけてしまって申し訳ありませんでした」

「過ぎてしまった事はしょうがありません。ハルさんはあのように言いましたが、おそらくもう気にしていない筈です。水に流しましょう」


 そう述べてアクト青年を励ますライオネルだった。

 本当のところのハルはどうだか解らないが、真実を話すだけでは人間関係はうまくいかないこともライオネルは知っていた。


「さて、貴方は見たところラフレスタ高等騎士学校の制服を着ているようですし、そのシャツに刺繍された紋章もどこかで見た記憶もあります。もしかしなくても貴族のご子息様とお見受けします。しかし、そのような方でもこのような低姿勢な態度に私は感服しました。嫌いではありませんよ」


 そう言いライオネルはアクトに好意的な態度を示すが、他の商会職員には明らかにアクトを快く思わない者もいた。

 アクトもそれは敏感に感じながら・・・商会が贔屓にしている相手に対して迷惑をかけた自分の負目もあるため、これは致し方ない事と割り切り、努めて気付かない事にする。


「実は最近ご高名なエリオス商会さんにご相談したい事案がありまして、来訪させていただきました。私はラフレスタ高等騎士学校に在籍する四年生でアクト・ブレッタと申します」

「それは、それは。やはりあのご高名なブレッタ一族のご子息様でしたか。紋章をしっかり覚えていなくて申し訳ございませんでした。そして、丁寧な挨拶もありがとうございます。私はこのエリオス商会の会長でライオネル・エリオスと言います。今後もどうかお見知りおきを」


 ライオネルは手慣れた様子で優雅に挨拶をする。

 流石に一流の商人だとアクトは思った。


「片田舎にある我が家をご存知頂いているようで、ありがたき事です」

「何をおっしゃる、ご謙遜を」


 実はブレッタ家は規模こそ小さいものの帝国では名家と知られているため、それほどマイナーな貴族ではない。

 しかも本拠地は古都トリアにあり、現在の首都ほどの栄華は無くても、決して片田舎の領地などではない。

 この挨拶に関しては模範的な貴族的な挨拶の一環でもあり、所謂、形式美というやつだが、ライオネルもこの手の対応はお手の物である。


「それよりも、どのような案件で我が商会に来られたのでしょうか? 我々のお役に立てる事ならば良いのですが・・・」


 話を促してくるライオネルに、アクトはここぞとばかりに来訪の目的を簡潔に述べる事にした。


「実は最近巷を騒がせている白魔女に対抗できるような魔道具が無いものかと探していて・・・」


 白魔女という言葉に商会職員達の視線がアクトに集中したが、ライオネルは特に慌てる事なく、話を進める。


「白魔女ですか。ここではなんですので、中で詳しいお話を聞かせてください」


 ライオネルはアクトを商会の社屋に案内し、そこで詳しい話を聞く事にした。

 そして、アクトはアルカディ教諭の時と同じように白魔女に対抗できる方法は無いものかと相談を始める。

 いろいろと相談に乗って貰ったがアクトであったが、結果的にここでの成果もあまりなく、エリオス商会にもアクトの欲するような有益な魔道具は存在しなかった。

 落胆してしまうアクトだが、それに追い打ちをかける様に商会の若い秘書からも「そんな便利なものがあれば、我々はもっと大儲けできていますよ」と言い切られてしまう始末。

 美人の秘書にも責められて、さらにガッカリしてしまうアクト。

 しかし、彼も無理を承知で相談を聞きてもらった手前、今日はあっさり引き上げる事にした。

 去り際にライオネルはアクトにひとつの質問をする。


「貴方の話からすると白魔女と相まみえたのはほんの一瞬だったようですが、それにしてはずいぶんと彼女に拘りますね。何故でしょうか? もしよければ教えていただけないでしょうか?」

「それは・・・」


 アクト自身、その問いに対して即答できなかった。

 何故、自分はこれほどまで白魔女に拘っているのだろうか?

 アクトは自分の考えをひとつひとつ整理し、ゆっくりと言葉を選び回答する。


「それは・・・自分は他人に負けるのが嫌いなのです。今までもこんなに簡単に、しかも一方的にやられた事はなかった・・・だから僕は白魔女に少しでも勝ちたいのでしょう。今は大きな高みいる白魔女ですが、いつかは同じところまで登り、そして追い抜きたいと思っています」


 自分の気持ちを言葉にするアクト。

 そんな一途な姿を見たライオネルは、アクトの純粋に勝ちたいと思う気持ちに嘘がないと思う。

 若くして有望な好青年であり、何とか力になってやりたいとも思うが、ライオネルが白魔女を裏切る事もあり得えないため、彼女を倒すのをできれば諦めて貰いたいものだと思う。


「なるほど。今回はあまり力になれなかったですが、懲りずにまた来てください。いつか状況が変わり何かお力になれる事ができるかも知れません。それに白魔女対策以外にも我が商会は面白い魔道具を数多く取扱っています。もしかしたら、別の事でアクト様のお役に立てることがあるかも知れませんからね」

「ライオネルさん、本当にありがとうございます。こんな自分に貴重な時間を使って対応してもらい、感謝しています。あと、あのハルって言っていたあの女性にもアクトが謝っていたと伝えてください」

「アクト様は本当に礼儀正しいですね。解りました。ハルさんには私の方から伝えときましょう。ただし、あの人も少々気難しいところがありますからね・・・」


 ハハハと笑うライオネル。

 先程の事件を思い出してしまうアクトも、それもそうだろうと同感になる。


「それでは。自分も失礼いたします」


 そう述べて商会から出るアクト。

 太陽が西へと傾きだしたラフレスタの街を歩きながら、アクトは今日という一日を振り返る。

 それにしても、昨日から女性が原因で大変な目が続いていると思う。

 そして、今日も散々な一日だったとの考えに至るアクト。

 白魔女もそうだが、油断していたとは言え、ハルっていう女子にさえも、簡単に訳の解らない技で投げられてしまった。

 これが戦場ならば、確実に負けひとつだ。

 まぁ、今回は自分が悪く、何かを言える義理でもないが、本当になんて日なのだろうか。

 アクトは神を信奉する敬虔な信者ではないが、今日に限りはその神様に向かい恨み節のひとつでも言いたい気分になる。

 こんな日は早く帰って寝るか・・・

 そう思い、足早に学生寮へ帰るアクト。

 

 

 

 しかし、その様子をもし本当に神が見ていたら、彼にこう言っただろう。


『アクトよ、本当にそんな事を言っていいのかな? いずれ今日の出会いを神に感謝する日が来るだろうに』と・・・

 しかし、現実世界でそういう声がアクトに聞こえる筈もなく、ラフレスタの夜の帳は今日も同じように降りていくのであった・・・

 

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