「みんな」ってただの塊
フルタイムの仕事を辞めて、気づけば一ヶ月が経とうとしています。辞めてすぐの時は、「辞めない方が良かったかな」「もったいないことしたかな」と後悔していました。
「みんなと同じように社会人として生きたかった!」この気持ちが大きかったからです。しかし、あれからもうすぐ1ヶ月が経とうとしている今、すごく不思議なことが起きています。
前の職場のこと、あまり思い出せません。
思い出そうとすれば思い出せます。しかし、結構振り絞らないと靄がかかったように思い出せないんですよね。半年間毎日通っていたはずなのに、1ヶ月程度で記憶から消えるものかと自分自身が一番驚いています。
そして現在、ほぼニートです。というか、療養中です。思った以上に「みんなと同じ」に合わせようと必死で戦っていた時間が、自分の中で深い傷になっていたみたいです。心の傷はすぐには治らないとはよく言ったものですね。
ライティングのお仕事をぼちぼちとしてはいるのですが、まだほぼ稼げていない状態。
「みんなは稼いでいるのに」
「みんなはちゃんと働いているのに」
「子どももいないのに旦那に頼りっきりで情けない」
この1ヶ月間、このような感情に悩まされていました。悩んでは落ち込み、落ち込んでは旦那に吐き出し・・・。
そうする中で気づけたことがあります。「みんな」って何?「みんな」ちゃんとしているの「みんな」は、働いている人の中の「みんな」なだけ。
私の知らないところで、見えないところでそうじゃない人もたくさんいます。色んな生き方をしている人がたくさんいます。正社員で働いて、共働きでバリバリで・・・確かに人工的には多いかもしれません!
結局「みんな」っていうのは、どこかの塊を指しているだけの話。違う「みんな」を探せば、私と同じような境遇の「みんな」もいるに違いない。
そう思うと少しだけ気持ちが楽になりました。「みんなと同じように生きられない」タイトルにしたこの言葉も、所詮は一つの塊と比べているだけなのだと思えました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます