第七話 報酬の受取人
ウトウトと白昼夢と現実の狭間を行き来していたライオネルだが、誰かが扉をノックする音により意識を取り戻す。
どうやら少し休憩をしていたつもりであったが、エミラルダとの出会いを思い出している間に居眠りをしてしまったようだ。
エミラルダと初めて会った日もこの執務室で互いの条件を話合ったものだ。
彼女に対して自分の事を隠せないと悟ったライオネルは、自分の正体を明かし、このエリオス商会に連れてきた。
その日の襲撃に参加していた月光の狼の構成員も、この商会の幹部で構成されていたので、その方が手っ取り早かった。
そして、彼女もその方が都合が良かったらしい。
何故ならば、彼女が報酬として欲していたのは魔力鉱石と呼ばれる魔力を宿した希少な鉱物。
エリオス商会の取扱いはラフレスタで最も規模が大きく、彼女の目に叶う結果となった。
白魔女が特に欲しがっていた特殊な鉱物は、元々それほど市場には流通しておらず、利益も少なかった事から他の商会があまり手を出していない商品であった。
これを欲しがるのは、今までは魔道具製作の工房主ぐらいだったが、ここ最近、とあるお得意様ができて、商会で取扱う鉱物を増やした矢先であり、ライオネル達も運が良かった。
ちなみにエリオス商会が取扱いを少し増やしただけで、気が付けばラフレスタで一番の取扱業者になっていたのは、今ではいい思い出だったりする。
頭を振って気を引き締め直したライオネルはノックの主に答える。
「はい。何だ?」
ドアが開かれて商会の秘書女性が顔を出した。
「ハル様がお見えになられましたが、如何いたしますか?」
「ああ、そう言えば今日は定期取引日だったな。解った、直ぐにここへ通してくれ。それとお茶をふたつお願い」
そう答えると女性は恭しく一礼して、お茶の準備と来客者を案内するために退出する。
ライオネルは決済していた書類まとめて整理し、機密性の高い書類については机の引出しに仕舞う。
特に不都合がない事を確認すると、来客を待つ事にした。
「ハルのお嬢さんか・・・」
ライオネルの呟きは彼の苦労を物語っていた。
彼を含むエリオス商会がここ一年ほど激務になったもの彼女のせいである。
これは悪い意味ではなく、むしろ感謝してもしきれないぐらいの存在であったが・・・
ライオネルはエミラルダとハル、このふたりの女性が最近の自分の人生に大きな影響を与えている存在だと考えている。
白魔女エミラルダは月光の狼をより大きな組織にしてくれたし、ハルはこのエリオス商会を大きくするのに貢献してくれた。
そもそもハルが居なければエミラルダとの取引が成立しない可能性もあった。
ライオネルは再び思考に没頭しかけていたが、ノックの音が部屋に響いたのを聞いて現実に引き戻される。
「どうぞ」
「失礼いたします。ハル様もどうぞお入りください」
秘書に案内されて入室してきたのは長身痩躯に見える女性で、灰色のローブを纏っていた。
実際の身長は一七五センチであるライオネルよりも少し低かったので、本当に長身という訳ではないが、この女性の足が長くて細く、そして、腰の位置もかなり上にあるので、長身に見えるのだ。
彼女が灰色ローブのフード部分を脱ぐと、滑らかで真っすぐに伸びた青黒い髪がさらさらと辺りへ流れる。
いつもながらに、艶のあるいい髪を持つ女性だなぁ、と思うライオネル。
そして、この灰色のローブはラフレスタで有名な『アストロ魔法女学院』の制服である。
制服を着ている事から彼女の身分は「学生」であることに間違いはない。
この女学生はゆったりとしたローブを好んで着ていたために、外観からは彼女の女性らしい身体つきがあまり目立たず、加えて、大きな黒縁のメガネをかけている事が、長身であっても幼くて弱々しい印象を他人に与えていたため、容姿はとても整っているものの、美人と言うよりも可愛らしい女性という雰囲気であった。
彼女の持つ黒い瞳も、可愛らしさを助長しているかも知れないとライオネルは思う。
「こんにちは。ライオネルさん」
彼女はいつもどおりの透き通るような声で挨拶をしてくる。
それだけで聡明な印象だ。
「お待ちしていましたよ、ハルさん。遠慮なくお座りください」
ライオネルはハルに柔らかいソファーへ着席を勧め、自分もその反対側に座った。
彼女は形の良いお尻をちょこんとソファーに降ろし、テーブルには秘書が用意したお茶が置かれる。
互いに着席し、秘書が退席したのを合図に商談が始まった。
「まずはこちらから済ましましょう。これは先月の白魔女への報酬です」
と言ってライオネルは鍵のかかっていた棚を開けて、七つの魔力鉱石を取り出す。
七つとも両手で抱えるぐらいの大きな石だったが、それぞれ違った固有の光を発している。
赤・青・紫・白・黒・緑・金色と各色に見合った魔力を有しており、純度が高いほどに強く光発するのが魔力鉱石の特徴である。
これだけの品質の魔力鉱石の価値を考えると一千万クロルは下らない。
一般家庭が一年以上優雅に暮らせる価値に匹敵している高価な代物だ。
「良いものですね。でも『金色結晶』は予めの要求には入っていなかったと思いますが?」
小さな声だが淡々と的確に喋る彼女。
眼鏡をかけて弱々しい印象を持つ彼女だが、これはこれで男の庇護欲を誘うものでもあった。
「ああ、これはボーナスですよ。先日もエミラルダさんには大変お世話になったので、追加報酬として用意しました。引渡しをお願いします」
そう、このハルという女性にはふたつ役割があり、そのひとつ目が白魔女エミラルダの報酬に関する引渡仲介人だった。
どのような経緯でそうなったのか解らないが、ハルと白魔女エミラルダは旧知の仲らしい。
エミラルダはライオネルとの交渉で、報酬に関しては自分が最も信頼する彼女を経由して渡すよう指定されていた。
その上、受領票や目録など取引の証拠として残るものは一切不要と言われ「本当にそこまで信用して大丈夫なのだろうか?」と最初は大いに懸念するライオネルだったが、今まで報酬に関してエミラルダとトラブルになった事は一度も無かった事からライオネルもこの取引に関しては安心するようになっていた。
ただし当初は、このか弱き女性に大金に相当する物品を運ばせるには些か危険が伴うのではないかと心配するライオネル。
心配心からその事をエミラルダにも相談したが、エミラルダはそれを一蹴した。
「心配ないわ。あの子は例え賊に襲われたとしても自分自身で何とかできる子だし。仮に賊に不覚をとったとしてもそれを許す私では無いからね」
そう言われても心配が払拭できないライオネルだったが、このハルという女性も白魔女とは別の意味での天才女性であり、彼の心配は取り越し苦労に終わっている。
ハルはエミラルダのように神の如く強力な魔法を行使する事はできないようだが、魔道具作製に関しては天才的な技術を持つのだ。
そのひとつが彼女の作った特別な『魔法袋』である。
この魔法袋に収納すると、どのような大きさものでも収納でき、重さも全く感じられずに持ち運ぶことができた。
また、本来完全に隠蔽する事が難しい魔力鉱石から漏れる魔力の残滓についても、ほぼ完璧に隠ぺいする事ができた。
このために賊に狙われる可能性はとても低くなる。
ライオネルの知る一般的な魔法袋でもここまでの性能は無く、精々両手で抱えられる魔力鉱石ひとつを収納するのが限界であり、収納したとしても、そこから駄々漏れする活性化した魔素を遮断する事はできない、魔力感知の鋭い者が見れば、何を運んでいるのかが一発でバレてしまうだろう。
そんな欠点を補い、今のところ上限知らずに収納できる特別製の魔法袋。
商人からすると喉の奥から手が出るほど欲しい逸品だが、いろんなものを彼女から買ったライオネルでも、この特別製の魔法袋だけは頑として売って貰えなかった。
ハル曰く「実はこれはエミラルダから貰ったものなのです。エミラルダからは許可もらえないと売る事はできないです」と・・・
ライオネルとしてはエミラルダの名前を出されてしまうと弱ってしまう。
そして、彼の直感からエミラルダより魔法袋提供の許可が貰えるとは到底思えなかった。
もし、簡単に許可が貰えるならば、彼女から提供を受けている魔道具「魔女の腕輪」「魔女の首飾り」「魔剣」を今以上に融通して貰えただろうし、あまり高望みをしてエミラルダとの関係が悪化しまうのも彼が望むところではない。
ライオネルはそんな事を考えていたが、それを知らずか、今日もハルは懐から魔法袋を取り出して次々と魔力鉱石を袋に吸い込ませていく。
「確かにすべて受領しました。エミラルダに代わってお礼申し上げます」
礼儀正しくお辞儀する女性ハルの姿にいつも感心するライオネル。
「律儀なのは相変わらずですね。その年で謙虚な心遣いができる事は感心しますよ」
「うふふ。ライオネルさん、ありがとうございます」
はにかむ様子の彼女を見たライオネルは、こういう時の反応は年相応の女性だよな、と心の中で思う。
「あと、これは来月の計画です。エミラルダに渡して下さい」
ハルは黙って頷き、出された封筒の封を切らず受け取って、同じく魔法袋へと収納する。
「では、エミラルダの件は以上として、次はハルさんとエリオス商会との取引です」
ライオネルは秘書を再び呼び、ハルからの納品の対応と、その対価である報酬を準備するよう指示を出した。
秘書は納品を確認するため、別室の工房部屋へとハルを案内する。
一旦部屋から退席するハルを見送って、自分の部屋で一人になったライオネルは、この女性ハルとの出会いについても回想を巡らせていた。
彼女との出会いは一年ほど前のある日、初夏とはまだ言い難く、寒さの残る昼下がりの日であった。
エリオス商会は業務拡大のために取扱いを始めた魔力鉱石の取引が軌道に乗りはじめていた。
この頃は商会内の人材も経験不足であり、ちょっとした顧客対応をするとすぐに多忙になってしまう事もしばしばである。
商会としても新規事業立上げに際し、有望な人材を雇ったつもりであったが、商いには明るくても魔力鉱石の鑑定や説明には不慣れな者も多く、結局難しい事に関してはライオネル自身が対応しなければならない程に仕事が多かった。
そのような背景もあり、この頃のライオネルは今とは違い自ら店先に自分の席を構えて、いつでも自ら顧客対応できるようしていたのだ。
今、思い返すと、こうしていなければハルと出会う事ができなかったのかも知れないとライオネルは思う。
ライオネルがハルを初めて見たのは、この商会に雇われて間もない新人職員と彼女が言い争っている現場であった。
「あのね、お嬢ちゃん、うちでは素人の作った魔道具なんて買い取れないから」
「私は素人じゃありませんし、とりあえず品物だけでも見てもらえませんか?」
「駄目駄目。今はとても忙しいから帰って帰って」
「なぜ、見てもくれないんですか? それなら魔力鉱石を買いますから、そのついで良いんで私の品物も見て下さいよ」
「ホントに嬢ちゃんもしつこいなぁ。魔力鉱石は決して安い物じゃないし、お嬢ちゃんの小遣いじゃ買えないよ」
見た目に弱々しい印象を持つハルの容姿から、彼女を侮る発言が新人職員の口から飛び出す。
当然だが、ぞんざいな扱いを受けていた方のハルも納得いかず、反論をしてしまう。
そういった小競り合いを自分の席から遠目で観ていたライオネルは何故か彼女に興味を抱き、自ら顔を出す事にした。
「こんにちは。可愛いお嬢さん。何かうちの職員と揉めているようですが、如何なされましたかな?」
「あっ会長様。ここは自分がやりますので」
と新人職員は改まるが、手を振り自分が対処すると応えるライオネル。
「ありがとう、エディ君。しかし、ここは私が引き受けよう。君はそうだな、あっちのハリス君の案件を手伝ってくれたまえ」
「ハ、ハイ。解りました・・・」
彼としてはあまり承服できない表情のようだが、自分の所属している組織のトップからの命令に従わない訳にはいかない。
ライオネル会長とハル女性に軽く一礼して、新人職員は去って行った。
彼が去るのを見届けたライオネルは、改まって女性客へと向き直り、礼儀正しく謝罪を口にした。
「さて、うちの職員が失礼な対応をしたかも知れません。改めて自己紹介させていただきますが私はライオネル・エリオス。このエリオス商会を取りまとめている者です」
商人らしく相手を立てるように挨拶をする行動は、いつものライオネルの姿であったが、明らかに年下である女子にもこういう対応ができる人間はこの世界でも稀な存在である。
当然、女性客であったハルも商会の会長が現れたことを知り、一瞬目を見開いて驚きの表情になるが、それでもすぐに気を取り直して、自分も頭を垂れて返答する。
「あっ・・・どうも、私のような若輩にご丁寧な挨拶をして頂きありがとうございます。私はハルと言い、アストロ魔法女学院に所属している学生です」
互いに自己紹介をするが、ライオネルは密かに彼女の態度に驚いていた。
新興とは言え商会のトップが自ら挨拶したのだ。
普通だったら相手は驚き、緊張もするだろう。
実はそれがライオネルの得意とする心理的な戦略であり、相手に衝撃を与えた後に矢継ぎ早に交渉を進める事で自分に有利な状況を作るのは彼の常套手段であった。
交渉相手に冷静な判断をさせる前に勝負するという彼の得意な交渉術だったが、どうやら今回これは失敗に終わったようだ。
この目の前のハルという女性は一瞬驚いたものの、その後はすぐに持ち直して何も気負いする事もなく普通に自己紹介をしてきたのだ。
しかも丁寧な言葉使いで挨拶をするし、自分が持ち上げられて調子に乗った様子もなかった。
この女性は頭の回転は結構良さそうだなと感じたライオネルは、彼女への興味が沸く事に加えて、交渉の警戒レベルを少し上げる事にした。
見たところ弱々しい女学生というか、ガリ勉女子?
いやガリ勉の魔女見習いと言ったところだろうか?
外見からはそう見受けられる。
彼女が纏っている灰色のローブも見覚えがあった。
アストロ魔法女学院の正式な制服に間違いはない。
ただ、アストロ魔法女学院の学生は魔法技量に定評あるものの、それ以外の事はまったく世間知らずで、変人が多いと噂に聞いていたが、全ての人がそうひとくくりにできるものではない。
さて、このお嬢ちゃんはどうなのかな?とライオネルの心で期待を込めつつ、交渉を続けた。
「さて、改めて、我が商会に何用でしょうか? 何やら遠くから話をうかがっている限りでは、お持ちの品物を見せて頂けるようですが?」
「ええそうです。実は魔道具の試作品を作ったので、それを見ていただけませんか?」
「ほう、それは興味深い。一体どんな魔道具を見せて頂けるので?」
このときライオネルは彼女の申し出にあまり期待していなかった。
魔道具というのはその名のとおり魔法の効果を宿す道具である。
この世には様々な魔道具が存在しているが、一般論としては、元となる魔法と同じ効果を持つ魔道具を使った場合、威力が低くなったり、持続時間が短かったり、品質が悪くてすぐに壊れてしまったり、もっと最悪なものとして、詐欺まがいの物品も数多く存在していた。
そのため、それらの欠点が無い一般的用途に耐えうるレベルの魔道具は、非常に高価な品物であり、製作においても一流の職人がそれなりの工房で、それなりの期間をかけて製作しているのが現状である。
そう言った『本物』レベルの魔道具は流通も非常に限定的であり、代わりに市場に大量に流れている魔道具は二流品、もしくは、偽物が多く、目利きする側にもそれなりの技術を要するのが魔道具取引の日常だ。
この点においてライオネルは自身も魔法鑑定能力に秀でたもの持っており、見識眼はあると自負している。
そんなライオネルの考えなど全く気にすることなく、ハルはローブの裾から銀貨のような大きさの金属の塊を取り出してライオネルに渡した。
「これです」
彼女が出してきたのは、全体が銀色の金属の塊で、それに僅かの装飾を施された物だった。
自分の幅広い記憶と照らし合わせてもこれが何なのか解らないライオネル。
手に取ってみると僅かに規則的な振動を感じたが、それだけでこの物品の正体を推測する事はライオネルにできなった。
「これは一体何でしょうか? 今まで見たことない物のようですが・・・」
ライオネルは自身のブラウンの顎鬚を触りながら観念して、ハルに物品の正体を問う。
「表面が蓋になっているので、開けてもらえますか?」
ハルの説明に従って操作すると、カチッという音とともに蓋が開く。
そこで見たものはガラス板の中に数字が書いてあり、そこを金属製の針三本がそれぞれを指している。
その中でも一番細くて長い針が規則正しく動いており、描かれた各数字を刻々と指すように動いていた。
「これは現在の時刻がわかる『懐中時計』という物です」
それを聞いたライオネルはすごく驚いた。
実はこれとよく似た物を、帝都大学の研究施設で見たのを思い出したからだ。
「この細くて長い針が秒針。一秒毎にひとつずつ進み、六十秒で一回転します。秒針が一回転すると次に短い分針がひとつ進みます。分針も六十分で一回転し、そうすると一番短い時針が一つ進みます。時針は十二時間で一回転しますが、これが二回転すると一日となります」
ハルは淡々と説明するが、その説明を十分に聞けているかどうかはライオネルにも自信がなくなっていた。
この瞬間、ライオネルは自分の手が震えそうなのを堪えるのに必死だったのだ。
帝都で彼が見たものも同じような構成だったが、それは家ほどもある巨大な設備であり、しかも複雑な造りだった。
このとき、帝都大学の研究施設で技術者から得意げに説明を受けていたライオネルだったが、その装置は些細な事で壊れるようで、まだまだ研究段階の代物だった。
大学の研究者からは研究のために出資を募られていたが、装置の実用化に向けてのイメージが全く見込めなかったライオネルは出資を諦めた経緯が過去にあった。
それが、今、この手の中で動いている。
しかも、帝都の装置よりも造りは精巧で、動きも洗練されているように感じられた。
その上、何よりこの小ささに驚きを禁じ得ない。
耐久性や正確さについては長く使ってみないと解らないが、短時間でも正しい時間を測れるのであれば、それはそれで需要はあるだろう。
「こ、これは一体どういう仕組みで動いているのでしょうか?」
「赤色魔力鉱石と黄色魔力鉱石の共鳴現象を利用して正確な時間を計測しています。このふたつの魔力鉱石を特殊な方法で加工すると周期的な魔力パルスが得られるので、その魔力パルスを積層魔法陣回路で増幅し・・・・・・・」
目を輝かせて魔道具の仕組みを説明するハル。
聞き手であるライオネルは、ある理由で、魔法や魔道具に関して幼少期より人並み以上の教育を受けている。
それなりに知識はある方だと自負していたが、そんな彼であってもハルの技術的な話は一割も理解する事ができなかった。
「・・・と言うことで理論上十年間はメンテナンスしなくても時を刻み続けられるはず。どうですか? 凄くないですか? これをエリオス商会で取り扱って頂けませんか?」
現時点で、この魔道具の原理を十分に理解できなかったライオネルだが、それでも、この魔道具の機能の素晴さについては十分過ぎるほど理解できていた。
もし、この技術的が本物ならば、これは世紀の大発明品になる逸品だ。
しかし、原理が解らないので、何かの紛い物では?・・・と疑いたくなるのも事実である。
そして、問題は耐久性だが・・・こればかりは使ってみないと判断つかないし、これが表面的に取り繕った魔法で動いているだけで、詐欺品だったりする可能性もゼロではない。
この目の前の少女も自称『アストロ魔法女学院生』であり、制服を模倣して身分を偽っている可能性だってありえるのだ。
ライオネルは今までの自身の経験から、こういった突拍子もない品物は十中八九が紛い物で、買い取って数日でその機能が消失する詐欺品が殆どであると解っていた。
そういう経験による警戒心から、彼女の素性も把握するべきだと思い立つ。
「失礼ですが、これはハルさん個人が作った物なのでしょうか? それともアストロの中で複数の人間で開発した物なのでしょうか?」
「はい。これは私がひとりで、自分の研究室で開発したものです。実は来月の研究報告会で発表する予定だったのですが、そのいろいろとその・・・予想よりも研究費がかかってしまい、生活に必要なお金も使ってしまって・・・」
交渉術の基本中の基本として、相手に自身が不都合となる弱みなどの余計な事を言うべきではない。
そうする事で相手から弱みにつけこまれる可能性もあるからだ。
この時のハルも若かったのだろう、自分が生活費に困っている内情を交渉相手である商人に伝える事は、やってはいけない事であった。
そんな交渉の基礎中の基礎の失敗。
金欠になった研究者ほど目先の生活費欲しさに、紛い物とまでは言わずとも開発途上の中途半端な物を売りつけてくる傾向もあり、買い取る側の商売人としては最も警戒すべき相手であるとも言われていた。
売る側の研究者も商人の警戒を予想しているので、自分が金に困っている姿を交渉相手へ絶対に見せてはならない。
それがこの業界の常識であったりする。
しかし、この女性は無警戒というか、なんというか・・・研究バカと言うか・・・
だが、ライオネルもこのところ商人の鏡とも言えるハードな交渉の日々を過ごしており、騙し騙される腹の探り合いの日々に嫌気が指していたりする。
この馬鹿正直な交渉、それが逆にライオネルのツボに入り、心が愉快な気持ちになったのだ。
「ははは。なるほど、それでお金に困っているのですね」
そもそもライオネルはこのハルという女性と商売人染みた化かし合いの取引をする気は毛頭無いが、この世間知らずな学者の卵を、少しばかり助けてあげてもいいだろうと思った。
そう思い直してみると、ライオネルは自分の心の底にずっと潜んでいた愉快な部分が見えてくるような気もした。
自分の心の上を覆っていた邪気を吐き出せたように、清々しい気持ちになったのだ。
「解りました。これはとても素晴らしい物のように私は思えます。是非、我が商会で買い取らせて頂きましょう。とりあえずこの試作品をいろいろと調べたいので、すぐにでも売って頂きたいです。そうですね。金貨十枚の十万クロルで買い取らせてもらえませんか?」
「ええ! そんなに高く買ってくれるのですか! やったぁ! さすがはライオネル会長さん。話が解りますね。やっぱり、価値の解る人に見てもらうのが一番ですよ。実はここに来る前にルバッタ商会に行ったのですが、あそこは最悪でした。もう二度と行きません」
「そ、そうですか・・・」
高価で買い取ってもらった事が余程に嬉しかったようでハイテンションになる彼女に若干引きつつも、金貨十枚を払い魔道具『懐中時計』を買い取る。
本当に彼女が作ったものか? 動き続けるのか? どうなるかは解らないが、これはこれで悪い買い物ではないと思う。
しばらく自分で使ってみて、問題がなければ売りに出せばいい。
言うとおりの性能ならば金貨百枚でも売れるだろうし、自分で使うのも悪くない。
例え、騙されたとしても、それはそれで面白い話のタネになる。
ラフレスタの新興商会で注目されているエリオス商会の会長がまんまと騙されたという話は話題として面白いかも知れない。
夜会や宴会での話題提供のひとつになることも考えると、どっちに転んでも損はない筈だ、と自分に言い聞かせるライオネル。
そんなライオネルの内情は知らず、金貨十枚を受け取ったハルは喜びを露わに「ありがとうございます。これでご飯が食べられる」と歓喜していた。
ライオネルは自分の食い扶持まで研究費につぎ込むこの残念な女性を多少哀れに思いつつも、(良いもの食べろよ・・・)と心の中で訴え、口では「こちらこそ、良い物をご提供頂き、ありがとうございました」と述べた。
「一週間したらもっといっぱい作って持ってきますよ。名前入れのサービスとか、首からかけられるチェーンを装飾するとかすれば一般ウケするかも。今回の試作品をよく評価してくださいね」
「なるほど。それは期待していますよ」
心の中ではそれほど期待せずにライオネルはそう答える。
「それじゃあ、失礼しまーす」
そう言ってホクホク顔のハルはエリオス商会を後にする。
その姿を見送ったライオネルは、多分、彼女はもう二度とここに来ないかも知れないとも思うが、なんだか久しぶりに手軽な人助けができたような気分になり、清々しい気持ちになる。
「俺も甘いなぁ」そう呟き、感傷に浸るライオネル。
そんなライオネルの姿を、一緒に見送りに付き合わされていた秘書女性からは、呆れた眼差しを向けられた事に本人は全く気付かなかったが・・・
そして、一週間後、本当に約束どおり現れたハルから懐中時計百個の納入があり、驚きの対応を迫られたのは今となっては良い思い出だ。
結果的に彼女の造った『懐中時計』はとても素晴らしい商品になった。
性能に誇張は無く、堅牢で正確な時を刻み、そして何よりもお手軽な価格設定ができた。
ライオネルの見立てではひとつ百万クロルでも売れると考えていたが、ハルはこれに同意をしなかった。
彼女の考えは「道具は使われて初めて威力を発揮する。薄利多売で普及させてこそ大きな利益が出る。特許権など技術保護の概念が認められていないこの世は、すぐに他社が真似して模倣品が出回る筈。その前に自前の商品を普及させてしまえば『ブランド』として確立できる。確立してしまえば他社と競争で有利となり、その競争によって商売自体が活性化できる」との論であった。
それに彼女曰く「原材料費や加工費はそれほど掛からない」と言われ、一個五万クロルで納入してもらうことになった。
エリオス商会で多少の事務費や装飾の手間賃などを上乗せして、ひとつ七万クロルからで売り出したところ、これが爆発的なヒット商品になったのだ。
造っても、造っても、売れる。
こいつはすごい。
ライオネルはすぐにハルと専属の契約を結ぶことにした。
ハルが心配していた模倣品についても、実際に出回る事はほぼ無かった。
何故なら、この『懐中時計』に使われていた技術は、そんな簡単に真似できる代物はひとつも無かったからである。
数少なく出回った模倣品でも、大半が粗悪品や詐欺品だったりする。
ある程度ましな物もあったが、価格が数倍だったりして、とても太刀打ちできなかったようだ。
そして、現在は月当たり一千個納入してもらっているが、これでもすぐに売れてしまう。
それまでは中堅の商会であったエリオス商会が、これを契機に急成長する事となり、現在の地位を築けたのはこの商品のお陰と言っても過言ではない。
ちなみにこの時計は「エリオス商会の懐中時計」として売っている。
ライオネルとしては開発者たるハルの名前を入れたかったが、彼女は許諾しなかった。
理由は名前が売れすぎると研究活動に支障があるとの事らしい。
正直、ライオネルは逆に名前が売れた方が研究費を集めるのも苦労しなくなるのでは、と問い正したが、ハルにとっては自分の名前が有名になりすぎて様々な人と接するのが煩わしいのだと理由を述べていた。
ハルの意思も固く、結局はハルの意向を汲む形で商標が確定する。
そして、今はハルの気持ちが少し解ったような気がする。
何せ、このところの忙しさのため、ライオネル自身の本業である義賊団の運営にも支障が出てきそうなのだから・・・
そんな思考の海に浸っていたライオネルだったが、別室で設けられた懐中時計の納品取引が終わり、ハルと秘書が会長室に戻ってきた。
「・・・というわけで今月の収支のご報告を終わらせて頂きます。あと、こちらが今回のハル様のご利益、そして、こちらが来月分の懐中時計製作のための素材となります」
懐中時計の報酬として用意された金貨と魔力鉱石の山がテーブルに置かれている。
この報酬はエミラルダの場合とは異なり、正式な取引として記録に残す必要があった。
報酬の金貨と製作素材の量と質を確認したハルは淡々と魔法袋に品物を納め、受領の書類にサインする。
こうして、今月の取引も無事に終わりを迎える。
「今月も、ありがとうございました」
「いえいえ、ハルさん、こちらこそありがとうございました。来月もまたよろしくお願いします」
ライオネルの方も無事に取引を終えて、感謝の意を伝える。
「さて、お見送りしましょう」
ローブのフードを深く被り直したハルを見送るため、ライオネルを含む商会一同は一階の玄関に移動する。
商会の主だった者が総出で見送りをするのは、いつもながら見慣れた光景である。
「それじゃあ」とライオネル達に向かって一礼をして去ろうとするハル。
しかし、ここで運命的な事件が起こってしまう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます