2-3 初デートって大変


 蕩ける蜂蜜色の瞳はもう通常運転。今日もたっぷり蜂蜜を提供している。

 別に求めていないのだが、需要なんか関係ねぇといわんばかりに蛇口から蜂蜜。本日も勢いと量がすごい。


 オニキスからの求愛を受け止めると決めたリリスは覚悟を決めてパンケーキになるしかなかった。私はふわふわ魅惑のパンケーキなのだと、自分を納得させるしかなかった。

 そう、私はパンケーキ。パンケーキなのだから、うっかり大量に蜂蜜漬けになっても仕方がない。

 だがしかし、今は駄目だ。


 だって食べているのは串焼き。

 お肉。とってもしょっぱいスパイシーなお肉。

 ある意味蜂蜜漬けにして柔らかくした方がいいくらい硬いお肉だが、口の中は甘みではなくしょっぱみが満ちていたはずなのだ。


 なのに、オニキスと目が合っただけで口の中が甘みで一杯になった。


(蜂蜜のように蕩ける笑顔になっておられる……!)


 オニキスが幸せそうな顔でリリスをガン見している。

 これが蕩けるような笑顔。

 どちらかといえば、見ているこっちが蕩けそう。蜂蜜でデロッデロに。


「どうした? 口を閉ざして」

「むん…っ」

「リリス。口を開けて」


 ちょん、とリリスの唇に触れたのは切り分けられた肉だ。肉なのだが。


(今食べたら絶対蜂蜜味になる…!)


 それくらい、オニキスから何か漏れている。蜂蜜オーラが漏れて肉に纏わり付いている。

 視覚嗅覚だけでなく、味覚まで存在しない蜂蜜に影響されている。怖い。


「まだたくさんあるのに残す気か? これが欲しかったんだろう? いけない子だな」

「ぴぇっ」


 頑なに口を閉ざしていたら、蕩けるような笑顔だったオニキスに悪戯っぽい光が宿った。


(いけません。いけませんオニキス様。そこで色気を加えてはいけません。パステルカラーで健全な蜂蜜にムーディーを追加してはいけません。甘さや匂いよりねっとりねっちょり質感で動けなくなります。それは私にはまだ早い。まだ早いのです。なんかよくわからないけど、まだ早いと脳内で兄たちが主張している…!)


 リリスは勢いよく白旗をあげた。


「いけませんオニキス様! 甘すぎます…!」


 思わずリリスは訴えた。とうとう本人に訴えた。


「何がだ?」


 しかしご本人には通じなかった。


「オニキス様の目が甘すぎます!」


 もうちょっと詳しく訴えた。


「なんのことだろうか」


 だがしかし一切通じなかった。ということは。


「自覚が…おありでない…!」


 当たり前である。


 鏡で確認できるものでもない。

 むしろ鏡を見ながらうっとり蜂蜜状態だったら付き合い方を考える必要がある。思わずうっとりする美しさだが、ご本人がうっとりするのは解釈違いだ。ブライアンじゃあるまいし。


(どうしよう…どうやってお伝えすれば伝わるかしら! 貴方が私を見詰める目が甘すぎるってどう伝えればいいの…ってなにそれのろけじゃない!? のろけにしかならなくない!?)


 のろけにしかならない。

 わりと深刻に蜂蜜漬けにされる危機感を抱いているのだが伝わりそうにない。


「俺の目が、甘いなら…」


 リリスの発言に少し悩んだオニキスはぽつりと呟きを落とし、フォークを持っていない手でリリスの頬に触れた。親指がそっと目元を撫でる。


「君の目は、熱いな…溶けてしまいそうだ」

(こっちの台詞ですがぁ――――!? あっつあつの蜂蜜を掛けられて溶けそうですがぁ――――!?)


 何故か心の中で逆ギレしてしまうリリスだった。


 ちなみに広場の噴水で堂々と行われる触れ合いに、通りすがりの親子は子の目を覆って「まだ早い!」と叫んでいた。リリスばぶちゃんにもまだ早いので勘弁して欲しい。


 真っ赤になってぷるぷる震えるリリス。涙目で唇をきゅっと引き結ぶ姿に、オニキスは相変わらず濃厚な蜂蜜のように甘い視線を向けて…。


(あれ)


 顔の距離が、

 思ったより近い気が…――。


「あ、リリスだ」


 はっと我に返ったとき、オニキスとの距離は鼻が触れ合うほど近かった。


(ひょわぁ――――!?)


 お外で縮めちゃいけない距離では――――!?


 心臓が爆発する思いで竦み上がったリリスは、オニキスが訝しげに視線を向けた方向に慌てて視線を向けた。

 このときリリスは、あまりの混乱で聞こえた声が誰のものなのかさっぱりわかっていなかった。


「やっぱりリリスだ」


 だから振り返った先で、リリスは丸い目を更に丸くした。


 短いがふわふわと綿飴のような銀髪。その向こう側にあるぼやぼやとどこをみているかわからない碧眼。だぼっとした薄汚れた外套に大きな背負い鞄。見るからに旅人と言うより放浪人といったほうがしっくりくる、小柄な男性。

 ぼんやりした目をリリスに向けて、少し高い声で納得した声を出したのは。


「クリス――――!?」


 どこで何をしているのかさっぱりわからなかった、ホワイトホース子爵家の六男。

 クリスティアン・ホワイトホースがぼてっと落ちて…間違えた立っていた。


「アンタ今まで一体何どこ…に…」


 思わず立ち上がって駆け出したリリスは、久しぶりの六男の前に到達する頃には勢いが失速していた。

 何故ならぼうっと立つクリスの隣に…可愛い女の子が立っていたので。

 通りすがりや無関係とは思えない距離で、ぴったりクリスティアンの隣に女の子が立っていたので。


(…はぅっ!)


 白磁の肌に、桜色の唇。ふわふわ靡いた金色の髪。ちょっと眠そうに垂れた金色の目。

 クリスティアンと同じ旅装で薄汚れているのに、高貴で上品な佇まいは少しも損なわれていない。神秘的な美しさを持つ美女がクリスティアンの隣に立っていた。

 リリスは妖精令嬢と名高かった姉とはまた違う神秘に打ち震えた。


(わ、わわ、描きたーい!)


 久しぶりに会ったクリスティアンに詰め寄ることを忘れて、リリスはふらふらと美女の前に引き寄せられた。

 その背後で浮気よそ見の気配を察知したオニキスがいたが、リリスは目の前の美女に釘付けだった。


「わ、私はクリスの妹のリリスです。貴方のお名前はなんですか?」

「いもうと…」


 うわあ声も可愛い!

 お花がおしゃべりしているのかなってくらい可愛い!


 頬を桃色に染めて大興奮なリリス。その背後でオニキスが粘度の高い視線を向けていたが、リリスは目に映る美女で頭がいっぱいだ。お目々キラキラで美女を見上げていた。


 この美女、小柄とは言え男性のクリスティアンよりちょっとだけ背が高い。必然的にちっこいリリスは見上げる形になり、上目遣いで美女を見詰めた。

 スケッチしたい。思わず手がわきわきする。

 そんなキラキラした視線を受けた美女は。


 にっこーっと神秘的な空気を明るい笑顔でぶっ飛ばして、ギャップに驚いて固まるリリスを正面から抱きしめた。


「やあんリスちゃんの妹きゃわいい! 妖精ちゃんみたーい! リスちゃんの妹だからリスリス! リスリスきゃわいーっ」

「はぇ…?」


 リリスの目が点になる。

 オニキスは真顔で固まった。

 クリスティアンは無表情で空をみている。

 美女は抱きしめたリリスの頬に自分の頬を合わせて、すりすり肌を堪能していた。


「リスリスはじめましてぇ! カーラはねぇ、カーラでぇすっ」

「はぁ…」


 きゃぴっと効果音が聞こえてきそうなウインクを頂いた。

 リリスは目が点になったまま、神秘的な美女からパステルカラーの星が散るのをみた。


 なかなかの衝撃。

 その衝撃から立ち直るより早く、更に衝撃は重ねられる。


「リスちゃんのぉ、お嫁さんです!」

「はぃ…?」


 聞き捨てならない言葉が聞こえた。

 なんて?


「…お嫁さん?」

「お嫁さぁんっ!」


 リリスを解放した美女、カーラはえへっと甘えるようにクリスティアンの腕に抱きついた。

 そんな彼女に動じることなく、首を傾げて頭をごっつんこしたクリスティアンは、何を考えているのかわからない無表情でピースサインを作って一言。


「結婚した」

「はおいえうあ!?」


 肯定しやがった!


(え、なに? 結婚? クリスが!?)


 驚愕に打ち震えるリリス。一部始終を見守って珍しく目を丸くしているオニキス。

 クリスティアンの腕に絡まってイチャイチャするカーラと、無表情ながらも許容してブイブイとピースサインを強調するクリスティアン。ダブルピースだった。


 なにこれ。


「ど、どういうことよぉ~~~~!!」


 思わず公共の場で叫んだのは令嬢として失格だったが、リリスには堪えることができなかった。

 六男、予想外のタイプのお嫁を連れて、本日帰還。


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