11. 鳥獣戯画のうさぎ

 やがて暗雲が晴れるかの如く烏羽からすばの層に隙間ができ、そこから虎模様がのぞく。


 それを確認した青ウサギは、小指に挟んでいたGペンをくるくると円軌道を描きながら、持ち直した。フルーエントソニックと呼ばれるペン回しの技だ。

 そんなさりげない動作ですら、なめらかで美しく、はたから見るとペンそのものが指の間を這う生き物に見える。


 青ウサギは、煌めく星々を線で結ぶように夜空にGペンを走りらせたあと、まるで仕上げと言わんばかりに、フッと短く息を吹き掛ける。


 すると今度は、厳かな雰囲気を纏う一張いっちょうの弓と、黒鷲くろわし山鳥やまどりの羽根をそれぞれいだ二本の鏑矢かぶらやが顕れた。


 青ウサギがそれに触れようと手を伸ばしたとき、強烈な殺意が、弓もろともすべて引き裂こうと一気に詰め寄る。


 社畜女は、すっかり青ウサギを強キャラ認定していたので、度々訪れる危なっかしい場面も目を背けることはなくなっていたのが、浮夜絵が薙ぎ払った落画鬼の爪が、のっけに粉微塵こなみじんにされた牙と同様にはならなかったことに、一抹の不安を覚えていた。


 それでも、落画鬼の鉄壁の防御はすでに崩れ、再構築する余裕もない様子。

もう勝てる。そのまま一気に叩き込めと、熱狂的なスポーツファンのように前のめりになる。しかし……。


 この落画鬼の厄介さは、尾にある明らかな致死毒を蓄えた蛇にあった。


 本体から思考が独立しているのか、動きがいまひとつ読めない。


 その毒牙は、かすった衣服はおろか、青ウサギが描いたばかりの弓も黒い鏑矢も、長刀のはがねさえも、触れた箇所をあっという間に溶かす。

 数は少なくなってきたといえど、烏羽からすばの攻撃も依然、強力だ。


「どういう状況……!?」


 社畜女のスマホは、情報過多になった目の前の光景に、とうとうなにも捉えられなくなった。


 画面の先では、一度に三種類の攻撃を同時にかわすという、常人では一秒も耐えられない“避けゲー”がはじまっているようだが、素人の撮影ではとてもじゃないが、その被写体を追い続けることはできない。


 無論、いまやAIチップが当たり前に搭載されているスマホカメラなら、どんなに持ち主の撮影技術がなかろうが、AIがすぐに被写体を認識し、自動で最適なモードに調整してくれるはずなのだが……。


(青ウサギたちの動きがあまりにも規格外すぎる!)

 

 AIの自己学習ラーニングが追い付かないのだ。

 社畜女も、自力でなんとかできないものかと、冬に流行のくすみオレンジに染めたきり隙間ができはじめていた長い爪を、画面にカチカチ叩きつけるをくり返す。


「……あーもう!」


 素人がAIに勝てるはずもなく、ろくにピントも合わせられないまま、すぐに見失ってしまう。


 この苛立ちは、恐らく決着がつくまで続くことだろう。

 なんでもっとはやく機種変しなかったのかと、社畜女は思わず地団駄じたんだを踏む。


 そして大きなため息とともに、自分の目そのものがカメラだったなあと、現実にありそうでまだ実現されていない夢を見た。


 戦闘に参加してもいないのに、額に汗をにじませる社畜女とは対照的に、青ウサギは眉ひとつ動かさず、落画鬼の猛攻をかわし続けている。

 その目はもはや落画鬼すら見ていない。


 無事に残った赤錆色あかさびいろの鏑矢を口に咥えたまま、蛇の毒に触れたことで弓幹ゆがらの長さを失い、使い物にならなくなった弓を見つめている。

 かといって焦る様子は少しもなく、上弭うわはずから外れ、だらんと垂れ下がった弦を拾い上げようとした時だった。


 身の安全より鏑矢を優先にしたせいだろう。


 ついには烏羽の一撃が青ウサギの頬をかすめ、反動でフードの下に隠していた素顔が顕わになる。




――年端もゆかぬ少年だった。


 目鼻の整った顔立ち、霜柱のように繊細な睫毛まつげ、一本に束ねた細く艶やかな長い髪は、浮夜絵のそれを優に凌駕りょうがしており、絵にも描けない美しさを体現している。


 頬の血に動揺したのは、少年を抱えていた浮夜絵で、主を守るため落画鬼と距離を取ろうと、咄嗟に翼を広げたものの、蛇の尾がそれを許さない。

 

 あっという間に片翼と仮面の一部を失った浮夜絵は、少年を抱えたまま真っ逆さまに墜ちていく。


 しかし、少年自身はまったく臆することもなく、すぐさま浮夜絵が天に向かって伸ばした両掌をバネに跳躍する。


 少年の装備は、やはりなにか特殊な仕掛けがあるのだろう。


 その見た目だけでなく、動きまで兎と完全一致いやそれ以上、まるで鳥獣戯画の擬人化された兎並みの軽やかさだ。


 青ウサギはひと息で、落画鬼よりも遥か頭上高く、月に届くほどの高さまで上昇すると、近くの超高層ビルの窓を重力に任せて、疾風しっぷうの如く駆け降り、瞬く間に落画鬼へと迫る。


 その速さに反応できたのは蛇の尾のみだった。


 だが、反応できたところで、かわせるとは言ってない。


 少年が蛇の威嚇と同時に放った「伸びろ」の一言が言い終わる頃には、蛇の頭に貫通した刀剣の大きさほどある長物が、そのままビルの壁に深く突き刺さっているだけだった。

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