1‐6 お願いします
「レストアーデェェェ!!」
「——ッ!」
自分の名に込められた、帝国兵ら以上の憎悪と怒り。
帝国兵らを相手取ったのは、敵意を向けられたからそれを返しただけ。ある種、アイリスの
しかし、今は違う。ソフィアに向けられた憎悪・怒り・殺意。そこには明確に『レストアーデ』個人のみを敵と認識した感情があった。
アイリスはソフィアに向かって飛びかかり、血塗られた黒腕を、その端正な顔に向かって振り下ろそうとする。
「————え」
死を受け入れる暇すらなかったその直前、ソフィアの左眼には停止した鋭い『爪』があった。
いつまで経ってもその爪はソフィアの顔面を抉らず、プルプルと震えている。それはまるで何かの『枷』に抗おうとしている様だった。
そっと視線をズラしアイリスの顔を覗くと、アイリスは歯を砕かんばかりに食いしばり鋭い眼をソフィアに向けていた。
「オマエは……! お前だけは絶対に許さない……! よくも……よくも——」
流暢になったアイリスの声。なのに何故か、次の言葉が出てこない。
『——自己認識プログラム破損。直近で集音した近似一人称を適用します』
「わた……ボ……オ……。オれ……オレ——」
「オレ……?」
美人な顔には似つかわしくない一人称。それに思わず疑問の声が溢れてしまう。
すると、おもむろにアイリスは左腕でソフィアの胸倉を掴んだ。
「——ッ!!」
「よくも…よくもオレをあんな目に合わせやがったな……! 殺してやる……絶対に殺してやる……! レストアーデ!!」
聞き取りやすくなった声帯。しかし、流麗な声色から発せられたのはドス黒く重たい憎悪。
そこでソフィアの心が変化した。
相手は何故か自分を殺せない。そこに、何度も突きつけられたこと無力感と理不尽が怒りとなって心に余裕が生まれる。
気付けば、胸倉を掴む腕を握り締めアイリスを睨んでいた。
「確かに、私はレストアーデの人間よ……! でも、私が……アナタに何をしたっていうの……! もしかして、キスされたことが嫌だったとでも言いたいの!?」
そんなことはあり得ないと思いながらも、ソフィアに思い当たるのはそれしかない。
だが、それへの返答は更なる怒りだった。
「黙れ……! オレの怒りを侮辱するな……! 『コレ』はお前がオレを生み出し、オレたちを理不尽に捨てたことへの怒り……! お前が与えた
「私が……生み出した……?」
「忘れたとは言わせないぞ……! あの日、お前が行った悪魔の所業を……! まさかまた会えるとは思わなかったよ……! この恨みキッチリ、精算させてもらう!!」
「うぐっ……!」
胸倉を掴む手に力が籠り、ソフィアの首が締め付けられる。
息苦しさに顔を歪めると——
『——エラー、エラー。管理者権限・保護対象への反逆行為は認められません。自壊プログラム起動』
「なに……!? 感情増幅装置は……!? そうか……メインコアが無いのか!」
アイリスに備わった、反逆を許さない絶対防衛システム。本来ならメインコアによる高出力と感情増幅装置で抑えられていたが、今はサブコアだけ。
感情を出せても、出力に換えられるパワーがない。
「んなっ……!」
「きゃあ!」
突如、胸倉を掴んでいた左腕が砂鉄へと戻り霧散する。続けて両脚も霧散。
バランスが崩れ、アイリスはソフィアと一緒に倒れ込む。
だが、それでも優位性は変わらない。馬乗りになったアイリスは上からソフィアを睨みつけ、唯一最初から備わっていた右腕でソフィアの首を掴んだ。
「くそっ……! メインコアがあればこんなことには……! レストアーデ……! オレのメインコアを返せ……! そしてお前諸共、今度こそ人類を滅ぼしてやる……!
「なんで……そこまでして私を……」
どこかチグハグ。根本的な情報が捉えられていないと感じられるアイリスの発言。
そこで、アイリスが機械の魔王だということをソフィアは思い出した。
御伽話によれば、魔王が生まれたのはこの世界が今の世界になる前のこと。二百年以上前の先史文明だ。
その時代にいた『レストアーデ』の名を持つ者なんて一人しかいない。そして、アイリスが
魔王が眠る地を
——それらを繋ぎ合わせた時、ソフィアの頭に一つの正解が生まれた。
「アナタ……もしかして私たち——初代レストアーデ王の……? ……でもだとしたら、世界を滅ぼした機械は私たちの先祖が作ったことに————」
「初代……だと? おい、ちょっと顔をよく見せてみろ!」
「キャッ!」
ぐいっと胸倉を引っ張られ、顔を近づけられる。
アイリスはまじまじとソフィアの顔を見つめた。
「……違うな。オレが知ってるレストアーデは男だ。女じゃない」
「ちょっと、アナタ男と女を間違えたの……?」
「うるさい。オレの中にある記憶媒体に登録された血液情報が『レストアーデ』のモノと一致したんだから仕方ないだろ」
「記憶媒体……? 血液情報……?」
人違いだと分かったのか、アイリスの怒りが若干抑えられる。
その一方、アイリスの言葉ひとつひとつにソフィアには疑問の種が増えていく。頭の中はずっとこんがらがっていた。
「ねぇさっきからアナタの言ってることが——
「……おい、今はどんな『星歴』何年だ?」
「星歴……? 今は新歴二三五年だけど……」
「新歴だと……? チッ、まどろっこしい……! ちょっと記憶覗かせろ!」
「えっ……!?」
アイリスが側頭葉部分の髪の毛を一本引っ張ると、頭皮と繋がったまま一メートルほど伸びる。
その
傷つけないよう、記憶を司る部分に絡みついていく。
『強制神経接続。記憶転写開始』
絡みついたコードがソフィアの記憶を読み取っていく。
どういう時代なのか、文化レベルはどうなったのか、情勢はどうなっているのか。ソフィアの過去の事件やトラウマなど、ソフィアを構成するモノ全てがアイリスの記憶域に集約されていく。
読み取っていく度に、アイリスの顔が怒りに歪んでいった。
「——なるほど、機械を生み出さないと誓った世界か……。ふんっ、レストアーデの奴ら、たった二百年ちょっとでここまで文明レベルを落とすなんてな。おおかた、中世と近代の間で停止させたっといったところか? どうやら新しい『
ソフィアの記憶を読み取ったアイリスがブツブツと呟いて情報を咀嚼していく。
——その最中、ソフィアも全く見たことのない景色に目と心を奪われていた。
それはパスが繋がったことによる、アイリスの記録の逆転写。アイリスの記録もソフィアの脳に流れ込んでいた。
「これが……初代レストアーデ王やアナタのいた世界なの……?」
そこはとてもじゃないが本当にあった世界とは思えぬ景色。ガラスがふんだんに使用された超高層建築群に、空を飛ぶ四角い鉄の動物。清廉な服を着た多様な人々が笑顔で日常を過ごしている。
その隣にはいつもアイリスたち
——場面が切り替わり、次の光景は凄惨な戦場。
美しかった世界は荒廃し、人々に笑顔を向けていた
そのきっかけが、人類側が
そこから発展した人類の存続を賭けた大戦。
それがまさに【
「——だからアナタは、最初に生み出された
見せられたあの記録が十全に理解出来たわけではないが、アイリスが抱く感情は完全に理解できた。
「アナタは私と一緒なのね……」
理不尽に居場所を奪われ、復讐を誓う。それはアイリスの行動原理そのものであり、アイリスの行動原理でもあった。
それを理解した時、アイリスの瞳に込められた復讐心の中にある感情を唐突に理解した。
こちらを見つめる『純粋』な瞳。多様な負の感情が入り混じっている中に、涙が浮かんでいる様に見えた。
「一緒だと? そうか、オレの記録も見たのか。だったら分かるだろ、オレたちの憎しみと怒りと絶望が。そしてお前たちの『罪』が。人類に滅ぼされた身として、オレたちはお前たち人類を滅ぼす権利がある」
「……えぇ、そうかもしれないわね。帝国兵を殺したのもその一環でしょうし、今にも私を殺したくて仕方ないんでしょう?」
「あぁ、子孫だろうが関係ない。オレはあの時生まれた感情に誓ったんだ。必ずレストアーデたち人類を滅ぼすってな。——だから、お前に対して何もできないこの状況が腹立たしくてしょうがない……!」
「なら、取引しましょう」
胸倉を掴むアイリスの手をソフィアは再び掴む。
しかし今度は優しく、包み込むように。決して崩れることのなかったその黒い手を離さない。
「取引……だと?」
「えぇ。私の記憶を読んだのなら、私がどういう想いで動いているかも分かったはずよ。帝国に復讐したい私と、私を筆頭に人類に復讐したいアナタ。その道筋は一緒だと思わない?」
それは悪魔——いや、魔王との悪辣な取引だ。ソフィアは今、人類を滅ぼせる存在にその許可証を与えようとしているのだ。
それが実現してしまった時、ソフィアは全人類に憎まれるだろう。地獄に堕ちること間違いない。
「私は絶対に王国を取り戻したいの。どんな手を使ってもね——」
自分の無力さを知った。無謀な企みということも知った。
それでも、この身を焼き焦がさんとする熱情だけは決して消えようとはしない。
彼女は今こそ、復讐を成し遂げるための絶対なる力が必要だと思い知ったのだ。
——それが今、手の届く場所にある。
「あぁでも、王国の人たちとか私に優しくしてくれた人が死ぬことだけはやっぱり嫌だから、私の復讐が終わったら私だけを殺しなさい。私を直接殺す方法は見つけてあげるから」
「なんでオレがそれに付き合わないといけない。復讐をやりたきゃ自分でやれよ。オレはオレのやり方で——」
「たった一人、それも全盛期の力をほとんど使えず、今私がここにいなかったら地に臥せっているだけの存在がどうやって?」
「それは……」
「私がいれば、少なくともそれらは解消出来るんでしょう? 悪い話じゃないと思うけど」
アイリスの力が緩んだところでソフィアは体を起こし、アイリスの蒼い瞳に視線を合わせる。
その眼差しは真剣そのものだ。
「まぁ、交渉なんてしてみたけど私が言いたいことは一つだけ。私はアナタの力が欲しいの。だから——」
言葉を切り、瞳を閉じて頭を下げる。
「無力な私に力を貸してください。——お願いします」
「お前……」
それはアイリスにとって初めての感情。生まれた時から人に尽くすことが当たり前とされ、人から与えられる言葉は全てが命令形。
人から『お願い』なんてされたことはなかった。
ましてや、自分の生みの親の子孫にそんなことを言われるなんて——
「……まさか人間がオレに頭を下げるなんてな。確かに、お前とパスが繋がっちまっている以上お前がいないと十全に力を発揮できないのは事実だ。その点とお前の誠意に免じてついていってやってもいい」
「ほんと……!?」
「だが、今の状態だとオレはお前以外の全人類を殺すぞ。王国民を残したいお前の願望なんて知ったことか」
「そんなッ……!」
「王国民の命の引き換えにお前を殺す。先にその条件を提示したのはお前だが、文明が失われたこの世界でマスターたるお前を殺す方法が見つかる可能性はゼロだ。オレのメインコアがない限りそれは——」
伽藍堂の胸に手を当て、対比のようにソフィアの胸を見るとアイリスの言葉が止まる。
「……どうしたの?」
「お前、そのネックレスはなんだ?」
伸びた襟元から覗く太陽をイメージしたようなネックレス。円形の中にその太陽が収められた様なその意匠は、猛々しく燃える炎のごとく力強い熱を感じさせた。
「これはレストアーデ王国の紋章よ。魔王を討った時、それぞれの国が魔王から奪った身体の一部を
そこで、ソフィアは全てを察する。
無くなった左腕と両脚。穴の空いた胴体。そこにはメインコアと呼ばれる人間で言う『心臓』があった。
つまり、だ。
「これはオレの
凄惨にアイリスの口角が鋭く吊り上がる。
メインコアだけじゃなく、四肢が完全に戻るなら今度こそ人類を滅ぼすことが出来るだろう。
「奇跡というか、象徴が無かったら人を纏められない人類を間抜けに思うか。なんにせよ、これで条件はクリアだな。人類を滅ぼすために、オレは失った部位を取り戻す。そのついでに王国とやらも救ってやるよ。メインコアが戻ればお前を殺す。国民には手を出さないでやる」
「……いいの?」
「あぁ。まだこのオレにもマスターの希望を叶えようとする機能くらいは残ってるみたいだからな。それに……」
「それに?」
「マスターからの『初めて』のお願いだからな。それくらいは聞いてやろうと思ったのさ」
復讐の心が溶けたわけではない。お願いを聞いたとはいえ、人への憎悪が消えたわけでもない。
それでも『アイリス』は、人に寄り添う為にとかつての人類が作りあげた最高傑作だ。理性が少しでも戻りさえすれば、暴走するだけの
『全』人類を滅ぼすことよりも、最大の復讐相手たるレストアーデの血を途絶えさせる方が感情的にもシステム的にも合理的と判断しただけだ。
「じゃあ、契約成立ってことで良いのね?」
「いいぜマスター。
ニヤリと悪辣な笑みをアイリスは浮かべる。
「いや、むしろ恨まれる立場かなお前は」
「毒を喰らわば皿までよ。私はアナタに夢を見ることにするわ」
握手を交わすようにソフィアはアイリスの手を取った。
温かい人間の手と冷たい機械の手。
二三十年以上の時を超え、今再び人間と機人が手を取り合った。
お互いの復讐を果たすために——
「ソフィーリア・ヴァン・レストアーデよ。王国を取り戻すまでよろしくね」
「オーケー、マイマスター。オレが殺すまで死ぬんじゃないぞ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます